2001/8/17━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆        週刊 やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.35 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 ワニ。 ワニはアゴの力がとても強いけれど、それは口を閉じる力が強いだけなんです。 口を開ける力は、全然たいしたことがなく、輪ゴム程度の力でも開かないようにして しまうと、もうなかなか自力では開けられないと何かで読んでから、 「ワニ、怖るるに足りず」などと思うようになりました。(笑) 「開けられないようにしておけば、噛まれないもんねぇ〜」 いえいえ、別に日常でワニに対する心構えをしていなきゃならないような生活はして いないのですけれど。 新しく登録して下さった人、はじめまして。 自己紹介もあるよ。 バックナンバーがあるので、ここ↓チェックしてみてね。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ━■エゾオオカミの話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 日本には明治期までニホンオオカミとエゾオオカミという2種類のオオカミが生息し ていた。 両種ともタイリクオオカミの亜種と考えられている。 北海道は、かつてエゾオオカミの天下だった。 それが瞬く間に数を減らし絶滅していった原因は、やはり人間である。 開拓使の文書の中で、エゾオオカミとヒグマは「人畜に害を及ぼす猛獣」として 一緒くたにされてしまうけれど、オオカミは家畜を襲った記録は多いけど、人間に直 接危害を加えた例は見あたらないんだ。 開拓使は1877年(明治10)オオカミやヒグマを殺した者には一頭につき2円を支給す る制度を設ける。 でも2円の手当ではあまり狩猟する者がいなかったため、翌年オオカミ7円、ヒグマ 5円と変更。 その後値段は地域ごとに変更するけれどいずれもエゾオオカミの方が高く設定してい る。 それは、獲物の証拠さえ提出すれば、その皮や肉は狩猟者のものになるけれど、ヒグ マは胆・皮・肉の需要があるのに、エゾオオカミはの皮は高く売れないからだという のが理由。(札幌県がオオカミ10円、ヒグマ3円に変更したときの文書より) 開拓使から三県の時期を経て、北海道庁の時期に入った後、1888年(明治21年)に報 奨金制度廃止。 狩猟者増加のため「獣害」が減ったためと当時の道庁は説明する。 まぁ、時代が時代だったからそう責められない所もあるんだけれど、ここで当時のな んとも人間本意の茶番を紹介するね。 明治初期に、エゾシカの皮・角(薬用)・肉などが産品として重視、そのため多くの 狩猟者に狙われる。開拓使は、オオカミの殺害に力を注ぐのと同じ時期に、資源保護 のためにエゾシカ猟の規制に乗り出すが失敗。 どんどんエゾシカが殺害される。 エゾシカ大量殺害と大雪による大量死が重なり、エゾシカが激減。その結果、オオカ ミがより人家に近づき家畜を襲うようになりましたとさ……。 開拓使が奨励金を出して殺すことを奨励した生き物がもう一種類。それはカラス。 一羽につき4銭。この制度のもとに殺されたカラスは10万3623羽。そんなに多く殺す 意味はないと思うけれどなぁ。 カラス報奨金制度の廃止は、オオカミ、ヒグマよりひと足早く、函館県では1882年 (明治15年)、札幌県ではその翌年の事。 その理由が、当時大発生して農作物に大きな被害をもたらしていたバッタを食べるか ら。(札幌県) 財政に余裕がなくオオカミ・ヒグマに比べると間接的な害しかないから。(函館県) なんとも場当たり的で先見性のカケラもない政策だ。 開拓使の記録からは、何故オオカミが家畜を襲うのか、オオカミを殺し尽くす事に よって何が失われるのかを、まったく考えなかったのがよく判る。 そして、現在もエゾオオカミがいなくなった事でエゾシカが増加し、樹害として その影響が深く残っているんだ。 オオカミ不在の森林ではシカが増えすぎる。森林生態系の混乱は河川を通して沿岸の 海洋生態系にも及んでいるんだ。 森が枯れると魚もいなくなってしまうんだ。 <補足> ニホンオオカミの絶滅は、エゾオオカミとはまったく違う経過をたどっているので す。 オオカミは大神という語源で、もともと日本人には、とても大事にされていて、良い 関係を築いていたんだ。 それが、西洋人が洋犬を連れてきて、そこから狂犬病とジステンパーが流行、それが オオカミに感染して、狂犬病がオオカミを通して日本人に伝染させるようになって乱 獲が始まったんだ。 危険な動物だから、開発と毛皮の採取と安全のために人間と折り合いがつかなくなっ て絶滅した印象が強いけれど、違うんだ。オオカミが危険というのはイメージで、そ れも西洋からきた赤ずきんちゃん等のお話の印象が根強いらしい。だから最近のもの なんだ、その印象は。 では、何故エゾオオカミはニホンオオカミと違って「危険な動物だから、開発と毛皮 の採取と安全のために人間と折り合いがつかなくなって絶滅した」のでしょうか。 それは北海道開拓史と大いに関係があるのです。 開拓使は、開拓の手助けとして多くのお雇い外国人を招いています。 お雇い外国人エドウィン・ダンの指導でサンフランシスコから取り寄せたストリキ ニーネを仕込んだ馬肉による毒殺は効果が絶大だったという記録が残されています。 巻き添えを食ったカラス・キツネ・野犬と共に多くのオオカミが死体となって転が り、近辺のオオカミが一掃されたとダンは回想しています。 彼の故国アメリカでは19世紀にストリキニーネを使って非常に多くのオオカミを殺 していたことが知られています。 オオカミ・ヒグマの報奨金制度の導入にもB・S・ラインマンの提言を開拓使がうけた ものだとも言われています。   ━●みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「蚊に問う」 夏真っ盛り。 夏といえば蚊。 私は蚊に言いたい事がある。 蚊語がわかれば尋ねてみたい。誰か通訳してくれないだろうか。 何故、きみたちは、飛ぶとき「ぶ〜ん」って音をたてるのかね? あれで、私は「お? この部屋には蚊がいるっ!」と臨戦態勢に入り、五感を研ぎす まし、全神経を蚊の存在に向け、今度私に近づいたら一発で仕留めてやるっ。と、普 段ぼんやりしている私をたちまち“蚊ハンター”にしてしまうのだよ。 音をたてずに飛べないのかい? 何故、きみたちは、私の血を吸った後、痒くなる成分を付けて去っていくのかね? きみたちもこれからタマゴを産むのに栄養補給をしなければならばならない事情はよ く判っているつもりだ。 幸いきみたちの吸う量は微々たるものだ。私もそう話しが判らぬ者でもないつもり だ。事情が事情だろうから絶対吸わせないとは言わない。 けどね、どうしてきみたちの去った後は、痒くなるんだ? お礼のつもりかい? 吸った後、かゆかゆ分泌物など付けないで去って欲しい。 この2点を改善してくれたら、私も鬼じゃない。きみたちにたまには吸わせてあげよ うじゃないか。 でもね、ホントにどうして、蚊はこの2点があるのだろう。 これらの性質がなかったらこれ程、蚊は撃退されなかっただろうに。 蚊取り線香のあの匂いも、日本の夏の風物詩として君臨することはなかったのかも。 ━▲やまねこ投書箱━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ [かえる]  vol.31の熊の被害と駆逐の問題。あの話はいつもわたしが考えていたこととまった  く同じでした。  九州と四国ではすでに絶滅してしまった熊ですが、次は中国地方も危ないと言われ  ています。しかし、国も地方自治体もほとんど理解が進んでいないです。この国は  本当にしょうがない国だと色んな場面で痛感しています。  星野道夫さんの話。  実はわたしも自然の写真を撮っていて(アマチュアですが)歳もほとんど同じなの  です。星野さんと違って日本のそれも身近な自然である、谷戸の自然をテーマに撮  り続けています(4年前に文一総合出版から谷戸の写真集を出しました)。  わたしが最も好きな写真家も星野さんでした。亡くなった時のショックは今でも鮮  明です。写真展もこれまで何度も見に行きました。写真には彼の考え方や人柄も写  し込まれていました。星野さんがいなくなった損失はとても大きいと思います。 -------------------------- 今回紹介したエゾオオカミの話からも、現在生息するヒグマやツキノワグマの対処の 仕方について、私たちは過去から学ばなければなりません。 vol.33で私はちょっと星野道夫さんにふれました。 星野さんは動物写真家です。アラスカに住み着きアラスカの動物たちの写真を得意と します。 その写真は息をのむほど清冽です。 1996年にカムチャッカでクマに襲われて急逝するまで、人間と自然の原風景を追い求 めた写真家ですが、その写真家が紡ぎ出す言葉がとてもいいのです。文章も書ける写 真家なのです。 私は、星野さんの本を何冊か持っていますが、そのうちの一冊はサイン本です。 (えへへ。いいでしょ。自慢モード) もちろん本人に目の前で書いて貰いました。写真展を見に行ったら、たまたま本人が 立ち寄ったので書いて貰ったのです。 -------------------------- [SHINN]  前号vol.34号で「二十数年前ある生物学者・・・」とありますが、これはあやまり  なのでは?  昭和天皇が皇太子時代ということは、どう少なく見積もっても80年くらい前のこ  とになります。  こういう話をきくと、とてもほほえましく、学者としての昭和天皇の見識に頭が下  がるおもいがいたします。  前号の記事が猿の話なのでというわけではないのですが、わたくしは、霊長類とい  う分類名が、人間のおごりを示しているようでいやでしかたありません。  よく食物連鎖の頂点に人間をおいた図をみかけますが、そんなに単純なものではな  いでしょう。  「原始的な単細胞生物」といういいかたがありますが、生きているものはそれぞれ  の進化の歴史を背負っているわけで、みな同じなのではないでしょうか?むしろ、  我々が何兆もの細胞をつかわなければ営めない、さらにヒトでしたら個体が集まっ  て社会をつくらなければ営めない生命活動を、たったひとつの細胞でなしとげてい  る彼らにねたましささえ(ちょっと言い過ぎですが誇張ではありません)感じま  す。 -------------------------- あっ……。ほんとだ。二十数年前ってことはないね。 調べてみました。 明治45年(1912)11歳で皇太子になって大正15年(1926)で天皇になっています。 だからこの皇太子時代の14年間のどこかの話ですね。 一目でニホンザルと見抜いた生物学者としての一面がとても新鮮に思ったので紹介し ました。 例えば草原を駆けるチーター。海を泳ぐマグロ。それぞれの環境で進化した無駄のな い究極のフォルムだと思うのです。 ヒトはあんなに走れませんし、泳げません。だからといってヒトが彼らより劣ってい るかというとそういう訳でもないんです。 同じ理屈で、チーターやマグロがヒトより劣っているともいえないんです。 ヒトは他の動物とは違う大きな特徴があるけれど、“霊長”と自ら名乗る臆面のなさ は図々しいかなと私も思います。はい。 -------------------------- [マンボウ]  生き物の話が好きです。生きている者どうしがつながる事に、とても関心がありま  した。  以前、ジャングルの中で携帯電話も無いのに、テレパシーで伝え合える話がありま  したが、この話で小さい頃から信じていた「生きてるものすべて、耳を澄ませば伝  え合うことができるんだ」と思っていた事は、本当だったんだ!と、すごく嬉しか  ったです。  シャチが漁師の手伝いをしていた話もすごく嬉しかったし、熊が人を襲ったからと  いって殺すなんておかしいと思う。  私は海が好きだけど、とても怖いです。綺麗な海ほど怖いと感じます。大きな力を  感じて身がすくむのです。  山だって同じです。そして自分の領域から出たら、何があっても仕方ないと思いた  い。奇麗事ばかりはいかないけど、もう少し人間に謙虚さと、本当は弱くて力の無  いことを自覚したらなーと、考えます。 -------------------------- そうなんです。 もっと言うと生きていなくてもみんな繋がっていると思うのです。 例えばこんな話があります。 ニトログリセリンという物質がありますよね。 ある時期、いろいろな物質を結晶化させることにやっきになっていた時代があって、 当時の科学者はいろんなものを結晶化させることに成功したんです。 ですが、ニトログリセリンだけは、あらゆる国のさまざまな科学者が挑戦してもダメ でした。 で、ほとんどの科学者はニトログリセリンの結晶化は諦めてしまいました。 で、ある科学者は、それでも何年も何年も諦めずに結晶化することに努力していたの です。 で、ある日。試験管の中のニトログリセリンを結晶化することに成功しました。 するとどうでしょう。他の試験管のニトロも離れた所に置いてあったビーカーの中の ニトロも棚の中に入れてあったニトロも次々結晶化していったのです。 そればかりではありません。 他の研究所のニトロも他の国のニトロもその時を境に結晶化がたやすくできるように なってしまったのです。 人間もそうなんですよ。 大がかりな実験があるんです。 騙し絵ってありますよね。ちょっと見た感じでは何が書いてあるかさっぱり解らない けれど、見方を変えると(例えば黒い色を基本にして見るみたいな)、なぁんだ。こ ういう絵だったのか。ってすぐ解るような。 その実験に使われた絵は、そういうタイプの絵で、ひどく解りにくいのです。 それを一目見て解るのが数%という人というのが実験により、最初から解っていま す。 それをある広範囲の人たちに見せて答えを教えます。 それから何千キロも離れた地域で答えを教えずにその絵を見せると一目で解るパーセ ンテージが驚異的に上がるのです。 人は、繋がっているんです。 だから同時期に同じ発明発見をしたりするのです。 これを共時性といいます。 このテーマでやまねこ通信で記事としてちゃんと語りたいのですが、どうにも 色々なことがうろ覚えで、はっきりと資料がなくて具体的なことが解らなくて 書けないのです。 だからこんなところで、こっそりと(?)書いてしまいました。(笑) ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★m(u_u)m 久々にごめんなさいコーナーです。 前回、黄砂について語ったのに対して、投稿メールを貰ったのです。 でも私のミスでなくしてしまいました……。m(u_u)m  投稿感想メールには必ず返事を書くことにしているのですが、だからその方には返事 を書いていません。 でも投稿の内容は覚えています。 「風水でいう鬼門の方角は、中国の黄砂の吹く方向だから日本では風水はあまり関係 ないかもしれませんね」という内容でした。 特命リサーチ200Xで、ちょうどそのテーマが放映されていましたね。 あの番組、CMをはさむと同じ事を繰り返すのがくどくて。あれは時間稼ぎ? それはともかく、私のミスでなくしてしまったメールを下さった方。ごめんなさい。 私は、けっこう粗忽者で慌て者で大雑把なのですが極力気を付けますので、これから も似たような事があるかもしれませんけれど、皆様方どうぞよろしく。 投稿感想メールを出したのに2〜3日しても返事がないときは「あいつ、またなくし たか?」と疑って下さい。 ★北海道開拓史に縁のない本州以南の人たちには、札幌県? 何それ? って感じで しょうね。 北海道は江戸時代には蝦夷地と呼ばれてました。明治2年、東京に開拓使が置かれ、 開拓判官に任命された松浦武四郎によって蝦夷地に替わる国名として「北海道」と 名づけられたのです。  当初、北海道は11ヶ国に分割され、86郡に区画されていました。 現在では12の支庁に分けられているんだよ。 明治15年2月、それまでの開拓使制度が廃止され、道内に函館・札幌・根室の三県 が置かれたけれど、この三県制度は不合理であるとして、明治19年1月に廃止さ れ、現在の北海道庁が置かれたのです。 三県制度はわずか4年の間だったけれど、ある時期、北海道には3つの県があったの です。 以上、簡単で大まかな北海道史の粗筋でした。 ※「開拓使」は国の機関  「開拓史」は開拓の歴史。  発音は同じだし、字面も似ているけれど、文中では使い分けています。  ややこしいけれど。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 ★みなさんの中にメールマガジンを発行している方はいませんか?  相互で宣伝しあいませんか?  連絡ください。 それじゃ、今週はここまで。 あなたのお便り待ってるよ。 daichi-m@phoenix-c.or.jp じゃね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 夜、涼みに外へ出る。 仰ぎ見ると星。星の下に私。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○週刊 やまねこ通信E=MC二乗 vol.35  2001年8月17日発行 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○発行編集者 みかりん daichi-m@phoenix-c.or.jp ○発行システム: ◆インターネットの本屋さん「まぐまぐ」ID:0000052530 http://www.mag2.com/ ◆メルマガ発行サービス「メルマガ天国」ID:3743 http://melten.com/ ○登録/解除 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○週刊やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さに はまったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。 それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━