熊と狩人



 熊の大きな右腕が、男の頭にがつんと直撃しました。
たちまち男は崩れ落ち、死にかけた虫のようにぴくぴく体が動いた後少しして、死にました。
不思議な事に、熊は男の死に行く様をじっと見つめていました。
ひどく優しい目で見つめていたのです。
その男は明らかに、熊である自分を殺そうとしていたのに、愛らしそうに死んだ男を見ていたのです。

 殺された男は、誰も見た事の無いようなちんちくりんな格好をしてました。
それは青や赤の模様がついたもう誰も着る事の無い古代の儀式用の服で、持っている武器は石の矢じりに黒光りする石の槍だけです。
 全てを壊すような、今どきの狩人が使う鉄砲を持っていません。
鉄砲を使ってさえいれば熊に殺されるどころか、多くの熊を殺す事ができるでしょうに。
男が持っているのは古びた玩具のような武器でした。

 男を殺した熊は、その男を抱きかかえました。
地面に座り込み、口を少し開けました。
食べてしまうのでしょうか。いいえ、鋭い牙の奥からうなり声の様な、唄の様な、言葉の様な声が出てきたのです。
 おそらく目の見えない人がそこにいたのなら、その人はほっと落ち着いた気持になったでしょう。
恐怖の無い、異国の子守唄に聞こえたかもしれません。
 でも、それを歌っているのは凶暴そうな熊でした。
外見に似つかわしくない、唄を歌っていたのです。
頭から滝の様な血を流し、死んでいる男に、唄を歌っていたのです。

 別の動物たちも唄を歌い始めました。
熊とは王です。
生き物が殺され合い、糧になり続ける山の世界の王です。
最強の王です。
 その王が、この唄を歌うとき、他の動物も歌い、一つになります。
偉大な物に歌うこの唄は。
 その狩人の老人が人間にとって最後の偉大な者でした。
山の中で動物たちの殺され続け互いの糧となり合う輪の中に入っていった男なのです。
 過剰な暴力を持たず、古い矢と槍だけで狩り、必要な物だけ狩り、大切な骨はきちんと埋葬し、取れない時はじっと、餓えている。
そんな関係に山の中の生物と持ったのでした。
山と、規律を守った男でした。
殺陣の中で、友情を深められた男なのでした。
いかなる動物にも、山にも友情をを深めた男だったのです。

 もう、彼のような男は現れない事でしょう。
いるのは快楽だけで全てを刈り取る狩人だけです。
これから先、地獄が始まるでしょう。もう、始まっているでしょう。
山は、いずれ滅び終わるでしょう。
 最大限の敬意を表した唄が捧げられます。
熊に抱かれた男へ、動物たちが唄を歌い続けます。
山に大きく木霊してました。
 ずっと木霊していました。


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