荒野の花



 荒野に、一束の草が生えていました。
そこには水はけの悪さのために水があちこちに溜まり、ある種の生物には良い環境ではあるものの、大体の生物には良くない環境でした。
また、その土の色は赤く、草のための栄養がない土でした。
その土の硬さのために周りにはその一束の草しか生えていません。
おそらく、その一点でしか草が生える余地がないためでしょう。

 その草の束の根は一つで、つまり一人でした。
周りには同じ種の草どころか、苔やカビの類さえ見つけることはできません。
でも、その草は孤独ではありませんでした。
なぜなら、辺りの水溜りには数多くの蝿や蚊が育ち、ひっきりなしに飛んでいたからです。
蝿や蚊にはある程度慕われていましたし、それらの虫にもある程度個性があり、その様子を観察するのは楽しかったですし、自らの体の中にある栄養分を含む水を分ける事もありました。
貧しい土地です。草と蝿と蚊とは、ある程度の共生関係ができていました。
 ただ、その草に花が咲く気配はありませんでした。

 ここに一つの花が咲くのなら、どんなに明るくなる事でしょう。
蝿や蚊しかいないこの土地に、他の誰かが来るかもしれません。
もっと草を楽しませる者が来るかもしれません。
ですが、草は花を咲かせる事はできません。何故なら、この土地には草の体をかろうじて維持できるだけの栄養分しかなかったからです。
それでも草は花を咲かせたいと思っていました。
そのためにこの世に生を受けたのですから。
どうして花を咲かせられないのか、そのことで草が悩んでいた時です。
その草の新しい芽から奇妙な葉が生えてきたのです。
その草はあたかも人間の口のようで、歯の様な突起を持っていました。
 これが一体なんであるのか不思議に思っていると、蝿が飛んできました。
いつも良く話をする蝿です。
その蝿が「やあ」と話し掛け、その奇妙な葉に近づいた時です。
口のような草はたちまちのうちに蝿を捕らえ、めきめきと音を立てて蝿を殺しました。
あっと言う間の出来事です。
ただ、その蝿の体液が、自らの体に染み渡り栄養になったのに気づきました。
 栄養になってしまった事を気づいてしまったのです。


 あれだけいた草と話した蝿や蚊はもういません。
生暖かい水溜りには、生き物の姿は見えません。
唯一見える生物は、白い花だけです。
鎮魂の色の白い花だけです。
かつてのあの草でした。
奇妙な草を用いて蝿や蚊を食べ続けた結果でした。
 あれからと言うものの、草は数多くのあれだけ親しかった虫たちを殺したのです。
花を咲かせたいという自分勝手な欲望のために。
でも仕方がなかったのです。彼には彼の意思は働かなかったのですから。
遠い祖先から続く、体の中から湧き上がる意思に抵抗できなかったのです。
その逆らえない意思とは、貧しい土地に生え飛来する生物を食べろというものでした。
彼の一族はわざと貧しい土地に根付き奇妙な葉でもって、蝿や蚊と言った生物を食べる事で花を咲かすのです。
土や水の栄養価ではとても花を咲かす事のできない土地に、わざと根付くのです。
 その行動は耐えがたいものでした。
親しくしていた物を次々に食べ、殺していったのですから。
あの人の貪欲な口の様な奇妙な葉は、動物のように蝿や蚊を追いかけ、蝿や蚊を飲み込んでいきました。
その辛さのあまりに、いくら枯れよう枯れよう、死んでしまおうと思っても栄養が体中に行き届き、皮肉にも今までで最も元気な体を持つようになっていったのでした。
死ぬ事も枯れる事も、その兆候すら現さず、元気でした。
自分とは別の意思が食べ続けたために。

 今ではもうすっかり花は孤独です。
誰が来る事も誰が話し掛けることもありません。
きれいな花は何かを、誰かを引き付ける事はありませんでした。
周りにあるのは、水溜りと食い散らかした虫の羽や足だけです。
自分自身以外、生物の姿は見えません。
 これからはずっと続く孤独と共に生きていく事になるでしょう。
罪深い花には当然の罰です。
自分の意思とは関係ありません。自分がやってしまった事には罰は下ります。
自分が望んだ、花を咲かす事は悲劇の始まりでした。

 花は白く花を咲かせました。
虫たちへ、鎮魂と謝罪のために白い元気のない花を、咲かせました。


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