2015/11/1━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.234 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 札幌は先月下旬に初雪が降りました。 ちょっと前まではまだ秋の気配も残っていました。 薄暗くなるとりりりりとかコロコロコロとか、 耳を澄ませば小さな低い音でジーーと鳴いてる虫の音が聞こえていました。 夏にはキリギリスが元気に鳴いていましたのに季節の移り変わりは早いです。 私の子どもの頃、毎年夏になると 弟がキリギリスを何匹も捕まえてきては飼っていました。 卵を産んで翌年家の中で小さなキリギリスが大発生した事もありました。 だからバッタ系はとても馴染み深い昆虫で、 独特の青臭いにおいと共に子どもの頃を思い出します。 今日はキリギリスの仲間のバッタの話をします。 トノサマバッタや砂漠トビバッタが姿を変えて大軍となり、 何もかも食べつくすバッタと人類はどう向き合ってきたのかという話です。 ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm 「ラジオ山猫通信」も、ここから聞くことができます。↑ ━■昆虫界のジキルとハイド バッタの話━━━━━━━━━━━━━━━━━ 北海道の地名はアイヌ語表記の名残があって独特の趣があります。 オトイネップとか、フップシとか、モーラップとか。 札幌もサツ・ポロという乾いた広い土地というアイヌ語がもとになっています。 でもこういうアイヌ語由来の地名とはまったく別の地名も結構あります。 北広島市や新十津川町という地名がありますし、 札幌の手稲区には山口や福井という地名の所もあります。 これらの地名は、山口県や福井県から集団でやってきた入植者たちが 開墾した土地です。 北広島は広島県から、新十津川は奈良県の十津川村からの集団入植者が大変な苦労をして、 土地を開墾しました。 入植した人たちのその苦労たるや想像を絶するものがありました。 常にケモノの気配がする未開の地です。 ケモノに怯え、雪や寒さは本州のものとはレベルが違います。 家屋も本州仕様の作りでは寒気は防げません。 深く根を這った切り株を人力と馬でひとつひとつ掘り起こし、 時折暴れる石狩川に翻弄され、まさに骨身を削る苦労を重ねて開墾して、 使える土地を広げていきました。 明治12年、北海道では天候不順で不作でした。 わずかばかりの収穫でどうやって年を越そうかとうなだれていた人々に 予想外の災害がおきました。 どこからともなく突然トノサマバッタの大軍がやってきたのです。 幅4km、長さ35kmの広大な群れが押し寄せて空を覆いつくしてあたりは薄暗くなり、 作物や野草どころか家の障子の紙までも食いつくし、 バッタが去ったあとには地上には緑色のものは何もなくなり、 赤い火山灰が現われるほどだったと記録に残っています。 バッタの被害はその年だけではありませんでした。 明治12年から明治18年の数年に渡り毎年のように、バッタが大発生して 十勝、日高、胆振、石狩を食い荒らしながら移動していきました。 ひとたびバッタが大発生すると、粟、ヒエ、大麦、小麦、キビ、牧草はいうに及ばず 雑草も何もかもすべてバッタに食べつくされて、 収穫ゼロになった田畑の被害たるや大変なものでした。 バッタの大発生は人々を絶望のどん底へ突き落としました。 当時の「北海道蝗害報告書」の一節に 「当時人民ソレ何物タルヲ知ラズ、茫然手ヲ束ネ到ル処災害ニ懸カル」とあります。 蝗害(こうがい)の蝗の字はバッタのことです。 こういうバッタの害の事を蝗害ともいいますし、飛蝗(ひこう)ともいいます。 いずれにしても、「ソノ何タルヲ知ラ」なかったのは 一般人だけではなく、お役人も知らなかったのです。 そうしてバッタの大発生は明治13年14年と続いた時、 当時の太政大臣三条実美がことの重大さに驚いて、 駆除を命令して札幌農学校(今の北大の前身ね)の外国人教師の知恵も総動員しました。 とりあえず思いついてやってみたのは、 大声でわめく、紅白の旗を振る、ものを叩いてならす、空砲を撃つ、ローラーでひき潰す、 板切れで叩き潰す、溝や穴に追い込んで石油をかける、田畑に油をふりまく、 牧場では数百頭の馬を放って踏み潰させるという事でした。 根本的な駆除というより、あっち行け!っていう感じですね。 そのくらいなすすべがなかったんだと思います。 これといった効果もなく、その後もバッタは大発生して各地を荒らします。 明治16年には屯田兵の司令部が指揮をとって上空を覆うバッタに向かって大砲を発砲しました。 バッタの羽音と大砲の煙で実戦さながらの光景だったようです。 こうして思いつく限りの事をしてきた中で、大掛かりに行われたのは バッタの成虫、幼虫、卵の買い上げです。 1升につき、三銭から十五銭で買い上げたんですね。 これは被災地へ金銭的な補助の意味合いもかねていました。 学校もほとんど休みにして、子どもたちもバッタ退治に狩り出されました。 国と道はこのバッタ征伐のために当時のお金で120万円(現在の250億円くらい) 計上しています。 これは北海道を助けるというよりも、バッタが津軽海峡を渡って本州に やってきたら困るという意味合いが強いと思われます。 バッタはいったいどこから来たのか。 国から係官が派遣されてわかったのは、十勝川流域の広大な草原が発生元だという事です。 実はこの時、石狩平野に次ぐ広い十勝平野が発見されました。 バッタの大発生が始まるちょっと前、明治8年に北海道の太平洋沿岸を台風が直撃して、 未曾有の大洪水がおきました。 膨大な樹木が流失して広い範囲で土がむき出しになっていました。 ここにヨシやススキなどのイネ科植物が生い茂る大草原が出現したんです。 その後数年は天候に恵まれてトノサマバッタの繁殖に適した環境が整っていました。 そして明治12年にトノサマバッタの大発生の兆しがあったんです。 翌年明治13年からは本格的な大発生となりました。 大発生したトノサマバッタは日高山脈を越えて、胆振勇払地方を襲って札幌に到達、 それから空知地方や後志地方へ、または虻田町へも達しました。 虻田町と言ったら道南の渡島半島はすぐそこです。 渡島半島の向かいは津軽海峡を越えるともう本州です。 どうやっても本州を渡らせるわけには行きません。 空を覆うバッタの群れに大砲を撃ったのも判ります。 のべ三万人のアイヌの人たちをも動員して繁殖地で駆除を行っても、バッタの被害は止まらず、 北海道では明治18年の予算に180億匹のバッタの買い上げ予算を計上することにもなったんです。 どうやってもバッタを駆除できなかったのに、 この時の大発生は明治18年で自然に終息しました。 それは人の力でも何でもなく、9月の長雨でバッタが繁殖に失敗したんです。 始まった原因が自然の力なら終息したのも自然の力でした。 北海道のあちこちにはバッタ塚と呼ばれる塚があります。 札幌にもあります。 札幌の手稲山口の砂地にバッタが大量の卵を産み付けて それらがいっせいに孵っているのに気づいたんです。 それで土の表面を削り取ってかまぼこ型に積み重ねて、 殺した大量のバッタと共に土をかぶせて、 幅1.5m高さ50cm長さ百mのカマボコ状のものが、5mくらいの間隔をあけて 何本も並んでいるものを作りました。 まぁ、大きな畝(うね)ですね。 卵を集めて埋めて畝を作ってその畝が100以上あったんですけれど、 今はこの場所だけになっているんですね。 現在、そこにバッタ塚という碑が建っています。 バッタの根絶を願った人々の状況を今に伝えています。 手稲区に資料館があるので見てきたんですけれど、 そのかまぼこ状の土を縦に切り取ったものが展示してありました。 下の方が本来の砂地で、真ん中に帯状に黒い層があります。 これがバッタと卵の層で、その上に土がかぶっていました。 バッタ塚という名称から、私は命あるものへの哀悼の意を表する意味合いのものなのかなと 思っていたんですけれど、そういう事じゃなくて本当に土を盛り上げて塚になってるんですね。 中国や韓国では昔からバッタによる被害は深刻で、 古くは三千年以上昔の殷の時代の甲骨文字にも記録が残っています。 ヨーロッパや地中海でも記録があります。 旧約聖書にはサバクトビバッタがエジプトを襲う様子が残されています。 中東から南アジア、それからアフリカでは21世紀に入ってからも 時々サバクトビバッタの大発生がおきて災害と飢饉をもたらしています。 でも日本ではほとんどバッタの大発生による被害というのは起こらなかったので、 中国の文献に書かれているバッタの被害を、 昆虫による大規模な農業被害全般を指す言葉と誤解していたんです。 ですからこの北海道の大規模な被害が、国としてもほとんど初めての経験だったのですね。 最近の日本のバッタの大発生の記録はわずかにあります。 昭和46年と49年に沖縄で。 それから昭和61年と62年に鹿児島県沖の島で3000万匹のトノサマバッタが発生しています。 ごく最近の稀な例として、2007年のオープン直前の関西空港でトノサマバッタが 大発生しています。 こういう大発生するバッタって私たちの知っているバッタと同じなんでしょうか。 彼らはそんなに凶暴で危険な昆虫なんでしょうか。 トノサマバッタなんてそこらの草むらに普通にいます。 この大軍になったバッタは私たちの知っている緑色ではなくて、 黒くて膨大な数からなる群れは見事に統制がとられているようで、 どこかに指揮をとってるものがいるのかと思うくらい皆、同じ方向を目指すんだそうです。 幼虫は地面から湧き出し、成虫は空から次々と農作物に襲い掛かります。 植物を食いつくすと次の場所に移動して、あとには草一本残りません。 この移動するバッタを英語ではlocustと呼びます。 語源はラテン語の「焼け野原」です。 古代ヘブライ人はサバクトビバッタの翅の模様は「神の罰」と書かれていると言い伝えました。 世界各地で起きる神の罰、バッタの大発生には共通の謎がありました。 それは大発生する黒いバッタは普段はどこを探してもいないんです。 先手を打って攻撃しようにもいないんです。 いったいあの大軍は普段はどこに隠れているんでしょう。 それがわかったのが20世紀に入ってから。 バッタの秘密がだんだんわかってきたのはごく最近なんです。 今世紀に入ってからも発見が相次いでいます。 普段は姿を見ることがない、黒いトノサマバッタやサバクトビバッタに、 ただなすすべもなく大発生の恐怖におののいていた人類に、 最初の突破口を切り開いたのはロシアの昆虫学者ウバロフでした。 ウバロフさんは、普段目にする緑色のトノサマバッタこそが神の罰、黒い悪魔の正体だと 発表したのです。1921年の事でした。 複数のトノサマバッタの幼虫をひとつの容器に押し込めて飼育すると 穏やかな緑のトノサマバッタが黒い凶暴なバッタに変身するんです。 その変身はバッタ同士が互いに触れ合いぶつかる事が 引き金になっている事を突き止めたんですね。 見た目だけではなく動きまでもまるで違う二種類のバッタが同じものだったなんて。 当時誰も予想もできなかったのです。 ウバロフさんはこの現象を、 密度の低い所で育った緑のバッタを孤独相、 高密度で育った黒いバッタを群生相と名付けました。 孤独相の幼虫は、周りの背景の色に溶け込んだ緑色や茶色になっています。 単独性で性質はおとなしいです。 問題の神の罰、黒い悪魔の群生相の幼虫は、 黒にオレンジや黄色が混じった目立つ色をしています。 そしてお互いに惹かれあって群れをなします。 幼虫は群れで皆同じ方向に行進して、 成虫は飛翔能力が高くて1日に5kmから130kmほど移動します。 これはサバクトビバッタに関する報告なんですけれど、 1988年にアフリカで発生したサバクトビバッタの群れが、 大西洋を越えてカリブ海の島々に辿り着いた報告もあります。 さらに南アメリカ大陸の海岸でサバクトビバッタの群れが発見されています。 サバクトビバッタはアメリカ大陸には棲息していません。 アフリカ大陸からアメリカ大陸までの間には陸地がないので 4000km以上も飛んだことになります。 桁はずれた飛行能力です。 この驚異的な移動能力で国々を渡り歩くので、 ワタリバッタとかトビバッタと日本語訳されています。 サバクトビバッタは通常の緑の孤独相のときは30ほどの国々に分布しています。 そして大発生の時にはその被害は60ヶ国にも及びます。 それって地球の陸地面積の20%にも及ぶんです。 群れは大きなものでは500km途切れることなく空を覆うものまであるといいます。 500kmというと、すごいですよ。 ええと札幌から仙台まで直線距離で500kmちょっとです。えええ?ちょっと凄すぎます。 このデータの桁が間違ってるのかなぁ。 まぁ、とにかく大発生したバッタの群れに巻き込まれると3m先が見えなくなるといいます。 とにかく、同じバッタなのに孤独相と群生相ではまるで別の生き物なんです。 ウバロフさんは相が違うとまるで違うものになるというバッタの性質を、 最初はトノサマバッタでその後サバクトビバッタでも確かめて、 長年の謎にやっと終止符が打たれました。 バッタが大発生するときにはすべての個体が孤独相から群生相になります。 どうなると群生相になるのか、そこを突き止めることができたら 対抗策があるかもしれないんです。 ウバロフさんの発見は、バッタにやられっぱなしだった人類に希望を与えました。 そうして1945年、ウバロフさんが初代所長になってイギリスのロンドンで 対バッタ研究所が設立され、ここに人類の命運が託されました。 ウバロフさんの呼びかけのもとに各国のバッタ研究者が国境を越えて手を取り合って 研究しました。 こういうのを知ると「人類って共通の敵が現われるとちゃんと一致団結できるじゃん」って 思いました。人類、やればできる子なんです。 大発生を阻止する有効な手立ては見つからないけれど、 相が変わる事に関する新発見は相次ぎました。 着実にバッタの情報は蓄積されていきました。 そしてバッタが恐るべき能力を持つ昆虫である事が次第に明らかになっていきました。 ウバロフさんは定年退職を迎えるまでの14年の間に優秀な研究者を何人も育てて、 そして惜しげもない努力が研究の注がれて、 もう未来には希望しかないような状況になりました。 そんな彼らの努力が実ったのか、70年代に入るとバッタの被害は激減しました。 その頃からアフリカ諸国では独立が相次いでバッタ研究の重要性が薄れていきました。 バッタの大発生は、込み合いで起きる事は判っても、 気まぐれで起きているようにしかみえないので予想ができないんです。 この事が災いして、不幸な事に研究予算は打ち切られて とうとう1971年に対バッタ研究所は閉鎖されてしまいました。 対バッタ研究所は海外害虫研究所に姿を変えて、継続することにはなったけれど、 昔のような輝かしい面影はなくなっていました。 閉鎖から16年経った1987年。 再びバッタの驚異が世界を襲いました。 もはや手の施しようがない大発生でした。 ウバロフさんが築きあげた研究システムを復活させることは難しかったんです。 一度止まってしまった歯車はなかなか動かす事はできません。 あのまま研究所が運営されていれば。 すでに一線を退いていたウバロフさんはどんなに嘆いたことでしょう。 バッタの大発生は急に猛威を振るったかと思うと突然沈黙します。 バッタは不定期に襲来するんですね。 人間たちのちょうど浅ましい面を突く巧妙なタイミングなんです。 それは目先の利益です。 バッタの被害がないのに誰が研究予算を惜しげもなく準備するのかっていう事です。 たとえば政府はバッタが大発生すると大慌てで予算を準備するけれど、 被害報告がなくなると予算は打ち切られてしまいます。 目先の成果を消化するという最も人間らしい性質で、 世代を超えたバトンが途切れてしまうとは。 人類、やればできる子じゃなかったのか! バッタ研究に必要なのはその場しのぎの資金ではなく、スペシャリストの研究者です。 ウバロフさんが育てた優秀な研究者たちが次の世代を育てようとしていた矢先に 研究所は閉鎖されてしまったのが致命的でした。 バッタの大発生は、貧しさに追い討ちをかけるように貧困に苦しむ国々で起きる事が多いです。 戦争や革命、民族紛争のために、政治や治安問題で自分の所の国だけでは 対応できない国ばかりに起きることが多いんです。 そしてすぐに他の国々が救援に駆けつけられない場所ばかりで発生しやすい事も バッタの被害を大きくしています。 バッタはまるで人間が手だしできない絶妙な弱点をついて今でも世界中で大発生しています。 今日のお話は前半は札幌の手稲記念館の展示資料から、 後半は日本の若きバッタ研究者、前野ウルド浩太郎さんの著書を参考にしました。    * * * * *  * * * * *        穏やかでおとなしい緑のバッタには       まったく違う凶暴な一面があった       昆虫界のジキルとハイド       思うがままの自分勝手な繁栄を手に入れた人類       もう誰も止めることができない       坂を転がる石のような繁栄を       我こそは進化の最先端と、いい気になっている       そんな人類に茶々を入れる小さき命があった       正体すらもわからず人類は小さき命に翻弄されていた       バッタはバッタなりの条件が整えば       いつだってハイドになってみせる       バッタは人類の繁栄とは別の理屈で命を謳歌する ━■みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ゾウとクジラの低周波の交流と、与太話」 福岡伸一さんの「動的平衡」という本を読んでいたら、 とてもとてもファンタジーで感動的な場面の紹介があったので、 みかりん風に要約して衝動的にみなさんに紹介します。 そして書いているうちに、自分でも予想もつかない着地点に到着してしまいました。 ======== 南アフリカのクニスナという土地に、かつてはたくさんのゾウが穏やかに暮らしていた。 ゾウは太古の昔からずっとヒトを見守っていた。 ヒトの祖先たちが樹からおりて草原に向かったときもずっと見守っていた。 時は流れ現代。 アフリカのゾウたちは徹底的な象牙乱獲のターゲットとなっていった。 開発は草原と樹木を収奪し、大規模な道路はゾウたちの生活圏を分断していった。 1881年、クニスナ地区のゾウはわずか3頭が確認されただけだった。 1987年、ハイキングしていた若者が2頭のゾウに遭遇した。母ゾウと十代の子どもゾウ。 たぶん7年前に確認された3頭のうちの2頭だ。 1990年、森林局は本格的なゾウの調査をした。森のゾウはたった1頭になっていた。 おそらく以前に目撃された母親ゾウ。推定年齢45歳。クニスナ地区最後のゾウ。 1世紀ほど前には500頭いたゾウは1頭を残すのみとなっていた。 それから数年後、ここ数ヶ月最後の母ゾウが行方不明となった。 ゾウは生涯母系家族を維持し、常にコミュニケーションを取り合って暮らす動物だ。 たった1頭になったとき彼女はいったいどこに行くのだろうか。 筆者は最後のゾウを探す旅に出る。 クニスナ地区から国境を声、森林地帯が終わるところ、そこでアフリカの台地は突然終わり、 崖となり垂直に落ち込み海面となる。 その切り立った崖から大海原が見渡せる。 その崖に母ゾウはいた。 最後の母ゾウ。偉大なる母は深い孤独の中にいるのだろうか。 無数の老いた孤独な魂と交流しているのだろうか。 救いのない哀しみの光景。 その時、空気が振動した。 そして海からシロナガスクジラが浮かび上がり、クジラはじっと崖の方を向いていた。 ゾウはクジラに逢いにきていたのだ。 海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、100mほどの距離で向かい合っている。 間違いなく意志を通じ合わせて、超低周波音の声で語り合っている。 大きな脳と長い寿命を持ち、わずかな子孫に大きな資源をつぎ込む苦労を理解するものたち。 高度な社会の重要性と、その喜びを知るものたち。 ケープ海岸の垣根越しに、互いの苦労を分かち合っていた。 ======== この美しい場面はライアル・ワトソンさんが書いた「エレファントム」という本の描写です。 私が読んでいた「動的平衡」という本の著者の福岡伸一さんが、「エレファントム」の翻訳を 手がけていて、著書の中で「エレファントム」のこの美しい場面を紹介しているのを 私が読んでここに書いているという訳です。 滅び行く種のあまりに悲しくて美しい場面です。 ゾウたちは低周波で絶えずコミュニケーションを取り合っています。 ヒトには聴こえない声で。世界は歌声で満ちているんです。 ゾウはヒトが判るとされる音より3オクターブも低い音でやり取りしている事がわかったのが 1984年。 動物園の2頭のゾウは、1mの厚みのコンクリートの壁を隔てて、じっと向かいあって 「話して」いることが判りました。 身振りや声を使わずに群れを統率できるゾウ。 遠く離れた雄と雌が5年ごとに互いを見つけることができるゾウ。 互いの姿が見えないのに、川に向かうゾウの足跡は定規で引いたように直線で、 それぞれ等間隔の平行線になってるゾウの足跡。 やがて、シロナガスクジラも低周波でやりとりしていることがわかってきました。 「耳を澄ませよう、自然は歌と真実に満ちている」 そう。話はここまでで充分なんだけど、その先に進むとまた別の面が見えてくるんです。 初期の頃の「やまねこ通信」だとここで話は終わっていたと思うけど やまねこも創刊して15年も経つと私も15年歳を経ているんです。この先を進んでみますね。 「百匹目のサル」の話は知っていますでしょ。有名な話です。 どこかのサルがイモを海で洗い始めたら、みんなが真似して、 ある数を越えたら全然関係ない土地のサルもイモを洗いだしたって話。 この「百匹目のサル」の話は、 このゾウとクジラの話の「エレファントム」の著者ライアル・ワトソンさんが 言い出した話なんですね。 百匹目のサルの話は日本の幸島のサルの話です。 幸島でニホンザルの研究をしていた霊長類学者である河合雅雄さんや、 その先輩の今西錦司さんの本にも、別の土地にイモ洗いが伝播したって話は出てこないんです。 「百匹目のサル」の話しはライアル・ワトソンの作り話だったみたいなんですよー。 えぇぇ〜。何それ〜。 って事で、もうちょっと調べてみると「グリセリン結晶」についての話にもぶつかりました。 「グリセリン結晶」っていうのは、 それまでは世界中の化学者がどんなに努力しても、全く結晶化しなかったグリセリンが、 ある日を境に世界中で結晶化するようになったという話です。 たぶん「やまねこ通信」でも「百匹目のサル」「グリセリン結晶」はどこかに書いています。 初期の頃のどこかに書いた覚えがあります。 シンクロニシティの代表的話で、いかにも15年ほど前の私が好きそうな話であります。 「百匹目のサル」の話も「グリセリン結晶」の話もライアル・ワトソンさんの創作、 または与太話なんです。 ええぇぇぇぇ〜。そうなのぉぉぉ〜。みかりん、すっかり騙されていました。 それではライアル・ワトソンとは何者なのか。 イギリスの植物学者・動物学者・生物学者・人類学者・動物行動学者です。 こういう肩書きを持つ人が、科学の知識を駆使して創作をしているんですね。 だからゾウとクジラのこの美しい場面はたぶん創作です。 動物行動学の博士として本を書くのではなくて、 動物行動学博士の肩書きを持つ作家として本を発表すれば問題はなかったのに。 「真実だったらすごいよなぁ」っていう絶妙な所を突いてくる作風なんですね。 って、この文を書き始める数十分前までは、 こんな結論になるとは思ってもみませんでした。(笑) ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★前号の「みかりんの叫び」のコーナーで、スズメバチから庭のブドウを守った話を  書きました。  その後、無事ブドウは収穫しました。なんと25kgも収穫しました!  友人に来てもらって、収穫して、ブドウを房から外すって作業のあと、  ジャムなどを作りました。でも、作業しても作業してもブドウは増えてくるようで  とても1日で終わる作業ではありませんでした。  一昨年は大収穫だ!と大騒ぎしたけれど記録したものを見ると6kgと書かれています。  去年は、1房だけの収穫でした。(笑)  今年の収穫25kgは、桁外れです。そりゃスズメバチも来るよ。  これから毎年、こんなに収穫やその後の加工作業に追われることになるのだろうか。  なんか気が重くなってきたよ。(笑)贅沢な悩みですね。  でもまた1房だけかもしれないし。  ほら、バッタの大発生が、「始まったのも自然なら、収束したのも自然に」っていうのが  もう、いろいろと人知を超えたものだよなぁって、つくづく思ったのです。  バッタの大発生とブドウの大収穫は人知を超えたものである。っていうお話でした。 ★ラジオ山猫通信がリアルタイムで、  パソコン、スマートフォンから聴けるようになりました!  http://www.radiokaros.com/simulradio/  ↑ここがカロスのサイトの「インターネット放送聴取方法」のページです。  パソコンからスマートフォンから、カロスの放送を聞く方法が載っています。  http://www.simulradio.jp/  ↑ここがサイマルラジオのサイトです。  ここから全国のコミュニティーラジオが聞けるようになっています。    このサイトを開いたらちょっとスクロールすると「北海道」という場所があって  その下の方に「ラジオカロスサッポロ」という場所があります。  そこの「放送を聴く」をクリックするとメディアプレイヤーが立ち上がって、  リアルタイムに放送を聴くことが出来ます。  サイマルラジオは数分時間がズレて聞こえることがよくあります。  ラジオ山猫通信は、第一月曜日と第三月曜日の19:00〜19:30です。  明日の月曜日19:00に「魚とヘビの左右の話」が  リアルタイムで聞くことができます。  バックナンバーは、「やまねこ通信 E=MC二乗」のサイトの「ラジオ山猫通信」の  場所から、いつでも好きな回のお話を聴くことが出来ます。   ★今回のこの「昆虫界のジキルとハイド バッタの話」は、  ネットでいつでも好きな時に聞くことができます。  http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm  ここの右側「ラジオ山猫通信」をクリックしてスクロールして  「キツネに化かされない日本人の話」をクリックすると聞けます。  すぐに聞けない人は、じっと待ってみて。きっと聞けます。  http://crashlanding.under.jp/rajiyama1019.mp3  直接URLはここです。  今回の文は、おおむねラジオ原稿そのままです。  ラジオ用原稿をメルマガ用に書き換えているけどね。 ★vol.234の参考にした本、資料館、サイト      孤独なバッタが群れるとき  著/前野 ウルド浩太郎 東海大学出版会            札幌手稲記念館より      動的平衡          著/福岡伸一      木楽舎      水のきらめき  ライアル・ワトソンの遺作『エレファントム』      http://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/?p=915      僕のおしゃべり Vol.19 百匹目のサル      http://www.t3.rim.or.jp/~yoji-t/oshaberi/oshaberi019.html           ★予告です。         11月2日放送「魚とヘビの左右の話」  (ネットにUP予定は11月15日)(収録終わった) 11月16日放送「これからの宇宙開発の話」  (ネットにUP予定は12月6日)(書き終わった) 12月6日放送「生き物に似てしまうロボットの話」  (ネットにUP予定は12月20日)(書き終わった) 12月20日放送「ヒトとイヌの話」  (ネットにUP予定は12月30日)(これから書く) ★どうぞお時間のある時に「ラジオ山猫通信」も聞いてみてください。  2009年9月から始まった「ラジオ山猫通信」  そろそろ終わりが見えてきました。  「ラジオ山猫通信」は年内をもって終了することにしました。    こんな所を読んでいる人がいるとは思えないけど、ここでこっそりと告知。(笑)  でもメルマガは続きます。  今後ともやまねこ通信をよろしくお願いします。 ★私はいつも「やまねこ通信 E=MC二乗」の事が頭の隅にあります。  次回テーマは何にしようかと常に思っています。  「やまねこ通信 E=MC二乗」は、私みかりんを構成している大事な要素です。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹     ★彡★彡★彡★彡★彡『蟹屋 山猫屋』★彡★彡★彡★彡★彡 生まれも育ちも北海道育の“みかりん”が、北海道の味覚を全国の方に広めるために 『蟹屋 山猫屋』を立ち上げました。一級品の道産品をお手ごろ価格でネット販売! 読み物としても楽しめるものを目指しているよ。    登録はここ→ 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