応援の罪



長野冬季オリンピックを見て強く思った事がある。
原田のジャンプで、原田が涙と裏声でインタビューに応じた次の日、私はラジオを聞いていた。
そこで、56歳男性という人からの便りというのを、アナウンサーが読み上げていた。
「私は、昨日の原田のジャンプを見て泣きました。そして、今朝の朝刊で、原田の記事を読んで又泣きました。 それで、コンビニに行ってスポーツ新聞を全種類買ってきて読んで又泣きました。原田、ありがとう。」

なんだぁ?これは!こいつおかしい・・。いや、こういう便りを選ぶ局の姿勢はたぶん民衆の最大公約数の意見と思い採用したのだろう。

原田が泣くのはいい。関係者が泣くのも解る。しかし、一般の人がそこまでの思い入れで一緒に泣くか?
何回も泣いたという事を、しかも誇らしげにラジオにも言ってみんなに聞かせたい。と思うそうさせるものは何なんだ?
私にはそのエネルギーは異常に映る。
原田が前回のオリンピックで失敗した時、嫌がらせ電話や、抗議の電話、果ては無言電話など凄かったそうだ。
こういう反響も理解出来ない。
こういうヒステリックな反応は、前述の56歳男性と同じ反応じゃないか。
うまくいったら、自分の事のように泣いてくれるファンっていうのは、 裏返せば失敗した時、無言電話に走る。

まぁ、人それぞれだろうけど、スポーツ観戦で夢中になる心境が理解できない。
特に熱いのはサッカーだ。外国では、サポーターの応援がきっかけの火付け、暴動、果ては戦争なんて例もある。
何故なんだよ。いいじゃないか。人が勝とうが負けようが。

もっと自分の事で泣けよ。自分の事に夢中になれよ。
原田が失敗しても、怒るな!
成功しても、泣くほど喜ぶな!





蟹屋 山猫屋