「私、佐野君と付き合うことになったから。」

「佐野君?」

 私は驚いて真理亜の顔を見る。真理亜は涼しい顔で缶の紅茶を飲んでいる。

「驚いた?告白されたからサ。」

「そう。」

 なんでもないことのように言って、ポッキーを口に運ぶ。佐野というのは、私が好きな人の名前だ。真理亜にも言ったことがないから、私が佐野君を好きなことを全く知らずに、真理亜は佐野君と付き合うのだろう。それともとっくに知っていて、だからこそ付き合うのかもしれない。

 真理亜はそんな人ではない、とその考えをすぐに打ち消す。

「今まで真理亜が付き合っていたタイプと随分違うんじゃない。」

「そう?たまにはね。」

 真理亜はフフフと笑った。真理亜はとても鮮やかに笑う。赤い唇をくっきりと人に印象づける真理亜の笑顔。

 真理亜は綺麗だ。お嬢様然としていて、紺色の制服がとてもよく似合う。

 そんな真理亜を周りが放っておくわけもなく、真理亜にはいつも彼氏がいた。でも、どの人とも大抵長く続かなくて、猫が嫌いだからとか、電話が長すぎるからとか、ブルース・ウィルスが好きだからとか、そんな簡単で自分勝手な理由で真理亜は男の子と別れた。だから、大丈夫。佐野君ともきっと続かない。

「あ、日直だった。ごめん。」

 真理亜は立ち上がって黒板を消し始めた。スラリと背の高い真理亜は楽に黒板のてっぺんまで手が届く。私は真理亜の後ろ姿を見る。黒板消しを動かす度に、白い粉がパラパラと舞う。しんとした心で、私は真理亜を見ている。綺麗な真理亜。

 高野真理亜。竹田絵梨子。

 私達が友達になったきっかけは名前だった。高校二年の新学期、出席番号順に並べられた座席で、私は真理亜の後ろの席になった。真理亜が何かと私に話しかけてくれて、私達は友達になった。最初から私達はとても気があった。思ったことを何でもズバズバ言う真理亜に最初は戸惑ったけれど、真理亜の言うことに裏はないから信じられる。けれど思ったことをすぐ口に出して、その上美人の真理亜はクラスの女の子に人気がなかった。真理亜が付き合う男の子達は目立って明るくて女の子に人気があってといった感じの人達ばかりだったから、真理亜はなおさら反感をかった。そんな真理亜に私は同情する。自分が美人だと自覚している美人に、同姓からの風当たりはきつい。

 佐野君は今まで真理亜が付き合ってきた男の子とは全然違う。しんとして目立たなくて、顔だってごく人並みで、でも優しそうな人だ。だから私は佐野君を好きになった。佐野君なら私のことをきちんと一人の人間として扱ってくれそうだから。

 真理亜と違って私はとてもさえない。顔も良くないしスポーツもできない、勉強だってパッとしない。そんな私は、ひっそりと生きなければいけない。好きな人ができたって、それをおくびにも出してはいけない。人を好きになることじたい、私にはもってのほかなのだ。だから、佐野君に告白する気なんて更々なかった。いくら佐野君が優しい人だからといって、私の想いを受け入れてくれる筈がないのだ。だから、真理亜が佐野君と付き合いだしたからといって、どうということもない。どのみち佐野君への想いは誰にも知られない内に押し殺さなければならないものだったのだから。

 

「エリ、日曜は暇?」

 幼稚園児みたいに小さな弁当箱をつつきながら真理亜は言った。真理亜は怠そうに食事をとる。食事をとるのは義務だとでも言いたげな様子で真理亜は不味そうに食事をとる。

「テニスしない?つきあってよ。」

「いいよ。」

 中学の時テニス部だった真理亜につきあって、私達は時々テニスをする。テニスと言っても全くのお遊びテニスだけれど。

「佐野君と大崎君も一緒なんだけど、いいよね。」

「え?」

「大崎君はテニス上手くて佐野君は下手だから、エリと大崎君、私と佐野君でダブルスやれば力もちょうどつりあうし。」

「真理亜と佐野君で行けばいいじゃない。」

「みんなで行ったほうが楽しいよ。佐野君にももう言っちゃったし。」

 そう、と私は溜息のように言って承諾する。いつも私はこういう時に断れない。 卵焼きを口に運ぶ。甘い卵の味がした。

 

 日曜はとても良く晴れた。秋晴れ。

 テニスは真理亜と大崎君がそこそこ上手いので、いつもよりずっとラリーが続いた。

「たまに身体動かすのって良いよね。」

 タオルで汗を拭いながら真理亜は笑う。それから自然な感じで、佐野君の飲みかけのポカリスエットに口をつけた。そんな真理亜をまじまじと見てしまっている自分に気付いて、私は慌てて眼を逸らす。眼を逸らした先に大崎君がいて、はい、と彼は私にポカリスエットを差し出してくれた。

「あ、ありがとう。」

 ぱすっと缶のプルタブを起こして、私はポカリスエットを飲む。渇いていた喉が潤う。

「もう一ゲームやろう。」

 言い終わらない内に真理亜はコートの方へ歩き出している。

「今度は私とエリで組もう。」

 そう言って真理亜は私に手を振る。頷いて私は真理亜と同じコートに入る。

 大崎君のサーブでゲームは始まった。ばしっと切れの良いサーブが私達のコートに決まる。私は一歩も反応できない。

「ごめん、動けなかった。」

 真理亜に謝ると真理亜は、手加減して、と大きな声で大崎君に言った。

 今度は打ちやすいサーブを大崎君はくりだす。私が打ち返すと緩やかな曲線を描いてボールは佐野君の前で弾んだ。佐野君が打ち返したボールは、コートから大きく外れた。

「ケンジ。」

 大崎君が呆れたような笑いの混じった声で佐野君の名前を呼んだ。

 真理亜がボールを追って駆けていく。

 

 テニスの後、近くの喫茶店で四人でお茶を飲んで外へ出ると、もうあたりは暗くなり始めていた。

「エリ、大崎君に送ってもらいなよ。」

 真理亜の声に、私は、え、と驚く。

「いいよ、悪いから。一人で平気だし。」

 私は白い息を吐きながら首を振った。

「竹田さん、汐入町でしょ。俺、桂町だから、近くだし送っていくよ。」

 じゃあ、と私は頷く。途方に暮れた気分になって、少し俯く。私は、大崎君と話をしたことがない。そんな人と何を話しながら歩いたらいいのだろう。

「じゃあね、エリ。また明日。」

 真理亜が私に手を振る。私もつられて力なく手を振る。軽やかに真理亜と佐野君は私に背を向けて歩いていく。

 大崎君と並んで歩きながら、私は必死に話題を探す。大崎君ってサッカー部だったよねとか、卒業したらどうするのとか、当たり障りのないこと。けれど大崎君はなんとなくうわの空で、会話はぽつりぽつりと途切れてしまう。

 汐入町に入ると人影もなくなって、星まで見えるようになった。私は話題を探すのに疲れてしまって、俯いて歩く。黙って二人で歩くのは気詰まりだ。

「好きです。」

 私は立ち止まって顔を上げる。真っ直ぐに大崎君と眼が合った。

「あの、付き合ってくれないかな。」

 意味も分からずに私は頷いていた。大崎君があんまり真っ直ぐに私を見ているから、彼から眼を逸らすには頷くしかなかった。

 見ないで、と言いたかったけれど、喉に声が貼りついて息だけが漏れた。白い息が夜空に昇っていった。

 

「怒ってるの?エリ。」

「怒ってないよ。でも真理亜、知ってたの?」

「佐野君に頼まれたの。大崎君にエリを会わせてやってくれないかって。だから、なんとなく分かってたけど、決めるのはエリと大崎君でしょ。」

 電話の向こうで、コホンと真理亜は咳をした。

「大崎君いい人よ。」

「そうだけど。」

 鼻がつんとする。私は必死に涙をこらえる。

「嫌ならエリが断れた筈でしょ。」

「うん、でも。」

 口ごもる私のせいで沈黙が生まれる。

「ねぇ、あと半年で高校も卒業なんだし、高校生のうちに誰かと付き合っておくのもいい思い出になるんじゃない。」

「うん。」

 納得など全くしていないのに、私は頷く。

「とりあえず付き合ってみて、駄目だったら別れちゃえばいいのよ。あんま深く考えないでサ。」

 真理亜のなぐさめの口調に私は適当に相槌をうって受話器を置く。もうこれ以上話していても埒があかない。

 雨が降っている音がする。しんと夜は静まっていて、指先は冷たかった。

 

「どうかした?」

 真理亜が私の顔を覗き込むようにして言う。

「なんか最近、カナちゃん達が冷たい気がして。」

 最近クラスの女の子に話しかけても無視されたり、陰口をたたかれている気がする。何も思い当たることがないので、気のせいかと思ってみたりもするけど、どうもそうでもなさそうだ。

「そりゃそうじゃない。カナちゃん、大崎君のこと好きだったんだもん。エリにもってかれて恨んでるんじゃない。」

「え、本当に?」

「知らなかった?大崎君もてるのよ。」

 なんでそんな人が私と付き合おうだなんて思ったのだろう。

 溜息が口から漏れた。

「ほっとけばいいのよ、そのうち収まるから。エリには大崎君も私もいるんだし、他の人が何を言おうが構わないでしょ。」

 さばさばした口調で真理亜は言った。真理亜の声は凛として辺りに響く。

「そうね。」

 力なく笑って真理亜を見る。真理亜は、大丈夫よ、と私の頭を撫でた。不安な表情になってしまった顔を手で揉みほぐす。

 好きでもない人と付き合っている罰かもしれない。だったらきちんと受け止めよう。私は真理亜に笑いかける。

 真理亜がいるから大丈夫。

 言い聞かせて、瞬きをする。

 ガラリとドアが開いて、国語教師が入ってきた。ばたばたと生徒達が自分の席に収まった。

 

 図書室に入ってくる陽射しは暖かい。

 私は大崎君を待っている。

 何か本を読もうと思って、窓際の本棚の前に立つ。なんの気なしに見た窓の外に、真理亜と佐野君を見つけた。並んで歩く二人はとても遠くて、すぐに校門の向こうに見えなくなってしまった。二人が見えなくなってもしばらく私は、窓の外を見ていた。

 真理亜と佐野君は、光の中にいるようだ。

 私はテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』を本棚から選び取って、図書室の椅子に腰掛ける。

 ぽっかりと胸に穴のあいたようなこの気持ちは何なのだろう。真理亜と佐野君の姿が脳裏にちらちらと浮かぶ。それを払拭しようと、私は本を開く。

 けれど十ページも読まないうちに、大崎君が現れた。

「何読んでるの?」

 大崎君が私の隣に腰掛ける。私は本を閉じて、欲望という名の電車、と答える。黄色い紙に虫食いみたいに火で穴のあけられた表紙に眼を落とす。

「委員会、もう終わったの?」

「うん、球技大会の打ち合わせだけだから。」

 大崎君は体育委員をやっている。そのことを今日、私は知った。

「球技大会、大崎君はサッカーにでるんだよね。」

「うん、部活引退してからずっとやってないから、一ヶ月ぶりくらいだよ、サッカーやるの。」

「頑張ってね。」

 私は笑って立ち上がる。

 大崎君といると私は窒息しそうになる。呼吸の仕方とか、歩き方まで忘れてしまいそうになる。そんな私を悟られないように、無理に私は笑う。

 本棚に本を戻して、鞄を持って、帰ろう、と大崎君に言う。

 並んで図書室を出て、渡り廊下を歩く。埃っぽくて暖かい廊下を俯いて歩く。陽射しが右半身を暖める。

 ぽつぽつと会話を交わしながら、私は大崎君の顔が見れない。

 私達は、毎日、一緒に帰る。一日おきぐらいに、大崎君から私に電話がかかってくる。やんわりと私は当たり障りのない会話をして、やんわりとやり過ごす。私は日に日に狡くなる。

「日曜日、映画行かない。」

 いいよ、と頷いて、私は眼を逸らす。誰かの家の庭に芥子の花が咲いている。 私から大崎君に電話をしたことはない。どこかに誘ったこともない。

 私は、狡い。

 

「エリって、佐野君のこと好きなの?」

 飴玉を口の中で転がしながら、唐突に真理亜は言った。

「なんで?」

「エリっていつも佐野君見てるもの。分かっちゃうよ。」

 私は黙ってグラウンドを見る。サッカーボールを追いかける大崎君が見える。

「好きじゃないよ。私、大崎君と付き合ってるのに。」

 今日は球技大会。私と真理亜が出たバレーは早々に負けてしまって、うちのクラスで残っているのはサッカーだけだ。グラウンドではクラスの女の子達が黄色い歓声をあげている。

 私達はグラウンドから少し離れたところにある高い鉄棒の上に腰掛けている。

「私、エリが佐野君のこと好きでもそうじゃなくても、佐野君と付き合うこともエリと友達でいることも止めないから。」

 とても綺麗な横顔で、真理亜は言った。

「好きじゃないから安心して。」

 好きなわけではない、少し気になるとか、その程度。だから何でもない。

 グラウンドで歓声があがった。大崎君がシュートを決めたらしい。

「エリの言うことを本当だと思うから。」

 早口に真理亜は言った。

 私は無言で空を見上げる。雲が空を覆っている。

 どうなってしまうんだろう。

 ぼつんと思って、地面を見る。だらりと力なく垂れている自分の脚が見える。

 涙がこぼれそうな気がして、吹いてくる風を顔で受けた。

 

 喫茶店で私は、大崎君を待つ。待ち合わせの時間をもう十五分過ぎている。

 急になんだかいたたまれなくなって、私は席を立ち上がる。

 このまま走って逃げてしまおう。

 ほとんど口もつけないまま残っている紅茶。私は伝票を掴んでレジに向かって歩いていく。

「竹田さん、どうしたの?」

 レジに辿り着く前に、大崎君の声がした。私は驚いて、伝票をぐしゃりと握りつぶす。声をした方を見ると、大崎君が笑って立っていた。

「あ、なんか、待ち合わせ場所、間違ったのかと思って。」

 顔がひきつっているのが分かった。大崎君の眼が見られなくて、私は眼を逸らす。

「ごめん、遅れちゃったから。」

 大崎君はぽりぽりと頭を掻く。うううんと、私は首を振る。

「映画、もう始まるから行こうか。」

 大崎君が選んだのは、ハリウッドのラブストーリー。

「こういうの、好きなの?」

 私が訊くと大崎君は、竹田さんが好きかと思って、と答えた。ちょっと答えにつまって、大崎君から眼を逸らして、この映画見たかったんだ、と私は嘘をつく。

 大崎君の前で、私は嘘ばかりついている。私はどんどん嘘付きで狡い女になっていく。

 私はハリウッドのラブストーリーが好きではない。恋愛物ならヨーロッパの物の方が私は好きだ。

 館内の自販機の前に立って、大崎君はジュースを買っている。

「ウーロン茶でいい?」

 ありがとう、と私はお礼を言って、財布から百十円を出す。

「いいよ、今日、待たせちゃったし。」

「うん、でも。」

「いいって、本当に。」

 私は財布にお金をしまって、缶ジュースを受け取る。その時指先が大崎君の手に触れて、反射的に私は手を引っ込める。ウーロン茶が派手な音をたてて、二人の間に落ちる。

「あ、ごめんなさい。」

 大崎君がそれを拾って、私に渡してくれる。大崎君が困ったような顔をして笑っていて、私は途端に眼を逸らす。大崎君の表情が凍るのが分かった。大崎君の顔を見ずにウーロン茶を受け取る。

 私は、大崎君を傷つけているのかもしれない。

 そのことに思い当たって、顔が熱くなった。

 私はその日、映画を見て感動したわけでもないのに泣いた。

 

 声をかけられて振り返ると、佐野君がいた。

「大崎、待ってるの?」

 頷いて、顔が赤くなっていくのが分かった。

「佐野君は、真理亜を待ってるの?」

 顔が赤いことを悟られないように、佐野君の学生服の襟元の辺りを見ながら訊いてみる。

「うん、理科室の掃除、まだ終わらないみたいだね。」

 佐野君は私が座っている後ろの席に腰掛ける。

「高野さんが、よく竹田さんの事言ってるよ。本当に仲良いんだね。」

 佐野君がふわりと笑う。ちょっと笑っただけで、佐野君の眼はなくなる。

「真理亜、私のことなんて?」

「たいしたことは言ってないけど、なんかよく言ってるよ。この間はなんて言ってたかな。」

 佐野君の声を聞きながら、真理亜が言っていたことを思い出す。佐野君が真理亜のことをずっと高野さんと呼んでいること。なんかこういうの初めてで、感動してるんだ、と真理亜は言った。

「あ、お好み焼き屋に行ったって話をしてた。俺、結構、竹田さんのこと詳しいよ。竹田さんの好きな食べ物も作家も知ってるし。」

「本当に?」

「うん、好きな食べ物はクロワッサンで、好きな作家はサガンでしょ。」

 すごい、と私は大げさに驚いてみせる。

 私も真理亜と佐野君が付き合いだしてから、佐野君のことは随分詳しくなった。知れば知るほど底なしの沼に沈んでいくように、私は佐野君が好きになる。

 ヤバイよ。

 胸の中で思った時、真理亜と大崎君が廊下を歩いてくるのが見えた。

 

 教室を出て、階段を半分降りたところで、私は弁当箱を忘れたことに気がついた。ちょっと待ってて、大崎君に言って、私は教室へ戻る。

「なんなのよね、竹田さん。可愛くもないくせに。」

 教室から激した声が廊下にいる私の耳にまで届いた。

「何が良くて大崎君、竹田さんなんかと付き合ってるわけ。」

 私はくるりときびすを返す。階段の途中で大崎君は私を待っている。

「あれ、弁当箱は?」

「いいの、間違い。」

 早口に言って、大崎君の眼を見る。

「どうかしたの?」

 私は首を振る。大崎君は眉根を寄せて溜息をつく。

「ちょっとぐらい相談してほしいんだけど。」

 大崎君は怒ったように身を翻す。無言で歩いていってしまう大崎君を私は必死で追いかける。大崎君は私を振り返らない。靴をはきかえて玄関を出て、大崎君を見失う。

 私は打ちのめされていて、それでも校門まで一人で歩く。

 校門を出たところで、私は歩けなくなって立ち止まってしまった。校門からたくさんの生徒がはきだされた流れていく。その流れを私は一人で止めている。

 泣きたくない。

 唇をぎゅっと噛んで俯く。でも、涙は流れた。

 突然腕を引っ張られて、つんのめるように脚が前に出る。見上げると、歩いて行ってしまった筈の大崎君だった。私はぎゅっと涙をこらえる。大崎君は私の腕を引いたまま怒ったように歩いていく。

 来たことのない公園のベンチに座らせられて、私は鼻を啜った。大崎君は自動販売機で温かい缶コーヒーを買ってくれた。

 缶コーヒーを握りしめながら、私は黙っている。大崎君も私の隣で缶コーヒーを飲みながら黙っている。

 雨が降ればいい。耐えきれなくなった空が、散々に泣き散らしてくれればいい。 公園に人影はない。葉が落ちて寒々とした木ばかりが眼につく。私はぶるりと身震いする。

 喋らなくちゃ、と思って口を開ける。喉に声がぺたりと貼り付いてしまって、口からはヒューと空気が漏れた。

「大崎君は。」

 声はガサガサに掠れていた。

「大崎君はどうして私と付き合ってるの?」

「どうしてって。」

 困惑した声で大崎君は言葉を切る。憮然とした表情を大崎君はしている。

「何が良くて大崎君は私なんかと付き合ってるのかって、みんな言ってる。」

「誰が?」

 私は首を振る。こんなことは言いたくない。

「誰が?」

 さっきより大きな声で大崎君は言った。私はぎゅっと缶コーヒーを握る手に力をいれる。

「言ってやるよ、そいつに。俺達のことに口出しするなって。どうして付き合うのかって、好きだからに決まってんじゃん。」

 なおも黙っている私に、大崎君は口調を和らげて、なんか言われたのか、と訊いてきた。

 私は首を振る。

「いいの、もう。帰ろう。」

 私が立ち上がると、大崎君は悲しそうな顔をした。

 大崎君をまた傷つけたのが分かった。

 

 真理亜は私のためにホットミルクをいれてくれた。

 大崎君に家まで送ってもらって、鞄を置いて私服に着替えて、真理亜の家へ来た。玄関チャイムを押して、真理亜の顔を見た途端、私は泣き出してしまった。

 真理亜の部屋に通されても、私はまだ泣いていた。ホットミルクを飲みながらしゃくりあげる。

 真理亜は黙ってホットミルクを飲んでいる。

「ごめんね。」

 私は鼻をかむ。なんだかぐちゃぐちゃだ。

「いいよ、泣きたいだけ泣きなって。」

 真理亜がCDをかける。気怠い曲が部屋に流れる。

「この曲、何?」

 やっと涙が止まる。私は音を立ててホットミルクを飲む。

「サティ。」

 短く答えて真理亜はCDのジャケットを弄んでいる。それから、どうしたのという眼で真理亜は私を見た。

「今日、偶然、立ち聞きしちゃったの。可愛くもない私なんかと、どうして大崎君は付き合っているんだろうって、言ってた。」

「妬んでるのよ、気にすることないワ。」

 私は黙る。

「ねぇ、エリは気付いていないみたいだけど、エリは本当は可愛いのよ。」

 真面目な顔をして真理亜は言った。けれど私は、真理亜の言うことを信じない。鏡を見れば自分が可愛いのかそうでないのかぐらいは分かる。

 窓の外を見る。雪が降り出していた。

「雪。」

「あぁ、本当だ。寒いもんね、今日。」

「もう、積もるね。」

 言って私はホットミルクを飲み干す。

「帰るね。今日は、ありがとう。」

「送っていこうか?」

「うううん、一人で帰る。」

 マフラーを巻いて、コートを羽織る。

 真理亜に手を振って、ありがとうと言って、外に出る。ぴりりと冷たい空気に気持ちが静まる。

 私は、真理亜に言えなかったことを思う。私が泣いた本当の理由。それは陰口をたたかれたことではなくて、大崎君のことだ。私が大崎君をきちんと好きじゃないのに、付き合っていること。問題は全部、そこにあるのだ。

 どうして私は、大崎君が好きじゃないんだろう。

 雪が私の肩や頭に積もる。勝手に積もる。

 

 クリスマスも冬休みもバレンタインデーもいつの間にか過ぎて、卒業は唐突にやって来た。

 私は短大に、真理亜は専門学校に、佐野君は私立大学に進学が決まっていて、大崎君は四月から自動車の整備士になる。

 私は何の努力もせずにあっさりと推薦で、四月から短大に通うことに決まった。 卒業したら、みんなバラバラになる。

 卒業してもつき合えるかな、と大崎君は言った。バレンタインデーも過ぎた二月の雪の通学路で、私は首を振った。これ以上嘘をつくことも、大崎君を傷つけることも、してはいけないと思ったから。大崎君は何も言わなかった。

 卒業式は滞りなく終わった。私の隣で真理亜は『仰げば尊し』を歌いながら泣いていた。けれど、私は泣かなかった。

 真理亜と佐野君はまだ続いている。真理亜が一人の人とこんなに長く付き合うのは初めてのことだ。

 卒業式の終わった教室は、別れを惜しむ生徒たちの声で溢れかえっている。

 教室の片隅で、真理亜と佐野君が制服のリボンと第二ボタンを交換しあっていた。私は廊下から、その光景をぼんやり眼に映す。静かな心で二人を見る。二人は光の中にいる。

 下級生の女の子達にやっと開放された大崎君が、私の所に戻ってくる。大崎君の制服には、第二ボタンしか残っていない。黒い制服の上で一つだけ金色に光るボタンを大崎君は丁寧に外して、私に差し出した。

「ありがとう。」

 私は笑って、それを受け取る。それから自分の制服のリボンをほどいて、大崎君に渡す。

「ごめんね。」

 呟くように謝ると、大崎君は顔を歪めて少し笑ってそれを受け取った。指先と手が少し触れた。その刹那、私は大崎君のことが好きだったのかもしれない、と、思った。そう思うとなんだか泣きたくなった。けれど私は泣かなかった。大崎君は何にも言わずに、私から離れて教室に入っていった。

 結局、私達は付き合ってから一度も手をつなぐことさえしなかった。

 手の中で金色のボタンはひんやりしていた。

 

 そんなふうにして、私達は高校生ではなくなった。

 

 それから、五年。

 私の元に一通の手紙が届いた。


 


 

 結婚しました。
   佐野 健児
      真理亜(旧姓 高野)
 




 

 

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