留菜 一

 つまらない。

 留菜は、制服のポケットから熊のマスコットを取り出して、手の中で弄ぶ。タオル地でできた黄色い小さな熊を、留菜はちっともかわいいとは思わない。

「ブース」

 留菜は黄色い熊を思いきりグレーのカーペットの上にたたきつけて、めちゃくちゃに踏みつけた。

 黄色い熊は、今朝まで浩子のものだった。浩子の鞄にぶら下がっていた黄色い熊を留菜はいつものように盗ってきたのだ。

 留菜には盗癖がある。邪悪な力を持て余して、留菜はいつもいらいらしていた。今ではもう、誰かのものを盗んだところで気が晴れることはない。けれど、だからといって盗みを止められるわけでもない。

 ふっと鼻から息を漏らして、留菜は熊を拾い上げる。

 あんなにめちゃくちゃに踏みつけたのに熊はちょっとくたびれただけで、首がもげたりはしなかった。浩子にそっくり、口に出して言ってから、留菜はフフンと笑った。それから留菜は自分の鞄に黄色い熊をぶら下げてみる。熊はすました顔でぶら下がる。

「嫌がったらおもしろいのに。」

 留菜は浩子のものを自分のものにするのが好きだ。当然の顔で浩子のものを盗んできて、浩子のものだったバレッタで髪を止め、浩子が履いていた靴を履いて留菜は、学校に通う。けれど、浩子は決して自分のものだったものを留菜に返してとは言わない。一言言えば返すのに、浩子は何も言わないので、留菜は時々腹が立つ。

 留菜は荒々しく春のコートを脱ぎ捨てた。その時、電話のベルが鳴った。留菜は下ろしかけたスカートのファスナーをまた上げて、五回目のコールで受話器をはずす。

「はい、小林です。」

「もしもし、武川ですけど、留菜?」

 受話器からは浩子の声が流れてきた。なんとなくうんざりして留菜の口からは不機嫌な声が出る。

「浩子、何?」

「ごめん、私、留菜の古典の教科書間違って持って来ちゃたんだけど。」

「あぁ、使わないからいいよ。」

 留菜はそれだけ言って、もう受話器を置いてしまいたかったのだけれど、浩子はかまわず喋り続けた。浩子のくだらない話に頷きながら、留菜は浩子が何度も呼ぶ自分の名前が耳についてしかたなかった。浩子の高くて細い声で呼ばれる自分の名が、留菜の神経をチクチクと逆なでる。

「ごめん、ちょっと用があるの。」

 そんな言い訳をして留菜は、話の途中で受話器を置いた。

 私の親はどういうつもりで私に留菜なんて名前を付けたのだろう。

 乱暴に制服を脱ぎ捨てて、留菜はジーンズとトレーナーを身に付ける。

 ルナというのはローマ神話の月の女神の名。その美しさで、見た者を狂わせるとされていた月の女神の名。そんな名を付けられた娘がまともに育つ筈がない。自分がこんなに力を持て余して邪悪な行動へと駆り立てられるのは、この名を語ることに対しての咎だ、と留菜は思っていた。

 クラス名簿にさらりと眼を走らせて、留菜は山口の電話番号を押した。呼び出し音が何度か鳴って、山口の母親らしい人の声が流れてきた。

「あの、私、弘君のクラスメートの小林と申しますが、弘君いらしゃるでしょうか?」

 留菜の予想通り、山口は部活でまだ帰らない、と答えが返ってきた。留菜は今日、山口の机の中から盗んできた化学のノートをぱらぱらとめくりながら言葉を返す。

「私、今日、間違えて山口君の化学のノートを持って来てしまったんですが、明日、化学の小テストもありますし、お返ししたいんですが。」

 あら、わざわざすいませんね、と、受話器の向こうから間抜けな声が返ってくる。

 留菜は山口とまともに喋ったことがない。山口は背が高くて、バスケ部で、一週間前に前田理央子の彼氏になった同級生。留菜が知っている山口の事といったら、それくらいのものだ。でも、それで十分だ。山口の事など、留菜はちっとも知りたくない。山口がどんな人間だろうと関係ない。理央子の彼氏という事実だけで、留菜は山口に自分を好きになってもらうことに決めたのだ。いや、好きになってもらう必要もない。山口が理央子を裏切ってくれるだけで、留菜は満足できるのだ。

 理央子は割とかわいくて、明るくて、友達がたくさんいるような同級生。別に留菜は理央子が特別嫌いなわけでも好きなわけでもなく、そういう人間が泣いたりしたら面白いだろうな、と思う。ただそれだけだ。

 山口の住所を聞き出して、留菜はとびきりの猫なで声で、じゃあ、これからお届けしますね、と言う。

 受話器を置いてしまってから、留菜は、今、電話をしていた女は誰だろうと思う。誰かを不幸にさせようと周到な罠を張り巡らすあの女は、一体誰だろう。

 ー小林留菜だよ、判ってるだろ。

 間髪を入れずに返ってくる答え。

 判ってる。小林留菜はひどい女だ。

 間断無く繰り返す頭の中の声を留菜は声に出してみる。

「ひどい女」

 留菜はクッと身体の空気を抜くように笑って、ひどい女になるために玄関のドアをあけた。

 
   浩子一 

 朝、浩子が学校に行くと、まず眼に飛び込んできたのは親しげに言葉を交わす山口と留菜の姿だった。浩子は嫌な予感がして、二人の姿から眼が離せない。山口が留菜から離れると、浩子は留菜の古典の教科書を持って、留菜の側による。

「おはよう。これ、ごめんね。」

 差し出した教科書を留菜はあぁ、と受け取る。

「山口君、どうしたの?」

「別にどうもしないわ。」

 浩子の問いに答える留菜の顔には表情がない。留菜がそんな表情をする時は、決まって誰かを傷付けようとしていることを浩子は知っている。知っているけれど浩子は何も言わずに窓の外を眺める。土埃が雨の形に張り付いた窓ガラスの向こうに青い空が見える。なんとなく『青春』なんていう言葉が脳裏に浮かんで、浩子は口の端をニュッと上げた。

「今日の体育、陸上だね。」

 留菜が浩子と同じ方向にちらと視線を投げる。

「雨が降ればいいのに」

 そう言って留菜は、机に載っていた鞄を机の横にかける。なんとはなしに留菜の動作を眼に映していた浩子は、留菜の鞄に黄色い熊がぶら下がっているのに気が付いた。けれど浩子は何も言わない。その熊が昨日までは自分のものだった事も忘れてしまったように、浩子は何も言わない。

 浩子には失いたくないものが皆無に等しい。だから、留菜のものになってしまったものを今更取り戻そうとは思わない。浩子から留菜へ奪われていったものは、留菜の方がふさわしいからこそ自然に留菜のものになった。ただそれだけのことだ。

 ふと、頬に当てた自分の指の冷たさに浩子は気付く。なんとなく嘘を咎められている子供のような気分になって、浩子は指先に息を吹きかけた。

    留菜二

 留菜は浩子の背中を眺めていた。浩子の席は一番前の列、教卓の右斜め前。黒板が一番よく見える優等生の浩子に似合いの席だ。

 新任の英語教師のちっとも要領を得ない授業に、浩子は真面目に取り組んでいる。

 留菜は浩子の背中に小さくちぎった消しゴムをいくつもいくつも投げつけてやりたい衝動にかられた。そうすれば浩子は、背中をいつもより緊張させて、けれど振り向く事すらしないだろう。浩子はそういう種類の人間だ。 留菜は消しゴムの角を指でちぎって、そのまま床にはじき飛ばした。

『どんなことも彼の考えを変えることが出来なかった。』

 はっきりとしたよく通る声で、誰かが教科書の英文を訳している。時々教師に、もっと判りやすい日本語で、などと注意を受けながら、それでもその声は淀みなく難解な日本語を作り出していく。

”Nathing could move Luna to change her maind.“

 留菜はそんな英文をノートに書き付けて、小声で呟いた。

「どんなことも留菜の考えを変えさせることが出来なかった。」

 なんて自分にふさわしい一文だろうと留菜は思う。自分自身でさえ変えることの出来ない留菜の考え、留菜の心。そんなものを留菜は自分が持っていることを知っている。

 そして留菜は、いつか浩子のことを容赦なく、とても友達らしく傷付ける日が来ることを確信する。その時浩子は、どんな顔をするだろう。一筋の緊張の走った泣き出すのか怒り出すのか笑い出すのか判らない曖昧で滑稽な顔。きっとそんな顔を浩子はする。

 留菜はもう一度浩子の背中を見る。相変わらず浩子は真面目に授業を受けている。

 浩子の向こう側に見える黒板にいつの間にか英文が書き付けられているのに気が付いて、留菜はそれを自分のノートに書き写す。しかし、書き写し始めたその矢先にシャープペンシルの芯がぽきりと折れてしまって、留菜の手は止まった。手からぽとりとシャープペンシルを離して外を見ると、やっとほころびかけた桜の木が風にわさわさ揺れていて、留菜は一つ溜息をこぼした。留菜のこぼしたその溜息は、獰猛にあたりの空気を蹴散らした。

 
   浩子二

 留菜の弁当箱は、一般的女子高生のそれより一回り大きい。一般的女子高生は笑ってしまうほど小さい弁当箱で、ままごとみたいな昼食をとる。浩子もその例に漏れず、小さい弁当箱に毎日、ご飯や唐揚げを詰めて、学校に来る。けれど留菜は違った。浩子の弁当箱の一・五倍はありそうな弁当箱におかずやご飯を詰めてきて、しっかりとした昼食をとる。 そんな風な留菜を浩子はかっこいいと思う。周りの流行とか風潮とか、そんな事に少しも流されずに、とても自然に留菜は生きていた。そんな風にあっさりと揺るぎなく生きてしまえる留菜が浩子は羨ましかった。

 大抵の同級生から、浩子は『武川さん』と呼ばれている。自分が望んでいるわけでもないのに、浩子は誰も彼もから優等生扱いをされている。それは自分が粗末に扱われているというわけではないのだけれど、なんとなく浩子は誰とも対等ではないと、誰も彼もから遠回しに言われている様な気がして、そんな自分が持っているクラスでの立場みたいなものが嫌いだった。

 けれど留菜は浩子のことを『浩子』と呼び、いつも対等に浩子を扱う。だから自分は留菜と友達であることを止められないのかもしれない、と浩子は思う。

 時々留菜は、浩子に対して悪意に満ちた態度をとる。浩子のことが大嫌いだと、全身全霊で浩子に訴える。その度に浩子は留菜との友情はもう終わりだ、と思う。けれどすぐに留菜は、浩子に対する悪意なんて、これっぽっちも持っていないという態度をとるので、浩子と留菜はまだ友達だった。それに、浩子は留菜が好きだった。留菜は生きているだけで痛々しくて、浩子は留菜から離れられない。「ねぇ、止めたら、山口君。」

 浩子は甘ったるい卵焼きを口に運びながら、なんでもないことのように言った。留菜は判っているのに判らない振りで、何が、と浩子に問い返す。

「人の彼氏をとったりするのって、良くないでしょ、やっぱり」

 浩子は留菜にしか聞こえないぐらいの小さな声で早口に言った。教室内のさざめきは浩子がその一言を発する前も後も変わることがなく、浩子はその一言を誰にも聞かれなかったことに安心する。

 留菜はアスパラガスを咀嚼しながら、病気なのよ、と、するりと言って、ニコリと笑った。瞬間、浩子はどきりとして、留菜から眼を逸らす。逸らした視線の先に、誰かの話に笑っている磐田の姿があって、浩子は慌てて視線を戻し、ご飯を口いっぱいに頬張った。 浩子の磐田に対する気持ちは、留菜に気取られる前に押し殺してしまわなければならないものだった。

 
   留菜三

 五月にしては強すぎる日差しが、留菜の身体を射抜くように降ってくる。留菜は熱い息を吐きながら、トラックを駆けてくる浩子を見ている。やがて浩子は三着でゴールし、留菜が座っている芝生の方へ真っ直ぐに歩いてくる。留菜は抱き抱えている自分の膝頭に、ぴたりと額を押し当てた。すると辺りは薄赤く、肉体が陽に透ける色に染まり、ドクドクと血液の流れる音がした。

 ドサリと浩子が留菜の隣に腰を下ろす気配がし、それと共に浩子の身体で温められた空気が留菜の方へ流れてきた。

「留菜、大丈夫?」

 浩子は八百メートルを走り終えたばかりだというのにちっとも息の切れていない声で言い、留菜の背中を軽くさすった。留菜は、大丈夫だ、というように身体を揺らす。けれど留菜の呼吸は乱れたままだ。留菜は自分の肉体を忌々しく思う。たった八百メートルを走っただけで、しかも誰よりも遅くゴールに辿り着くことしか出来なかったというのに、こんなにも苦しがる肉体。これも何かの咎だろうか、と留菜は思う。

 留菜は顔を上げ、火照った指で前髪を掻き上げた。自分にはもっと大きな罰が当たらなければならない。留菜は熱い息を吐きながら、空を見上げた。

 涼しい風が留菜の身体を包むように吹いていったが、留菜の身体は熱く火照ったままだった。

 
   留菜四

 馬鹿みたいなカップル。

 留菜はハンバーガーを頬張りながら、そんな事を思った。

 向かいの喫茶店から山口と前田は出てきて、二軒隣の映画館へ入った。今上映されているのは、胸焼けしそうに甘い恋愛映画。

 ファッションやスタイルで恋愛しているカップルの典型みたい。

 浩子のポテトを留菜は一本口に放り込む。「ねぇ、今の山口君と前田さんでしょ。」

 浩子はおずおずとそんな事を言う。おずおずというのはどういう状態か、その見本を浩子に示されているような感じに、留菜はまた少し苛つく。

「ねぇ、止めたら、こんな事。」

「こんな事って、どんな事?」

「・・・別に、何でもない。」

 浩子は微妙な顔をしてコーラを啜った。留菜はなんとなく遠くに視線を投げる。視線の先では制服を着た人達が、一様に口をもぐもぐさせて、何かを咀嚼している。

 浩子がはっきり言ってくれたら、私はこんな日々から足を洗えるのかもしれない。

 留菜はそんな事を思う。思った先から、そんなの無理よ、と自分で留菜は否定する。

 そんな事で変われるぐらいなら、とっくにこんなくだらない女とはおさらばしてるわ。「ねぇ、ラーメン食べに行かない。」

 理央子は絶対に山口とラーメン屋に入ったりしないだろう。そんな風に思って、当てつけのように留菜は言った。

「まだ、食べ足りないよね。」

 浩子はお愛想みたいに笑って、立ち上がった。

 
   浩子三

「武川さん、バスター・キートン好きなの?」 声の方を見上げると磐田と眼があって、浩子は、え、うん、と早口に返事をした。

「渋いのが好きなんだね。」

 磐田は棚に並べてあるキートンのビデオを一本手に取ってパッケージに書かれている文字を眼で追いだす。

「磐田君、キートン知ってるの?」

「見たことない。面白い?」

 磐田と一瞬視線が合い、浩子は慌ててビデオの並んだ棚に視線を戻して言う。

「ドリフのギャグみたいだけど、全然笑えないよ。」

「なんだそれ。」

 磐田の笑いの交じった声に、浩子はひどい早口で答える。

「でも笑えないけど、バスター・キートンが凄くいいの。」

「かっこいいの?」

「ううん、背が低くて、困った犬みたいな顔してる。」

 磐田は声を出してちょっと笑って、武川さんって、面白いね、と言った。それから手にしていたキートンのビデオを棚に戻さず小脇に抱えて、じゃあ明日学校でね、とカウンターの方へ歩いていく。

 浩子はしらじらと明るいレンタルビデオ店の中で、磐田は悲しくなるだろうか、と思う。浩子がいつもキートンの映画を見てぼんやりと悲しくなるように、磐田もキートンを見て悲しくなるのだろうか。

「悲しくならなければいいな。」

 白黒のキートンの顔を眺めながら、浩子は小さな声で呟いた。

 
   留菜五

 留菜は待っていた。山口が留菜の前に現れるのを待っていた。

 制服のスカートからはみ出した留菜の膝小僧を春の風がなでていく。どうして制服がこんなに無防備であり得るのだろう、と留菜は投げ出した自分の脚を見やりながら思う。

 留菜は公園のベンチに腰掛けている。夕暮れの迫る公園には、もう子供の姿もない。たった今、山口の家に電話をかけるのに使った電話ボックスのある方向では、落ちかけの太陽が赤くなっている。

 人影が留菜の前に立った。

 留菜は真っ直ぐに山口の眼を見た。

「用って、何?」

 立ったまま留菜を見下ろして、山口は言った。

 立ち上がらずに座ったまま山口を見上げて留菜は言う。

「山口君のこと好きだって言おうと思って。」 山口は視線を留菜からするりとはずす。留菜は山口を真っ直ぐに見つめ続ける。

「前田のこと、知ってるだろ。」

「知ってる。」

 山口は黙ったまま俯いている。

 迷惑だとか、なんだとか、はっきりと言ったらいいのに、と、留菜はいらいらする。

 たぶん山口は考えている。留菜を振ってしまうのはもったいないって。理央子とも留菜とも上手くやりたいと、山口は思っている。誰とでも寝る女だと留菜のことを思っている男は、大抵そう考える。

 留菜はいきなりベンチの上に立ち上がり、山口の唇と自分の唇を素早く合わせる。クスリと悪戯に笑って留菜は、ベンチから飛び降りる。制服のスカートが、無防備に翻る。

「じゃあね。」

 留菜は一度も振り返らずに歩いていく。途中で一度も入ったことのないコンビニに入り、消しゴムを一個、金を払わずに店から持ち出す。

「ふざけんなよ、バーカ」

 留菜は道の途中で立ち止まり、コンビニのあった方に向かって盗んできた消しゴムを放り投げた。

 
   浩子四

「ねぇ、浩子の好きな人は誰なの?」

 留菜はポテトチップスを口に運びながら、唐突に言った。

 数学の問題を解く手を止めて、いないよ、と浩子は言う。ふうん、と、留菜は納得しているのかいないのか判らない返事をする。

「留菜は?」

「さぁ、いないんじゃない。」

 ふうん、と浩子も気のない返事をする。訊いても仕方のないことがあることを浩子は知っているので、それ以上は何も訊かない。

「ねぇ、この問題はどうやって解くの?」

 浩子の指した問題を留菜はサラサラと解いていく。留菜はちっとも勉強していない風なのに、数学の成績は浩子よりも良かった。いつか、そのことを留菜に言ったら『浩子は文系の頭なのよ。数学はパズルみたいで面白いなんて、浩子は思わないでしょ。』と、留菜は言った。

 できたよ、と渡されたノートには留菜の書いた数字とアルファベットが並んでいる。ちょと尖った癖のある字。

「ねぇ、私達、なんでこんなことしてるんだろうね。」

 鉛筆をくるりと器用に指先で廻して、気の抜けた顔をして留菜は言った。

 テストがあるからでしょ、と浩子は当たり前に答える。当たり前にそんな事を思っているわけではないけれど、浩子は当たり前に答える。

 口元だけで少し笑って、留菜は言う。

「浩子の夢って何なの?」

 顔を上げて留菜を見て、浩子は答える。

「無いよ。留菜の夢は?」

「うーん、世界征服。」

 そう言って笑った留菜の顔を浩子は綺麗だと思った。そう思うことで留菜の心はざわめいた。

 
   留菜六

 浩子は時々磐田を見る。眩しそうに見る。留菜には気付かれないように、それでも耐えきれずに浩子は磐田を盗み見る。

 誰が誰を好きかなんて、見分けるのは簡単。別に判りたいわけでもないのに判ってしまう。 留菜はもう随分前から、磐田に対する浩子の気持ちに気付いている。

『浩子は、磐田に触りたいの?』

 何度も飲み込んでいるその問いを投げつけたら、浩子はどんな顔をするだろう。びっくりして、それでも笑おうとした顔で浩子は、そんなことないよ、と、答えるだろう。

 留菜はいつか浩子に磐田に触りたかったんでしょう、と、言ってやりたい。あの髪や肌に触りたかったんでしょう、と、留菜が磐田に触ってしまってから言ってやりたい。それでも浩子はやっぱり笑おうとするだろうか、曖昧な顔で。

 小林にだって、という声と一緒に留菜の机の上に小さく折り畳まれたノートの切れ端が置かれた。留菜は片手でそれを開いて文字を

追う。

放課後、化学室で。 前田
 

「くだんない。」

 留菜は頬杖をついて、前を見る。視界の端に理央子の姿がひっかかたので、留菜はそちらへ顔を向ける。すると真っ直ぐに留菜と理央子の視線がぶつかった。少しの間、互いの姿を認め合った後、留菜の口元は勝手にほころんだ。にやりという感じで、留菜は理央子に笑ってみせてから、前を向く。

 留菜と理央子になんかお構いなしに、世界史の教師はナポレオンについて淀みなく喋り続け、生徒は皆、前を向いて話に耳を傾けている。留菜も口元をほころばせたまま、ナポレオンの話に耳を傾けている振りを始めた。

 
   浩子四

「武川さんって、どうして留菜と友達なの?」 浩子は箒を動かしていた手を止めて、顔を上げる。その問いを発した人物が理央子であることを確かめてから、浩子は答える。

「どうしてって、言われても。」

 理央子は浩子を見ている。浩子は口ごもって下を向く。舞い上がった埃が陽にキラキラと光っている。

「答えられない、か。」

 理央子は箒を動かしながら、すっと浩子から離れていく。

「どうしてって、友達だからなんだけど。」 浩子の口から出たのは必死な声だった。自分が凄く必死な顔をしていると、浩子は思った。

 理央子はびっくりした顔をして、それから、そうよね、当たり前だよね、と言った。ごめんね、変なこと言って、とも理央子は言った。 浩子はただ黙って首を振るしか出来なかった。

 どうして、私は、と、浩子は思う。

 どうして、私は。

 ぼんやりと浩子は、教室から出ていってしまう理央子を見送った。

 浩子は、留菜が理央子の彼氏をとったのを知っている。けれど、自分が留菜に何もしないし、言わないことも、浩子は知っている。

 
   留菜七

「留菜って、山口君のことが好きなの?」

 人気の無い化学室は、陽が差して綺麗だ、と留菜は思った。

 窓から差す陽が理央子の身体に半分だけ当たって、くっきりと理央子に陰影をつけている。理央子も綺麗じゃないの、と留菜は思ってニヤリとする。

「前田さんは、山口君のこと好きなの?」

「当たり前でしょ。」

 勢いよく理央子は言って、それで留菜はどうなのよ、と続けた。

「たぶん好きじゃないわ。」

 留菜は前髪を掻き上げて、横を見る。整然と並んだビーカーや名前の判らないガラス器具が、留菜の視界に飛び込んでくる。

 だったら、と理央子は、せっぱ詰まった声で言う。

「だから、切れるわ。」

 留菜は、きちんと一人で立っている理央子を見る。真っ直ぐに見る。理央子も真っ直ぐに留菜を見返して、留菜の方が先に視線を外す。

「私、前田さんが一人で来るとは思わなかったわ。」

 理央子は、留菜の言葉の意味が判らないという顔をした。留菜は、その顔を確認して、ドアを開ける。

 理央子は誰にも言っていないのかもしれない、と留菜は思う。自分と山口のことを、留菜がどんなにひどい女であるかということを、自分がどんなにかわいそうか、誰にも聞かせていないのかもしれない。それが単に理央子のプライドの問題だとしても、それはそれで凄いな、と留菜は思う。

 化学室で一人で立っていた理央子は、確かに綺麗だった。

 
  留菜八

 ラーメンを食べに行かない、という留菜の誘いに、山口は二つ返事でオーケーした。

 二人が入ったのは、小さくて小汚いラーメン屋。二人は黙ってラーメンを啜る。カウンターに並んで座って、制服姿でラーメンを啜る。

「どうしたんだよ、黙り込んで。」

 山口が無理に笑った顔で言う。留菜はその山口の笑顔にむかつく。人に媚びるような、留菜の出方をこそこそ窺うようなその笑顔。「ねぇ、前田さんとこういうラーメン屋、来たことある?」

「ないけど、なんで?」

 なんとなく、と答えて、留菜はラーメンを啜る。ラーメンの汁が、辺りに飛び散る。

「私、山口君と二人でラーメン食べたかったんだよね。だから、もう気が済んじゃった。もう、会うの止めようよ。」

 山口は驚いた顔をして、そしてそれから、ほっとした顔をした。

 留菜は自分の胸がざわつくのを感じた。いつもそうだ。留菜と付き合う男は、いつだってそうなのだ。「ここ奢ってね。バイバイ。」 留菜は、カタンと席を立つ。

 とても速い歩調で、留菜は歩く。周りの景色が流れていく。がむしゃらに、留菜は早足で街を歩く。

 歩き疲れて見上げると、CDショップの黄色い看板が眼に入った。フラフラと誘われるようにCDショップに留菜は入る。

 買うつもりもなくCDを眺めていると、じっとこっちを睨んでいる女の写った青いジャケットが眼に入った。留菜はそのジャケットを睨み返して、そのままそっと自分の持っていた鞄に入れた。そして留菜は、その店を後にする。盗んだCDと一緒に。

 留菜はゆっくりと歩きながら能面の様な顔で呟いた。

 タスケテヨ。

 泣き出しそうな感じだ、と、留菜は自分のことを思う。けれど自分が泣き出したりしないことを留菜は知っていた。

 
   浩子五

 どういうことなんだろう。

 浩子は戸惑っていた。

 星がもう出ている。街灯も点き始めている。いつもの帰り道を浩子は磐田と並んで歩いている。二人でぽつぽつと他愛のない会話をしながら歩いている。

 浩子が英語の講習を終えて、教室から出ると、部活を終えて戻ってくる磐田に会った。お疲れさま、と、浩子が声をかけると、磐田は、今帰りなら一緒に帰ろうよ、と笑った。まるで友達にでも言うみたいに。そして浩子はただびっくりして、あ、うん、と間抜けに頷いた。

 磐田はさっきから部活の話をしている。浩子はそれに相槌を打つ。

 磐田は陸上をやっている。毎日グラウンドをただひたすら走っている。面白いの、と浩子が訊くと、趣味なんだ、と笑った。その笑顔に浩子はちょっと見とれる。

 それから喋ることもなくなって、二人で黙って歩いていると、磐田が唐突に言った。

「武川さんって、俺のこと好きなの?」

 浩子は驚いて立ち止まって、磐田を見上げる。浩子の口から出たのは、どうして、という掠れた声だった。

「なんとなく、そうだったら付き合ってくれないかな、と思って。」

 浩子はもう一度、どうして、と繰り返す。「どうしてって、俺も好きだから。」

 磐田は、どう、と軽く浩子の顔を覗き込む。浩子は慌てて視線を逸らして、それでも、こくりと頷いた。その時、浩子の脳裏に留菜の顔が浮かんで、浩子の背中がぞくりといった。取り返しのつかないことをしてしまったことを、浩子は感じ取っていた。


   留菜九

 浩子と磐田が付き合い始めたという噂は、すぐに留菜の耳に入った。浩子から直接、磐田と付き合っていることを聞く前に、その事実を留菜は知った。

「私、磐田君と付き合ってるの。もう知ってると思うけど。」

 浩子は悪事でも告白するかのように、留菜に言った。留菜は表情を動かさずに、いつから、と問い返す。一週間ぐらい前から、と浩子はおずおずと言う。そう、と留菜はそっけなく答えて、磐田の姿を捜す。窓際で友達とふざけ合っている磐田の姿がすぐに見つかる。何かとても大きな声で、磐田は喋っている。留菜は磐田をじっと見る。留菜の胸が、勝手にざわめきだす。

 浩子がとても小さなか細い声で留菜の名を呼ぶ。ルナ、と呼ぶ。

 留菜は視線を浩子に戻す。浩子はとても不安な顔をしている。いつもより青ざめているように見える浩子の顔。

 留菜は浩子を傷付け始める時が来たことを確信する。

「よかったね、浩子。」

 留菜は浩子に笑いかける。

「ありがとう。」

 浩子も留菜に微笑み返す。とても不安な顔で微笑み返す。

 留菜が浩子を傷付けようとしていることを浩子も知っているのだ、と留菜はぼんやり思った。

 
   浩子六

 磐田はさっきから今見てきた映画の話をしている。とても興奮した声で、凄かったと面白かったを連発している。見てきたのはハリウッドのアクション映画。確かに凄くて面白かったけど、ただそれだけの映画だったな、と思いながら浩子は笑顔で相槌を打っている。 日曜の喫茶店は、ちょうど良い混み具合で、とても居心地がいい。誰も彼もが別のテーブルの人々のことなど見えない素振りで、お茶を飲んだり、話をしたりしている。浩子もハーブティを飲みながら、磐田の話を聞いている。

「これからどうしようか。」

 磐田がコーヒーに手をつけながら言う。

「そうだね、どうしよう。」

 浩子もハーブティで口の中をしめらせる。 どこか行きたい所ないの、という磐田の問いに、浩子は何も思いつかない。どこでもいいよ、と笑ってしまう。それが一番困るんだよな、と磐田も笑う。

 もうしばらくここに居ようよ、と浩子は言う。とても甘い気持ちで言う。

 磐田はにこりと笑って、おいしいスパゲティ屋の話を始める。今度一緒に行こうよ、と笑う。そうだね、と笑ってしまってから、急に浩子は不安になる。こんな風に磐田と過ごす時はいつ終わるのだろうか、と不安になる。 笑いながら眺めた窓の外を背の高い女が歩いていった。一瞬、留菜に似ていると思い、それからすぐに全然似ていないと思い直す。

 留菜に似ている人など、いるはずがないのだ、と、浩子は思う。

 
   留菜十

 私に出来ることは何だろう。

 私がしたいことは何だろう。

 膝を抱えて、留菜は思っている。つけっぱなしのテレビを眺めてはいるけれど、内容がちっとも判らない。

 台所からおいしそうなにおいが漂ってくる。母親の鼻歌も聞こえてくる。しばらくして、ご飯よ、と留菜を呼ぶ声がする。返事をして腰を上げ、留菜は食卓に向かう。

 食卓には、きれいに盛られたサラダとカレーライス。母親は今日のカレーはおいしくできた、と、にこりとする。留菜はふうんと頷いて、席に着く。父親も何も言わずに席に着く。いつものように母親ばかりが話をする。自分の行っている文化サークルの話や今日、スーパーで何が安かったかなんていう話。

 留菜も父親も生返事ばかりして、ひたすらカレーを口に運んでいる。母親は終始なごやかな顔で、同じ様な話を繰り返す。

 私の家庭は不幸ではないけれど、幸福でもないのだ、と留菜は思う。でも父も母もこんな生活を望んで結婚して家庭を作ったわけでもない筈だ、とも思う。

 そして留菜は自分が望んでいる事を考える。留菜には、自分が望んでいるものが判らない。 留菜はカレーをきれいに食べ終えて、ごちそうさま、と立ち上がる。

「おいしかった。」

 ぽつりと言うと、母はにこりとした。

 
   浩子七

 教室には誰もいない。誰もいない教室で、浩子は英単語を覚えている。ノートに単語を書き付けながら、小声でその単語を発音する。時々手を休めて、浩子は窓の外を見る。グラウンドをぐるぐる走っている磐田の姿が小さく見える。

「眩しい。」

 呟いて、眼を細めて、浩子は視線をノートに戻す。書き付けられた英単語。浩子は、その数を淡々と増やしていく。

 しばらくして、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。浩子は教室のドアを見る。しんと落ち着いた気持ちで見る。

 ガラリとドアが開いて、待った、と磐田がにこりとする。途端に浩子は、とろけてしまいそうな気持ちになる。けれど何故か泣きそうな気持ちにもなる。そして必死に浩子は、うううんと首を振る。

「帰ろう。」

 肩に掛けている鞄を掛け直しながら、磐田は浩子に言う。頷いて浩子は、机の上の物を鞄に詰め込み、磐田の隣に立つ。

「勉強してたの?」

「単語、覚えてた。」

 ふうんと笑って磐田は、昨日見たテレビの話を始める。浩子は、私も見たよ、と相槌を打つ。

 そんな話をしながら歩いていると、校門の所に立っている留菜を浩子は見つけた。

 留菜は笑って、浩子、と手を振る。浩子は固まった顔で手を振り返す。そしてなんとなく磐田を見上げる。磐田も浩子を見ていて、ほんの少し顔を見合わせる。

 留菜は浩子の方に小走りにやってくる。浩子と磐田もゆっくりと留菜の方へ進む。

「待ってたの。一緒に帰ろう。」

 留菜は浩子だけを見て言う。浩子は、あ、うん、と頷いて、磐田を見上げる。とても不安な顔で見上げる。けれど今度は、磐田は浩子を見てはくれない。

 留菜を見ている磐田の顔を、浩子は不安な気持ちで眺めていた。

  留菜十一

 どうやって浩子から磐田を奪ってしまおうか、留菜は考えている。とても残酷に容赦なく、留菜は浩子を傷付けたい。

「何?」

 浩子は留菜を覗き込むようにして言った。留菜は浩子をじっと見ていた事に気が付いて、何でもない、と慌てて言う。

 そう、と浩子は数学の問題を解き始める。とても淡々と、シャープペンシルを持つ手を止める事もなしに。

 留菜は手持ちぶたさに、数学の教科書をぱらぱらとめくる。

 自習になった数学の時間。黒板には、この時間に解いておかなければならない問題が書き連ねられている。

 教師のいない教室は、いつもよりざわめいていて、誰もが仲の良い者の側に席を移して、問題を解いたり、話をしたりしている。浩子も当たり前の顔で、留菜の隣にカタンと座って、黙って問題を解いている。

 どうして私はこんなにも、この娘を傷付けたいのだろう、と留菜は思う。友達であるこの娘をどうしてこんなに傷付けたいのだろう、と思う。

 留菜は自分も数学の問題を解こうと、ノートに数式を書く。だらだらと長くて不可解な数式。留菜はそれだけで嫌になってしまって、浩子の方へ顔を向ける。浩子は顔も上げずに数式を解いている。

 私はどうしてこんなにも力を持て余しているのだろう、と留菜は悲しく思う。誰かを傷付けずにはいられない自分の事を思う。

「留菜、どうしたの?」

 浩子は心配気な顔で言う。

「なんでもない。」

 留菜は突き放すように言って、浩子から顔を背けた。

 
   浩子八

「あいつと一緒に帰るの、何で嫌だって言わないんだよ。」

「留菜のこと、あいつって言うの止めてよ。」 浩子は小さな声で言う。磐田は困った顔をして、それでも少し黙り込む。

「留菜は友達だもの、言えないよ。」

 浩子は磐田ではなく、手に持っている缶ジュースを眺めながら言う。磐田はまだ黙っている。

 ガードレールに寄り掛かって、片手にだらりと缶ジュースを持って、浩子と磐田は立っている。時々風が二人の髪や制服を揺らす。 さっきまで二人と一緒に留菜がいた。このところ毎日留菜は、学校帰りの二人を待ち伏せていて、一緒に帰ろう、と笑う。それを浩子は断れない。

 三人で一緒に帰るのは、とても奇妙な感じだった。一緒に帰ろう、と自分で言うのに、留菜はあまり喋らない。留菜が一緒だと浩子と磐田も喋れなくて、なんだか黙り込んで三人で歩く。しんどいな、と浩子は思う。浩子の口からは知らず知らず溜息がこぼれる。

「行こうか。」

 缶ジュースを一気に飲み干して、ガードレールから身体を起こし、磐田は歩き出す。浩子は飲みかけの缶ジュースを持って、磐田の少し後ろを歩く。

 手をつなぎたいな、悲しく思って浩子は俯いた。

 
  留菜十二

 留菜は磐田をドーナツ屋に呼び出した。

 話があるの、と磐田の家に電話すると磐田は迷惑そうにしていたが、留菜が、磐田君だって私に話があるでしょ、と言うと、出てくることを渋々承知した。

 留菜はドーナツを人差し指と親指でちぎっては口に運ぶ。ドーナツの甘さで留菜の喉は熱くなり、指はドーナツにかかっている砂糖のせいでベタベタになっている。

 磐田は黙ってコーヒーを口にする。

「食べないの?」

「甘い物、苦手なんだ。」

 磐田の皿にはドーナツが一つだけ、手もつけられずに載っている。留菜はそのドーナツを眺めながら、自分のドーナツを小さく小さくちぎって口に運ぶ。

「話って何なんだよ。」

 磐田はやっとドーナツに手を伸ばし、半分に割ってガブリとかじりつく。留菜など存在しないかのように、磐田はドーナツを食べている。

 留菜はそんな磐田を眺めながら、自分が何を言いたいのか判らない。何かを言おうとして開けた唇からは、声は出ずに溜息がこぼれた。

 なんだろう、緊張している。

 留菜は思って、喉が乾いていることに気付き、紅茶で口の中を湿らす。

「浩子のこと、好きなの?」

 留菜の声は、とても乾いて張りつめていた。 まあね、と磐田は迷いのない声で言う。

 留菜は、そう、と視線を落とす。しばらく黙り込んでから留菜は、ならいいわ、と席を立つ。

 磐田はとても驚いた顔で、それだけ、と留菜に問う。留菜は頷いて、それきり磐田を見ずに店を出る。

 外に出ると空が見えて、留菜は顔を上げる。 大抵の人は、見込みもないのに告白なんて出来ない。でも自分は違うと思っていたのに。「ふがいなーい。」

 留菜は自分にしか聞こえない声で呟くと、きっぱりとした足どりで歩き始めた。

 
   浩子九

 浩子が目覚めると、辺りはもう薄暗かった。寝ちゃったんだ、と浩子はぼんやり思う。

 読みかけの本が床に落ちている。浩子はゴロリと身体の向きを変えて、天井を見る。陽が落ちてしまったので部屋はどんどん暗くなる。電気を点けようと思うけれど、浩子は起きあがれない。

「起きなきゃ。」

 口に出して言ってみても、浩子は起きあがれない。起きて、勉強しなきゃ、と浩子は思う。けれどどうしても起きあがれない。

 浩子はまた身体の向きを変える。じっと眼を凝らしていると、サイドボードの上の電話の子機が、ぼんやりと浮かび上がる。

 電話、かかってこないかな。

 浩子は思って、自分からは決して電話をかけられない自分に気付く。待ってばかりいる自分に気付く。けれどやはり、浩子は磐田に電話をかけられない。浩子はじっと電話を見つめている。

 もう一度眠ってしまおうと、浩子は眼を閉じる。けれど、耳が電話の音を聞きたくて悲しく冴えてしまっていて、浩子は眠れそうもない。

 浩子は手で片耳だけを塞いでみる。天井を見上げながら片耳を塞いで、浩子はじっとしている。そうしていると階下から、浩子を呼ぶ母親の声がした。浩子は返事をしてのろのろと起きあがり、暗い部屋を出た。

 廊下の明かりが眩しくて、浩子はちょっと目が眩んだ。

 
   浩子十

 昨日も今日も留菜は、浩子と磐田の事を待っていなかった。

 磐田と二人の帰り道。他愛のない話をしながら浩子は、留菜の不在を意識する。

 ふっと、浩子と磐田の話がとぎれる。その沈黙待っていたかのように、磐田は浩子の眼を見ずに言った。

「ねぇ、小林に何か言った?」

 浩子は磐田を見上げて、言わないよ、と答える。

「留菜と何かあった?」

「何も」

 突き放すように磐田は言った。浩子は磐田に視線を送り続けているが、磐田は浩子を見ない。

 浩子はふと足を止める。そして歩いていく磐田を見送る。磐田は数歩、歩を進めてから立ち止まって浩子を振り返る。

「どうしたの?」

 浩子は黙って首を振る。今、自分は凄く情けない顔をしていると浩子は思った。

 磐田はふっと優しく笑って、浩子を待っている。浩子はそんな磐田から目を逸らし、俯いて、それでも磐田の隣でまた歩き出す。

 苦しい。

 花の香りに顔を上げると、どこかの庭先でピンク色のライラックが揺れているのが見えた。

「ライラック。」

 浩子が言うと、磐田も浩子と同じ方向に視線を投げ、あぁ、すごいね、と言った。頷いて浩子は、やっぱり苦しいな、と思う。

 このところ留菜が時々、磐田に視線を投げていることに浩子は気付いている。それは留菜のいつものやり方ではない。誰かの恋人を盗む時の留菜のやり方ではない。

 こわい、と浩子は思う。あんまりこわくて、道ばたにしゃがみ込みそうな気分で、浩子は磐田の隣を歩いている。

「あ、まただ。」

 磐田が指を指した方向には、白いライラックが揺れていた。

 
   留菜十三

 電話での沈黙は重い。はてしなく長く思われた沈黙の後、留菜は絞り出すような声で、好きなの、と磐田に言った。

「なんで?俺が武川と付き合ってるから?」 決めつけるように磐田は言った。留菜の受話器を握る手に力が入る。

「好きなの。」

 言ってから留菜は唇をかむ。

「そうやっていつも男を騙してるんだろ。」 好きなの、と留菜はそればかりを繰り返す。 そして、重い沈黙。

「それで俺にどうして欲しいの?」

 静かでちっとも動揺していない磐田の声。「磐田君、私に何かしてくれるの?何もしてくれないでしょ。」

 きっぱりと留菜は言った。そしてそのまま、留菜は受話器を置く。

 束ねていた髪をすっとといて、留菜は立ち尽くしている。俯くと留菜の顔を髪がおおう。髪を掻き上げて、留菜は顔を上げる。挑みかかるような顔を留菜はしている。

 冷蔵庫のドアを乱暴に開けて、留菜はコーラの缶を取り出す。立ったまま、留菜はそれを喉を鳴らして飲む。そしてそのまま冷蔵庫に身体を押しつけて、留菜はずるずるとしゃがみ込む。飲みかけのコーラを床の上に置く。 頬に手を当てて、口元を歪ませて、くっだらなーい、と留菜ははすっぱな声で笑った。

 
   浩子十一

「泊めてくれない?」

 留菜は浩子の顔を見るなりそう言った。

「どうしたの?」

「家にいたくないの。」

 それきり留菜は何も言わない。それ以上浩子は何も訊かない。あがって、と浩子は留菜のためにドアを大きく開け放つ。

 母親に留菜が今日泊まることを告げると、あら、そう、と気のない返事が返ってきた。 浩子の母親は留菜のことをあまり良く思っていない。けれど浩子の家に遊びに来る友達は留菜だけなので、彼女は決して留菜を邪険には扱わない。

「留菜ちゃんの家に連絡入れておく?」

「うん、お願い。」

 浩子は壁時計をちらりと見上げる。時計は九時を回っている。 

 自分で紅茶をいれ、茶菓子を用意して、浩子は階段を上がる。部屋のドアを開けると、ベットに腰掛けて浩子のアルバムをぱらぱらとめくっている留菜の姿があった。

「ねぇ、磐田君と撮った写真ないの?」

「うん、あんまりない。」

 浩子はさらりと嘘を付いた。磐田と撮った写真は、封筒に入れて引き出しの一番奥にしまってある。鍵までかけてしまってある。

「ねぇ、磐田君のどこが好き?」

 留菜はしっかりと浩子の眼を見て言った。留菜はとても白い顔をしている、と、その時浩子は思った。

「うーん、よくわかんない。」

 浩子は言葉を濁して、留菜に曖昧に笑いかけた。

 
   留菜十四

 磐田は十分遅れて待ち合わせ場所にやってきた。留菜を見るなり磐田は、どういうつもりなんだよ、と強い口調で言った。

「私、磐田君のことが好きなの。だからよ。」 留菜は自分がとても挑戦的な眼をしていることを感じる。

「嘘だろ。」

 磐田は吐き捨てるように言った。留菜は畳み掛けるように、嘘じゃないわ、と言葉を返す。

「入ろう。一緒に見てくれるんでしょ。」

 留菜は映画館の扉に手を掛ける。

「一人で見りゃいいじゃん。興味ないよ、俺、こんな映画。」

 磐田は映画のポスターを睨み付けながら言う。

「あと五分で始まちゃうわ。」

 留菜はすがるような顔をした。磐田は留菜と顔を合わせて、観念したように息を吐く。そして、わかったよ、と留菜より先に映画館に入る。

 映画館は狭くて、日曜だというのに人影はまばらだった。留菜は磐田と並んで、ちょうど映画館の真ん中にあたるような席に腰掛けた。

「昨日、どこか行ってた?」

 磐田は前を向いたまま不機嫌な声で言った。「どうして?」

「電話してもいなかったから。」

「家にいたら磐田君から断りの電話がくると思ったから逃げてたの。浩子の家に泊まってたわ。」

 磐田は表情を動かさない。

 留菜は昨日、磐田の家の郵便受けに、映画の前売りと今日の待ち合わせの時間と場所と小林留菜という名前だけを書いた手紙を放り込んで、それきり自分の家には戻らなかった。街をフラフラして、それから浩子の家に泊めてもらった。

 たぶんこわかったのだ、と留菜は思う。

 今日も留菜は、自分の家にほんの数十分着替えをしに戻っただけだ。磐田からの断りの電話がかかってくることを留菜は、本当に恐れていた。

 やがてブザーが鳴って幕が開き、見たことのない映画の予告が始まった。

「私、浩子の家に磐田君からの電話がきたら、諦めるつもりだったわ。」

 留菜はとても小さな声で言った。それでもその声に磐田が留菜を見る気配を留菜は感じた。

 その日の映画は、終始ぎりぎりの顔をしていた女が生き残ってしまう物語だった。

 

    浩子十二

 このところ留菜が磐田にちょっかいをだしているという噂は、すぐに浩子の耳に届いた。けれど留菜は浩子に何も言わない。磐田は浩子に何も言わない。浩子も二人に何も訊けない。だから浩子には確かなことは何も判らない。ただ留菜が磐田に興味を持っているのは事実だろうと思う。でも浩子は思うだけで何もしない。

「ねぇ、磐田君とキスしたことある?」

 唐突に留菜は浩子に言った。留菜は悪戯っぽく笑っている。浩子もつられてぼんやりと笑いながら、ないよ、と答える。手をつないだ事もない、と浩子は笑ってみせる。

 へぇー、と留菜は頬杖をつく。

「キスしたくなったりしないの?」

 留菜は頬杖をついたまま、さらりと言う。 突然、留菜の唇が赤く浮き立って見えて、浩子の胸はざわりとする。

「うーん、どうだろう。」

 浩子はとても不安な顔で答える。笑おうとして、それが出来なくて泣きそうになってしまっている顔。とても不安定で曖昧な顔。

 留菜はそんな浩子の顔を確かめて、ふいと眼を逸らす。とたんに浩子の表情は凍りつく。教室のざわめきが浩子から遠ざかる。

「そうだ、これ返すわ。」

 留菜は自分の鞄にぶら下がっていた黄色い熊のマスコットを浩子に差し出す。

「どうして?」

「もう、いらないから。」

 浩子はまた不安になる。留菜が浩子から盗んだ物を返してくるなんて、初めてのことだ。この黄色い熊と引き替えに、留菜が浩子から何を奪おうとしているか、浩子はとっくに感付いている。

「ありがとう。」

 なるべく何でもないことのように、浩子は黄色い熊を留菜から受け取る。その時、浩子の指先が留菜の指先に触れて、熱い物にでも触れたかのように浩子の指先は火照りだす。 熱く火照る指先を浩子は不安な気持ちで眺めている。

 やがて始業のベルが鳴って、じゃあね、と留菜は自分の席の方へ歩いていった。

 これからどうなっていくのかを考えずに、浩子は授業を受け始める。けれどシャープペンシルを持つ浩子の指先は、火照り続けていた。

 
   留菜十五

 留菜は磐田の髪に両手を埋めて、磐田とキスをした。案外柔らかい髪をしていると留菜は磐田のことを思った。

 浩子の視線を背中に感じる。ほんの短いキスで、留菜は磐田から身を離す。それでも留菜の唇は熱くなって、そこをぬるい風がなでていく。

 夏服に衣替えになった今日、留菜は久しぶりに学校帰りの二人を待ち伏せた。留菜が一緒に帰ろう、と言った時、浩子の顔は悪いことでも予感したように歪んだけれど、無理に笑って浩子は、いいよ、と言った。留菜はとても残酷な気持ちで浩子を見ていた。浩子がどんな顔をしても、留菜の感情はぴくりとも動かなかった。

 そして留菜は浩子が缶ジュースを買いに行くように仕向け、浩子が留菜と磐田から離れたすきに、無理矢理に磐田の唇を盗んだ。とても素早く冷淡に。

「なんなんだよ。」

 磐田は怒りもせず、呆然と呟いた。留菜はゆっくりと浩子の方へ身体を向ける。

「どうして?」

 ひきつった声で言い、それでも浩子は笑おうとした。浩子の唇がぴりぴりとめくれあがっていくように留菜には思えた。

「磐田君が好きなの。」

 留菜は浩子を見て、とても落ち着いた声で言った。浩子は何も答えない。へらりと留菜に笑ってみせて、そして浩子は俯いた。泣くのかな、と留菜は浩子を見て思う。けれど浩子は俯いたまま泣かずに、震える声で言った。「私が磐田君のこと好きだから、留菜も磐田君のこと好きになったんでしょ。」

 その言葉に射抜かれて、留菜の背筋はしゃんと伸びる。

「そうよ、だから何だっていうの。」

 浩子は留菜をきっと見上げる。けれどすぐに浩子の顔から力が抜けて、諦め顔で浩子は笑う。ライオンに襲われかけているうさぎみたいだ、と留菜は浩子のことを思う。死んでいくことを自覚して、生きる事を諦めてしまったうさぎのようだ、と留菜は思う。

「留菜、私のこと嫌い?」

 浩子は泣き出しそうに笑う。

「さあね。」

 吐き捨てるように留菜は言う。自分の中からとても悪い力が、むくむくとわき上がってくるのを留菜は感じる。

 浩子など、もう友達でなくなってしまえばいい、と思う。

 いつの間にか留菜の側にいたはずの磐田が、浩子の傍らに立っている。磐田がそっと浩子の肩に手を載せる。浩子はちらりと磐田を見上げて、すぐに留菜に向き直る。

「私達、友達だよね。」

 いつもより低い声で浩子は言った。留菜はそんな浩子を憎々しく思い、無言で歩き出す。二度と浩子の方を振り返らずに、留菜は歩く。 道の途中にあった喫茶店の看板を留菜は思いきり蹴飛ばした。看板はガタンと音をたてて倒れて割れて、留菜のスカートは翻る。

 身体の力を抜くように留菜は一つ息を吐き、何事もなかったように歩き出す。

「暑い。」

 留菜は太陽も見ずに言い、汗をかいているわけでもないのに、腕で額を拭った。

 
   浩子十三

 眠れない。

 浩子は、がばりと起きあがる。電気を点けて、見るともなしに時計を見る。時計はもう四時を指そうとしている。浩子は苦しく息を吐く。

 眠れない。

 頭の中心がしんと冴えていて、胸の中が真っ暗だ、と浩子は思う。ぴりぴりとひきつるような瞼を無理矢理に下ろす。それでもちっとも眠れそうもない。

 もう一度電気を消して、今度は堅い床の上に寝転んでみる。息を殺して、身動きもせずじっとしている。

「友達。」

 不意に浩子の口から、そんな言葉が漏れる。 浩子は毎晩、留菜の事を考えて眠れない。

 黙って眼を開けて、浩子はじっとしている。黙って眼を開けて、浩子は耐えている。埒のあかない事を考える気もなしに考え続ける。

 眠れない。

 
   留菜十六

 浩子がさっきから、コンビニのデザートの話をしている。どこのコンビニのケーキがおいしいだとか、あそこのコンビニは生クリームの味がいまいちだ、とか、留菜に話している。留菜は適当な相槌を打つ。

 むかつくな。

 留菜は浩子のことを思う。

「ねぇ留菜、具合悪いの?」

 浩子が気遣わしげに言う。

「なんで?」

「顔色悪いから。」

 あんたと一緒にいるから、顔色が悪いのよ。留菜は心の中で思う。

「無理するの、もう止めたら。」

「何?」

「私は浩子と一緒に居るの、もうしんどいわ。」 浩子の顔を見ずに留菜は言う。

 浩子は立ち上がって、自分の席へと歩いていく。磐田が浩子の側に来て、何か浩子に話しかけている。

 留菜は窓の外を見る。どんよりと曇った空が見える。

 早く夏休みが来ればいいのに。

 夏休みが待ち遠しいのは、浩子に会わずに済むからだ。

 もう一度、留菜は浩子と磐田を見る。浩子は泣いているようだ。

 留菜は浩子達の方へ、顎を突き出す。

 とっとと嫌いになってくれればいいのに。 吐き捨てたいような気持ちで留菜は思う。 浩子に嫌われていくことが、自分が許されていく唯一の道なのだ、と留菜は頑なに思う。

 
   浩子十四

 留菜と昼食を一緒にとらなくなってから、どれくらいが経つのだろう。もう三日だ、と浩子は思う。

 留菜にしんどいと言われた時から、浩子は留菜と話せなくなった。磐田と留菜がキスをしているのを見た日から持ち続け、隠し続けていた感情を留菜に軽蔑されていたのだ、と思った。それ以来、浩子は留菜に笑いかけられない。

 浩子は、おとなしめでクラスではあまり目立った存在ではないグループと昼食をとっている。留菜はたった一人で弁当を食べている。窓の外を眺めながら、背筋をきちんと伸ばして弁当を食べる留菜は、寂しそうではけしてない。

 浩子は話題になっているアイドルや洋服の事には興味がない。適当な相槌を打つばかりで、浩子は彼女達に何も話さない。

 いい人達だけれど、友達にはなれない人達。 疲れるな、と浩子は留菜をちらりと見る。 留菜となら、何を話していても楽しかった。言えない事や判り合えない事もあったけど、やはり留菜は友達なのだ、と思う。

 磐田に、やっぱり留菜は友達なの、と言ったら、磐田は憎々しげに、なんであんな奴、と言い放った。それ以来、浩子は留菜のことを磐田に話していない。けれど、今の浩子の心に鉛のように重たく存在するのは、留菜のことだ。

 留菜のことを見ている浩子に気付いて、彼女達の一人が言った。

「小林さん、ひどいよねぇ。」

 とても同情的な声だった。

 浩子は何も答えられない。それを見て彼女達は、さらに留菜の悪口を浩子に浴びせる。浩子はいたたまれない気持ちで、微かに頷きながらご飯を口に運ぶ。

 吐きそうだ。

 浩子はそれでもひたすらご飯を咀嚼し続ける。

 
   留菜十七

 留菜が学校から戻ると、郵便受けに留菜宛の手紙が入っていた。留菜は宛名を見ただけで、浩子からの手紙だと判る。浩子の小さくて丸まった癖のある字。

 留菜は家に入って、まずごくごくと水を飲む。そして、手で口の周りを拭うと、乱暴に手紙の封を開け、読み始める。


 突然の手紙、驚きましたか?
 留菜に言わなくてはいけないことが、
私にはたくさんあるのに、面と向かって
は言えそうもないので、手紙にします。
どうしても私の本当の気持ちを留菜に伝
えておかないと、私がダメになってしま
う、とやっと判りました。本当は随分前
から判っていたのかもしれないけど、判
っていても出来ないことって、たくさん
あるよね。
 私はこの頃元気がありません。辛くて
しょうがありません。留菜のせいです。
私は留菜のことばかり考えています。
 私、留菜のことを本当の友達だと思っ
ています。留菜は私のことを友達だと思
ってくれてなかったの?この友情は私の
片思いなの?そんなことないよね。
 時々、留菜が私に悪意を向けていると
思うこともあったけど、留菜はすぐその
悪意に気が付かない振りをするので、私
も気付いていない振りをしてきました。
でも留菜に嫌われているんだと思って、
泣いた夜もあったよ。だけどそう思った
次の日に留菜は普通に笑って接してくる
ので、そういうこと全部やり過ごしてき
ました。だって私、留菜とは友達でいた
かったんだもの。
 だから、磐田君と付き合いだしたこと
も留菜にはなかなか言い出せなかった。
だって、私が誰かと付き合いだしたら、
留菜がその人を私から盗ろうとすること
私、判ってたもの。だから、あのキスを
見たときも、私、あまり驚かなかった。
もちろん嫌だったけど。
 私、また留菜と喋りたい。友達じゃな
い人と喋っていても、ちっとも安まらな
いんだもん。判り合えないのが判ってい
るのに一緒にご飯を食べたり、話をした
りするのがこんなに辛いことだなんて知
らなかった。
 留菜は一人でいても少しも辛そうじゃ
ないから、悔しい。
 友情にも終わりがあるのかもしれない
から、もう友達には戻れないって留菜は
思ってるかもしれない。だったらしかた
ないけど、私は戻りたい。
 たぶんこんな風になってしまったのは
私にも問題があるんだと思う。私、留菜
に自分の思っていたこと、あんまり言わ
なかったものね。留菜が誰かの物を盗ん
だり、人の彼氏をとったりするの、私、
すごく嫌だったけど言えなかった。たぶ
ん、気を使ってたんだろうな。でも、留
菜は言って欲しかったんだよね。やっと
判った。
 でも、留菜はとても痛々しくて、私、
何にも言えなかった。留菜は強がらなき
ゃ生きていけないんだって、勝手に思っ
ているから、何にも言えない。でも私、
留菜が何をしても、留菜の味方でいたか
ったの。してはいけないことや、悪いこ
とを留菜がして、世の中の全ての人に責
められても、私だけは留菜の味方でいた
かった。だって、そういうことを留菜が
するには理由があるだろうし、それがし
てはいけないことだって留菜が一番よく
判っているだろうし、そうすることで留
菜だって傷付いていたでしょ。私、留菜
のこと好きだから、友達だと思っている
から、そうしたかったの。
 ねぇ、友達になれる人には、なかなか
巡り会えないから、私、留菜に会えて本
当に良かった。ありがとう。
 なんだか何を書きたいのか判らなくな
ってしまったので、突然だけどこれで止
めます。
 また学校でね。
          武川浩子
 















































































 

 留菜は、その手紙をもう一度読み返す。そしてガサガサと手紙を畳んで封筒に戻すと、留菜は電話の所まで歩いていって、受話器をあげ、浩子の家の番号を押した。コールが二回鳴って、はい、武川です、と浩子の声が受話器から流れてきた。反射的に留菜は受話器を置く。

 受話器に手をかけたまま、留菜は立っている。自分が何をしたいのか、何をしようとしているのか、よく判らない。留菜はそっと眼を閉じる。

 そこから留菜が離れようとした時、電話のベルが鳴った。少しの間をおいて、留菜は受話器をとる。電話の相手は浩子だった。

「留菜、今、電話くれた?」

 浩子の細くて高い声。

 留菜は、したよ、と正直に言う。

 それから浩子は留菜の電話の用件も訊かずに、磐田とこの間見に行った映画の話をした。「映画の帰りに磐田君と初めて手をつないだの。」

 くったくなく、本当に嬉しそうに浩子は言った。

 よかったね、と留菜もくったくなく答える。「じゃあ、また明日ね。」

 お互いにそう言い合って、留菜は受話器を置いた。

 明日からまた浩子との学校生活が始まるのだ、と留菜は穏やかな気持ちで思った。


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