2001/12/28━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幽玄の森羅万象の散歩道 動物行動学からの性♂♀の話・動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学 興味のおもむくまま“みかりん”の しゃべりんぐ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━目指せ1万部! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆        週刊 やまねこ通信 E=MC二乗                                vol.52 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ こんにちは。 みかりんです。 今年最後の配信のやまねこ通信です。 「ブルームーン」というのを知っている? ごくまれに月が実際に青く見えることがあるんだ。その原因としては、火山などで大 気中に放出される物質によって色合いが変化して見えることがあると言われたり、流 星や火球などで大気中に残された流星痕等に含まれる物質によって引き起こされるこ ともあるらしい。 他にも、プルキニエ効果と言う肉眼の特性によって、日没から暗くなると青い光の成 分を強く感じ、月が青く見えることが知られているんだ。 でね、月が青く見えることが極めて稀なことから、その「滅多にないこと」とい う意味としてだけで「ブルームーン」という言葉が使われることがあるんだよ。 満月は毎月1回の割合で巡ってくるけど、約3年から5年に1度、1ヶ月に2回の満月が巡 ることがある。 朔望周期は平均で29.5日。1日と30日、または2日と31日に満月となることがあって、 この月のことを「まれなこと」と言う意味を込めて二回目の満月をブルームーンと言 うんだ。 このブルームーンのお月さまを見ると、幸せになれるとも言われているんだよ。 今月30日の満月はブルームーン。是非見て。そして素敵な新年を。 新しく登録して下さった人、はじめまして。  ここに↓バックナンバーがあるよ。『内容一覧』という所をクリックしてみて。 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ━■ナマケモノの話━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ナマケモノは実に不思議な動物だ。 一生木の枝に逆さまにぶら下がり、1日のうち22〜23時間寝て過ごす。食事は一日に 4〜5枚の葉っぱ。一日の活動時間は1〜2時間。ほとんど動かないんだ。 そのわずかな活動内容は、食事、アクビ、かゆいところをかく、逆さまのままでの小 移動、週に合計10時間ほどの活動だ。 排便は一週間に一度、枝から下りてきて、いつも自分がお世話になっている木の根も とに用を足す。肥料をやってお返ししていることになる。 だから、ナマケモノは森を育てている。 あまりに動かないので筋肉がほとんどついていない。ぶら下がるには大きなツメを枝 に引っかけているだけなので負担にはならないんだ。 筋肉がついてないからエネルギーも不要で、一日7gの葉っぱを食べるだけだから体 重も軽く、細い枝先までぶら下がる事ができるという、それなりに理にかなった機能 的な体なんだ。 個体によって消化できる葉の種類が違うので、テリトリー内に仲間がいても争う必要 がなく、特定の木が減る事もなく暮している。 けれどナマケモノは泳げる。ナマケモノの住んでいるアマゾンは、大雨の度に川が溢 れるから、泳げないと生きていけないんだ。 ナマケモノは生まれつき茶色の毛が生えているけれど、毛づくろいをしない。だから 毛に緑藻が生息していて、ジャングルに混じって区別がつかない。しかもナマケモノ の毛に住むのは、苔類藻類だけではなく、多数の昆虫が住んでいる。ナマケモノ1匹 に978匹もの甲虫が住みついているのを調べた学者もいる。 ナマケモノは、ベネズエラやコロンビアの熱帯雨林の樹上生活をしている。捕食者と してはジャガーやオセロットがいるけど、ほとんどは林冠の中で静かに木からぶらさ がっているナマケモノに気づくことはない。藻類に覆われた毛がカムフラージュの役 割をし、たとえ見つかっても、あまり食べないナマケモノは細い枝先にもぶら下がる ことができるので捕食者も近寄れない。 徹底した省エネ、非暴力無抵抗主義、平和主義者、エコロジー。それがナマケモノ。 ナマケモノは戦わない。すべてを受け入れる。 ナマケモノは森。体の中と外にあらゆる生き物が寄生している動く森。 一週間に一度糞を垂れるために降りてくる。 まるで樹に感謝するように、樹の根もとに危険を侵して降りてくる。 空を眺め ただまどろむナマケモノ。 空を見上げる彼らの目にこの世界はどう見えるのか。 ジャングルの中のセクロピアの樹の上の哲学者。 ━●みかりんの叫び━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「世界は何故あるのだろう」 「どうして地球があるのだろう」ふと、そう思った。 そりゃね、知識としては、ビッグバンがあって、銀河系のはじっこに位置し、太陽系 の第三惑星で……っていうことは知っているけど。 「でも、どうして地球があって、その上に私が存在しているんだろう」 地球についての科学は、知識として色々知ってはいる。丸いということ。水っぽい星 であるということ。陸地と海洋では圧倒的に海洋が多く、海流や気流が絶えず循環 し、多くの動植物が絡み合って関係しながらそれぞれの土地に適応し暮らしている星 であること。 大昔から姿を変えながら連綿と繋がっている命が、現在の地球のあらゆる生物であ り、人間もそのひとつであるということ。 でもね、そう説明されてそれを信じているだけなんだよね。 「どうしてこの世界は存在するんだろうか」 そう思っていたら、ヴィトゲンシュタインというオーストラリアの哲学者の言葉に出 逢った。  世界がどうあるか、が不思議なのではない。  世界がある、ということが不思議なのだ。 地球は舞台だ。私が立つ事ができる活躍する事ができる舞台だ。 この舞台に生まれてきて私は何を考え何を感じ、どう生きるのだろう。 この舞台には、人間などあずかり知らぬ微生物もたくさんいる。“私”の存在と未知 の微生物は同じ時代の同じ舞台にいるにも関わらず、お互いに存在を知ることもな い。 これはどういう事だろう。 ありとあらゆる小道具が用意されている。でも私が小道具なのかもしれない。 いくら考えても「世界がある」という不思議は依然謎だ。 たとえば私中心に考えて「地球があるのはね、私がやるべきことを、やるためにある んだよ」と考えたとする。 でも私が死んでしまっても地球はまだあるんだ。(たぶんね) そして思うのは、私がやるべき事をする舞台としての地球だというのなら、どうして 世界はこんなに美しいのだろう。 どうして微細に渡り巧妙に関連しあって、しかもそれがこんなにも美しいのだろう。 世界があるというこの不思議。       ━▲やまねこ投書箱━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ まずは、vol.50の「リョコウバトの話」を読んでの投稿メールです。 --------------------- [ryo]  自然保護に対する人間の「心の持ち方」って、難しいですよね。  例えば鯨はヒトと同じ哺乳類だから殺しちゃかわいそうだという。じゃあ、牛はい  いのか。と、さすがに私もつっこみたくなる。  でも、例えば諫早湾の水門閉鎖には心から怒りを感じる。  日本が世界に誇れる有明海の干潟の、微妙で独特な生態系がめちゃくちゃになるこ  とが判っていながら、政府はカネのことしか頭にない。  リョコウバトではないけれど、ムツゴロウ(魚のほうの)の苦しみなんて、ちっぽ  けなものとして一蹴される。  いにしえ、人間と自然の間には「畏怖」があった。  人は自然を恐れ、森や川や動物や植物を神として敬っていた。尊敬していた。  「ちっぽけな」魚だって立派な神様だった。  畏怖の感情が失われた今、ヒトは自然に対して、どういう気持ちで向きあうべき  か、戸惑わざるを得ない。  かつて南方熊楠は、政府が神社を次々と取り潰し(合祀させ)、神森を伐採するこ  とに猛然と反対した。  神の森がこの国の生態系を守っているのだと訴えた…  今も希少種の魚が棲む私の近所の川では、必要とも思えない護岸工事が行われ、産  卵場所だった葦の繁みを掘り返し、コンクリートで塗り固めようとしています。  広大な葦の繁みを有していた名にしおう葦原の中つ国は、神々は、どうなるのだろ  う。どこへ行けばいいのだろうと思ってしまいます。 --------------------- どこかで書いたかもしれないけれど「可愛い」とか「賢い」などが理由でクジラを 獲ったらダメというのなら、可愛くなくて賢くない生き物は、獲ってもいいのかと言 いたくなる。 諫早湾のギロチンは、ニュースで見ていてつらかった。 干潟に住む多くの生物。その生物をあてにしている多くの鳥たち。 近視眼的な利益追求のやり方の先にあるものの予想など、過去の例に頼らなくても今 では誰でも判りそうなモノなのに。 私の住んでいるすぐそばに小さな川があります。 氾濫などの怖れのまったくない小さな小さな川です。 川の両岸には木々が生い茂り、木陰にウグイがたくさんいました。そのウグイを目当 てにカモが来ます。夏にはホタルが飛び交っていました。 10年程前の事。そこに護岸をするというのです。町内の人たちには説明会が何度も 何度も行われました。 業者が言うには「ホタルがいなくなる事のない画期的な護岸」というのです。 反対署名もないがしろにされ、護岸されてしまいました。 もちろん川にはホタルはいなくなりましたし、木陰のなくなった川にはウグイも見か けなくなりました。 その後、その事についての説明はありません。 近代、自然への畏怖が失われた大きな原因のひとつに、電灯が普及して完全な闇が身 近な所になくなってしまった事があるのでは、と私は考えています。 その事については、vol.36のみかりんの叫び「なくなった闇」というタイトルで語っ てみました。 次の投書は、vol.50の つるべさんの投書の下記の部分↓についての感想投稿です。  ついでに「人口爆発」と「出産率低下」がジレンマ、なんて言ってる限り絶対、  人口問題は解決しないでしょうね。  これからの人口増加も勿論凄い問題ですが、今現在でも人間は充分(十二分)に  多いです。  「隣組」で籤引きをして、5家族に1人の子供とか、子供がいる家は、一切年金等  支給しないとか、ならないもんでしょうか。  過激ですか? じゃあ、お年寄りを殺しますか?それとも戦争? --------------------- [Cage]  単純に人間の数を減らすことも重要ですが、問題はそこではないのです。  人間は「増え続ける」ことを前提に、繁栄と共存のシステムを作ってきたのです。  個人レベルの幸福から、一族、民族、国家といったの全ての社会の繁栄まで。  ここでその前提を覆すのは、これまでのシステムが破綻することを意味します。  例えば数年前に中国に行ったのですが、ご存じの通り中国は一人っ子政策を実施し  ています。その結果、人口増加にブレーキがかかりましたが、今後の老人問題を  中心とする福祉の問題、子供の教育の問題も大きくなってきています。  中国では「1人の子供に6人の親がいる」と言うことがいわれています。  1人の子供にその両親、父方の祖父母、母方の祖父母がの6人がネコかわいがりす  るので、とてつもなく協調性のない人間になる問題が生じているそうです。  人口問題は人間の数をどうこうするという単純な問題ではなく、どこかの国の指導  者ではありませんが、現在の「構造」を「改革する」必要があるのです。  ついでに言えば、すでにその国の人口の増加は停滞していますよね。  「構造改革」は政治や経済の問題ではなく、「人間の問題」のなのですね。 --------------------- これまでの「増え続けること」とはまったく別の価値観を新しく構築しないといけな い所にきています。しかもそれは緊急を要します。 他にも、このままではいけないものに「豊かさ」のはき違え、「拝金主義」がありま す。 次の投書は、vol.51の投書のコーナーで「音痴」の人は音をどう聞いているのか。と いう話題から、ふたりの方が「我は音痴なり」とカミングアウトしてくれた投書を 続けて2通。 --------------------- [口先天風]  実は私もかなりの音痴でして。  随分と前に・・・もう15年程だったかね。  カラオケで歌ったら、最初から外れて入ってしまい、そのまま外れたままで唄いつ  づけ、終わったら みんな腹を抱えて笑い転げ、そのスナックで「あなたの歌は  面白い」と見知らぬ人から「おひねり」が廻ってきて、結局総額で5000円くらい  もらった経験がある。  それ以後、人前で歌うのは止めた…  で、音痴。  鈴木慎一氏の書籍にて、「もともとは音痴は居なくて、音痴になる。音楽を聴き続  ける事で音痴になるらしく、その人が聴きつづけた時間以上に正しい曲を聴くと治  る。」てなくだりがありました。  この連続で、「分かって」くるのかもしれませんね。  因みに、私は現在ピアノを習っているのでソコソコ音痴からは脱出したと自負して  いますが、カラオケは歌ってません。 --------------------- [やまねこ]    ところで私は無類の音痴です。音楽鑑賞は大好きですが,英語の高低差などが  さっぱりわかりません。  でも音痴というのは訓練で必ず直るそうで,そのための教室もあるし,独習用テー  プもあるそうです。その方たちの言うのにはほとんどの場合,耳に入る音は正確に  入ってきていますが,出る音が出なかったり,わからなかったりするのだそうで,  しかもほとんどは正確な音程が出せないそうなのです。  もっとも音声は聞く声は耳から入り,自分で発生する音は体の骨などを伝って伝わ  る場合がほとんだそうです。  だから,録音した自分の声と普段話している声は違って聞こえるとか。 --------------------- 以上、2通続けて、音痴を自負されている方々のお話でした。 次は、赤緑色盲の遺伝子を持っている方の投書です。 --------------------- [やすべぇ]  今回こうしてメールを始めて送らせてもらったのは、Vol.51で色覚がテーマにされ  ていたからです。  僕には子供の頃からの苦悩で、赤緑色盲という先天性の遺伝子を持っています。  今現在も何の理由があってこの遺伝子が存在しているのかがわかりません。  色覚検査の小さな色つきの丸がたくさん集まって数字が見える物があったと思いま  すが、全くではないのですが読み取れないものが多かったです。  そのときからずっと思っていたことですが、色というのは人によって見え方が違う  ものではないかということでした。それがVol.52に書かれていたことだと思いまし  た。  例えば青という色は人によっては黄色だったり、緑だったり見え方が違っていて周  囲の人やクレヨンや絵の具に書いてある青という字によって初めて認識されている  のではと。自分にとっての青が他人の青とは実は違う色の可能性は高いですよね。  でも明らかにこの色盲という遺伝子はそのことの一部を肯定してしまっているよう  な気がしてなりません。小中学校の頃、写生会があった時に友達と同じ物を書いて  いて、絵の具を入れると全く違った絵が出来上がります。センス的なものでも、  個性的なものでもない明らかな色彩の違いに馬鹿にされて絵を書くことが大好きだ  ったはずの僕がいつからか嫌いになり美術の授業の8割はサボる結果になっていま  した。  免許を取るにも苦労をしたし、電気関係の就職を希望していたのですが配線の色が  わからないだろうということで、試験も面接も受けられないことがほとんどでし  た。  卒業証明書に記載されるので試験面接が終わったあとで内定取り消しもあたりまえ  でした。  この遺伝子は何を伝える為に存在しているんでしょうね? --------------------- 私もその点々が集まった色覚検査というものをした記憶があります。 中学生の頃だと思います。その時、赤緑色盲という言葉を初めて知ったような気がし ます。 え? この柄が私が見えるようには見えない人がいるの? それじゃぁ、いったいど ういうフウに見えるの? とてもとても不思議な思いをしました。 私は子どもの頃から近眼でした。近眼ではない友人に「ぼやけて見えないってどうい うこと?」と聞かれどのように説明したものかと思案したことを思い出しました。 カメムシの臭いが判らないという友人がいます。 「なんでカメムシにそんなに騒ぐの? テントウムシみたいなもんじゃない?」 げっ!あんなに臭いのに! ひとは、私が見えているようには見えていない。私が聞こえているようには聞こえて いない。私が嗅いだようにはにおいを感じていない。 ちょっと足元が揺らぐ感覚です。 vol.47で、犬の可聴域はヒトとは違うという話をしました。 チョウの可視光線はヒトの見えない紫外線も見える話もしました。 ヒト個人個人も、ヒトによってまったく同じではなく、微妙に違うのかもしれませ ん。 それはヒトがそれぞれ持っている個性なのかもしれません。 カメムシの臭いがわからない友人は、一家揃ってカメムシに無頓着です。 カメムシの臭いを認識する遺伝子欠損としか言いようがありません。たぶんこれも ヒトの個性の範疇なんだと思います。 次の投書は、先程の口先天風さんがVol.51で話題になった「唯自論」について補足し てくれました。 --------------------- [口先天風]  この考え方は自我・無我があるのか、ないのかについて  一昔前から仏教にて激論を交わしながら結局結論が出ていない  部分ですね。  我はなく、我が無いからと言って「無我」は存在するものでなく  軽薄な坊さんなどが口にする「無我になれば悟るのだょ。」ってな  ロジックもほとんど意味がないとの同じ話ですよね。  一歩間違うと、迷路に入ってしまう。  実は自分の存在もかなり怪しいのでしょうが。  私の体は地球上の炭素、窒素、タンパク質等々から絶妙な配合  で出来ていて、全ては地球上の原子から作られていて自分の  所有している物ではなく、自分が自分の物だと思い込んでいることが  唯一の証しなる。  心・魂についても、結果としては地球からの借物のように思えるのだか。  きっと死んでしまえば体が地球に戻るのと同じに、心も地球に帰る  ようにも思えるのだが・・・・よう分かりません。  だから自分って、けっこう考えて行くと存在は怪しくなるとは思うけど。 ━●編集後記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★怠けるのは悪いこと、働くのが良いこと、という概念は人間が社会の中で作りあげ たものにすぎません。 勤勉な動物達が忙しく争っている間、ナマケモノは、高い樹上で昼寝しながら独自の 方向の進化をしてきました。 このような動物がまだこの21世紀の地球にいることにとても深い意味を感じます。 ★次のブルームーンは2年8ヶ月後。 今月30日のブルームーンは、とても素敵な「おまけ」付きです。 満月の真下に大接近している宝石のような「木星」を従えているんだよ。 しかもしかも! その木星は月の下を、振り子のように、右に行ったり左に行ったり来たりするってい うんだ。ひと振りに三時間ほどかかるけどね。滅多に出会えない不思議な光景。 ★いつもどこかに誤字脱字変換ミス編集ミスがある「やまねこ通信 E=MC二 乗」。 配信前は慎重にチェックしているんだけれど、いつも配信直後にすぐ気付く。 で、いつもは、こっそり治してHP版にはUPしているんです。 前号の間違いはちょっと可笑しかったのでここで後悔…いや公開です。えへへ。 >・ランの花びらそっくりの愛と胴体を持ったハナカマキリ。 「ランの花びらそっくりの『愛』を持ったカマキリ」ってなんだ?(笑) これは「愛」ではなく「足」の間違いです。「asi」と打つべき所を「ai」と打って しまっているんですね。たぶん「s」の打ち方が弱かったんだと思われる事故です。 それにしてもなんて優雅な間違いなんだ。(うっとり) ★今週もまた異常に長く濃いメルマガになってしまった。ちょっとだけ反省。 ★「やまねこ通信E=MC二乗」では、あなたからの投書を受け付けています。  動物・植物・環境・宇宙・時間・哲学このメルマガの趣旨に合うような投書を  気軽にメールに書いてね。  過去に取り上げた記事からの話題も歓迎しています。 ★メルマガ相互宣伝です!  バックナンバーを読んでみて、気に入ったら購読すると良いよ。 今号のやまねこ投書箱で投稿してくれたryoさんのメルマガです!↓ ----------------------------------------------------------------------- ■江戸時代の怪談■ 江戸時代に出版された怪談本から、短い話を読みやすく翻訳してご紹介します。 お茶うけにひとつ、いかがでしょう? http://ryo.msfactory.net/mag/kwaidan.html まぐまぐ ID: 0000065035 ----------------------------------------------------------------------- それじゃ、今週はここまで。 あなたのお便り待ってるよ。 daichi-m@phoenix-c.or.jp じゃね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「引く」と表示されてるドアを押す。開く時と、開かない時がある。 それで開くとうれしい。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○週刊 やまねこ通信E=MC二乗 vol.52  2001年12月28日発行 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○発行編集者 みかりん daichi-m@phoenix-c.or.jp ○発行システム: ◆インターネットの本屋さん「まぐまぐ」ID:0000052530 http://www.mag2.com/ ◆メルマガ発行サービス「メルマガ天国」ID:3743 http://melten.com/ ○登録/解除 http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/yamaneko.htm ○週刊やまねこ通信は、素人みかりんが趣味で発行しているもので、情報の正確さに はまったく自信がありません。引用して弊害が起きても責任は持てないよ。 それから誤字脱字変換ミスは大目に見てね。気を付けるけれどさ。えへ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━