狐狸決戦



狐と狸は、仲が悪かった。
もともとの原因は何だったんだろう。随分 昔のことでふた方覚えてない。
狐の名は、勘九郎狐という。狸は、源五郎狸。
時は熟し永禄三年五月十九日、二匹は決戦となった。
戦いは妖術の限りを尽くした戦いだった。
勘九郎狐は、雲を操り、風を使うのを得意とした。
一方、源五郎狸は、地にもぐり、地熱を上げ気温を自在に操る法を身につけていた。 時には、地震を呼ぶことさえ出来る。
二匹とも、人に化け、人語を解し、幻覚を見せることなどの術を使う。

源五郎狸は、何を思ったのか いきなり地熱を操り気温を上げてきた。
二匹の妖獣の戦いは始まったのである。


織田信長は、唸っていた。
この男には、珍しく、今度はダメかもしれないと思っていた。
今までの戦さは、ほとんど連戦連勝だった。しかし、ここに来てあの今川義元と当たる事となった。

今川義元 四十二歳。 二万五千の兵を従えている。
織田信長 二十五歳。 兵三千。 新興勢力である。

織田の勢いは、ここまでだろうというのが諸外国の見立てだった。
信長は、唄った。願いを込めて。
信長は、舞った。祈りを込めて。
そして午前二時、戦いのために城を飛び出した。信長は駆けた。兵も駆けた。山野を駆けた。
翌日、早朝から ひどく暑かった。 暑い。まるで火のすぐそばにいる様に。人馬は汗だくになって前へ進んだ。今だ敵情がわからない。 異様な暑さの中、前進を続けるしかなかった。


勘九郎狐は、有利に事を進めていた。
今度こそ勝負を着けてやる。勘九郎は、小さな竜巻を繰り出した。
大きさこそ小さいがこの竜巻に巻き込まれでもしたら死に至る。
源五郎狸は逃げた。逃げ切れぬと悟った時、地にもぐった。
「しまった。地にもぐったか。さて、奴め、何処から出てくる。空から見張ってようか。」
勘九郎は風を呼び空へ飛んだ。

源五郎狸は、地にもぐり考えた。
今出るのは危険だ。しかし いつまでも、このままという訳にも行かぬ。
源五郎は、地中を移動し、人の大勢いる所へ出て化けた。
源五郎は僧になっていた。
僧になって腹が減っているのに気が付いた。
「ここらで腹ごしらえでもしないと体がもたんわい。」
当時人々は、昼食を取る習慣はなかった。せいぜい干し飯いを かじるぐらいである。 ましてや僧ならば昼食など食べない。
源五郎は、一計を案じた。
彼は近くの寺へ行き、正僧様に進言した。
術を使えば なんら怪しまれる事なく拝謁出来る。

「正僧様。ただ今、今川義元が織田軍を蹴散らしにこちらへ向かっております。  今川軍は大軍で織田の小僧などひとたまりもないでしょう。  今の内に取り入っておくのが後々よろしいかと思われます。 どうです? 戦勝祝いとして昼食弁当など差し上げたら。」

狸の意見に寺の正僧は、その通りと膝を打って賛成した。
この寺が戦勝祝いを届けたという噂は近在の寺院、神社にまたたく間に広がり、皆こぞって真似したのである。 おびただしい量の酒、魚介類の祝い品が今川側に届いた事になる。
義元は、そんな物を持って戦えるはずもなく、ならばここでと、一斉に軍を大休止させ 昼弁当をつかい戦勝の小宴を張った。
もちろん源五郎もちゃっかり一人前の昼食を戴いてる。
今川義元は、酒がまわり、近習に小鼓を打たせ、謡を高めの声で唄った。


空から様子を見ていた勘九郎は、地上の変化を源五郎の仕業と気が付いた。
「ふふっ、源五郎め、戦いの最中にふざけた事を。それは余裕か。そんなものは吹き飛ばしてくれるわっ」

勘九郎は、最大級の雨、雲、風を呼んだ。
突然、空が暗くなった。突風が樫の木の大木をなぎ倒した。
容赦ない風が吹き荒れ、雨が追い打ちをかけた。
地上は、たちまち大嵐になった。


猛暑の中を行軍しながら、信長は敵の本陣を探していた。
すると斥候が汗だくで走ってきた。
「殿、敵の所在が判りました。田楽狭間で昼弁当をつかってます。」
その報告を聞いた途端、急に辺りが暗くなり大粒の雨が降り出した。
風は追い風。今川軍にとっては、向かい風になる。
「天は俺を見捨ててはいない。」
信長は、確信した。


昼食を取り終えた源五郎は、勘九郎と妖術をつくし戦い続けた。
妖狐、妖狸の戦いなど人智の及ぶ所ではない。どのような戦いが繰り広げられたか、 もはや説明は出来ない。
ただその戦いは、勘九郎の呼んだ嵐の中で行われたのは確かだ。


天暗く、雨は横殴りに頬を打つ。そんな中で織田軍は奇襲をかけた。
そして奇跡が起きた。
三千の兵が二万五千の兵に勝ったのである。
嵐の中、勝利と共に織田軍は引き上げていった。
こうして後に桶狭間の戦いといわれた戦さは終わった。


一方、狐と狸の勝負の行方。
精も根も使い果たした二匹は、ボロボロになっていた。
もはや戦いを続行する事は不可能だった。回復するのにもかなりの時間が必要だった。
二匹は息も絶え絶えに約束をした。
「源五郎、今日の所は引き分けだ。しかし次は絶対にやっつけてやる。」
「ふん。勘九郎よ、仕方がない。次の決戦場所と時間を決めよう。 わしが、場所を決めよう。貴様が時間を決めるがいい。」
「おぅ。ちょうど四十年後の九月十五日はどうだ?」
「いいだろう。場所は、ここから北西に十二里の所にある関ヶ原という所はどうじゃ。逃げるなよ。」
「何を言ってる。お前こそ。」


田楽狭間に一陣の風が吹き、二匹は たちまちその気配を消した。
嘘のように晴れ渡った青空にゆっくり流れる白い雲がひとつ。



資料:司馬遼太郎「国盗り物語」3
戦国全史 講談社




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