山の秘密




秘密?
それは、自分だけが知っている、誰にも知られてはいけないもののこと。
秘密は誰かに話したり、見つかったりしてはいけない。
秘密と言う不思議な魔法が解けてしまうから。



 昔、『禁足の山』と呼ばれる山がありました。
そこへはいかなる者のも入る事が禁じられ、神聖な空気が漂い、その麓から湧き出る水は万病に効くという名水で、その水はどんな日照りが続いても全くその水の量が減る事はありませんでした。
その水を求め、毎日多くの人が訪れてはその水を汲んで行きました。
 山の麓に住む人々は皆、自分たちの様な穢れた者が入らないからこのような水が湧き出るのだ、と信じ何人たりとも入る事はありませんでした。
ただ、唯一その山に暮らす者がいました。それは一人の醜い老人でした。しわだらけで、ごつごつした皮膚は目や口を覆い、どこを見ているのかすらわかりません。
時たま麓に下りてきて、土に汚れた上着を羽織、湧き水を見ては何をするわけでもなく山に帰ってゆく、奇妙な老人でした。
麓の村人もその正体を知らず、子どもにその事を問われると、あの人はとても昔からあの山に住んでいるからいい、と答えをはぐらかすばかりでした。


 今日も、その老人は村に降りてきました。
どこからともなく降りてきて、村に入り、再び山へ戻るため木々の生い茂る山へと足を向けていました。
しかし今日は、その老人の後を追う若者がいました。老人の正体を見極めたいと言う好奇心を押さえきれず、老人の後をつけ山に入る決心をしたのです。
 一歩、また一歩と山の中へ分け入るたびに、若物は不快な気持ちを覚えていきました。木の葉一枚一枚の、草の一本一本の、入ってくるなと言わんばかりの雰囲気と、瘴気のような森の湿気が若者の体にまとわりつくためでした。
胃袋は痛み出し、汗は流れ出し、全身の筋肉はこわばりを覚えました。
 ゆっくりと歩き続ける老人は全くそんな素振りを見せない物の、物陰に隠れながら追って行くここがなぜ『禁足の森』と言われている理由を身に染みて覚えながら森の更に奥へと入っていきました。
 日は傾きつづけ、猛獣の声を聞き、蚊に血を吸われもしました。それでも若者は、老人の後を追っていきました。まるで何かに誘われていくかのいうに、森の奥と言う誘惑に遭い拒みきれなくなったかのようでした、

 暗い空が、森を支配しています。
森の奥に、開けた場所がありました。そこでようやく若者が追っていた人物が足を止めたのです。
それは老人ではありませんでした。
今まで暗くなっていた森の中を歩いていたためわからなかったのですが、例のあの醜い老人などではなかったのです。
森の開けた広場の空に満月が照り、はっきりとその姿を見極めれます。
 それは、女性の形を持つ樹木でした。
乳房と思える出っ張りがふたつついており、その樹木は柳なのか髪の様な緑の葉が緩やかな風にたなびいています。
腰らしい部分で幹はふたつに分れ、両腕も持っています。枯れた太い枝のようでした。
 明らかに樹木です。しかし、動いています。あたかも人間のように、樹木らしくないつややかな肌の顔にスプーンのような丸太で水をかけていたのです。根の付いた足を曲げ、しゃがみ込みながら。
 その一部始終を若者は見ています。
その樹木はやがて、すっくと立ち上がり、腕を広げ月光を浴びるような体勢を取りました。
その体から水がほとばしっています。ごつごつした木の皮の間から、そして顔の、目から。
水が流れ出ていっていました。
水を、作っているようでした。

 しばらく、そのままでした。
その樹木は若者に気づいたのか、目を若者に向けました。
はっ、と若者が息を呑むと、その樹木はみるみる生気を無くし、髪の様な葉は枯れ始め、流れ出る水も止まりました。
枯れたようでした。
 いつしか、日が昇り、若者はその樹木に近づきました。それはただの枯れた樹木に過ぎなかったのでした。
そして森は魔法が解けたかのように明るく爽やかで、若者の気持ちを軽くさせ、帰りは思いの外早くに村に着きました。
 ですが、あの水は枯れていました。
老人だった、あの女性のような樹木が生み出していたいた水だった、そう若者は直感しました。
若者がこの山の秘密を暴いてしまったばかりに、村に湧き出ていた水は消えてしまったのです。

 次第に、人々の心はぎすぎすしてきました。
皆が仲良くしていた村に水不足が起こり、争い事も増え始め一人、また一人と去っていき、『禁足の森』にも人はどんどん入り込むようになり、木々はどんどん切られていきました。
もう、何もかもが水がないばかりにめちゃくちゃになり始めたのです。
 都に出ていた若者が久しぶりに帰ってくると、村はありませんでいた。
木を切り倒しては運んで行く、無慈悲な道路だけが走り、そしてあの女性の形をした、老人だった木は見当たらなかったのでした。


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