2021/3/1━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆         やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.262 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 実を言うと前号の「やまねこ通信 E=MC二乗」は、創刊20年経ったし、 しばらくお休みか、休載ののち自然消滅させてしまおうかと考えていました。 前号vol.262は、そういう意味を持たせて配信しました。 それから1ヶ月後、私は、ある発見をしたのですよ。 みかりん的には大発見なんです。 これって専門家は気が付いているのだろうか。ってちょっとだけ思ったり。 まさか専門家が気づかない訳がないよなぁと思ったり。 そんなみかりん的大発見を、やまねこ通信で発表すべきなんじゃないか っていう思いが今日まで私の脳内でぐるぐるしているのでありました。 その内容は「みかりんの叫び」で。 今日のメイン記事はお米のお話です。 ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ━■おコメの話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 日本が縄文時代の頃、中国では北方に四大文明のひとつである黄河文明があり、南の方には 黄河文明に匹敵するほどの長江文明がありました。 黄河文明は大豆を生み出した文化で、他には麦作など畑作文化が中心でした。 南方の長江文明は稲作を発達させていました。この違いは気温の違いですね。 紀元前5世紀、気候が寒冷化の兆候を見せ始めた頃、北方の黄河文明の人たちは、農業に適した 暖かな地域を目指して南進しました。 もともと南方に住でいた長江文明の人と、限られた土地を巡って争うようになります。 これが中国の春秋戦国時代から呉越の戦いに繋がっていきます。 呉越同舟(ごえつどうしゅう)の語源になった戦いですね。 この戦いに敗れた越の国の人々の一部が、山岳地帯へ落ち延び、険しい山の中で棚田を作って 暮らしました。 一方、海を渡って日本に落ち延びた人たちもいました。 当時の日本はすでにイネは伝わっていましたが、越の人たちが伝えた稲作技術は、 日本に稲作が広がる一因になりました。 それがちょうど縄文後期から弥生にかけてのことです。 さて。ここで問題です。 自然に恵まれた豊かな地域と、自然に恵まれない地域ではどちらが農業が発達するでしょう? 農業というものは重労働を伴います。重労働と引き換えに安定した食料が手に入るのが農業です。 重労働などしなくても食糧が手に入るのであれば、誰も農業をしようなどと思わないのです。 縄文時代のの農業は、狩猟採取がメインで、サトイモやクリなどを植えて放置して収穫するような 半栽培みたいなものです。重労働を伴ういわゆる「農業」ではありません。 縄文中期で焼き畑などが行われ、本格的な農業と呼べるものは、縄文後期から弥生にかけて。 稲作技術が日本に伝わってきてからです。 イメージとしては、狩猟採取に頼っていた貧しい縄文時代で、稲作で豊かになった弥生時代という のを思い浮かべがちかもしれませんが、そうではないです。 大陸から九州北部に伝えられた稲作は、急速に広まってわずが半世紀の間に、東海地方西部まで 伝わったとされています。 でも、そこから東側にはなかなか広まっていきませんでした。 それは、縄文時代の東日本は、稲作などしなくても良いほど豊だったんです。 縄文中期の100キロ平方メートル当たりの人口密度は、西日本では10人未満で、 東日本ではその数十倍の100人〜300人だったと推定されています。 豊な落葉樹林が広がる東日本は、重労働をせずとも大勢の人口を養うのに充分な食糧が あったのです。 人口を支える食料が不足する西日本では稲作が急速に広まりました。 それでも、ゆっくりと時間をかけながら、農業は確実に広まっていきました。 何故、豊かな地域でも農業を受け入れていったのか。 農業によって得たものは、単に食料だけではなかったのです。 狩猟民族の世界では、貧富の格差は起こりにくいです。 獲物を大量に獲っても、一人で食べる量は決まっているし貯蔵できません。 だから食べきれない分は仲間と分配します。 けれど農業によって得られる穀物は、食べきれなかったら貯蔵ができます。 貯蔵は富になります。 富を持つ者が現れて貧富の差ができます。 富を持つ者は権力を持ち、人々を集め、国力を高めていきます。 また農業を行うためには、水を引く灌漑の技術や、土木技術、農耕の道具などが必要となっていき、 さまざまな技術が発展し、その技術は戦うための砦を作り、武器を作る技術に 転用されていきました。 穀類は、おなかを満たす食料としての面よりも、「富」となる事で 攻めて富を得、攻められて奪われ、貧富の格差を生み、権力を生み、集団が大きくなり、 農業を行う人々は、狩猟採取の人々を制圧していったのです。 話はちょっと変わります。 ヨーロッパの田園風景をみると、広々とした畑が一面に広がっています。 村ははるか遠くに見えます。 それに比べると日本は、どこを旅しても所狭しと家が建っています。 江戸時代の村でも、隣村までの距離は近いです。 言い換えれば、日本では少ない農地で多くの人が食べていくことが出来たという事なんです。 15世紀のヨーロッパでは、小麦の種子を撒いた量に対して収穫できた量は、3〜5倍でした。 17世紀の日本では、種子の量に対して20〜30倍の収量がありました。 現在では米は、110〜140倍。小麦は20倍の収量です。 16世紀の戦国時代の日本では、同じ島国のイギリスと比べて、その時すでに6倍もの人口でした。 ヨーロッパでは、三圃式農業といって、ジャガイモや豆類を作る畑と、小麦栽培する畑と、 何も作らず休ませる畑の3つに分けて、ローテーションをして土地を利用していました。 3年に一度は畑を休ませないと地力が保てなかったのです。 それに比べて、イネは毎年栽培できます。これはすごい事なんです。 収量をたくさん取ることができないヨーロッパでは、広い面積で農業を行うしかなかったのです。 一方、日本の田んぼは、手をかければかけるほど収量が多くなります。 この手をかける稲作が、協調性に富み、内向きな日本人を作り上げ、狭い土地でひしめき合って 暮らしている風景を作り出していったのでした。 ヨーロッパの広い田園風景は、日本よりも効率の悪い風景だったのです。 ━■みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「縄文は現代と地続きだと感じたこと」 前号vol.261を配信したのが2020年12月1日。 「やまねこ通信 E=MC二乗」創刊20年の日でした。 やれやれこれで一息つけるわい。と、年末年始をそれなりに慌ただしく過ごしていました。 年が明けて2021年。私は正月生まれです。自分のお誕生祝いに何冊か本を購入して ストーブの前に陣取り、本の中に沈殿していくという至福の時を過ごしていました。 何冊か買った本の中のひとつに「水木しげるの遠野物語」という本がありました。 私はずっとずっと前から柳田國男の「遠野物語」は好きで文庫本で持っていて、 何度も読み返すうちにぼろぼろになって、そしていつしか紛失していました。 また買い直すのもなぁと頭の片隅で思っていたのですが、この時、何冊かの本を選ぶのに 本屋へ行ったら、「遠野物語」の漫画版があって、それが水木先生が描かれたもので、なんだか 嬉しくなって購入したのでした。 遠野物語とは、柳田國男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、 伝承などを記した説話集です。 内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから、山人、マヨヒガ、神隠し、臨死体験、 あるいは祀られる神とそれを奉る行事や風習に関するものなど多岐に渡っています。 お話の多くは御伽噺や童話などではなく、「何々村の某がどうした」というように、 登場人物が具体的で、生々しい同時代の怪しい出来事が多いです。 話に起承転結はなく、びっくりする程いきなり終わります。(笑) その遠野物語の世界を、水木先生の緻密な背景ととぼけた人物で視覚的に再現している本です。 その解説部分に、 「飢饉の際に生まれてきた子どもを、育てていく余裕がなく、残念ながら 間引かざるを得ない場合、子どもは墓ではなく土間や台所に埋める風習があった」と 書かれていました。 ここを読んだ時、私は「あっ…!」と思ったのです。 前号のメイン記事「縄文の心を想像してみる話」で 「死んだ子どものお墓を家の入口に埋めて作った跡がたくさんあります。 それは生と死がまぜこぜになった世界では、当たり前の感覚だったのかもしれません。」 と書いています。 現代の感覚でいうと、死んでしまった子どもの骨を玄関先に埋める感覚はちょっとわかりません。 縄文人への理解は遠いなという事でした。 でもでも、ちょっと前(100年かそこら)の岩手県では、亡くなった子どもを土間や台所に 埋める習慣があったのか!これって縄文の習慣が連綿と数千年この土地に伝えられていたと いう事だよね!と、大発見な気持ちになったのです。 岩手県なら三内丸山の文化圏内だし。 縄文遺跡を発掘している人たちは、東北の地に縄文の風習が残っている事に気づいている? 気付いているよね? 私が本を読んだだけで気づいたんだから。 でも、前号で紹介した映像作品「縄文にハマる人々」の山岡信貴監督はもしかしたら まだ知れないかもしれないな。教えてあげたいな。という気持ちになった事をこのメルマガに 記録しておこうというのが、今回のvol.262の発行の動機でした。 少し落ち着いて本棚を見回すと、梅原猛/著「縄文の神秘」にも同様の記述がありました。 縄文と現代は地続きで繋がっているというのが実感した次第です。 ちょっと違う話をします。 先日、どの番組か忘れたけれど、テレビをつけてぼんやりしていたら、 みかりん的には衝撃的なフレーズが聞こえてきました。 「縄文の火焔型土器は、水紋である」 ええええぇぇぇぇっ、なんだってぇぇぇ。 火焔型土器のほとんどが信濃川流域から出土しているので、あの燃えさかる炎のような凹凸は 水のさざ波や、立ち上がる渦や、せり上がる波で、鋸歯状突起も波頭が並んでいるというのです。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/262.htm あ。これは水だわ。誰だ炎だって言ったの。 もう水を現わしているとしか見えなくなったよ。(笑) ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ 狩猟採取の時代、日本インがデンプン源として食べ物は「Uri」と呼ばれていたようです。 クリ(Kuri)、クルミ(Kurumi)などの発音は、このUriに由来してます。 ユリの球根もデンプン源としてなったのでユリ(Yuri)も、同じ由来ですね。 日本に稲作が伝来する以前は、重要なデンプン源はサトイモでした。 サトイモはタロと呼ばれていて、中国大陸、東南アジア、ミクロネシア、ポリネシア、 オセアニアの太平洋地域一帯で現代でも広く主食として用いられています。 日本にもかなり古い時代にこのタロイモが伝わって、タロイモ文化圏の一角をなしていました。 現代でもその痕跡は残っていて、お正月のおせち料理やお雑煮にサトイモが欠かせない地域は 少なくないですし、中秋の名月には、月見団子を供えるけれど、芋名月とも言ってサトイモを 供える風習も残っています。 ところが、やがて日本にサトイモに代わるすぐれたデンプン源がやってきます。 それが「うるち」(Uruchi)です。食用のお米をあらわす「うるち米」も、Uriに由来すると 言われています。 それなら何故タロイモ、サトイモはUriが由来になっていないのか? それは知りません。(笑) ★ vol.262の参考にした書籍とサイト    「世界史を大きく動かした植物」 著/稲垣 栄洋   PHPエディターズ・グループ     「水木しげるの遠野物語」    原作/柳田 國男  漫画/水木 しげる  小学館     縄文文明の芸術(1)縄文土器 「火焔土器は実は水紋土器であるという考察」     https://ameblo.jp/like-a-pen/entry-12579429911.html      ★ラジオ山猫通信の過去の放送を聞いてみたい方へ  http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm  ↑ここの右側「ラジオ山猫通信」って所から、聞きたいナンバーを私に連絡ください。   音声ファイルを圧縮してメール添付で送ります。   またはファイルポスト( https://file-post.net/ja/ )でデーターを渡します。   ★私はいつも「やまねこ通信 E=MC二乗」の事が頭の隅にあります。  次回テーマは何にしようかと常に思っています。  「やまねこ通信 E=MC二乗」は、私みかりんを構成している大事な要素です。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹     ★彡★彡★彡★彡★彡『蟹屋 山猫屋』★彡★彡★彡★彡★彡 生まれも育ちも北海道育の“みかりん”が、北海道の味覚を全国の方に広めるために 『蟹屋 山猫屋』を立ち上げました。一級品の道産品をお手ごろ価格でネット販売! 読み物としても楽しめるものを目指しているよ。    登録はここ→ http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/kani/   山猫屋の蟹は冷凍ガニではありません。ボイルしたてを食卓に直送! 蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹    ↑↑↑  私、みかりんのもうひとつのメールマガジン。  北の味覚。海産物。蟹おいしいよ〜。海水ウニもありますよー。  予算はこれくらい。食べる人数はこれくらい。と教えてくれたら、その中で  できる限りのご提案をします!山猫屋の蟹は冷凍物は扱っておりません!  さぁ、タラバ食べたいよう、毛ガニ食べたいようのメールをみかりんに書こう。  毛蟹の良いのが入荷してきています。  北の食材たちは脂が乗っておいしいです。  この機会に、どうぞ冷凍ではない蟹を!  ご贈答に、山猫屋の海産物を。 それじゃ、今回はここまで。 あなたのお便り待ってます。 daichi-m@phoenix-c.or.jp じゃね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ このマスク文化になってから親しくなった人がいて、 私は彼女のマスク顔しか知らなかった。 先日マスクをはずした顔を初めて見て、 私の知っているのはマスクから上の彼女で、 マスク部分は知らない人だった。(笑)  人見知りが発動しそうなレベルで印象が違う。 困った現象だと思った。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○ やまねこ通信E=MC二乗 vol.262  2021年3月1日発行 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○発行編集者 みかりん daichi-m@phoenix-c.or.jp ○発行システム: インターネットの本屋さん「まぐまぐ」ID:0000052530 http://www.mag2.com/ ○登録/解除 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さには  まったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。  それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━