鳥人幸吉


 時代は江戸中期。場所は備前。現在の岡山県である。
 浮田幸吉は、空を見上げている事の多い少年だった。いや、正確 にいうと見ていたのは空ではなく、空を飛ぶ鳩だった。
「なぁ、おかあちゃん。鳩が空を飛べるんのはなんでぇ。」
「なんぼうその質問かぁ。鳩は翼があって、お前には無いってこと だぁ。いつまでも空ばぁ見てないで、家へ入りゃぁええが。」
「なぁ、わしにも翼があったら。」
「翼を付けて産んでやれなくてすまなんだのう。ほんならそんな事 で思い悩む事はなかったろうが。」
 母親は、自分で言った冗談にひとりで笑った。
 幸吉は、にこりともせず空を見上げ続けていた。その顔に鳩の糞 が落ちた。それでも微動だにしなかった。幸吉はそんな少年だった。

 長じて幸吉は表具師となった。
 表具師とは、紙、布を張って、巻物、屏風、ふすまなどを作る職 人である。
 幸吉は、仕事熱心な腕の良い職人だった。仕事が終わった後、 仲間と酒を飲むこともせず長屋に戻って、ある仕事に没頭していた。
それは、翼の制作である。いくつかの試作品を経て、いよいよ完 成版が仕上がりつつある。
 翼を背負いながら両の手で紐を使って舵を取る事が出来る。尾羽根も ある。一人暮らしの狭い部屋は、大きな翼が場所を取り、いったい どうやって寝ているのか。
 そこに野次馬が冷やかしに来る。幸吉の鳥人計画は、町中の評 判であった。
「幸吉。こいつで飛ぶ日は決まったんかぁ。」
「あぁ、来月の始め晴れたら実行するでぇ。」
「そりゃ、おもれぇ。何処ぇでやるんじゃ?」
「ここからすぐの所に橋があろうが、あそこから飛ぶでぇ。」
「よぉし、長屋の連中や、かみさん連中、仕事仲間、弁当持ってぎ うょさんで見物に行くでぇ。」
「おおよ。」

 当日、晴天。
 見物人で河原は賑わった。ちょうど桜の季節。花見気分で酒盛り をする輩もいてちょっとした祭りのようだ。
 翼を装着した幸吉は、橋の欄干の上に立った。
 空を見る。幼き頃からずっと見続けている空。今日の空は、見上 げるばかりで手の届かなかった空とは違う。下で騒いでる酔っ払い 共の事はすでに頭にない。見えるのは青い空。
 やわらかい風が幸吉の背中を押した。幸吉は飛んだ。鳩になった。 風になった。桜の花びらになった。幸吉は念願の空の人になったの である。

 天明五年(1785)。ライト兄弟より100年以上も早く空を飛んだ日本 人がいた。しかし幕府に「怪しい奴」と睨まれ、幸吉は後に打ち首と なったという記録が残っている。





注)この作品を発表後、「櫻屋幸吉保存会」という所から連絡がありました。
以下はその文です。

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サイトでの扱いが殺されたことになって おりますが、情報の収集元はどこからでございましょうか?
記録では、池田蕃より所払いを受け、磐田市見付へ行っており、そこで 再度挑戦しております。晩年は見付で暮らし、墓もあります。
磐田とは兄弟縁組みもしており、市、町とも縁組み関係であり、交流も 盛んでございます。当時珍しく90歳以上まで生きながらえており、死罪など 初耳でございまして驚いております。
1997年、旧岡山藩池田家当主の子孫、池田隆政氏が、幸吉の兄 の子孫、 有喜多栄氏に「本村戻り令」を手渡したことで、岡山藩追放か ら数えて 実に212年ぶりに幸吉は追放を解かれたのも地元、行政あげて のイベントでございまして、既成事実には死罪などございません。

その収集もとをお聞きしたいことと、訂正をお願いしたいと存じます。
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私が資料としました本はNHK出版の「NHKサイエンス スペシャル 生命 40億年はるかな旅 3」の 108ページ 「飛翔を夢見た人々」です。
この中の短い文です。短いので全文列記しますね。

「鳥人」幸吉の冒険
江戸時代中期の天明5年(1785)
岡山の表具師・浮田幸吉は、鳩の
飛行に学んで和紙と竹で滑空機を
製作。橋の上から河原に向かって
飛ぶことに成功し、人々を驚かせ
た。これが日本人初の飛行記録と
されるが、幕府に「怪しい奴」と
にらまれた幸吉は後に打ち首とな
る。


そして挿し絵が付いています。
この短い文章に大いに想像力を刺激され、この文章を書いたのです。
幕府の偏狭な思想がよく判り、何よりもライト兄弟よりも百年も早く空を飛んだ日本人っていう事はなんとも痛快で、 多くの人に幸吉の事を知って欲しいなと思いました。

「保存会」の方のご指摘のように事実は「当時珍しく90歳以上まで生きながらえており、死罪などはなかった」のかもしれません。
指摘を受けてから後半部分を書き直そうと何度も書きかけましたが、どうにもうまくいきません。
こういうラストにした方が、幕府の偏狭さと幸吉という人物から受けるインパクトが強くなるんです。
このお話は史実を忠実に再現した文ではなく、創作です。
そして幸吉をおとしめるために書いたものではなく、その反対の意味を持つ文としてお読み下さればと思います。







蟹屋 山猫屋