2012/5/5━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.150 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 今、札幌の開拓記念館で、「北の土偶 縄文の祈りと心」という展示会が開かれています。 北海道で初めての国宝、中空土偶をみる事が出来ます。私も早速見てきました。 この中空土偶が国宝になったのは2007年のこと。 それまで北海道には国宝ってなかったのですね。 この中空土偶は、1975年に道南のジャガイモ畑で収穫作業中の女性が見つけました。 ジャガイモをつかんだと思ったら土偶の頭だったっていうんですから、 ものすごく驚いたでしょう。 発見から32年後に国宝に指定されたこの土偶は縄文時代のものです。 縄文時代とはどんな時代なんでしょう。 今日のお話は「豊かな縄文時代のお話」です。 ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm 「ラジオ山猫通信」もここから聞くことができます。↑ ━■豊な縄文時代の話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 私が学校で習った縄文人は、狩猟採集生活で原始的な生活をしていたと習いました。 弥生時代になってやっと米作りが行われて、だいぶ生活は豊かに なってきました。というふうにも教わりました。 縄文時代は今から約15000年前から2500年前まで一万年以上も続いた時代です。 一万年ってとてもとても長いです。 その長い期間、どんな生活をしていたんでしょう。 縄文時代の初期の遺跡からすでに骨やツノでできた大小さまざまな縫い針が出てきています。 カラムシ、イラクサ、アカソなどの植物の繊維を使って布を織ることが出来たようです。 カイコからマユを取って生糸を取って釣り糸にしたり、布を織ることもしていたようです。 植物はとことん利用していて、すでに漆塗りの技術もありました。 遺跡からは、しっかり編み込んだポシェットも出土しています。 ポシェットに何を入れていたのかな。山へクルミやドングリを取りに行って、 ポシェットにいっぱい入れて集落に戻ったのかな。 そんなふうに想像するととても身近に思えます。 このポシェットは青森県の三内丸山遺跡から出てきました。 今から五千五百年前のものです。 世界の四大文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明。 どれも今から四千年前〜五千年前に栄えた文明です。 この縄文ポシェットはそれより古いんです。 日本の東北地方にかなり早い時期にある程度の文化があったという事なんです。 そして世界四大文明はもちろん一万年も続いていません。 縄文時代の一万年。 なにもかも埋まってしまって判らないことは多いですが、それでもかすかな遺跡物と、 現代科学の分析力で色々わかってきた事もあります。 三内丸山遺跡は、私が学校で習ったなんとなく貧しい縄文時代のイメージを塗り替えます。 まず圧倒する質と量の遺跡の数々です。 もともと青森県には江戸時代の始めの頃から多くの遺跡が出土する事が知られていました。 メディアが発達していなかった時代に知られていたというんですから、 人の噂にのぼるくらい相当な量の遺跡が当時から出ていたんですね。 戦後、何度も発掘調査が行われて、おびただしい量の遺跡が発掘されています。 青森県は平成4年に県立の野球場建設のために調査を開始したところ、 前例のない巨大な縄文時代の集落跡が姿を現しました。 そして平成6年に直径1mの栗の木の巨木を6個使った巨大建造物跡を発見しました。 柱の穴の間隔はどれも4.2mです。 これを復元すると、高さ17mの栗の柱6本の建造物が建ちました。 県営の野球場建設は中止です。 縄文遺跡の宝庫の青森県でも年間の遺跡の出土数は、段ボール箱1000個くらいなんですけれど、 この三内丸山遺跡は4万個の段ボール数です。 これは今までの遺跡の出土数の数十年分です。これでもまだ全体のほんのちょっと。 そして出土品が質量共に超一級品ばかりです。 そのあまりに膨大な土器や石器があることから、とても活発な生産と消費があった事がわかります。 焼きに失敗した土器や粘土の採掘のあとも見つかっています。 この事は、ここで土器が生産されていたって事なんですね。 そして、一般の集落としてはあまりに多すぎる土器の量から、作られた土器や土偶は周辺の集落に 供給されていたかもしれないと考えることもできます。 という事は、縄文時代にすでに、専業や分業といったこともあったと考えられるんです。 土器やヤジリや釣り針、アクセサリーや組紐、奇跡的に布の切れっ端や、 よくぞ残ってくれましたという赤い漆塗りの器が出土しています。 住居跡から判ることも多いです。一般住居と大型住居は同時に存在していました。 大型住居は長い方が10mを越えるものもありました。 最大の物で長さ32m。床面積250平方メートル。 一般住居に4〜5人が住んでいたとすると、50倍以上もの床面積のある大型の住居では 200人以上の人々が暮らしていたことになるし、集落の人口はそれ以上という事がわかります。 大型の柱の建造物跡や大型住居跡は、ある一定の長さの単位「縄文尺」とでもいうような 単位を使っていた事がわかっています。 ひと単位35cmです。大きな建物はみんな35cmの倍数で作られています。 直径1mの巨木を使った建築技術。鉄が使われるのは弥生時代に入ってからです。 縄文の工具は石器を使っていました。 三内丸山遺跡の石のノミや斧は、「弥生の石器がみすぼらしく見える」というほど精巧なものなのです。 漆やヒスイの加工技術もありました。 日本は縄文の頃から技術大国だったかもしれないのです。 これらの事から、共同作業にあたってはリーダーがいたかもしれないし、専門技術者もいたのでしょう。 日本には12000年前から土器があったんです。 長崎県の福井洞穴の土器は世界最古と言われています。 あのメソポタミアよりも古い時代の土器なんですね。 縄文時代後期に流行した亀ヶ岡式の土器は、厚さが3ミリしかないんです。 表面をピカピカに磨き上げて、鉄のように黒光りさせています。まさにセラミックです。 現代の陶芸家の大家と言われる人も「私には作れない」とさじをなげたというレベルの精巧さなんです。 三内丸山では真っ赤な漆塗りの木でできたお椀やクシが見つかっています。 漆の技術にも驚きなんですけれど、木工の技術がすごいんです。 お椀はクリの木が材料です。ろくろのない時代にあの硬いクリをどうやって加工したのか。 中には5mmの厚さの器もあるんです。どうやって作ったのか専門家でもわからないと言います。 伐採直後の柔らかいまま加工すると、乾燥するとヒビ割れします。 寝かせて乾燥してから削ろうとすると今度は硬すぎます。 どうも縄文人は、私たちが忘れてしまった技術を持っているようです。 ただ今の私たちと違って、時間はものすごくあったんじゃないかと思うんです。 信じられない程の手間と時間を使って制作したんじゃないかなぁと私は想像しています。 三内丸山遺跡では、ヒョウタン、マメ、ゴボウ、アサなどの栽培植物や野生のヒエやイネ科の 植物やメロンの仲間もあった痕跡が見つかっています。 縄文時代は狩猟採集だけではなくて、もうすでに栽培する方法も知っていたんですね。 そして大量に見つかったクリの花粉から、集落周辺は栗林だったことが判りました。 ここで現代科学は花粉の遺伝子から栗林は栽培の可能性が高いっていう事がわかりました。 森林に手を加えて、作り替えるような事もやっていたという事です。 三内丸山は当時はすぐ目の前が陸奥湾です。 食べ物は魚介類の比重が多かったんじゃないかと考えられています。 動物の骨は、イノシシやシカはほとんどなくて、魚が色々出てきます。 マダイ、ブリ、サバ、イワシ、ニシン、タラ。 暖流系と寒流系の両方が出てきています。 当時は暖流と寒流が沖合で混じり合っていたのでしょう。 オットセイの骨もあります。湾内だけではなく外洋にもでていたのでしょう。 こうなると、かなりバラエティーに富んで色々なものを食べていたことがわかります。 農耕はまだないとされていた縄文時代。実は、想像以上の豊かなものだったようです。 青森県の三内丸山遺跡には、新潟県のヒスイ、岩手県のコハク、秋田県のアスファルト、 北海道の黒曜石など、他の地域から持ち込まれたものも出てきています。 海上交通を利用した遠方との交流が活発だったんですね。 実は縄文人の航海術は驚異的です。6000年前に本州から黒潮の急流を横切って、伊豆諸島の 御蔵島(みくらじま)や八丈島に渡っています。 そして三内丸山はたぶん数百人規模の大集落で、周辺に16以上の衛星都市のような集落を抱えていました。 日本列島内はもちろん、大陸、沿海州・アムール地方、更には南西諸島まで名の知れた、 拠点都市であった事も想像できます。 三内丸山には多くの物や情報、人々が往来していたんです。 そして重要なのは宝物の交換。離れた集落同士でそういう交換をしていたのでしょう。 もちろん生活に直結するような道具の交換もあったでしょうけれど、遠くの集落との交流には、 普段の生活には使わないような物が交換されるんですね。 人間の生活って、生きるために直接役に立たないようなものがたくさんあって、そこに文化が生まれます。 文化っていうのは、何にもならない事をいかに熱心にするかって事でもあると思います。 縄文土器も一個の土器に、4種類も5種類もの縄を使って、それをさらにねじったり、結んだり。 この熱心さとその量。もう立派な文化です。 縄文といえば縄文式土器と土偶です。 冒頭でも言いましたが、私は開拓記念館で「北の土偶 縄文の祈りと心」と題した展示会を見てきました。 日本三大土偶が一度に見ることは今後もうないだろうという土偶展です。 函館の中空土偶、長野県の縄文のビーナス、青森の合掌土偶。その他にも縄文の代表的な土偶。 大きな眼鏡をかけたような姿で、土偶といえばその姿を想像する遮光器土偶など見応えたっぷりでした。 数千年前の縄文人が実際に作った本物です。 土偶は、どれも女性をモチーフにしているようです。 そして妊婦を現している物が多いとされています。 女性が、子どもを産むという、命を作り出す能力に神秘性をみていたのかもしれません。 その生活は豊かな精神文化に裏打ちされていたのは疑う余地もありません。 数千年前の、おそらく木の文化だったであろう縄文時代の文化を知ることは、なかなか難しいです。 木は埋まってしまうと分解されてしまいます。 かすかに残された痕跡から推測するしかありません。 ちょっとここで目先を変えて、現代のまだ原始的な生活をする人たちに目を向けて、 そこから縄文の人たちに思いを馳せてみましょう。 東南アジアのラオスの山奥での農業。 農薬も肥料もないのに、でも収穫量は、1ヘクタール辺り3.5トンです。 これはなかなかすごい数字です。日本の現代農業が、1ヘクタール辺り5トンちょっとなんです。 これだけ管理して、手間をかけて、化学肥料や農薬を使って、しかもタネは国家が百年の計で 莫大な投資をして品種改良したものです。 それがラオスの山奥で何もしないで3.5トン。日本の現代農業が5トン。 農耕ってなんだろう。技術って何だろう。 現代農業の私たちは、もしかしたらとってもバカな事をしているかもしれないんです。 現代の九州での焼き畑のヒエと、縄文の三内丸山の野生のイヌビエの1反あたりの収穫量は 同じくらいだそうです。 三内丸山にもし農耕があったら、それはすごいことです。 だってね、三内丸山は1500年続いたんです。 現代農業はこれだけの技術をもちながらわずか50年で色々な障害がでてきて悲鳴をあげています。 同じ所で1500年間農業が継続できたとすれば、それはもう現代を超えているって事なんですもの。 実際には、三内丸山では積極的な農耕の跡はまだ見つかってはいません。 でも、積極的ではない栽培を思わせる痕跡は残っています。 今度はちょっと視点を変えて、狩猟採集生活と、それより上級とされている農耕生活を比べてみましょう。 現代の狩猟採集民のブッシュマンが、一日の食料の収穫にどれだけの時間を費やしているかというと、 成人ひとり当たり一日3時間足らずです。 そしてブッシュマンの女性は、自分の家族を3日食べさせるに充分な食料を1日で集めることが出来て、 残りの時間を、休息、来訪者のもてなし、刺繍、よそへの訪問などをして過ごしています。 現代の狩猟採集者の生活を参考にしても、やはり縄文時代は、たっぷりな時間の中、物作りに時間をかけ、 宝物交換で遠くの土地の人と交流した豊かな暮らしをしていたように思えます。 その1万年以上という長い時代、遺跡には略奪や争いの痕跡は見つかっていません。 不思議な時代です。 山内丸山が成立していた千数百年のあいだは、地球全体が現在の平均気温よりも3度くらい高いんです。 そして縄文大海進と言って海水面も今より5〜6m高いんです。「 とても温暖で雨の多い時代だったんですね。 その後、地球環境は乾燥化して寒冷化していきます。そうなると森林は生産力が落ちてきます。 自慢の栗林のクリがろくに穫れない年もあったのかもしれません。 燃料となる木も減っていったのでしょう。 寒冷化が始まると海流も変わって魚も変わります。 森と海に依存していた縄文時代。 両方から攻められて勢いをなくしていって、そうして時代は弥生時代になっていったんでしょう。 よく知られているように、縄文人の顔と弥生人の顔は違います。 国立科学博物館の馬場悠男さんが、縄文顔と弥生顔の話でとても面白い話をしていました。 現代の日本人は、縄文と弥生の混血が進んで、どちらの要素も等分に持ち合わせているんですけれど、 偏った形質を持つふたりの鶴を紹介しています。 縄文顔代表が片岡鶴太郎。弥生顔代表が笑福亭鶴瓶。 どちらも鶴の字がつく縄文顔と弥生顔の有名人です。 私たちは、あの1万年以上も続いた縄文の性質が脈々と受け継いでいるようなんです。    * * * * *  * * * * *            現代には忘れられてしまった技術を持っていた縄文人たち。            でも、技術大国としての精神は、今の私たちに伝わっている。            豊穣を感じさせる多くの土偶たちは            時を越えて縄文の感性を今に伝えてくる。            豊な自然とたっぷりの時間と祈りと感謝。            土偶たちを生み出した縄文人のメッセージを            私たちはどれだけ受け取ることが出来るのか。            人も星も形こそ違え、そう変わらないものなのかもしれない。 ━■みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「縄文の数え方?」 私たちの数の数え方って、 「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」 「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお」 この2種類があります。 この「ひとつ、ふたつ…」の方は和語です。 もうちょっと古い言い方ですと 「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、な、や、こ、と」 になります。 ここをよく見てみて。 ひ(hi)→2倍→ふ(hu) hから始まっている み(mi)→2倍→む(mu) mから始まっている よ(yo)→2倍→や(ya)  yから始まっている ちょっと判りづらいかもしれないけれど5→10もこの法則の中にいるようなんです。 1hi→2hu、3mi→6mu、4yo→8ya、5(i)tu→10to(wo)になっています。 どうもね、古代の日本人は、2倍になる数字をペアにした数え方をしていたんじゃないかな。 たとえば縄文の頃、平等に物を分けるとき。 クルミや魚を前に、みんなで車座になって分配するんです。 ひとりで暮らしている人には「ひふ」 3人の家族には「みむ」 4人の家族には「よや」 こうやって言いやすくして、数えやすくして、わかりやすくしたんですね。 公平だし、分配での争いにならない工夫なんですね。 そしてね、古代日本語は現代日本語と発音が違うようなんです。 昔は「ち」「つ」は「ティ」「トゥ」、「は」行は「パ」行、「を」は「ウォ」と発音されていました。 例えば、「ひとつ」の発音は「ピトトゥ」。 ってことは「ふたつ」は「プタトゥ」?になるのかな。 未開な所の人々の数え方は「ひとつ、ふたつ、たくさん」だと言います。 みっつ以上は、「たくさん」って事なんですね。 縄文人が 「ひとつ、ふたつ、たくさん」派だったか、 「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、な、や、こ、と」派だったかは わかりません。 でも、縄文遺跡には、よその遺跡にある争いの跡が見つかってないっていう 不思議もまた事実です。 数字にまつわる事を、調べると色々おもしろいです。 ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★今日2012年5月5日は、こどもの日なんですけれど、それよりも  スーパームーンの日でもあります。  月がいつもより大きく見えるスーパームーン。  今日はいつもよりも14%大きくて、30%明るく見えるという事です。  去年の3月19日にも同様の現象になりました。  2年連続でスーパームーンになる現象はとても珍しいことなんです。  あいにく札幌は現在雨。  なんとか夜までに晴れて欲しいです。  あなたの地域はどうですか?  晴れていたらどうぞ夜空を見上げて大きな月を見てみてください。 ★今回のこの「豊な縄文の話」は、 ネットで聞くことができます。  http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm  ここの右側「ラジオ山猫通信」をクリックしてスクロールして  「豊な縄文の話」をクリックすると聞けます。  すぐに聞けない人は、じっと待ってみて。きっと聞けます。  http://crashlanding.under.jp/rajiyama0416.mp3  直接URLはここです。  今回の文は、おおむねラジオ原稿そのままです。 ★vol.150の参照文献             山内丸山の世界         山川出版社             ヒトはなぜヒトを食べたのか  ハヤカワ文庫             JA国語辞典           学研 ★予告です。 5月7日放送「鯉のぼりと鯉の話」(収録済み) (ネットにUP予定は5月21日) 5月21日放送「境目の話」(書き終わった) (ネットにUP予定は6月4日) 6月4日放送「情報伝達の話」(書き終わった) (ネットにUP予定は6月4日) 「日食の話」が書けたら、「境目の話」と差し替えるかも。 5月21日が金環日食の日だって気づいたから慌ててます。(笑) ★ラジオ放送が月二回隔週であります。  メルマガを元に原稿を書いてたけど、それもままならなくなって  書き下ろし原稿が増えていきます。  それをメルマガに転用するという逆転現象が  最近のメルマガ版「やまねこ通信 E=MC二乗」であります。 ★どうぞお時間のある時に「ラジオ山猫通信」も聞いてみてください。  放送開始から丸2年が過ぎました。3年目突入です。  でも相変わらずしゃべりはトチってばかり、噛んでばかりです。  なんかモゴモゴしています。(笑) ★私はいつも「やまねこ通信 E=MC二乗」の事が頭の隅にあります。  次回テーマは何にしようかと常に思っています。  「やまねこ通信 E=MC二乗」は、私みかりんを構成している大事な要素です。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 ★次回配信予定は未定です。でも必ず配信しますから。 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹     ★彡★彡★彡★彡★彡『蟹屋 山猫屋』★彡★彡★彡★彡★彡 生まれも育ちも北海道育の“みかりん”が、北海道の味覚を全国の方に広めるために 『蟹屋 山猫屋』を立ち上げました。一級品の道産品をお手ごろ価格でネット販売! 読み物としても楽しめるものを目指しているよ。    登録はここ→ http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/kani/   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