2014/1/19━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.191 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 あけましておめでとうございます。 今年最初の山猫通信、本年もよろしくお願いします。 今年は午年という事で馬についてお話しようとずいぶん調べました。 でも調べれば調べるほど、ウマは人間にとても深く関わりすぎていて、 とても一筋縄ではいかないことが判りました。 たとえば英語の名前でとても多いスミスという苗字は蹄鉄職人の意味もあります。 ウマのヒヅメにつけるあの蹄鉄です。 蹄鉄ひとつ取ってもそこには歴史があります。 荷馬車からは車輪が発明されました。 ヒトが世界中に広がって行った歴史は、ウマなしには語れないんですね。 ウマは運搬や農作業、乗り物としてはもちろんの事、 生活、文化、戦争、信仰にも深く関わっています。 尻尾の毛はヴァイオリンなどの楽器の弦としても利用されていて、 とにかく人が行うことあらゆる事に渡ってウマが関わっていました。 人類史は、ウマを使って作りあげていったんですね。 でも、今では競馬と乗馬と観光牧場や観光馬車くらいしかウマと関わることが なくなりました。 今日の話題は「滅びゆくウマ文化の話」です。 ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm 「ラジオ山猫通信」も、ここから聞くことができます。↑ ━■滅びゆくウマ文化の話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ウマは群れで生活する社会性の強い動物です。 群れの仲間を大事に思う性質があるんです。 この性質があったから、ひとたびウマの信頼を得ることができると、 ウマは人の要望を叶えようと、かなりのきつい仕事にも耐えることができます。 人には運べない重い荷物も運べます。 馬車を使えばもっと運べます。 人を乗せて早く遠くまで行くことができます。 ウマがいなかったら、世界中に点在する都市の行き来は大変すぎて、 物資の流通も人々の交流も、これほど活発にはならなかったでしょう。 ウマの性質がウマの運命を変えて、ヒトの運命も変えていきました。 ウマは、かつてはとても繁栄していて種類も多かったのです。 でも現在はウマ、シマウマ、ロバの仲間のみになっています。 ウマの仲間が衰退していったのとは反対に、栄えていったのがウシの仲間です。 ウマとウシの違いは、固い植物を食べれるかどうかなんです。 ウシの仲間は反芻して固い植物を消化する能力があります。 この違いがウマが滅び行く動物で、入れ替わるようにウシの仲間の繁栄を もたらしたんですね。 ウマの原産地は北アメリカです。 北アメリカのウマは数千年前に絶滅しています。 今いる野生馬は一度ヒトが飼っていたものが逃げ出したもので、 昔からの野生馬はもういません。 ヒトは古い古い時代からウマを獲物として食べ、毛皮を利用してきました。 それは1万5千年前のものといわれるラスコーの壁画からもわかります。 でもウマはそのまま絶滅はしませんでした。 その高い運動能力と強い社会性をヒトに利用されることで生き残ったんです。 紀元前3千年とか4千年の頃、ユーラシア大陸に残っていたウマとロバが 家畜化されました。 ヒツジやヤギやウシは紀元前8千年よりも前から家畜化されていましたから、 ウマの家畜化はヒツジやヤギほど簡単じゃなかったのですね。 ウマの家畜化に成功したのは、ハミの発明があったからです。 ハミっていうのはウマの口に棒をかませて、その棒の両端からヒモを通じて、 乗り手の意志を伝えるものです。 ヒトがウマを制御するのにこのハミが発明されるまでは、 首に縄を巻きつけただけだろうから、 それじゃぁ、大変だったろうなと想像できます。 私は、あのハミがどうなっているんだろうとずっと不思議でした。 齧ってしまわないの?ウマはあのハミの棒が邪魔じゃないの?って 思っていたんです。 ウマの歯は、前歯のグループと奥歯のグループの間に 歯が生えてない空きスペースがあるんですね。 ここに正しく、ハミが、おさまれば、ウマにとってストレスじゃないんです。 それを知った時、安心しました。 ハミは紀元前三千年くらいの遺跡から出土しています。 当初は縄や骨、堅い木で出来ていました。 その後、青銅のハミが使われています。 ヒトとウマの長い歴史の中でハミの発明があったから、ウマとの濃厚な関係を 築く事が出来ました。 でも私は、ウマの頭部の骨格が、「ハミを使って制御してよ」っていう作りに なっている事に驚きました。 まるでヒトの役に立つべく存在したかのようなウマ。 ハミのおさまる空間がなければヒトは今日のような歴史を築くことが できなかったと思います。 ハミが発明された頃、メソポタミアで車輪が発明されました。 初期の頃の車輪は丸太の輪切りのようなもので、重たくて馬車にはまだ使えません。 馬車が広く使われるようになったのは、スポークが発明されてからです。 スポークっていうのは、車輪の中央から放射線状にいくつもの棒が延びて 輪の部分を支えるものです。 紀元前2千年の頃のスポークの発明で、車輪は軽く丈夫になって、 馬車を走らせる事ができるようになりました。 便利なものは瞬く間に世界に広がります。 馬車は、地中海世界から黄河流域の中国まで広く使われるようになりました。 この頃栄えた古代文明では馬車は陸上輸送のためだけではなく、 戦車として軍隊の主力にもなっていきました。 馬車による戦車をチャリオットといいます。 チャリオットは、シュメール、ヒッタイト、アッシリア、古代エジプト、ローマ、 ペルシア、古代中国、古代インドなどで使われました。 まっ、一言で言うとこの時期の主要都市全部ですね。 こういう戦争に有利と思われるものは、熱心に研究されて すぐに世界中に広まるのです。それは今も昔も変わらないようです。 チャリオットは、二輪車で馬は2頭または4頭立てです。 乗員は2名から3名。 立って乗って走らせながら弓を射るんです。 皮や柳のような材料で編んだ床に、振動を吸収させていたようです。 当時は歩兵の戦いだったので、この高速移動しながらの弓矢による攻撃は、 圧倒的な戦力だったようです。 チャリオットには御者が必要です。 そして御者は戦力になりません。 調教に熟練した御者がたとえばドリフト走行のような技術で チャリオットを旋回させたりしていたのでしょうね。 ウマの普及による変化の時代はまだまだ続きます。 東ヨーロッパからモンゴル高原に至る広い草原地帯は農耕に適していません。 この草原地帯では、ヒツジやヤギと共に移動するという遊牧という 生活形態がありました。 この遊牧生活がウマに乗る事によって効率がよくなったのです」。 騎馬遊牧民の登場です。 彼らは常にウマと過ごして乗馬技術を高めていきました。 ウマの上から弓を射る方法が編み出されると 戦車に勝るとも劣らない軍事力となったんです。 騎兵の誕生です。 紀元前8世紀に世界帝国に発展したアッシリアは、 ウマの上から弓を放つ騎兵で力を示しました。 鐙(あぶみ)と鞍は、4世紀の中国で発明されました。 それまではウマに乗る者は、両足の太ももでウマの胴体を締め上げるという 想像しただけでも疲れそうな、筋肉痛になりそうな、不安定な状態で 乗馬していたんですね。 鐙に両足をかけているので立ち上がって弓を射ることも出来ます。 安定性があるので大刀を振りまわすことも出来ます。 鐙の登場で騎兵の戦闘力は飛躍的に向上しました。 この便利な鐙がヨーロッパに伝わるのは7世紀になってからです。 高い戦闘力を持つ騎士は社会的にも認められて、騎士階級の発言力が増すように なっていきました。 この頃の世界史はもうあちこち戦争だらけです。 そこにはいつもウマがいました。 十字軍の遠征は軍事的には失敗しましたけど、東西交流は活発化します。 ヨーロッパから鉱物資源や毛織物などが、イスラムから香辛料や絹が、 さかんに交易されるようになりました。もちろん交易にはウマは欠かせません。 こうしてヒトの歴史を振り返っていくと、ウマの利用がヒトの征服欲を 満たしていく過程が良く見えてきますね。 この傾向はまだまだ続きます。 ウマを使ったとは言っても、それまでの戦争は肉弾戦だったんですが、 15世紀になると火薬や銃が普及して騎士階級が没落していきます。 それでも騎兵隊としての重要性はまだ続きます。 そうして時代は進んで大航海時代になってヨーロッパ人はアメリカ大陸に 到達します。 アメリカ大陸は、数千年前にウマは絶滅しています。 インカ、アステカなどの文明を築いていた人々は、 スペイン人の連れて来たこの大型動物に腰を抜かすほど驚きました。 初めてウマを見たんです。 ウマの機動力の前にはなすすべもなく、 略奪の限りをつくされ滅ぼされてしまいます。 それから北アメリカの東海岸へたどり着いたヨーロッパ人は、 アメリカ大陸を西へ西へと進んでいきます。 西部劇の世界です。 そこでは原住民であるインディアンとの軋轢がありました。 インディアンはウマに乗っているイメージがあります。 でも、最初はインディアンたちもウマは見たこともありませんでした。 ヨーロッパ人が連れて来たウマが逃げだしてきたのを捕まえて 乗りこなすようになったんです。 ウマの戦争利用は、日露戦争の時も、第一次世界大戦の時も重要な役割を 担っていました。 第二次世界大戦の時ですら、まだウマの活躍の場はありました。 伝令や偵察任務や大砲を運ぶなどにウマは使われていたんです。 でも鉄道や自動車などの登場により、徐々に出番はなくなっていきました。 ウマがヒトと関わった歴史を紹介していくと、駆け足で世界史を紹介する事に なってしまいました。 人類史はウマなしでは有り得なかったんです。   日本にウマが入ってきたのは弥生時代後期と考えられています。 4世紀に中国で発明された鐙(あぶみ)は、日本には4世紀後半には 伝わっていました。 ヨーロッパでは7世紀になってやっと使っている事をみるとずいぶん早くに 日本に伝わったんですね。 飛鳥奈良時代、大化の改新の頃には通信手段として馬を使っていました。 当時、律令制度のモデルとしてお隣の中国の唐を参考したんです。 その当時の唐は遊牧民出身の軍事集団が政治を作っていました。 それをモデルとした日本の律令制は、最先端の軍事技術として馬文化も一緒に 導入しているんです。 だから日本の、ウマの軍事利用の歴史はかなり古いのですね。 古代日本の最大の内乱戦争である壬申の乱は、騎馬隊が登場しています。 平安時代には競馬が行われていました。 平将門はウマを使った戦争に長けていたと記録に残っています。 その後の源平合戦でも、関東武者たちは騎馬に巧みであったと平家物語に 記されています。 ウマを使った戦いで有名なのが 源義経の鵯越の逆落とし(ヒヨドリ越えのさかおとし)ですね。 まさか山からは来ないだろうと安心している平家の所へ、 ウマに乗って崖を降りて一気に平家を攻めた作戦です。 この時、義経の部下は七十騎ほどいたのですが、 皆いっせいにウマに乗って崖を降り下っています。 ひとり、ウマに怪我をさせられぬと、ウマを背負って降りた力自慢の武将も 言い伝えられています。 ウマは金(きん)と並んで、貴重な存在だったようです。 武士の時代である鎌倉時代になると、大鎧を着て長い弓を操る武芸が もてはやされます。 そして乗馬しながら弓を射る戦闘力が期待されるようになります。 これはそののち、流鏑馬などの競技として発展していきます。 それからこの頃、馬上での戦いに適するように、刀に反りが付けられて、 日本刀が進化します。 日本刀の進化にもウマが関わっていたんですね。 ウマに関わる話は戦争と切っても切れない関係という事は、 世界史を見ても日本史を見てもよくわかります。 戦いの紹介ばかりではあんまりなので、視点をちょっと変えて、 なんだ、全然わかってないじゃん!という話しを紹介しましょう。 江戸時代、世の中がちょっと落ち着いた頃、幕府直轄の御料牧場がありました。 目的は良いウマを生産するためなんですけれど、たとえば大陸の遊牧民によって 発達した、ウマの性質を考えた交配を繰り返して良いウマを作り出すというような ものでは全然なくて、大規模な敷地内にウマを野生状態でただ放し飼いにして 自由交配させて、よく育った優れたウマを捕まえて献上するという やり方だったんです。 この方法では、劣った馬ほど牧場に残って子孫を残して、 優れた馬ほど子孫を残しにくくなるんですね。 現代の改良の方法と正反対だったんです。 そんな事をしているうちに幕府直轄の御料牧場のウマは、 江戸後期には小型化していました。 それでも、改良が全く行われなかったという訳でもないんです。 徳川家では時々、東南アジア経由で外国産のウマを輸入しています。 「日本の馬とは違って体が大きく、おとなしい」と褒めています。 下北の蠣崎氏は15世紀から代々モンゴルのウマを輸入していました。 薩摩の島津氏や、仙台藩の伊達政宗は、ペルシャ種のウマを導入して、 在来種の改良を行ったと伝えられています。 でもウマは輸入しても、品種改良という手法は導入されていないんです。 これを象徴する出来事があります。 14代将軍徳川家茂の時代に、フランスで蚕が流行病で全滅した事がありました。 この時、江戸幕府が代わりの蚕を援助したんです。 フランスはこの厚意にとても感謝して、お礼に品種改良の助けになればと、 ナポレオン3世からアラブ馬16頭が送られてきました。 だけど当時の幕府首脳は、このフランス側の意図を理解する者がいなかったんです。 珍しくて貴重なものを貰ったという扱いで、全て家臣や諸大名へ分け与えて しまったんです。あららら、あらららです。 明治に入ると、日本の小型の馬では欧米に対抗できないと考えた政府によって、 外国から多くの種馬が輸入されました。 やっと日本の在来のウマの改良に着手したのは明治になってからなんですね。 日本は、鐙が入ってきたのは早かったんですけれど、蹄鉄の知識はなかったんです。 蹄鉄も明治になって入ってきました。 それまでは、馬は専用のわらじを履いていました。 それと、世界の方向とは違って馬車は発達しなかったんです。 人が乗る馬車はもちろんのこと、荷馬車も発達しませんでした。 荷物は直接ウマの背に背負わせる方法が主流でした。農耕馬はいました。 田畑の耕作や木材の搬出、馬糞は肥料にしていました。 それはそれは大切にウマは扱われていたんです。 その明治に入ってから世の中がちょっと落ち着いた頃、 ひとりのイギリス人中年女性が、- 名前をイザベラ・バードさんといいます。- 通訳として雇った伊藤鶴吉を供として、東京から日光へ、そして新潟へ抜けて、 日本海側から北海道に至る北日本を旅しました。 北海道ではアイヌの集落にも訪れています。 その記録は貴重です。 外国人の目を通して、明治期の日本の一般庶民の生活を知る事ができる資料としても 一級です。 で、そのイザベラさんが当時の日本人の庶民のウマの扱い方をとても冷徹な目線で 観察しているんです。 彼女は、イギリス本国で本格的な乗馬の躾を受けて育った経歴を持っています。 イザベラさんは旅行記に書いています。 「日本のウマは貧弱で乗りにくく、人間の言うことを聞かない。  日本人は馬に藁靴を履かせている。藁靴は、数マイルごとに履き換えさせないと  磨り切れてしまう。  藁靴を履かせてるからウマは足が弱って、すぐつまずく。  だから乗り手はたえず前に放り出される心配がある」 実際、イザベラさんは何べんもウマから落ちてるんです。 本格西洋乗馬のたしなみのあるイザベラさんがです。 彼女は続けます。 「日本のウマは、たとえば虻がとまると、その虻をむりやり足で蹴とばそうとして、  ウマ自身がひっくり返る。または隣の馬に噛みつこうとしたり、勝手放題やる」 イザベラさんは、 「日本人は馬を叱らない、ウマはピシッとやられたことがない、  日本人はウマを甘やかしているんだ」と気づきます。 そして日本人たちは、馬が死んだらお墓まで建てていると、 呆れるというか感心するんですね。 なんていうか、のどかというか、効率的ではないというか、なぁなぁというか、 幕府の御料牧場の件もそうですけれど、日本人の、ヒト以外の命に向ける、 区別のなさというか、あいまいさとも優しさとも言える日本人気質が この明治期の庶民の日本人のウマの扱い方にも現れていて、 それを西洋の近代教育を受けた人の目を通して記録として残っているのが、 私はとても興味深いと感じました。 ともあれ、日本国内の道路が舗装されて、自動車が普及するまで、 ウマは農耕、荷役、鉄道牽引などに用いられて、最も一般的な家畜でした。 ピーク時には国内で農耕馬だけで150万頭が飼育されていたんです。 それが10年前の2004年の統計でも1万8千頭にまで減ってしまいました。    * * * * *  * * * * *                                      ヒトがウマを飼いならし       五千年の時をかけて       ヒトはウマを使って欲望を叶えていった       領土拡大、異国との交易、農耕の力       交通手段、戦争の道具       そして、すべては動力機械に代わってしまった       ウマの夢は草原を仲間と共に駆けること       たてがみを風になびかせて       地平線目指して駆け抜ける       ウマは、その大きく優しい目で何をみているのだろう       次の五千年のウマとヒトとの付き合いを       澄んだ目で見つめている ━■みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「光の性質と、宇宙は有限の話」 読者の[少伯]さんから、前回の「単位の話」の内容について、ご指摘がありました。  「文章の中程に一等星のシリウスが出てきますが、  あの星は「おおいぬ座」の星で、北斗七星は「おおぐま座」の一部で  全く別の位置で輝いています。  北斗七星はほぼ一年中見られますが、シリウスは季節ごとに見え方が変わり  7月頃は見られません」 あ。間違った…。 なんで間違ったんだろう。たぶんアレだ。「いぬ」と「くま」を間違えたんだ。 こっそり目立たぬようにvol.190の「おおぐま座」の所を消しておきました。 お詫びして訂正いたします。 で、どんなタイミングでシリウスの話をしたんだろうと思って、振り返ってみました。  たとえば太陽の光が地球に届くまでには、8分20秒ほど時間がかかります。  という事は、水平線に沈み行く夕日を見ていて「あ、沈んだ」と思ったときって、  実際の太陽はそこにはもういなくて8分ちょっと前に沈んでいる太陽を見て  感動しているんです。  太陽の光は8分前の過去の光って事です。  今の季節、冬になるとひときわ輝いて見えるシリウス。  シリウスは地球から9光年離れているので  今、見えているシリウスは、9年前の輝きです。  もうちょっと言うと、あなたと私が1m離れて向かい合っているとします。  私が見ているのは、現在のあなたではなく、  3億分の一秒後の過去のあなたの姿なんです。    どんなにお互いを見詰め合ってもそれは過去の姿なんですね。  今、っていう瞬間は、なかなか不確かなもののようです。 そうそう、この話。 これ単位の話とは外れるんだけど、入れたかったから無理やり入れたんだった。(笑) ホントは、もうちょっと入れたかった事があったのを思い出したんで、この場で。 どんなに見詰め合っても、光の速さがあるので、見える姿は過去の姿。 今を感じるためには距離があってはいけない事になります。 っていう事は、ぴったりとくっつく事で、やっと相手と今を共有する事ができます。 そう考えると、握手もハグも、挨拶としてとても意味がある方法です。 スキンシップって大事なんですね。 「星の王子さま」のサン・テグジュペリは、本当に愛しあうというのは、 お互いに見つめあうのではなく、同じ方向を向くことだ、と言っています。 どんなに見詰め合っても、見えるのは相手の過去の姿だし、見詰めるほどに 相手の嫌な面も見えてくる。 だけど、ふたり揃って同じ方向を見詰めれば、たとえ目に入ってくるのは 過去のものであっても、ふたりが同時にそれを感じて、同じ場所を目指すこと ができるのです。 「今」という時間は、不確かだけど確実に「ある」のだから。 ふふぅん。なんとなく良い話でしょ。 ちょっとやまねこ通信らしくないけどね。(笑) じゃぁ、この先は、やまねこ通信らしい理屈っぽい話を。 真っ暗な部屋の壁に懐中電灯を照らすと、丸い輪ができます。 懐中電灯を壁から離すと、光の輪は大きくなります。 壁と懐中電灯の距離が2倍になれば、光の輪の直径も2倍になって 面積は4倍に広がります。 という事は、光の強さは4分の1になります。 太陽くらいに輝いている星でも計算上は1光年離れると、私たちの目には わからない程、光は弱くなります。 1光年っていうのは光が1年かかってたどり着く距離で、約10億kmです。 すると何か妙なことに気づきます。 だって何百光年も離れている星が、実際に見えているんですもん。 シリウスはおよそ9光年。オリオン座のベテルギウスは640光年。 その矛盾は、光が粒子であると考えることで解決できます。 光はね、小さな粒だと考えろっていうんだね。 星から遠く離れるほど光の粒子は広く拡散して、粒々の密度は小さくなります。 離れると暗く見えるのはそのためなんですね。 でも粒ひとつひとつのエネルギーは変わらないんです。 だから、気が遠くなるほどの距離の光を私たちは見ることができるんですね。 光は粒。 でもこれで話は終わりません。 たとえばストッキングを2枚重ねると、縞々模様が見えるでしょ。 それは光が波の性質を持っているからなんだね。 ストッキングの小さな穴を通ると、海の波が防波堤をすり抜けたとき、 内側に回りこむように広がって、お互いに強めあったり弱めあったりしているのと 同じような事が起こっているんだね。 虹に色があるのも、光の波長の長い方が赤。短い方が青になっている。 光は波。 私たちの眼には、海の波と砂粒はまったく別物に見えています。 その両方の性質をあわせ持っている光。 光は、粒のようにも波のようにも振舞うんですね。 それじゃ、もうひとつ。 たとえば、深い森の中に立っているとします。 木と木の間からちょっと遠くの木々が立っているのが見えます。 さらにその木々の間には、もっと遠くにある木が見えます。 深い森だったら、もう視界が全部、木で埋め尽くされて、 森の外の景色は見えません。 この木を星に置き換えて考えて見ます。 星と星の間に遠くの星がまたたき、その先にもっと遠くの星があったら。 空全体が星でいっぱいになるはずです。 もしそんなだったらピカピカの、まぶしい空になってしまいます。 星が遠くに離れてるほど、私たちに届く光は弱くなるけれど、 たくさんの星を見ることができるはずです。 そんな星空がどこまでも続いているのなら、空は無限に明るくなってしまいます。 でも、現実はそんな事もなくて、夜は暗いです。 宇宙は無限のはずなのに、夜が暗いのはおかしいっていう話なんです。 この矛盾は、宇宙は有限だと考えると解決します。 だから、夜が暗いのは、宇宙には果てがあって、どこまでも続いている訳ではない という証拠なんですね。 ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★誤字脱字変換ミスは気をつけているんだけど、ホントによくあります。  特にこの編集後記のここから下↓の所は、まぁ、毎回毎回、配信したあとで  また、やっちまった!だらけです。すみません。  vol.190の「おおいぬ」と「おおくま」を間違うのは、ダメだなぁ。  メイン記事だし。ラジオでもしゃべってるし。  見つけたらメールください。   ★ラジオ山猫通信がリアルタイムで、  パソコン、スマートフォンから聴けるようになりました!  http://www.radiokaros.com/simulradio/  ↑ここがカロスのサイトの「インターネット放送聴取方法」のページです。  パソコンからスマートフォンから、カロスの放送を聞く方法が載っています。  http://www.simulradio.jp/  ↑ここがサイマルラジオのサイトです。  ここから全国のコミュニティーラジオが聞けるようになっています。    このサイトを開いたらちょっとスクロールすると「北海道」という場所があって  その下の方に「ラジオカロスサッポロ」という場所があります。  そこの「放送を聴く」をクリックするとメディアプレイヤーが立ち上がって、  リアルタイムに放送を聴くことが出来ます。  ラジオ山猫通信は、第一月曜日と第三月曜日の19:00〜19:30です。  明日19:00に「右と左と螺旋の話」が  リアルタイムで聞くことができます。  バックナンバーは、「やまねこ通信 E=MC二乗」のサイトの「ラジオ山猫通信」の  場所から、いつでも好きな回のお話を聴くことが出来ます。   ★今回のこの「ウマ文化の話」は、  ネットでいつでも好きな時に聞くことができます。  http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm  ここの右側「ラジオ山猫通信」をクリックしてスクロールして  「ウマ文化の話」をクリックすると聞けます。  すぐに聞けない人は、じっと待ってみて。きっと聞けます。  http://crashlanding.under.jp/rajiyama0106.mp3  直接URLはここです。  今回の文は、おおむねラジオ原稿そのままです。  ラジオ用をメルマガ用に書き換えているけどね。 ★vol.191の参考サイト&書籍    wikipedia ウマ    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E    Yahoo知恵袋     ヨーロッパでは第一次世界大戦まで騎兵を用いていたのはなぜですか?           THE ANSWERS すべての答えは宇宙にある!                  著/佐治晴夫    マガジンハウス ★予告です。 1月20日放送「右と左と螺旋の話」(収録終わった)  (ネットにUP予定は2月3日) 2月3日放送「イチジクの約束の話」(書き終わった)  (ネットにUP予定は2月17日) 2月17日放送「地球が太陽の周りを回った話」(書き終わった)  (ネットにUP予定は3月3日) 3月3日放送「地殻の移動と生物の話」(書き終わった)  (ネットにUP予定は3月17日) ★ラジオ放送が月二回隔週であります。  最初はメルマガを元に原稿を書いてたけど、  今は、書き下ろし原稿です。  それをメルマガに転用するという逆転現象が  最近のメルマガ版「やまねこ通信 E=MC二乗」であります。 ★どうぞお時間のある時に「ラジオ山猫通信」も聞いてみてください。  5年目に突入の「ラジオ山猫通信」  どこまで続くんだ?  ここまで来たらいける所まで行ってしまえ!  最近は、トチらずスラスラよどみなくしゃべっているように聞こえます。  慣れてきたのです! ウソです。(笑)  編集で直して貰っているんです。 そのためずいぶん聞きやすくなっています。  決して私のしゃべりが上達したのではありません。  編集がうまくなったのです!(キッパリ) ★私はいつも「やまねこ通信 E=MC二乗」の事が頭の隅にあります。  次回テーマは何にしようかと常に思っています。  「やまねこ通信 E=MC二乗」は、私みかりんを構成している大事な要素です。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹     ★彡★彡★彡★彡★彡『蟹屋 山猫屋』★彡★彡★彡★彡★彡 生まれも育ちも北海道育の“みかりん”が、北海道の味覚を全国の方に広めるために 『蟹屋 山猫屋』を立ち上げました。一級品の道産品をお手ごろ価格でネット販売! 読み物としても楽しめるものを目指しているよ。    登録はここ→ http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/kani/   山猫屋の蟹は冷凍ガニではありません。ボイルしたてを食卓に直送! 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹    ↑↑↑  私、みかりんのもうひとつのメールマガジン。  北の味覚。海産物。蟹おいしいよ〜。海水ウニもありますよー。  予算はこれくらい。食べる人数はこれくらい。と教えてくれたら、その中で  できる限りのご提案をします!山猫屋の蟹は冷凍物は扱っておりません!  さぁ、タラバ食べたいよう、毛ガニ食べたいようのメールをみかりんに書こう。  タラバも毛蟹も良いのが入荷してきています。  北の食材たちは脂が乗っておいしいです。  この機会に、どうぞ冷凍ではない蟹を!  ご贈答に、山猫屋の海産物を。 それじゃ、今回はここまで。 あなたのお便り待ってます。 daichi-m@phoenix-c.or.jp じゃね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 年始め歌会。 友人たちとカラオケ三昧。 朝の3時半まで熱唱!しばりは「昭和の歌」 昭和の歌しか歌えないんだけどさ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○ やまねこ通信E=MC二乗 vol.191  2014年1月19日発行 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○発行編集者 みかりん daichi-m@phoenix-c.or.jp ○発行システム: インターネットの本屋さん「まぐまぐ」ID:0000052530 http://www.mag2.com/ ○登録/解除 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さには  まったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。  それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━