不幸な花


 花壇には数多くの花々が咲き、その全ての花はさながら互いの大きさや華やかさを競うかのようです。
しかし、そんな花壇に毎年不幸な花があるのです。
 それは種が石の下に転がり込んだ花です。

 他の花々が芽吹いた時も、芽吹く事はありません。
花を咲かす事ができないのです。
不幸にもその花の種は石の下にあるのですから。

 花壇に、色とりどりの花々が、この世の楽しみを享受するための開花の季節、人々の口からの賛美の声を浴びるための季節、不幸な花はすみっこの石の下にいるままです。
未だに開花どころか、芽吹きもできず、気づかれません。
大きな石の下、嘆いていました。
気づかれない事は存在しない事と同じだからです。
この世を楽しむなんてこと、できません。花としての生きがいが、義務ができず、秋には何もできずに枯れ果てるだけです。
他の花々にも気づかれず、いえ、無視され続け種はただただそこに居続けています。
種は動けませんから。
誰が見てもその種は別に大切でも、貴重でも、重要でもありません。いくらでも代えがありますから。
 したい事も、やるべき事も、楽しむ事もできず、その上無価値なので、種は不幸なのです。

 大雨が来て、不幸な種は初めて水を飲みます。
石が邪魔して今まで水も飲めなかったのです。
でも、散々外は荒れ、大雨が降ったのにも関わらず石は動こうとしません。種は石の下のまま。
どうやっても芽は出ません。
ですから根を伸ばしたのです。
根しか伸ばせないので、誰も見ない根を伸ばしたのです。

 他の花々が日光を浴び、水を飲み、花を健康的により美しく、大きくさせて、地上に明るさをもたらす中、不幸な種は怒りと悲しみと石への恨みを持ちつつ、根を伸ばしていました。
それしかできませんから。
 ただ、その根は草花としては異様に深く、極端なほどに広がっていきました。
そして新緑の芽を出すはずだった、青々とした葉を茂らすはずだった、何より美しい色の花を咲かすはずだったエネルギーをすべて根を太く、深く大きく広げるために使ったのです。
 それは他の花々が少し元気がなくなるほどでした。
大木が気づくほどでした。
人間には気づきませんでした。

次第に寒くなり、秋が来ます。
花々が枯れてしまいました。でも残した種が、来年また地上を明るくさせる、花々を咲かす事でしょう。
人間が喜ぶ事でしょう
 さて、あの石の下の不幸な種はどうなったのでしょう。
 根がかつて無いほど、生まれたての木よりも太く、長く、深くまで達し、広がっていたのです。
そこまで根を伸ばした意味はありません。
ただ、種の怒りがそうさせたのです。
 しかし、不幸な種はここまで根を張れた事で少し、幸せになれました。
子孫の種は残せませんでしたが、幸せになりました。
 力を発散でき、次第に怒りも無くし、ほんの少しだけ楽しんできて生きていられたからです。





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