能面の説話




劇を見たとき私は幻視した

私が幻視したそこはどこかの寺院のようだった。
木星の建物と数本の大木が立っている。夜なのか暗い。ぼんやりとしか見えない。
そこに人がいた。紫色の服の男性。怯えている様子だった。
不安にかられているのが私にもわかった。

連続的な小石を踏む音がした。
ゆっくり進んでいるのがわかる。男の方へ歩いているようだ。
男の息が荒くなる。
不気味に微笑む白い能面を被っている女性を見て。

そして、私の口は言葉を発している。無意識的に。
私はこの女性の中に入り、女性の視点で物を見、感情を感じた。
愛のうたを。
これを語り続け、これを心に思い描いている。
昔の思い出たちだ。
目の前の男が語った事、私が入っている女性が言った事、それを一人でのべつ幕無しに語り続ける。
幸せそうに。
だが男の顔色は悪い。

少し、彼女の語る言葉が変化してくる。
悲しい内容。彼が来なくなり寂しい……別の女と居るのが悔しい。
そんな内容に。
別れた事、恨みを持った事、呪いをかけた事……。
そして、膨大な怨念と共に自殺した事……。赤い血をだらだらと流した事……。
男の顔色は恐怖の物になる。
後悔と恐怖の。

この女性は私を引きちぎる。
後ろにある、私と彼女をつなぎ止める紐が切れる。
私の視点は地面に落ちた。
私の視点は彼女の物ではなく、能面の物だった。
彼女の素顔は……固まった血のように赤く……あさましく……怒りにかられていた。
胸から匕首――小型のナイフ――を取り出し近づく。無言で近づく。
右手に匕首を掲げ、小石を踏みしめ、嫉妬にかられ襲い掛かる。
男は念仏を唱えるが、遅かった。

途中まで言った時点で、匕首が暴力を振るう。
この女性が乱暴する。
化物となり男を引きずり込むべく表れたこの女性は。

そして暗闇にすべてが消えた。


そして幕。
劇はすべて終っている。
能とは正反対のけばけばしい仮面を使う劇は終っていた。



(能から話を取っています)


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