私はもう30分も学校の廊下に座り込んでいる。
永遠とも思えるぐらいの長い時間。
人の通る気配はまったくなかった。
もう七時近いのであろう、辺りは真っ暗だ。
2月の学校の廊下はほとんど外気と変わらない温度で、私の身体は半分凍りかけているかもしれない。
手足にはもう感覚がなかった。
なぜ私がこういう状況に陥ってしまったかというと、端的に言えば階段から落ちたのだ。
ただ落ちただけなら良かったのだか、私はその時両足とも挫いてしまったらしく動けなくなってしまった。
脚に力をいれようとしても、力が入らない。
それでも無理して立とうとすると脚に激痛が走る。
それで、私が30分間頑張って進んだ距離は、たったの5メートルと言ったところだろう。
今日はこのまま学校で一夜を明かさなければいけないのかもしれない。
凍死しなければ良いけど。
私が半ば諦めてそう覚悟したとき、廊下に人影が現れた。
長身の男子生徒らしい人影が、私の方へと歩いてくる。
私は涙が出そうなほど嬉しかった。
が、その人影は私に目もくれず、私の前を通りすぎていく。
私は慌てて人影に声をかける。
「あの、すいません。助けて下さい。」
人影はゆっくりと振り返った。
私はそのいつもだるそうな顔に見覚えがあった。
クラスメートの谷村だ。
人が廊下に座り込んでいるのを見て、黙って通り過ぎるなんてどういう神経をしてるんだろう。
「なに?」
面倒くさそうに谷村が言う。
「階段から落ちて、脚、挫いちゃったみたいなの。お願い、保健室かどこかまで、連れてって。」
谷村は無言で手を差し出した。
私よりもずっと綺麗で整ったその手に掴まったとき、私は驚いて声を上げそうになった。
冷たい!
差しのべられたその手は、廊下にずっといて相当に冷たくなっているはずの私の手よりもはるかに冷たかった。
私は驚いて、痛む脚のことも忘れて立ち上がろうとした。
途端に激痛が走って、私はまた座り込む。
「どっちの脚?」
「え?」
「どっちの脚が痛むんだよ?」
「あ・・・両方。」
谷村が無言で私の脚に手を置く。
私の体温を根こそぎ奪いそうなくらい谷村の手は冷たい。
谷村が私の足を引っ張る。
い、痛い。
なにしたのよ、こいつ。
「ちょっと、立ってみて。」
「はぁー、なに言ってんの。立てるわけないでしょ。」
「いいから、立ってみろよ。」
半ば強制的なその声に、私は渋々と従った。
絶対に立てるわけがない、という思いは、見事なほど裏切られた。
右脚は少々痛んだが、左足はまったく痛まない。
これならきっと歩いて帰ることだってできるだろう。
「大丈夫だな。じゃあ。」
谷村はそういうと、足早に階段を上り始めた。
私は慌ててその背中に声をかける。
「ありがとう。」
それにしてもあの人、私の脚に何をしたんだろう。
あんなに痛んだ脚が、こんなに簡単に治ってしまうなんて。
そこまで思って、背中に悪寒が走った。
捻挫って、そう簡単に治るものじゃないよね。
あ、でも、捻挫って決まったわけじゃないし、陸上とかやってる人だったらそれなりの応急処置ぐらい知って・・・谷村、帰宅部だわ。
あ、でも昔なにかやってたのかもしれない。
それにしても谷村、帰宅部のくせにこんな時間まで何やってたのかしら。
それにあの手の冷たさ。
まるで人間じゃないみたい。
か、考えるのよそう。
次の日に病院に行くと、右脚の軽い捻挫との事だった。
じゃあ、あの昨日の激痛はなんだったのだろう。
やっぱり谷村が・・・。
そう谷村が超能力者か、はたまた宇宙人かって事になる。
と、理加に話したら、一笑に付されてしまった。
「瞳子、あんた最近SF小説読んだでしょ。」
理加はそう言って、笑い続けた。
私は図星だったので、何も言い返せなかった。
「まったく瞳子は、思いこみが激しいんだから。」
私はその一言にムッとなって言い返す。
「じゃあ、あんな時間まで谷村は一体何をしてたっていうの?」
「さあね。そんなに気になるんだったら、今日の放課後でも、谷村のこと張ってみようか?」
放課後、私達は理科室の前廊下にいた。
もちろん理科室の中には谷村がいる。
「谷村の奴、こんな所で何やってんのよ。」
谷村はさっきからビーカやフラスコ、ガスバーナー等を使って、何かやっている。
と言うよりも、なにか作っている。
「ねぇ、何作ってんのかな?」
「さぁね。」
「なんか、ますます怪しげ。」
「そぉ?」
理加があまり興味なさそうに言ったとき、いきなり谷村が理科室のドアから顔を覗かせて言った。
「なんか用?」
思わず逃げ出そうとした私を尻目に、理加は笑いながらぺらぺらと喋りだす。
「あ、谷村君聞いてよ。瞳子ったらねぇ、谷村君が宇宙人じゃないかって言うのよ。だから、ちょっと確かめにね。」
「宇宙人だぁ?」
そう言った谷村はげらげらと笑いだした。
私はムッとして言い返す。
「だったら一体理科室で何してたって言うのよ?」
谷村はヒーヒー笑いながら答える。
「知らなかった?俺、化学部員なの。」
「化学部なんて、うちの学校にあったっけ?」
「ま、一応ね。俺と幽霊部員があと2人しかいないけど。」
「でも、じゃあなんで、私の脚、あんなに簡単に治せたの?変じゃない。」
「あぁ、俺昔、サッカーやってて、あれぐらいの応急処置の仕方は知ってんの。それにあんたの脚捻挫じゃなくて、腓返りみたいなのおこしてただけだし。」
「じゃあ、あの手の冷たさは?」
「手?なんのこと?」
「手が普通じゃないくらい冷たかったじゃ・・・、いい、分かった。昨日はどうもありがとう。助かりました。じゃあね。」
私は馬鹿馬鹿しくなって訊くのを止めた。
どうせあの手の冷たさだって、冷たい水でビーカーでも洗った後だったんでしょ。
あーあ、馬鹿馬鹿しい。
宇宙人なんてそうそういるわけないのよね。
私ってば、どうかしてたんだわ。
あんな事で谷村を宇宙人って決めつけるなんて、馬鹿みたい。
「気は済んだ?」
理加がまだ笑いの残る顔で言ってきた。
「どうせ、思いこみが激しいですよ。」
私はちょっと頬を膨らませて答えた。
山内瞳子に言ったことは本当だ。
俺はれっきとした化学部員だし、昔は少年サッカー倶楽部にだって所属していた。
だが、俺が宇宙人だって言うのは、当たらずとも遠からずだ。
俺は、アンドロイドなのだ。
俺は、谷村信彦の記憶をインプットされ、彼の容姿をコピーしたアンドロイド。
谷村信彦は、いわゆる天才だ。
幼い頃からその才能を見出され、英才教育を受け、11歳から某一流会社に勤めている。
奴は裏の世界では知らない者のない科学者で、新薬の開発を主に行っている。
新薬と言っても医療に用いられる物から、ヤバイ物まで幅広く。
谷村はそっちの仕事の方が忙しいから、代わりに学校に行ったり、主な日常生活をこなすアンドロイドの俺が谷村自らの手によって作り出された。
俺はほぼ完璧に谷村信彦のコピーだ。
怪我をすれば血だって流れるし、食物だって食べられる。
成長だってする。
もちろん谷村の記憶や頭脳、容姿はほぼ完璧にコピーしている。
ただ違うのは、普通の人間より体温がほぼ5度近く低いことだけだ。
でも、最近俺は思い始めている。
俺が本物の谷村信彦なんじゃないかって。
ここまで完璧に作られている俺の体温だけが人間より異常に低いなんておかしすぎる。
アンドロイドと人間を区別するために、あるいは人間をアンドロイドだと思わせるために、わざとそうしているとは考えられないか。
俺が本物の谷村だとしても、不思議はない。
それにもし、俺と谷村が入れ替わったとしても、なんの問題も生じない。
そう、何も問題はないんだ、俺と谷村が入れ替わったとしても。
「ただいま、谷村。」
俺の右手で、ナイフが鈍く光った。
「まったく馬鹿だよな、お前。お前のコピーの俺がおとなしくお前の代わりやっているとでも思ってたのかよ。」
谷村は何も答えない。
俺がナイフで傷つけた谷村の首筋からは、真っ赤な液体が流れ出している。
「心配すんな、殺しはしないから。お前には俺の代わりをやってもらわなくちゃならないからな。俺だって表舞台に立つ権利があると思わないか。ずっとお前の黒子をやってきてやったんだから。次に目が覚めたときは、お前が俺のコピーになってるんだ。」
谷村は俺の言葉を聞き終わる前に意識を失っていた。
理科室から失敬してきたクロロフォルムをかがせたのだ。
口元が自然とほころんでくる。
後の始末はわけなかった。
谷村の部屋には必要な物が全てそろっている。
まず傷口を消し、谷村の脳にコピーである俺の記憶を植え付け、谷村の記憶を俺の頭にたたき込む。
そして、最後に体温の調節をする。
体温調節の薬を作るのには半年を要した。
学校の理科室で毎日薬を調合した。
材料が少なくて苦労したが、薬を作ること自体はたやすかった。
やはり、この程度の薬を谷村が作れなかったと考える方が不自然だ。
コピーとオリジナルを区別するために、故意に俺の体温は低くされていたのだろう。
次の日から、谷村は何も知らずに俺のコピーとして学校に通い始めた。
俺と谷村が入れ替わったことに気付く者はいなかった。
それから5ヶ月ほどたったある日のこと。
「ただいま、谷村。」
そう言って、俺のコピーとなった谷村がナイフを持って目の前に立ちはだかった。
その時俺は、何もかもを悟った。
・・・そういうことか。
谷村は俺の首筋にナイフをたて、聞き覚えのある台詞を口にする。
「まったく馬鹿だよな、お前。お前のコピーの俺がおとなしくお前の代わりやってるとでも思ってたのかよ・・・。」
そういうことか。
これじゃあどちらがオリジナルかもわかりゃしない。
一体幾度、俺達は同じ事を繰り返してきたんだろう。
これから幾度、こんな事を繰り返していくんだろう。
まったく馬鹿な話だ。
薄れていく意識の中、俺は思った。
今度はちゃんと殺してやるよ、谷村。