ある超能力者の苦悩


   幼い頃から怖い夢をよく見た。 私の白く細い手首が血に染まっていく。 私が怯えると、いつも母は優しく抱きしめてくれた。

 予知夢をよく見る。霊媒体質というのか人には見えないものもよく見る。
 ある時、心が迷い、ひとり山に登った時に悪魔が見えた。その悪魔と問答をした。 へらず口をたたく悪魔に嫌気がさし、私は怒鳴った。
「悪魔よ去れ!」と。悪魔は消えた。

人の心も読める。だからテレパシーの能力もあるのだろう。私が強く念じると人々は私の念じた事を信じる事が多かった。
 テレポーテーションも使える。私自身の移動や、何もない所から飲食物を出したりして人々を驚かせてた。 私は何も無いところから物を出している訳ではない。 食物を瞬間移動させているだけなのだ。だから食物のあった場所からは突然消えたように見えるはずだ。

 超能力というのだろうか。 そういう能力が極めて珍しく一般的ではないと気付いてからは用心深く生きてきた。
 30歳までは父の仕事と同じ大工として生活した。しかし、どう生きるも一生。どうせならこの能力を出しきった一生もいいかと思い一念発起して立ち上がった。 当然、風当たりは強かった。

 キーワードは「愛」。私は「愛」を説いていった。

 私に付いてくる弟子が12人になり、私の言葉に耳を傾ける群衆も増えていったが敵も増えていった。

 私は、よく「力」を使った。 6つの大きなカメに入った水を酒に変えた。たった5つのパンと2匹の魚しか入ってないかごから何千人分の食事を賄うという事をやってのけた時は少々疲れた。
 よく病人を治した。手が動かない人。足の立たない人。らい病で苦しんでいる人。または遠く離れた町から力を使って病人を治す等という離れ業もやってみた。
 パフォーマンスとしてはこれらが一番効いた。力を使った後は特に民衆は私の話を真剣に聞いてくれた。だから力を多用した。 しかし、人々は私の苦悩を知らないで勝手な事を言った。
「王様になっていただこう。」
「どんな敵が来ても不思議な力で滅ぼして貰おう。」
「もう誰も食べ物の心配をしなくて良いんだ。」

 何故人々には解らないのだろう。 伝わらないのだろう。 私の説いている「愛」。 その奥に潜む私の怯え。
 私の言葉を後世に確実に伝える方法はある。私の手首を血に染めること。私の死と引き替えに言葉は世界に広がるだろう。

 夜、また例の夢を見た。 予知夢なのだろうか。避けることの出来ない未来。 夜中に目を覚ますと体は寝汗でぐっしょり濡れていて寒気がした。 私は思わず自身の手首をさすった。まだ傷ついていない細い白い手首。

「一本のろうそくは、千本のろうそくに火をつけることができる。それと同じに、ひとりの愛の力は、千万人の人の心を動かすことが出来るのだ。」

 愛を説く私。何故、愛を説いているのか。本当に私は愛を説いているのか。
 私は私の予知能力が漠然と予感させる不安定な感覚を否定できない。私がいなくなってから私の言葉は一人歩きするだろう。
 力を使って遙かな未来を見通してみる。私の言葉を信じる人同士が争い、私の言葉を広めるために侵略戦争をする未来。

 つらい。

 そんな時、私は手首を見る。苦しい時は、よく手首をみる。
予知の目で見ると両手首、両足首にもおびただしい血が流れているのが見える。 これが現実になるのも、もう少し。

 何故、私はこんなにも険しい道を選んでしまったんだろう。
 横暴で傲慢な権力者との軋轢。 盲目的に信じる民衆の無言の圧力。 身近な者の裏切り。 これから起こる未来がすべて解る私の能力。

 祈らずにはいられなかった。
「おお、神様、出来ることならこの苦しみを私から取り除いて下さい。けれどもどうしてもこれを私が受けなければならないのなら、どうぞお心のままになさって下さい。」
血染めの手首の幻想にともすれば弱気になることも多かった。 未来は変わらない。予感は確実に現実のものとなる。私にはわかっていた。

 私は身近な者の裏切りによって権力者に捕まる前日、弟子達と共に晩餐会を開いた。これが彼らとの最後の食事になる。 ここで私は数々の予言をした。
「これが一緒にする最後の食事だろう。」
「この中から裏切り者がでる。」
「お前たちは、今夜、皆、私を見捨てるだろう。」
「お前は、明日の朝、鶏が夜明けを告げるまでに3回私を知らないと言うだろう。」
「もうすぐお別れの時が来る。しかし私の死後3日後に再び逢えるだろう。」
 最後のパフォーマンス。これがうまく効く。予言しながらも刻一刻と血染めの手首のイメージが鮮烈になって私に迫って来る。

 思い返すと短い一生だった。 今、私はゴルゴダの丘を十字架を担いで登っている。 私の手首は重い十字架を持つのに最期の力を出しきっている。 まもなくその手首に太い釘が打ちつけられるだろう。 白く細い私の手首に。

 その昔、自分の未来を手首に見ていた超能力者がいた。








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