「こんばんは。」
 いきなり机上に現れた女はそう言った。
「こんばんは。」
 私はいやに落ち着いた声でそう答えていた。
 私、また勉強しているうちに眠っちゃったみたいね。だめだなぁ、あんなに今日から受験勉強始めるって心に誓ったのに・・・。
 それにしても変な夢。机の上に着物を着た物凄い美人が現れるなんて・・・。
「あのう・・・。」
 女が遠慮がちに口を開く。
「驚かないんですか?私、鬼なんですけど・・・。」
「あ、鬼なんですか。どうりで角があると思ったわ。」
 女の頭には小指くらいの長さの角が二本生えていた。
「えぇ、まぁ、鬼ですから、角ぐらいあります。」
「それで、その鬼さんがなんのご用なんですか?」
「えぇ、今日は節分ですので、今まで住んでいた家から追い出されてしまったんです。それで、これからは豆まきをしていないこちらの家に住まわせていただこうと思いまして・・・。」
「まぁ、なんだか日本昔話にでもありそうなお話ですね。」
「えぇ、毎年屋根裏に隠れて助かっていたんですが、今年は今日が節分だということをすっかり忘れてしまっていて・・・。」
「まぁ、それはお気の毒に。」
「えぇ、でも、こうして住む家も決まったことですし・・・。ところでお勉強中だったんですか?」
「えぇ、受験勉強を。私も高二ですし、そろそろ始めませんとね。」
「まぁ、そんなに早くからですか?」
「遅いぐらいなんですよ。」
「まぁ、大変なんですね。」
 鬼は、本当に気の毒そうな顔をした。
「あなたまさか、どこぞの三文小説のように、もっと大切なことがあるはずだ!、なんて、言うつもりじゃないでしょうね。」
「いえ、そんな。」
 鬼は図星だったらしく口ごもった。
 私はせっかくの夢なんだし、思いっきり偉そうなことを言ってみたくなった。
「あのねぇ、たしかに受験勉強なんて面白くもないし、辛いし、大変よ。でも、だからといって、逃げちゃいけないと思うの。人間生きてりゃ辛いこともあるわ。でも、その辛いことを乗り越えて初めて幸せというものがつかめるのよ。分かる?」
「えぇ、なんとなく。」
「まぁ、たしかに、大学行ってなんになるんだって気もするわよ。でもね、たとえ大学になんにもなくたって、大学行くために努力したことはきちんと残ると思うの。なんにしたって努力するって大切なことだし、どんなことでも経験するってことは素晴らしいわ。たとえそれが受験戦争や浪人生活だとしてもよ。必ずそれによって得られる大切な物があるのよ。まぁ、それに気付けるかどうかは自分次第だけどね。」
「そうなんですか。」
 鬼が心底感心したようにそう言ったので、私は最高にいい気分だった。
「とにかくそういうわけで、人間的に成長するためにも、受験勉強を精一杯頑張ろうと思っているのよ、私。」
 あぁ、なんかたまにはこういう思ってもいないことを言うっていうのも、すごくいい気分。ストレス解消になるわ。
「私、今のお話に、とても感動いたしました。それで私、こちらに住まわせていただくことですし、及ばずながら受験勉強のお手伝いをさせていただきまう。」
 鬼が、やけに瞳をきらきらさせて言った。
「あら、ありがとう。でも、それは明日からね。今日はもう遅いから。」
「はい、では、また明日。」
 鬼はそう言うとどこへともなく消えていった。

 次の日、学校から帰ると、私の部屋に鬼がいた。
 そしてそれから、私の受験勉強が始まったのだ。
 一日、四時間睡眠。
 やれこんな問題も解けないのかだの、やれ基礎がまったくできていないだの、単語力がなさすぎるだのと罵られ、少しでもサボろうとすれば、たちまち往復ビンタ。そんな毎日が一年以上続いたのだ。受験戦争とはよくいったものだとつくづく思う。
 たしかに、成績は物凄く上がった。今までまったくといっていいほど勉強していなかったのだから、当然と言えば当然の結果かもしれない。しかし、それにしたってびっくりするぐらいあがった。
 でも、私の両親は私の成績を喜ぶより先に、私の身体のことを心配した。
 それくらい私は心身共にぼろぼろになっていたのだ。
 もともとやりたくもない受験勉強をやらされて、一日四時間しか寝ていないのだ、ぼろ雑巾にならないほうがおかしい。
 そして、ついに、私は倒れた。入試の三日前のことだった。慢性の睡眠不足と過労が直接の原因だった。しかし、私の胃には、大きな穴が四つもあいていたので、入院させられてしまった。
 もちろん、それと同時に浪人も決まった。
 そして、鬼は私にこう言った。
「予備校の手続きはもう済ませておきましたから、心配しないで下さい。今回は残念でしたが、もう一年さらなる努力をして、来年はもっとレベルの高い大学に合格しようじゃありませんか!私はあなたが大学に合格するまでずっと、受験のお手伝いをさせていただきますから、大船に乗った気でいてください。」
 私はなんだかこの鬼が私についている限り、毎年同じパターンで大学受験に失敗するのではないか、という嫌な予感がした。
「お母さん、来年こそは節分の豆まき、忘れずにしてね。」
 私はその日、泣きながら母にそう頼んだ。
 今年の節分は、私には鬼がつきっきりで豆まきの手配などできず、母はすっかり豆まきのことなど忘れていたのだ。
 来年こそは豆まきして、あの鬼を追い出して、大学に合格してやるんだから・・・、私は涙にくれながら強く強く心に誓った。


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