2013/9/2━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.182 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 涼しい風が吹いて、北国はもう秋の気配です。 こうしてまた1年が過ぎていくんですね。 時の移ろいは早いものです。 そういえば今年は伊勢神宮の式年遷宮の年です。 式年遷宮の説明は本編の方でお話しますね。 江戸時代の庶民は一生に一度で良いからお伊勢参りをするのが願いでした。 それがある時を境に、イヌが伊勢神宮にお参りをする現象が起きました。 イヌが単独でです。 どこのおとぎ話かと思いますよね。 最初の1匹が出現して、それからイヌのお伊勢参りが多発します。 何百キロも時には1000キロ以上もの行程をイヌがお参りして、行って帰ってくるんです。 イヌがです。 そんな時代が100年続き、明治に入って最後の1匹がお伊勢参りをして、 この現象は終わります。 何故イヌがお伊勢参りを始めて、何故終わってしまったのか。 今日はそんな日本人の精神文化とイヌとの関わりの話です。 ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm 「ラジオ山猫通信」も、ここから聞くことができます。↑ ━■参拝するイヌの話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ イヌがお参りする話の前に、その背景を説明しますね。 ここ重要なんでちょっと長くなるけれど我慢してください。 伊勢神宮という神社は、ほかの神社とは別格の存在です。 その起源は、日本の古代史と神話が曖昧になっている時代まで遡ってしまって 良く判っていません。 祀られているのは天照大御神や豊受大御神 (とようけのおおみかみ)です。 神話にでてくる三種の神器が代々の天皇に伝えられる天皇家の神社でもあります。 伊勢神宮には遷宮という風習があってね、 20年に一度、何もかも新しく替えられるんです。 たくさんある建物も(125もあります)、宝物も衣装も橋も何もかもです。 この1大イベントが20年ごとに行われて、それが1300年続いています。 今年平成25年の遷宮が第62回という事です。 そう時々抜けています。それは戦争などで、それどころでなかった時もあったし、 イヌが原因という事もありました。 その話はこれからしますね。 でもこうやって式年遷宮を行うことで、昔ながらの弥生時代の建築様式などが 今に伝わっています。 伊勢神宮は格式の高い神社で独特のタブーがたくさんあります。 特にこだわったのが穢れ(けがれ)という考え方です。 死にまつわることや血の穢れもタブーとされました。 お産も血の穢れの中に入ります。 神社の敷地は、いつも清浄でなければなりません。 だからケモノは穢れをもたらすと考えます。 たとえば聖武天皇が急に体調を崩します。 占って調べてみると敷地内でイヌと鳥が人の死体を食べ、 その事による穢れが大問題になった事が記録に残っています。 この時問題になったのは人の死による穢れだけだったんですけれど、 清和天皇や醍醐天皇の体調が崩れた時は、 占いによって、神様に捧げるお供物を運ぶ途中、イヌが持ち込んだ肉片の 穢れに触れてしまったのが原因とされました。 当時の天皇は、イヌの穢れで病気になったりしていたようです。 醍醐天皇の時、キツネが穢れからはずされました。 その一方で、シカやイノシシを食べることが穢れになるかならないかが 問題となりました。 朝廷はウマ、ウシ、ヒツジ、ブタ、イヌを穢れの対象としていたんですけれど、 シカとイノシシもこれに加えたので、 朝廷や貴族社会は獣の肉を食べることがタブーになりました。 昔の日本人が、肉食を嫌ったのは仏教の影響とよく言われますけれど、 実際はもうちょっと複雑で、神道や陰陽道の影響もあったようです。 さて、伊勢神宮では、ウシ、ウマ、シカなどの死による穢れも時々あったけれど、 いつも問題になるのはイヌによる穢れでした。 イヌはどこからでも神聖なる神宮の敷地に入り込んでは、 肉片や骨を持ち込む、糞をする、神社の縁の下で仔を産んで、 お産の穢れをももたらしました。 そのたびに、天皇はご病気になったり、災いが起きたり 政治が不安定になったりしました。 こういったイヌの穢れで、式年遷宮が延期になった事もあります。 立て直す木材をイヌが小便を引っかけて穢す事も起きます。 そんな事になったら大変です。 いつしか遷宮の前にはイヌ狩りが行われるようになりました。 だからと言ってイヌを殺してしまったら血の穢れを呼びます。 せいぜい追い払うしかできません。 ともあれ、イヌのもたらす穢れと伊勢神宮の葛藤は1000年以上続いたのです。 時代が下って江戸時代になると、庶民の間に一生に一度は伊勢神宮に お参りする事が憧れになります。 当時の庶民や農民には、移動の自由っていうのはなかったんです。 でも伊勢神宮に参拝するのは許される風潮がありました。 参拝を済ませれば京や大阪に寄って見物を楽しんで帰るというんですから、 庶民の憧れのイベントだったというのもよくわかりますよね。 伊勢神宮側も布教に精を出していました。 御師(おんし)と呼ばれる布教係がいたんです。 農民に暦を配ったり、お伊勢参りに行くことになった人々の道案内をしたり。 時には不思議を起こして庶民にお伊勢参りへの気持ちを促すような事もしたみたいです。 たとえば神社の御札を空から降らせたりね。 神社側にも式年遷宮にはお金がかかるのでたくさんの参拝者は必要だったんです。 伊勢神宮は今の三重県にあります。 江戸からは片道15日間、大阪からでも5日間、名古屋からは3日間かかりました。 東北からも、九州からも人々は歩いて参拝しました。 岩手県からだと100日掛かったと言われます。 そんな旅だとお金がかかりますし、仕事も休まなくてはなりません。 よっぽど裕福でないとお伊勢参りが出来ません。 でも、江戸時代には参拝が大流行しました。 伊勢神宮に祭られている天照大神は、商売繁盛の守り神でもあったんです。 だから子供や奉公人がお伊勢参りの旅をしたいと言い出した時には、 親や主人はこれを止めてはならないとされていました。 また、お陰参りと言って、親や主人に無断でこっそり旅に出ても、 伊勢神宮へ行ってきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、 おとがめは受けないことになっていたといいます。 こんな話も伝わっています。 田辺あたりに徳のある人がいて、いつかは参拝しようと百両のお金を貯めていました。 ところが病気になってしまって「死んでしまったらどうしようもない。 参拝したいという人にはどなたでも貸しますよ」と話したら、 人々が1分、二分と借りに来て、そうしていたら病気が治ってしまった。 これがキッカケで、田辺からの参拝者が多くなって、 これがお陰参りのはじまり。という事です。 こんなお陰参りが大流行して田辺藩はもぬけの殻のようになってしまって、 藩主はひどく困りました。 もし城下の者が途中で戻れなくなってしまったら藩の名折れになる。 という事で、人を配置して全員が無事に帰ってこれるように手配したんです。 それがまた評判になって各地にお陰参りという抜け参りが大流行していきました。 数百万人規模の大流行です。 東海道中膝栗毛の弥次喜多道中でもお伊勢参りをしています。 お陰参りは式年遷宮のあたりに定期的に大流行しました。 最初のお陰参りの大流行は明和8年(1771年)です。 子ども、奉公人、下男、下女その他、名もない人々は 充分な旅費も持たず着の身着のまま、 仲間を見失わないようにノボリを立てて歌いながら伊勢へ向かいました。 この時で400万人を越えていたと言います。 長かったけれどここまでが背景です。 もちろんこの段階でも伊勢神宮はイヌの穢れと戦っています。 そしてイヌを連れての参拝などもってのほかです。 なんとかイヌを遠ざけたい。 特に式年遷宮の頃にはピリピリしていたと思います。 そんな時に、まず最初の1匹が現れました。イヌが神社を参拝したんです。 最初の1匹は白地に茶のまだら模様のある小さめのオスイヌでした。 神社の近くの茶店が、お陰参りの人々ににぎりめしを施している所に、 そのイヌが来ました。 イヌににぎりめしを与えるとそこにいた人と同じように食い、 それから迷わずに外宮の門をくぐりました。 神宮はとても広くて、外宮(げくう)と内宮(ないくう)があります。 参拝の順序は外宮のあとに内宮です。 イヌはまず外宮の門から手水場(ちょうずば)に行って水を飲み、 お宮の前の広場で伏せの形になって本当に拝礼する格好になりました。 もちろん宮中にイヌが入り込む事なんて固く禁じられています。 でも、このイヌの様子は尋常ではないので、神宮の人たちはイヌをいたわり抱えて、 首に御札をくくりつけて放しました。 まぁ、伏せの格好が拝礼しているように見えてしまったといえば それまでなんだけれど、その場にいた参拝者も神官もそう思わなかったんですね。 不思議が起きたと思ってしまったんですね。 イヌでさえも大神宮にあやかろうと神前にひれ伏す。 これが不思議でなくてなんであろうか。 イヌのタブーは不思議の前に簡単に破られてしまったんです。 さて、首に御札を付けられたイヌはそのまま外宮を出て、 今度も迷わず4kmほど離れた内宮へ向かいます。 内宮の神官たちは御札を付けたイヌを見て、誰かのイタズラと思ったんですね、 神官たちは橋のふもとでイヌを杖で追い払います。 追い払われたイヌは回り道をして川を渡って内宮のお宮の前まで来て、 再び拝礼の姿勢になったんです。 この段階で内宮の神官たちも、首に御札を付けたこのイヌは 普通のイヌと違うと思い始めました。 イヌはそのあと内宮を出て旅籠屋の蝋燭屋与兵衛の所で一泊して、 夜明け前に出て行ってしまいました。 イヌの飼い主は久世郡槙の島の高田善兵衛という者でした。 イヌにはその家の名札が付けてありました。 イヌが帰る道すがら銭を与えた人がいたらしく、 ひもを通して首に付けた銭が数百にもなって、 重くて大変だろうと途中で両替した人もいました。 この銭を奪う者もいません。 それに不思議なのはイヌというものは、 他のイヌが通れば吠えかかったりするものなのに、 このイヌには少しもそういう心配がなかったと記録に残っています。 伊勢の神様にまつわる不思議を書き留めるのは当時の神官の大切な仕事で、 この記録は目撃者から直接取材したものをまとめたもので、 取材すればするほど、イヌが自分の意志で伊勢参りをしたという事実が はっきりしてくるものになってしまいました。 首に巻いたお金を誰も取ろうとしない、他のイヌが吠えかかりもしない。 これは神宮のご威光というものに違いないという訳です。 こうして最初のイヌのお伊勢参りが歴史に刻まれることになりました。 この善兵衛のイヌについては他の人の記録にも残っています。 ここで善兵衛のイヌが何故こんな事になってしまったか検証してみましょう。 前半でお話した田辺ではじまったお陰参りは、 その通り道である京都の南部の子どもたちに広まっていきました。 宇治郡、久世郡、紀伊郡というふうに広まったんです。 善兵衛のイヌは久世郡のイヌです。 この時、久世郡槙の島から大勢の女子どものお陰参りが発生しています。 イヌはヒトと行動を共にするのが好きな動物です。 村に住み着いている犬は、ふだんは子どもたちが遊び相手になっている事も 多いでしょう。 イヌは突然姿を消した子どもたちの後を追って行くうちに、 伊勢神宮まで来てしまったと想像するのはそう無理ではないと思います。 記録によるとイヌはどうも2・3日遅れでお陰参りの後を追っていたようです。 参拝を終えて蝋燭屋へ泊まったイヌは、 子どもたちが戻らない事に気付いて飛び出します。 お陰参りの一行は参拝を済ませてもすぐ帰る訳ではなくて、 あちこち物見遊山しながら帰ります。 でもイヌの方は「伊勢参りしたイヌだ。たいしたイヌだ」と評判になっていて、 銭を結びつけて貰ったり、ご馳走になったりで人が放っておいてくれないんですね。 そしてもともと久世の槙の島のイヌだと札がついているので、 周りの人が国元へ帰してやろうと道案内までしてしまうんです。 横道にそれようものなら「違う違う」って。 これだけ注目されると他のイヌも吠えかかる訳にもいかなくなったんでしょう。 こうして「お伊勢参りのイヌは吠えられない」という神話が出来上がっていきました。 そして善兵衛のイヌは120kmほどの道を戻っていきました。 このあと、毎日2・3匹は伊勢神宮にお参りするイヌが現れます。 これはどういう事かというと、お陰参りの集団と行動を共にしているイヌは 実はもっとたくさんいたっていう事です。 人々が気付かなかっただけで、たぶん善兵衛のイヌの前にもいたんでしょう。 いったんイヌが参拝したという事実を認めてしまったら、 このイヌもそうかもしれない、このイヌもという事になって、 御札も首に付けて貰って、次から次へと伊勢参りのイヌが誕生していく事となります。 当時にも冷静な人はいます。 イヌが参拝するなどそんな馬鹿げた話は、騒ぎ好きの作り話であろうし、 見知った人に付いて歩くのがイヌというものである。という論調です。 でもお陰参りには不思議が付きものと当時は思われていましたし、 人々の関心は不思議の方にあったんです。 そういう人の心の動きは今とあまり変わりませんね。 お陰参りをするような庶民は、もともとは個人でイヌを飼うような余裕などありません。 当時は村や集落にイヌが住み着いていて、共同体の一員として暮らしていました。 子どもたちはそういうイヌと仲良しなんですね。 だからお陰参りの時に彼らと行動を共にするイヌがいても不思議ではないんです。 イヌも、人と一緒に行動すればいくらかでも飯の分け前にあずかれる事は知っています。 この後、お伊勢参りをするイヌの記録があちこちに残っています。 でも話はこれで終わりません。 別タイプのイヌの伊勢参りが現れはじめました。 それは、まったく人に連れられないで単独で伊勢に向かい始めたイヌの登場です。 安房の国というから今の千葉県ですね。 ある庄屋が夢に見るほど伊勢参りをしたいと願っていました。 でも事情があって伊勢参りは叶わない。 それでイヌに自分の代わりに神宮に参拝させることにしたという事例です。 これはイヌの単独伊勢参りの典型的なパターンで、珍しい例ではないんです。 このイヌは途中まで村人が同行して、ある地点から伊勢に向かわせたんですね。 首には飼い主の住所と名前、主人の代わりに伊勢へ向かうイヌであることを 示す札をさげていたんです。 街道筋での目撃談も村に伝わってきます。 人に声をかけられると立ち寄ってエサを貰って、また旅に出るという利口なイヌです。 「えらいイヌだ」「伊勢参りのイヌだ」という事で、みんなが銭を施してくれます。 送り出すときには三百文をイヌに持たせたけれど帰りには三千文を越えました。(笑) そうなると重くなりすぎてイヌも大変そうなので、 周りの人が銭を運んでやるというお祭り騒ぎです。 善兵衛のイヌからはじまった、お陰参りに付いていったんだろうというタイプの イヌの伊勢参りは、主人に代わってお参りをするというタイプのイヌの伊勢参りに 様相を変えて続いていきます。 このタイプは、伊勢から遠くて簡単にはお参りできない地方から出てきました。 ほとんどのイヌが無事に戻ってきています。 それも送り出した時に持たせた以上の銭を首に巻き付けて帰ってきているのです。 そのうちに飼い主の知らない間に勝手に伊勢に行き、 たくさんの銭と共に無事に帰ってきたイヌが出現します。 場所は山形、対馬九左衛門のイヌ。 この帰りの様子がすごいことになって記録が残っています。 故郷に向かって、イヌはすたすた歩いていくんですけれど、 途中で人々から貰うお布施が銭一貫七百文になってしまいます。 これは一文銭で千七百枚。 これだけの量になるともうイヌの首には巻く事はできません。 だから街道筋の宿場宿場で、村役人が荷物として受け取って、 次の宿へ継ぎ送りしていきます。 村から村へ送られる公的存在になってしまっているんです。 途中で行方不明にでもなってしまったら、 村役人の名折れだって事になってしまったんですね。 一番遠い所からの記録としては、 幕末の頃、津軽のイヌが三年かけて帰ってきたという記録もあります。 現代の私たち日本人は、イヌには飼い主がいるというのが当然と思っています。 でも江戸時代、イヌは個別の飼い主がいない方が当然でした。 多くのイヌは横町や長屋の路地や縁の下、村のお堂に住み着いて、 誰彼なくエサを貰ってうろつく存在でした。 不審者が来ると吠えて、住民と共同生活していたんですね。 特別な名前も付けられることなく、シロとか赤とかブチと呼ばれる事がほとんどでした。 こういうイヌと人の関係が伊勢参りをするイヌが生まれる背景になっていったんでしょう。 たとえば猟犬のように、飼い主との主従関係がはっきりしているイヌは 伊勢参りには向きません。 途中で戻ってしまいます。 でもこういう集落のイヌは様々な個性のイヌがいます。 人懐っこいのもいれば、警戒心の強いのもいるでしょう。 人について回るのが好きな犬もいるし、呼ばれれば飛んでいくイヌもいます。 そうして時代は明治になります。 当時欧米を見聞した日本人はイヌに必ず飼い主がいることにひどく驚きました。 明治政府は、イヌの飼い方に西洋文化を取り入れます。 「路上のイヌを一掃し、イヌを個人の所有物として、首輪と名札を付けること。 これのないイヌを処分すべし」との方針を打ち出しました。 こんな時代背景の中で、明治七年、最後のお伊勢参り犬のシロが登場します。 善兵衛のイヌから百年ほど経っていました。 シロの登場は、この明治政府の規則がキッカケです。 東京の古道具屋、角田嘉七が名札のないシロイヌを見つけて、 殺されたら可哀想に思い、自分の名前と町名を書いた札を付けてやった事で、 勝手にお伊勢参りをして、行李ひとつの荷物とお布施六円とともに戻ってきたのでした。 当時の六円とは今の十二万円くらいです。 これが最後のお伊勢参りのイヌになりました。 明治の新政府は、イヌの文明開化もやってのけたのです。    * * * * *  * * * * *                                            御札をつけ            首に銭をまき            スタスタ歩くイヌ            被害者も加害者もいない            おおらかな ただただ善意に満ちた            イヌと人との奇跡の関係            おとぎ話のようなイヌの伊勢参りは            人の心が生み出したもの ━■みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「イプシロン打ち上げ中止」 このメルマガは9月1日に配信予定ですけれど、今これを書いているのは8月27日です。 8月27日の現在、この欄に何を書こうかなと思っている所に入ってきたニュースがこれ。 JAXA(宇宙航空研究開発機構)が、高性能と低コストの両立を目指す新時代のロケット の打ち上げが8月27日の今日です。 このロケットのプロジェクトマネージャー森田泰弘さんはJAXAのHPでこう言っています。 「ロケットの射場に大勢の人が集まって合宿生活を送り、  数ヶ月かけて打ち上げに向けた整備作業を行う方法は、  1960年代のアポロ計画の頃から全然発展していないんですよね。  未来のロケットを考えたときに、飛行機のように頻繁に飛んで、  帰ってくるというようなシステムにしなければならないと思うのです。  そのためには、数人で打ち上げられるようなシステムを作っていかないと」 イプシロンは、パソコン1台か2台で制御するモバイル管制というやり方だそうです。 「機械を小さく、人も少なくしていかなければ、これからの宇宙産業は生き残れないと  私は思います。工場の製造設備を小さくすることによって、  製品1個1個の利益が少なくなったとしても、生産数を増やせば、決して損にはならない  と思うんです。そして、たくさん製品を作らないと儲からないというメーカーさんの  要望と、衛星をたくさん打ち上げたいという私たち研究者の目的は、  一致するのではないでしょうか」 ロケット産業は、こういう所まで来ていたのですね。 私は、アポロの印象が強い世代なので、そのアポロのやり方がもう古いっていうのにも 驚きです。まぁ、アポロももう40年以上も前の話ですもんね。 今回のイプシロンの発射中止は発射の19秒前で、機械が異常を感じて停止したという 報道です。詳しいことはこれからでしょう。 トライ&エラーです。イプシロンのは高性能と低コストの両立を目指す新時代のロケット というコンセプトは、まさにこれからのものです。 今回の「打ち上げ中止」は、「打ち上げ失敗」ではなくて、 自動制御による打ち上げで、自動制御で打ち上げ中止だから制御機構は正常に働いていたって 事なんです。 打ち上げる事自体が実験で、「打ち上げ前に不具合を感じ取って、自動で停止した」という 結果はむしろ成功だと思います。 まだ商業ベースで衛星を打ち上げなければならないていう段階ではないからね。 中止にしたのは人の判断じゃなくて、機械の判断。 アポロのような大人数で監視していたのとはもう隔世の感があります。 人はどうしても宇宙を目指すんだなぁ。 これはもう止められない流れだと感じています。 でですね、このあたりの事をね、ずっと考えていて、ある結論に達したのです。 その話は次回のメイン記事でお話しますね。 「おばあさんの存在が火星移住を促した話」です。 乞うご期待!って、次回の宣伝しちゃった。(笑) ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★犬がお伊勢参りする話、良いですねぇ。私好みの話です。  今回のメイン記事は、仁科邦夫さんの書いた「犬の伊勢参り」という本を  参考にして書きました。  この話から色々なことがわかって興味深いです。  朝廷とかで公家やら時の権力者が集まって会議をしている内容が  たとえば、穢れの六畜(牛、馬、羊、豚、犬、鶏)からよく食べる鶏を外そうとか  そんな事を話し合っていたのかとかね。(笑)  当時、天変地異や動物の怪異は、為政者への天からの警告とされていたんです。  それで、何かあるたびに陰陽師などが占いで天にお伺いをたてたり、  鎮めたりしていたんですね。  「内宮の屋根にキノコが生えた」とか「外宮の松が転倒した」とか  「サギが群れで屋根で騒いだ」などは怪異とされて、何かの啓示じゃないか、  神がお怒りではないのかと、恐れおののいていたんです。  他にも見えてくるのは、イヌは個人のものではなく集落のものだったという。  集落に見慣れぬ怪しい者が来れば吼えて、集落の者に伝えて、その集落から出るまで  付きまとって吼え続ける。それから逃れて次の集落に入ると、その集落のイヌに  吼えられるという事になったようです。  そして何よりも、この話からみえてくるものは、人々のおおらかさと、役人の見栄というか  「面目が立たない」とか「名折れだ」という感覚です。  お陰参りの始まるキッカケになった田沼藩のエピソードと、イヌの荷物が多くなったのを  次の宿場まで安全に渡せなかったら村の名折れだみたいな感覚です。  「藩の名折れ」「村の名折れ」。   こういう感覚は、江戸の頃の人々が強く持っていた意識だと思います。  それから江戸の終わりから明治の初めにかけて、多くの外国人が入ってきました。  中にはイヌを連れて来た人も多かったようです。洋犬です。  洋犬は、日本人には、カメと呼ばれていました。  洋犬はことごとく「come on」(“カメ”と聞こえる)と呼ばれていたからです。  なるほどね。(笑) ★ラジオ山猫通信がリアルタイムで、  パソコン、スマートフォンから聴けるようになりました!   http://www.radiokaros.com/simulradio/  ↑ここがカロスのサイトの「インターネット放送聴取方法」のページです。  パソコンからスマートフォンから、カロスの放送を聞く方法が載っています。  http://www.simulradio.jp/  ↑ここがサイマルラジオのサイトです。  ここから全国のコミュニティーラジオが聞けるようになっています。    このサイトを開いたらちょっとスクロールすると「北海道」という場所があって  その下の方に「ラジオカロスサッポロ」という場所があります。  そこの「放送を聴く」をクリックするとメディアプレイヤーが立ち上がって、  リアルタイムに放送を聴くことが出来ます。  ラジオ山猫通信は、第一月曜日と第三月曜日の19:00〜19:30です。  明日8月19日19:00から「参拝するイヌの話」が  リアルタイムで聞くことができます。  今まで通りバックナンバーは、「やまねこ通信 E=MC二乗」のサイトの「ラジオ山猫通信」の  場所から、いつでも好きな回のお話を聴くことが出来ます。   ★今回のこの「参拝するイヌの話」は、  ネットでいつでも好きな時に聞くことができます。  http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm  ここの右側「ラジオ山猫通信」をクリックしてスクロールして  「参拝するイヌの話」をクリックすると聞けます。  すぐに聞けない人は、じっと待ってみて。きっと聞けます。  http://crashlanding.under.jp/rajiyama0819.mp3  直接URLはここです。  今回の文は、おおむねラジオ原稿そのままです。  ラジオ用をメルマガ用に書き換えているけどね。 ★vol.182の参考書籍          犬の伊勢参り  著/仁科邦夫  平凡社文庫     ★予告です。 9月2日放送「おばあさんの存在が火星移住を推し進めた話」(収録終わった)  (ネットにUP予定は9月16日) 9月16日放送「縮む世界で生き延びる話」(書き終わった)  (ネットにUP予定は10月7日) 10月7日放送「太陽に異存しない生物とヒトの目的の話」(書き終わった)  (ネットにUP予定は10月21日) 10月21日放送「海流とアホウドリの話」(これから書く)  (ネットにUP予定は11月4日) ★ラジオ放送が月二回隔週であります。  最初はメルマガを元に原稿を書いてたけど、  今は、書き下ろし原稿です。  それをメルマガに転用するという逆転現象が  最近のメルマガ版「やまねこ通信 E=MC二乗」であります。 ★どうぞお時間のある時に「ラジオ山猫通信」も聞いてみてください。  9月2日の放送で、丸4年目です!  最近は、トチらずスラスラよどみなくしゃべっているように聞こえます。  慣れてきたのです! ウソです。(笑)  編集で直して貰っているんです。 そのためずいぶん聞きやすくなっています。  決して私のしゃべりが上達したのではありません。  編集がうまくなったのです!(キッパリ) ★私はいつも「やまねこ通信 E=MC二乗」の事が頭の隅にあります。  次回テーマは何にしようかと常に思っています。  「やまねこ通信 E=MC二乗」は、私みかりんを構成している大事な要素です。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  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http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さには  まったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。  それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━