2002/6/吉日━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                番外編 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 この号は、希望者にだけ配信される番外編です。 やまねこ通信は、自然科学系のメールマガジンです。 でも興に乗ってvol.61〜vol.70で10回連載で「ネイティブ日本人の思想」で 日本人の底に流れる縄文の心について、語ってみました。 そしてコーナーの最終回で自然科学マガジンとしてのオチのついた締めくくりで 話を終了させる事ができました。 このコーナーを書くために理解を深めていると、私が昔から疑問に思っていたこと 「何故、日本人は仏教と神道の二重構造なのだろう」 という疑問が氷解したのです。 で、その感動をメルマガで伝えるのは、あまりに自然科学マガジンとしては、妥当で はない。 さすがに私もそう思うので、ここは、希望者だけに番外編として配布しようと思い 立ったのです。 話題は「何故日本人は、仏教と神道の二重構造なのか」の他に「あの世観と竜宮城の 関係」や「猛威をふるっていた一神教から、これからは多神教の時代へ」など。 ━■何故、日本人は仏教と神道の二重構造なのだろう━━━━━━━━━━━━━ ここから先は、やまねこ通信のvol.61〜vol.70の「ネイティブ日本人の思想」を 読んで“循環の思想”の感覚を理解してみて下さい。 あそこを読むと日本人のあの世観が漠然とわかると思います。 それでは、神道と仏教、極楽浄土とあの世という二重信仰について説明してみるね。 この事を説明しようとすると、ある程度日本の仏教がどのような変遷をたどってきた か説明しなきゃならなくなるんだけれど、ここではそれを極力省いて「何故、日本人 は仏教と神道の二重構造なのだろう」という所を目指して話してみるね。 釈迦仏教は、人間中心の仏教です。悟りを開くのは人間。それも限られた人間が難行 苦行の末に悟りを開く。 仏教には、大きく分けて大乗仏教と小乗仏教というのがあってね、日本のだいたいの 仏教は大乗仏教なんです。 そして小乗仏教というのは、大乗仏教から投げかけた蔑称なんだ。 小乗仏教ってのは、保守的で伝統的で戒律至上主義っぽいんだよ。 どうしてそういうことになるかと言えば、小乗経典である「阿含宗」は、出家主義を とっているから。 もう死ぬ気で会得しなさいってな感じで、仏教を一部のマニアな世捨て人の宗教に してしまって、一生厳しい戒律の中で命がけで会得するものなんです。 でもそれじゃぁ、一般の在家は救われないじゃんって事になって、小乗仏教を批判否 定して、それを乗り越えたかたちで大乗仏教が形成されているんです。 大乗仏教は、いろいろな宗派があるんだけれど、聖徳太子の仏教の流れを受け継いだ 法華経の最澄は、『山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ)』と 言って、「人間ばかりではなく動物や植物、さらには山や川にまで仏性があるよ。 すべて成仏できるんだ」と言ったんだ。 そして法然が 「南無阿弥陀仏と唱えれば、どんな人も救われて極楽浄土に行けるよ」 と言って、苦しんでいる一般民衆の心を掴んだんだ。これが浄土宗。 この考え方は日本独自のものなんです。 とにかくこの浄土宗が絶大な人気だったんです。 日本独自にこの浄土宗が発展したんです。 仏教の中で極楽浄土を唱えたのは日本独自に発展した浄土宗なんだけれど、 この浄土宗が日本の仏教の主流をしめるようになったんだよ。 これは日本仏教の特徴なんだ。 もともとこの浄土教っていうのは、紀元前1世紀頃西域地方で興った仏教の一派と 言われているんだ。 そこにはもっと西の方のペルシアなどの宗教の影響があるかもしれないね。 この浄土教は中国の唐の時代にある程度隆盛したけれど決して仏教の主流には ならなかったんだ。 でも日本では浄土教が主流になった。 恵心は、極楽の美しさ楽しさを説いて日本人の3分の1が浄土教徒になり、 永観は、唱和によって浄土の美しさを讃えてさらに3分の1が浄土教徒になり、 法然が、観念の念仏から口称の念仏に移してついに残りの3分の1が浄土教徒になっ てしまった。 日蓮はこんなフウに嘆いているんだよ。(笑) この事は、平安時代で浄土宗が大流行した様子が良く判る話だよね。 どうして浄土宗は日本仏教の主流になったんだろう。 これはね、縄文の頃から強くある、あの世への強い信仰が、数ある仏教の 中から一番近い浄土宗を、日本人が選んだんじゃないかっていう考え方があるんだよ。 「阿弥陀仏のおかげで口で南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土へ往生できる」と 法然は言った。 それは極楽浄土行きのキップの保障だよね。 でね、親鸞は行きのキップだけじゃなく、この世→あの世へ行くのが往相廻向であり、 あの世→この世へ帰ってくるのが還相廻向であるとの考えを持ち込んだんだよ。 極楽の帰りのキップの保障だね。 これは法然の教えにはないんだよ。 でも親鸞はそれをはっきりと言い切って、浄土真宗の中心教義としたんだ。 親鸞は、浄土往生の信仰を得た人は弥勒と同じ菩薩の位にのぼると言った。 そのような人は死後、極楽浄土がとても美しくて楽しい世界であっても長くそこに とどまる事はできない。なぜならば菩薩は苦しむ民衆がいればそれを救わなきゃならな い。 それでそのような念仏の行者は死後必ず極楽浄土へ行くけれど、一定期間そこで 過ごすとまたこの世に帰ってくる。 もちろんまた念仏行者として生まれ変わり、また念仏の功徳を説いて多くの人を極楽 浄土に導くからなんだ。 こうして念仏行者はこの世とあの世の無限の往復をして念仏を広めるんだ。 この親鸞のこの世からあの世、あの世からこの世の思想(二種廻向)は、日本の仏教 が辿り着いた究極点だと思われるんだけれど、それは日本人が古来から信じてきた 「あの世とこの世の循環の思想」とあまりにも似ているんだよね。 違いはあるよ。 神道では家族の一員として生まれ変わってくるんだけれど、親鸞の教えでは地縁血縁 など関係なく、ただの念仏の信者として共通の宗教を持つ者として生まれ変わってく るんだ。 ここの所が世界宗教の仏教と、土着信仰が元になっている神道との違いだね。 だからこうまとめる事ができるんじゃないかな。 親鸞が土着信仰と浄土教を結びつけて 日本人の「あの世観」が浄土教を選択した。 つまり、あの異様に長い縄文時代(約1万年)の魂の価値観は変わっていないって事 なんだね。 そりゃぁ、表面的には変わっているように思えるかもしれないけれど。 でも奥底に連綿と流れる思想というか傾向は、変わっていないことを知ったんです。 なんと現代人にも縄文の心が、ずっっと奥底に流れているんだよ。 あの世ってのは、この世とあまり変わらない世界なんです。 どこが違うかというと色々とあべこべなんです。 あの世の夜は、この世の昼。この世の夏は、あの世の冬。 死んだ人の着物を左前に着せるのもそういう事なんです。 死ぬとそういうあべこべの世界に行って、そして帰ってくる。 その帰ってくるっていうのがとても重要なんです。 それから浦島の竜宮伝説の話。 あれもあの世観と関係があるんですね。 古事記や日本書紀がまとめられた時代には、天上他界だと理解されていたんだけれ ど、だから天孫降臨という神話があるんだけれど、はたして天上だったかどうかは疑 問があるんだ。 古事記で最初にタカマノハラが出てくるところに「天をアマと読むように」と注意書 きがあるというんだよ。 日本語では天は「アメ」で、「アマ」は海を意味する言葉なんだよ。 で、日本人は海を越えてやってきたから、海の彼方に母国や祖先の国があるという感 覚があるんだね。 海のかなたに祖先がいるんだという信仰だったものが、人がだんだん海辺から内陸へ 移っていき、海が直接見られなくなって、海に続いていく川を通して母国であり祖先 の国のある海に繋がっていると思うようになって、川で「精霊流し」になるんだね。 水平線ってのは、空と海が重なっているように見えるから、祖先の霊がお見えになる 時は、海の彼方から空を伝って自分たちの住んでいるところで、空に一番近い山の上 に降りてこられると考えたんだね。 で、祖先は、近くのお山にいると言う感覚が生まれ、そこで祭っていて、お迎えする ときは山のふもとにお迎えしてお祭りするようになっていくんだ。 それで竜宮城。 古事記では、ワタツミノカミ(海神)の宮。これが後の浦島伝承に繋がっていくんだ よ。 万葉集にも2度出てくるんだけど、最初の頃はそんなに理想化されていないんだけれ ど、2度目に浦島の物語として出てくるときは、理想化されていて、永遠に生きる事 ができる、時間のない世界で、竜宮城からこの世界へ帰ってくると、3日が300年 になっているというフウにロマン化されているんだ。 民話としての浦島物語は、中国の蓬莱思想の影響を受けて理想化された話に変わって いった要素もあるんだけれど、古典神話では、祖霊と神々のおわします世界なんだ。 それからね、潮干狩りはレジャーとしてではなく、信仰行事として始まったんだ。 旧暦3月3日、家族揃って重箱を手に海浜に出かけ、みんなで飲食をする。 ひなを水に流す風習があるけれど、自らも潮水でけがれを払い、魚介類をとって遊ぶ というわけ。 節句の日に浜辺で遊ぶ行事は、磯遊びとして今も行われているところがあるという。 同じ季節、磯遊びと同じように山に行って共同飲食する山遊びも行われていて、 こちらは花見のルーツと考えられているんだ。 潮干狩りと花見。 浜へ、山へ、これは同じあの世信仰を背景にしているということなんだね。 もともと仏教が入ってくる前の日本人には、“あの世”を信じ“この世”からあの世へ行き、 またあの世からこの世に帰ってくるという、永遠の循環の信仰があったんだ。 この場合の“あの世”っていうのは、天国と地獄や、極楽と地獄というような区別の ない“あの世”観。 この生死の循環のすべての儀式を神道がつかさどっていたんだけれど、仏教が入って きて、特に浄土宗が盛んになると、仏教が人間の魂をあの世へ送るという儀式を奪う んだ。 それ以来多くの日本人は、死の儀式を仏教で行い、結婚式や七五三などの生の儀式を 神道に任せたんだよ。 というよりね、死の儀式を奪われちゃった神道が、生の儀式に力を入れたのかな。 仏教は、もともと葬式というセレモニーを行わなかったらしいよ。 南都六宗のお坊さんは今日でも葬式をしない。 南都六宗のお坊さんが死んだときは、浄土宗のお坊さんが来て葬式をするという。 奈良時代の仏教は、葬式とは何の関係も持っていなかったらしい。 葬式を行うのは、最澄、空海の天台、真言の仏教以来らしい。 そして特に葬儀を仏教の中心に取り入れたのは、浄土宗のお坊さん。 葬式を盛んにするようになったのは、鎌倉時代あたりから。 仏教で葬式を初めてしたのは天台宗。 一般人が仏教で葬式をするようになったのは、たぶん禅宗。 もともと日本(神道のことね)では、葬儀が宗教の中心だったの。 なぜなら、あの世を信じ、この世からあの世へ行って、またあの世からこの世へ帰っ てくるという永遠の循環の信仰があったから。 だからまず、間違いなくあの世へ送るという事がとても重要な宗教的儀式だったんだ。 この辺りは、ネイティブ日本人の思想の9回目の「イオマンテ」に書いたよね。 前述の通りに、その重要な宗教的儀式を浄土宗が取ってしまった。 今では、精神性を失い形式だけの葬式仏教にしてしまったけれど。 仏教が日本に定着するためには、祖先崇拝と死者供養の信仰を中心におかざるを得な かったんだね。 どんなに仏教が表面を覆っていても、日本人の根底には縄文の頃のあの世観が 横たわっている。 結局、日本にもともとあった土着信仰のアニミズムは、長い時を越え仏教の洗礼を受 け、そしてその仏教までも親鸞によって、アニミズム化してしまった。と言えるのかな。 日本仏教が、よく言う『山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ)』なんて まさにそれ。 宮沢賢治は、1896年岩手県に生まれ、1933年に結核で死ぬまで、ほとんど岩手から出 なかった。 そこで教師をしたり、農民運動をしたり。でもまぁ、一生無名のままだったんだ。 で、彼が死んでからおびただしい詩や童話が発見されたんだ。 彼は、大乗仏教の教義を広めるために詩や童話を書いていたんだね。 だから子ども用っていうより、大人に向けた大乗仏教の教義を優しく語るために書か れたんだ。 賢治は、すべての動物、すべての植物、生きとし生けるものは心を持ち、互いに争い 互いに愛しあう話を書いていたんだ。 こういう思想に基づいて多くの童話を書き残したんだけれど、賢治の最も強い思想は 「苦しむ民衆のために自分の身を捧げるという菩薩の『犠牲死』という思想」で、 それを多くの童話の中で表現しているんだね。 あっ……。話しがそれた。 で、この縄文の頃からのあの世観を背景にした、日本仏教の行き着いた先である親鸞 の教えは、もしかしたらかなりイケているんじゃないかと思うんです。 これは世界が今必要としているものではないかと。 今度はそこの所をもうちょっと説明してみるね。 このような生まれ変わりの「循環の思想」は、世界の宗教の中で、とりわけヒンドゥ教と 日本の神道に著しいんです。 そしてヒンドゥ教と仏教の関係は、密接です。 ヒンドゥ教は2世紀頃ヒンドゥ教と命名されて、それ以前はバラモン教って呼ばれて いたようです。 で、ブッダは紀元前6世紀頃の人物です。 ブッダの頃はバラモン教っていうのは土着宗教みたいなもんです。 そのバラモン教の土壌から仏教が生まれたんです。 その土着信仰のバラモン教を背景として生まれた仏教が、長い年月をかけて日本仏教 として神道と合体して、アニミズム化したってのがとっても興味深いな。 さてさて、現在の宗教学の常識で言えば、このような思想はまったく原始的で、 とっくの大昔に清算されたものとして扱われます。 つまり、宗教の発展した形は「超越神」「人格神」の一神教であり、そうでない宗教 はこういう一神教の発展途上の段階であると考えられているんだね。 多神教など未開の宗教だと。 自然神、動物神、植物神信仰などまったく野蛮で迷信的で未開な宗教だと。 これは偏見じゃないかな。 19世紀のヘーゲルが、「いかなる社会も発展すればヨーロッパの市民社会のようにな る」と考えたように、19世紀の宗教学者は「どのような宗教も発展すればキリスト教 のようなものになる」と考えたんだ。 この19世紀っぽい考えがまだ残っている。これはヨーロッパ学問の偏見だよ。 多くの自然現象を崇拝した多神論は、旧石器時代の長い狩猟採集の人類共通の思想 だった。 約1万年前まで、人類はそういう思想のもとで生きていた。 自然の中で霊的な力を認め、崇拝し、この世とあの世を循環する、循環の思想。 そして人類は1万年前に農耕牧畜文化を発明。この農耕牧畜にとって山や川にいる 自然の神々がじゃまになるんだよ。 それらの神々は、自然の開発をじゃまにする神々になってしまうんだ。 最初に都市文明を作ったのはシュメール人。シュメール人には「ギルガメッシュ」と いう叙事詩があるんだ。シュメールの王ギルガメッシュは森の神フンババを殺す話。 これは都市文明の建設が、森の神の殺害の上に築かれていることを物語っているんだ よね。 自然神、動物神、植物神は、開発を妨げるものとして殺されていくんだ。 そうして、そのかわりに、すべての自然現象を越えた超越神と、人間の神格化である 人格神が登場するんだ。一神論の神の登場だね。 これらは人間の自然征服を肯定するためにできた神といえるんじゃないかな。 現在、人間の自然支配を善とする思想から、共存をはかる思想に転換しなければなら ないんだけれど、こういう思想は、古代ギリシア思想や、ヒンズーの思想、中国の老 荘思想にもみられるんだ。 たぶん狩猟採取時代における人類共通の世界観の残存なんだね。 このような原理が日本文化の伝統の中にも残っているのはなかなか日本って良いじゃ ん。と思う所なんだ。 ギリシア思想、ケルト思想、アメリカ・インディアンの思想、アボリジニの思想の中 にも見いだすことが出来る。 自然征服を貫徹するために排除していった多くの思想に注目する時だと思うんだ。 さて。仏教は大乗仏教になって多神教の性格を強めていきます。 東アジアに伝わった多神論としての仏教は、釈迦ばかりか、薬師、阿弥陀、大日、 観音、地蔵、不動、毘沙門、弁天などの人気のある仏さまだけど、日本では仏教は こういう多神論の体系として、土着の神道と融合して神仏習合の思想になっていきま す。 仏教は東アジアで土着の信仰と結びつき、その中にアニミズムを内包します。 中国では道教、これはアニミズムを発展させたもの。 韓国ではシャーマニズム。これらは日本の神道とそう変わったものではないようで す。 で、現代。核戦争の危機の状況をつくっているのは一神論的世界観の対立だとは言え ないかな。 ユダヤ教的一神論は、キリスト教的一神よりはるかに戦闘的だよ。 ※唯一エホバの神を信じ、その神を信じない異教徒はすべて悪魔。その神を信じる ユダヤ教徒は神の使徒。 キリスト教では、愛や寛容が強調されるからそういう所が弱められてはいるけれど。 一神教の回教にとって、仏教やヒンドゥー教の多神教は我慢ならないんでしょうね。 それらの遺跡を破壊し尽くしたんだ。首が切られたり、鼻がもがれたり、手足が とられたり。 仏像や神像にたいする残虐行為は、おそらく人間にもくわえられたのでしょう。 さすがに愛と寛容のキリスト教は、仏像や神像にそういう事をしなかったけれど、 考えようによっては、もっと残虐なことをしたんだよ。 それは信仰の対象としていた仏像や神像を文化財として、ごっそりそのまま母国の 博物館に運んでしまったんだ。 まぁ、とにかく一神教の性格上、戦後の対立を高め、核戦争の脅威を助長してきたん だ。 一神教は多神教より戦闘的だよ。 一神教が発生したのは銅の時代が終わり、鉄の時代に移る3000年くらい前のこと。 その戦闘的精神が一神教の優勢の原因だろうな。 多神教は一神教よりはるかに戦闘精神に劣るよ。 だって自分が信じている神以外にも多くの神があり、その神はそれぞれ存在の意味を 持っているとしたら、何を好んで他の神を否定する必要がある? 一神教が他宗教に対し、はっきりとNOと言い、それに対立し、それを絶滅させようと する性格があるのに対し、多神教は他の宗教と対立するときに、それを自己の中に取 り入れようとする性質があるんだ。 仏教は多くのヒンドゥー教の神を取り入れ、またそれが東アジアに定着するとき、 今度は東アジアの多くの神々を取り入れ、古い神々の宗教行事を仏教行事の中に 取り入れたんだ。 現在、交通網、情報網の発達で世界はとても狭く、地球は小さくなった。 そこに住む人々はもちろん利害の対立はあっても、共通の人類としての連帯感がます ます必要になってきているんだ。 このような情勢の中では、一神教も変化しなければ。 ローマカトリック教会は、従来のようなキリスト教絶対主義を捨てて他の宗教に対し て理解を深め、異教との共存をしようとしているようだし。 西欧社会が、今までのように西欧世界の非西欧世界への支配という形で世界平和を考 えるのではなく、西欧世界と他の多くの世界との共存という形で世界の平和を考える とするなら、キリスト教と並んで、回教や仏教やヒンドゥー教や原始宗教といわれる 宗教にも、平等にその価値を認めなければならないんだ。 こういう平等の価値を認めると、一神教は多神教的にならなきゃならない。 かつての方向が多神教から一神教へというものだったのなら、 これからは、一神教から多神教への方向であるべきなんだよ。 狭い地球で諸民族が共存するには多神教の方がはるかにいいんだ。 なるほどねぇ。そういう事だったのか。 今年のゴールデンウィークに古事記を熟読していた地味な私。(笑) 最近、想いは古代へ向かう。                          --------------------------------------------------------- ※文中ちょっと注釈 イスラム教は、他の宗教に対して残酷な宗教だと考えられている。 それが「右手にコーラン、左手に剣」という言葉なんだけれど。 でもね、力によって無理矢理異教徒を改宗させたという形跡はないようなんだ。 聖典コーランにも他の宗教を認めるということがはっきり書かれているんだ。 異教徒にその宗教を信じることを認める代わりに、人頭税を課したんだ。 税金を納めれば、信仰の自由を認めたんだね。 ユダヤ教も、そういう態度は共通していて、異教徒が自発的に改宗を望んでも 2度断るのが原則なんだって。で、どうしてもって3度申し出たとき、改宗を認め その後、煩雑な手続きを経て、やっとユダヤ教徒になれるんだ。 選民思想があってね、ユダヤ教は選ばれた民の宗教だから、他の宗教とはまったく違 うモノだっていう意識があるんだろうね。 特別な宗教だから、誰でも信じなければ殺すという広め方はしなかったんだね。 むしろそれをやったのはキリスト教徒。 キリスト教は誰もが信じなければならない普遍的な宗教なんだ。 だから神の代わりにキリスト教徒がキリスト教を広める義務があるという意識になっ てしまったんだね。 近代になって軍隊を従えながら、宣教師が海外で伝道を行っていったのがキリスト教 徒のやり方。 イエスは、神を愛するように隣人を、敵をも愛せと教えているから、こうした武力を 背景に伝道するのは反キリスト的なんだけれど。 キリスト教徒は使徒意識が強く、神の御心にかなう「正義の戦い」で苦難を受けるこ とに精神的高揚感をおぼえるという傾向があるよね。 ★番外編の参考文献       「日本人の魂」     光文社   梅原 猛        「森の思想が人類を救う」小学館   梅原 猛      「神道の聖典」     すずき出版 ひろさちや+上田賢治      「ヒンドゥー教の聖典」 すずき出版 ひろさちや+服部正明 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○ やまねこ通信E=MC二乗 番外編  2002年6月吉日発行 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○発行編集者 みかりん daichi-m@phoenix-c.or.jp ○発行システム:申し込みに対してもれなく配信。メーラーの返信機能で手作業で。 ○やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さに はまったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。 それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━