旅の説話



旅路で私は幻視した。



 目の前の道に、不意に二つの人影が見えた。
二人は私の方に向かってくる。
一方は男で、もう一方は何か別な物だった。
黒い影の様な「何か」だった。
 私の目は二人に釘付けとなり、私の視点は歩いても無いのに近づき、男の視点と一致した。
私は彼の中に入り、男の思い出が、私の頭に展開した。

 男は旅に出ようとしていた。
それで夜、その旅に妻と共に行こうとして、妻の元に行ったのだ。
大きな屋敷に住む、妻の元へ行ったのだ。
その屋敷の大きな窓には明かりが灯り、談笑が聞こえてきた。
 だが、その扉は堅く閉ざされ、開かない。
大声を張り上げても、誰も来ない。
明かりの下、談笑が続くだけだった。
男の足はそこから遠のいた。

 次に向かったのは普通の家だった。
窓から仄かな明かりが見える。
この家に住むのも、彼の妻のようだった。そう彼は思い起こしていた。
先の妻に多くを貢も、この妻へは多少の貢物だった。
だが、笑顔で彼を迎えた彼女は、彼にわびと断りを入れた。
旅へは彼女は行かない。

 誰も、彼と共に行く者はいなかった。
暗く、黒く、寂しさが充満した。
何の星も無いこの夜の様に、苦しく心は重い。
足を引きずり歩いてゆく。
 ただ、闇が覆う。

 ただ、闇が覆う。
だが、闇から声が来た。
妻だった。
私が入っている男の妻だった。
姿は暗く見えない。手だけは暖かだった。
共に行くと、彼女は言った。
得体の知れない、「何か」の彼女は。 男と彼女は歩く。
喜び、二人は歩く。
どこで知り合ったのかわからない、彼女と男は歩く。
先の二人の妻の様な断りも無く、男と歩く。


 そして私とすれ違い、私を残し、明るい朝どこかへ行った。
私がさっきまで歩いていた道をたどって、どこかへ行った。

 幻視が終ったのか、彼らがもう行ったのか、二人はもういない。



(ユダヤ教の聖典・タルムードから話を得ました)


back