火の説話



煙草に点けようとした火を見て、私は幻視した。


そこでまた、幻視の中で私は火を見ている。
そこは多くの木々が繁茂し、目の前の焚き火が暗闇を照らしていた。
そこに、汚い身なりの老人がいた。多くの目ヤニをつけ、汚く破れた服を身にまとっている。
その老人が、火を目を全く動かさずに、目を半開きにしたまま凝視し、動かない。
汚い顔に驚きの顔を浮かべたままで。
視点は例によって移動し始め、老人の物と重なり、私は老人の中に入っていった。

老人の頭の中の映像が私の中にも浮かんでくる。老人が見たさっきの出来事なのだろう。
老人は空腹のまま歩き続け、力尽き、倒れこんでいた。
土の上に伏し、群がる吸血中のなすがまま、動かない。
疲れきり、動かない。
そんな時だった。
「おじいさん、どうしたの」と、少年の声がした。
いつの間にやら、少年が目の前に立っていたのだ。
老人は空腹で歩く事ができないと言い、少年は何も言わずに、木切れを集め始めた。
そしてそれに火を点けた。
そう、やさしい声で言った。


少年はどこにもいない。
ただ、少年が点けた火と、私が入っている老人がいるだけだ。
老人の思い出の映像はまだ続く。
それは少年がゆっくりと火の中に倒れ込む映像だった。
笑顔で倒れ込む、映像だった。
老人はまだ動かない。
空腹とは別の理由で動かない。

夜が少しづつ明けてきた。
老人はようやく筋ばった体で火を消そうと、消えつつあった火に次9分の服を叩きつけ消した。
焚き火跡には兎がいた。
体の表面が黒く炭となった兎が死んでいた。
その兎の亡骸は自然に黒い墨が飛んでゆき、肉汁溢れる兎の肉が表れた。
食べるがいいと言わんばかりに。

痩せこけた老人はそれに獣のように齧り付き、それを途中で止め、涙を流し、大声で賛美した。
兎を神の分身として賛美した。
その後、老人は懇ろに葬った。兎を埋葬して。
合掌し、感謝して。

老人は立ち上がり、その場から去ってゆく。
犠牲の兎と私を残して。
何故、兎は老人に身を捧げたのか、わからない。
私には。多分老人にも。

私が持っているライターの火はもう消えていた。
何かを燃やす事も、生み出す事も無く。



(仏教説話から話を得ました)

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