2020/12/1━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.261 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 ここを読んでいるあなた。 あなたの年齢から20を引いてみてください。 ちょうど20年前の今日、12月1日に「やまねこ通信 E=MC二乗」のvol.1を配信しました。 その日に生まれた子は二十歳になったって事です。 あなたも私も、今の年齢より20歳若かった20年前。 あの頃、メールマガジンが全盛期でした。 あの頃、20年後はこんな世の中になってるなんて誰も想像していませんでした。 20年という月日は一個人にとって、さまざまな事が起きる長い時間です。 でも人類史にとっては一瞬です。 今日の話題は5000年〜3000年くらい前の縄文の心に迫ってみるお話です。 今回のメイン記事は「縄文にハマる人々」という映画?(これ映画なの?インタビューを 中心に縄文の心に迫っていくドキュメンタリーっぽい)をなぞっています。 縄文の心を、残された土偶、土器、遺跡から想像していきます。 ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ━■縄文の心を想像してみる話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 1万年以上続いた縄文時代が終焉を迎えて、2500年くらい経ちました。 この時間の流れの中で、日本人は何を失い、何を忘れてしまったのでしょう。 5000年前、私たちが大切にしてきたものって何なんでしょう。 今日はそんなお話をしていきます。 縄文土器と弥生土器は、全然違います。違いすぎます。 こんなに違います。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/261.htm 縄文時代(紀元前1万5千〜紀元前300年頃) 弥生時代(紀元前300〜250年頃) それから古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代 明治、大正、昭和、平成、令和と続きます。 弥生から令和までざっくりと2500年だとしても、縄文はその約6倍。 だから振り返ると、日本はほとんどが縄文ってことです。(笑) 縄文時代は、狩猟採集生活なので自然との共生で、その遺跡物から戦いはなかったっぽい。 ヒトが争わないなど私は信じられないけれど、遺跡物に残らない程度には争っていなかったの でしょう。 だから私たちは自然災害はあっただろうけれど、戦争のない平和な時代を生きてきたということ。 弥生以降、世界の動きは寡占(少数の大企業が、その市場を支配している状態)に向かっています。 今の世界の構造は弥生的なんですね。 ======= 「縄文にハマる人々」の映像の中で、いとうせいこう氏(タレント・作家など)は、 縄文土器を持たせてもらった経験を語っています。 「こんなに軽いもんなんだぁ」(軽いのか!) 「エレガントだなぁ。縄文の線がすごい!」 「僕の中では、すごく頭の良い人の言ってる事が判らない感覚。現代は視覚重視の文化に なっちゃったから」 ======= 触ることが大事なだそうです。触って判る、感じる事があるらしいです。 ======= 遮光器土偶。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/261.htm 青森の遮光器土偶の「しゃこちゃん」は、3000年前の名前はもう思い出せません。 3000年前とはまったく違う理由で、街にはしゃこちゃんがたくさんいます。 何故、片足がないのか。何があったのか。何も覚えていません。 精霊、女神、安産・豊作祈願、お守り、宇宙人?などと現代人に解釈されているけど。 ほとんどが壊れて発見されて、それが故意に壊されたとしても、その理由は誰も思い出せないです。 遮光器土偶に限らず、縄文土偶のたくさんの変な形。 今日の私たちにはさっぱり解らなくても、数千年前の私たちにはとても必要だった不思議な形。 用途不明なものたち。 なぜこんな形にしたかったんだろう。 ======= 合掌土偶。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/261.htm 現代人が解釈すると、祈り、または出産を現わしていると言われるけれど、 祈りそのものがあったのか。あったとしたら何に祈ったのか。 神様がいたかどうかも今の私たちにはわかりません。 ======= 縄文の女神。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/261.htm 佐藤卓氏(グラフィックデザイナー)は熱を込めて語ります。 「衝撃のデザインですね。現代のデザインですよ。信じられないことをやっています。 この足のエッジの処理の仕方なんかは現代の車のデザインの考え方と同じなんですよ」 「デザインっていう概念が日本に入ってきた時には、モダンデザイン=デザインっていう…」 (以下、ずっと縄文の女神のデザイン絶賛がつづく) ======= 弥生以降の、機能優先と視覚重視の寡占的世界観。 私たちは本当にこのままでいいのか。そういう問いかけが浮かんできます。 そういう疑問すらない時は、縄文的なものが目の前に現れても、 そのまま、す〜っと流れていってしまっているんだな。 精神性、思い、自然の持ってる造形。 縄文人を通してダイナミックなイメージが浮かんでは消えていきます。 縄文に生まれたら解るかな。でもその時は完全に縄文人だからそうは思わないかぁ。 縄文デザインの不思議な形の意味は、縄文の心を知れば解るはず。 私たちは、1万年前の、5000年前の、3000年前の自分たちのことをすっかり捨ててしまいました。 今は、便利で生活しやすいモノをみんな求めているけれど、それは縄文とは違う価値観です。 縄文土器は鍋として使っていた痕跡があるけれど、めちゃめちゃ使いづらいです。 使い勝手からみたら最悪です。でも、あの形が求められていて、あの形じゃなきゃダメだったん です。 だから今と全然違う価値観の中で生きていたんですね。 ======= 大森貝塚保存会 関俊彦氏 「自然に逆らわない。自然におりるのが得策と考えた」 ======= 元文化庁 土肥孝氏 「縄文人は絶対に井戸を掘らない。掘れない訳がない。わざわざ汲みに行っている。何故か?」 ======= 実験考古学 楠本政助氏 「ガラスケースに入ってる土器をいくら見てもダメ。手に取って裏も見て、実測して作ってみる」 「すると、おぼろげながら見えてくるものがある。同時に使い方がわかるものもでてくる」 「たとえば釣針。曲がったものとかたくさんある。それは材料に合わせて作ったからと言われて いるけど、そうじゃない。飾りを付けたりして、こう加工したら、次はもっと加工しようと 進化していくんです。そういう実力を持っているんです」(釣り針に飾り加工!) 「弥生時代になると、大陸から渡来文化が入って来てそれが主になっていくんです。 そうすると技術がどんどん退化していく運命になる」 「弥生の数百年は、僕に言わせると退化した文化ですよ」 ======= 青森県三内丸山遺跡 かなり広い土地に、住居、お墓、ゴミ捨て場、倉庫などが場所ごとに区別して見つかり、 一定のルールに基づいた計画的な集落づくりであったことがわかります。 中央の巨大な柱の跡は、物見やぐら、灯台、祭り施設だと言われています。 ======= 國學院大學名誉教授 小林達雄氏 「縄文論理空間は、そんなもんじゃなくて、彼らの中には、今の私たちには簡単に入り込めない」 「土偶の事を知らない僕らは、土偶を見て勝手な想像でものを言ってるんです」 「縄文遺跡を見て、理解するなんて無理。それに気づいていない。ホモサピエンスサピエンスに なってからは、今の我々と同じレベルなんです」 「たとえば、浮世絵は私たちの文化で現代と繋がっていると思えるけれど、現代の陶芸作品と 縄文土器は全く別と区別してしまっている」 「ためらいもなく、縄文人は勝負を挑んでいるんです。岡本太郎はそこに気づいた」 ======= 岡本太郎氏(現代美術の巨人。縄文遺物の美術的評価に貢献) 岡本太郎は、日本人を縄文にハメた張本人で、 火焔型土器を見て縄文に目覚めたと言われています。 ======= いとうせいこう氏 「火焔型土器は、僕はこれは火だけじゃなく、春に植物が芽吹く感じと同じで、植物的な文化を 感じます。芽吹きがどきどきする」 「死んだら土に返り、その土で土器を作る」 ======= 初期の縄文土器は無紋で、少しずつ模様が入って来て、そのうち隙間を埋めなきゃ怖いみたいな 勢いで模様が入っていって、その先はどんどん形もでこぼこになってデフォルメされていきます。 本来は煮炊きするものですけど、縄文中期までは燃え上がるような形が続きます。 特徴としては、左右対称を崩す。そして全体としてのバランスを取ります。 機能とは結び付いていなくて、それでも器で、入れ物で、使い勝手はひどく悪いものです。 使い勝手を基準にものをいうのは、現代の私たち。 あの器に彼らの世界観が表現されています。 壊れたものを補修して使っている跡もあれば、その一方で完全な土器でまだ使えるのに捨てるとか まるで土器の命に定めがあるかのようです。 ======= エドワード・シルベスター・モース博士(アメリカの動物学者 1838〜1925) モース博士が発掘した大森貝塚。 そこで縄文の模様を見た博士が「コードマーク」と呼んだのが「縄文」の名称のはじまりです。 それまで日本人は縄文の独特の模様を気にしていなかったっぽいんです。 貝塚は、現代で言う所のゴミ捨て場ではあるんだけれど、時にここで人骨も発見されていて 人食いの習慣があった?と一時は騒ぎにもなったらしい。 でも、縄文の人たちには「再生観念」があるんです。土器の模様を読み解くとそれが判ります。 再生観念が発動するのが、人間だけではなく、貝、イノシシ、シカなどにも発動します。 だから貝塚は単純に現代人のいうところの「ゴミ捨て場」ではないんですね。 貝塚は「この世」から「あの世」という他界に送り出す装置でもあったんです。 合掌土偶が何を祈っていたのか。という先程の疑問は、再生への祈りだったのかもしれません。 ======= 山岡信貴監督(映画「縄文にハマる人々」の監督) 「縄文土器を実際に触ってください。数千年を平然と超越する何かを感じることができます」 「古びない。時間を越えても伝わる」 ======= 北海道には弥生時代はありません。 縄文時代の次には続縄文時代と続きます。 北海道の千歳市には「キウス周堤墓群」という遺跡があります。 中央にお墓。その周りに土を数メートル積み上げています。 これをお墓と言ったら、現代と「お墓」の思いが違ったら、「お墓」という言葉は間違いの 始まりになってしまいます。 こんなお墓は身分の差があったからと言ってみても、「身分」という考え方が違ったら その言葉に意味はなくなってしまいます。 「動物」と言っても、動物に対する思いが違ったら。やっぱり3000年前の人たちとは わかり合えません。 死んだ子どもの足型の遺跡も多数出てくるけれど、縄文の文字は出てきません。 科学が発達すると、見えてくるもの。見えなくなるもの。 結局、人間はひとつのものの見方しかできなくて、どっちが良いとか、どっちが遅れてるとかは 関係なくて、それぞれの見方で世界は成り立っているのだとしたら、数千年前はこの機能的では ない装飾物がいっぱいな土器が必要とされていて世界は成り立っていたってことです。 たとえば50世紀の人たちは、21世紀の私たちをモノだけを見てどこまで理解できるんでしょう。 っていうか、理解したいと思うほど魅力的なものって残っているのかな。 縄文遺跡の墓地。これは今の私たちのいう「お墓」と全然違います。 墓地であり、祭祀の場であり、集会所であり、ステージでもあります。 どうかするとそのステージには、焼けた人骨がバラ撒かれています。 自然との共生の1万数千年の平和。 共生を目指したのか、結果が共生だったのか、それは未完成なのか、完成させるものでは なかったのか。または「完成」という考えもなかったら、世界はどう見えるんだろう。 縄文土器は、鍋を作っていたのではなくて、粘土で意思を持った何かと対話しながら 土と接していた結果だったのかもしれないし。 縄文遺跡には絵画がありません。具体的なものが描かれてないんです。 だから表現は自由ではないんですね。 彼らは粘土造形のプロフェッショナルで、現代陶芸作家も製造方法が判らない高い技術力を 持っています。 それなのに具象表現の作品はほとんどないんです。 具体的なものを作れる技術は十分に持っているに残っていないんです。 強い禁忌があったんですね。 それも1万数千年に渡り、日本全国に広がっている禁忌です。 何の形かわからないようにする必要があったんです。 この世界は、全部生命だという世界観。 生命のサイクル。生と死。 自然とのシンクロ具合を縄文土器の文様から読み取ることはできます。 死んだ子どものお墓を家の入口に埋めて作った跡がたくさんあります。 それは生と死がまぜこぜになった世界では、当たり前の感覚だったのかもしれません。 縄文の模様は力強く動いています。生の世界。 動物や人を思わせるようなものの生と死のサイクルが、ひとつに表現されていた土器が 縄文中期まで続きます。 でも縄文後期にもなると紋様は静止し、狩る側と狩られる側にゆっくりと分離していきます。 縄文の土偶はしゃべりたそう。 縄文の土器は空間にちょっかいを出そうとしているみたい。 もしかして、人間もそうでないものも含めたすべての関わりの造形なのかもしれないな。 今の私たちのように物事を細かく分けて理解するというよりも、 全部丸ごと世界を受け止めるという感性。 これはアートであり、宗教であり、娯楽で、自然で、私たちが忘れた何かを含もの。 数千年経って、これを作った人も、それを覚えている人もいなくなり、 いつ作られたのか、作った理由もわからなくなって、それでも心を動かすものがあるとするなら それは何なのだろう。 値打ちがあるとか、ゴミだとか、役に立つとか立たないとか。 そんな事も忘れて接したとき、それでもなお私たちの心が動くとしたら、それは何なのだろう。 1万年数千年前と同じ仕組みで生きている私たち。 縄文の彼らは、同時に私たちでもあります。 縄文時代の日本人が何を考え、何を尊び、何を恐れ、何を喜びとしたか。 土器や土偶に触れた感じの言葉の奥にある感覚。 心静かに感覚に耳を傾ければ、世界と生と死を丸ごと受け止めたあの世界観が 意外と近くに感じ取れるかも。     ― もしかしたら、日本の絶頂は縄文時代だったのかもしれない ― ━■みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ふと気が付いたらメールマガジン「やまねこ通信 E=MC二乗」は、ドキドキの初配信から 20年の時が流れていました。 最近は配信回数もめっきり少なくなり、20年経った記念にここらでちょっとお休みしようと 思い、ちょうど20年前の初配信の日に合わせて12月1日配信を目指して今回書き上げました。 それでも私みかりんは、やまねこ的思考と感性で生きていくので、私のアンテナに何かが 引っかかり「これは伝えなきゃ!」というネタに遭遇したら、配信するかもしれません。 月が好きで、キツネが好きで(伝説上のも動物としても)、ヒグマやオオカミが好きで、 ウシが好きで(中でもアジア水牛が好き!)、火山活動に興味があって、 登山すると石が気になり、戦国時代や幕末や縄文時代が好きで、庭での家庭菜園が好きで、 全国の動物園、水族館、ジオパークに行きたいなとか思うだけで動かず(意外と出不精(笑))、 ティラノサウルスやプレシオサウルスにときめき、宇宙探査機ボイジャーの行く末を案じ、 本を読むこと、文章を書くことが好き。 これからもたぶんずっと好き。 私の好きを並べたらやまねこ通信になります。(笑) それではいったん、やまねこ通信をお休みします。 20年もの長きに渡って私のおしゃべりにお付き合いしていただいてありがとう。 また会いましょう!(循環の世界観的にはどんな形であれ繋がっているし、会えるし) ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ ひょんなことから「縄文にハマる人々」という映像作品の存在を知り、見てみたくなったん   だけれど、amazonでDVDを注文すると高いし、レンタルでは探してもなくて、   さてどうしようって困って色々検索していたら、  「アジアンドキュメンタリーズ」https://asiandocs.co.jp/というサイトで、  一週間見放題で495円というのを見つけました。   便利な時代になったもんだ。   この「縄文にハマる人々」は面白かったです。   1000点近く紹介される土器と土偶たち。   これでもかこれでもか!というくらい縄文の土器と土偶たちが出てきます。   全国100ヶ所にも及ぶ縄文探求の旅です。   一週間見放題で、やまねこで文にするために何度も見たんですね。   するとね、なんとなく皮膚感覚で「あ!これはかなり近い所まで迫っている」と   言葉にしづらいんだけど、なんか縄文の本質にかなり近づいてる感じがしたんですね。   ★もう終わってしまってから宣伝しても遅いんだけれど、先月の11月15日のNHK午前7:45〜8:00の  「さわやか自然百景」で「西岡水原池」が取り上げられました。  ここが私がいつも行く所でやまねこ通信にも幾度となく出てきた、私が「森」と称する所です。    多くの鳥たちが訪れ観察でき、日本でも珍しいくらい多種のトンボが生息する場所です。  以下がNHKの宣伝文ね。  ===================  北の大都市・札幌。市街地に隣り合う西岡水源池は、100年以上前に作られた貯水池だ。  カワセミやマガモが子育てに励み、天然記念物のクマゲラも見られる。  高速で飛び交うハリオアマツバメは、水面をかすめながら水を飲み、水浴びも行う。  池の周囲はトンボの楽園。  美しいこはく色の羽のニホンカワトンボのオスたちがメスを巡ってせめぎあい、  勝ち抜いたオスがメスと結ばれる。大都市の片隅で生きものを育む、美しい水辺を訪ねる。  ===================  ここが私の住んでいる所から徒歩で数分くらいで行ける所です。  まさか全国放送で紹介されるとは。 ★ vol.261の参考にした映像    「縄文にハマる人々」 山岡信貴 監督作品          ★ラジオ山猫通信の過去の放送を聞いてみたい方へ  http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm  ↑ここの右側「ラジオ山猫通信」って所から、聞きたいナンバーを私に連絡ください。   音声ファイルを圧縮してメール添付で送ります。   またはファイルポスト( https://file-post.net/ja/ )でデーターを渡します。   ★私はいつも「やまねこ通信 E=MC二乗」の事が頭の隅にあります。  次回テーマは何にしようかと常に思っています。  「やまねこ通信 E=MC二乗」は、私みかりんを構成している大事な要素です。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹     ★彡★彡★彡★彡★彡『蟹屋 山猫屋』★彡★彡★彡★彡★彡 生まれも育ちも北海道育の“みかりん”が、北海道の味覚を全国の方に広めるために 『蟹屋 山猫屋』を立ち上げました。一級品の道産品をお手ごろ価格でネット販売! 読み物としても楽しめるものを目指しているよ。    登録はここ→ http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/kani/   山猫屋の蟹は冷凍ガニではありません。ボイルしたてを食卓に直送! 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹    ↑↑↑  私、みかりんのもうひとつのメールマガジン。  北の味覚。海産物。蟹おいしいよ〜。海水ウニもありますよー。  予算はこれくらい。食べる人数はこれくらい。と教えてくれたら、その中で  できる限りのご提案をします!山猫屋の蟹は冷凍物は扱っておりません!  さぁ、タラバ食べたいよう、毛ガニ食べたいようのメールをみかりんに書こう。  毛蟹の良いのが入荷してきています。  北の食材たちは脂が乗っておいしいです。  この機会に、どうぞ冷凍ではない蟹を!  ご贈答に、山猫屋の海産物を。 それじゃ、今回はここまで。 あなたのお便り待ってます。 daichi-m@phoenix-c.or.jp じゃね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ このマスク文化になってから親しくなった人がいて、 私は彼女のマスク顔しか知らなかった。 先日マスクをはずした顔を初めて見て、 私の知っているのはマスクから上の彼女で、 マスク部分は知らない人だった。(笑)  人見知りが発動しそうなレベルで印象が違う。 困った現象だと思った。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○ やまねこ通信E=MC二乗 vol.261  2020年12月1日発行 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○発行編集者 みかりん daichi-m@phoenix-c.or.jp ○発行システム: インターネットの本屋さん「まぐまぐ」ID:0000052530 http://www.mag2.com/ ○登録/解除 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さには  まったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。  それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━