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ドクター・アルモンデの熱烈オペラ入門(第1回)
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| 第1回 <絶対泣けるオペラ3作品> |
| オペラは高尚な音楽だ!オペラは難しい!などという間違った社会常識をひっくり返して、オペラに接する機会が 少ない人に、オペラほどオモロイ娯楽はほかにないということを知ってもらい、ついでにこの際だからオペラに どっぷりつかっていただこうと思いたちました。 今回は、<オペラはクラシック音楽ではない>という話から始めます。オペラ=クラシック音楽とは決して 言えないのです。その理由は、オペラは音楽だけで成り立っているものではないということ。オペラには言葉 <せりふ台詞>があります。筋書きがあり、物語があります。従ってオペラはナンデモアリの「俗物大衆文化」で ある、ということをとりあえず判っていただきたいと思います。オペラはアホクサいのです。なにしろドラマ<演劇> だけでも十分物語が楽しめるというのに、その上音楽まで付いているのですからクサくなって当然です。 ストーリーだけ読むと恥ずかしいほどクサいのです。ほとんどお涙頂戴の新派か浪花節の世界です。 しかし、それにひとたび音楽が付くとこれがクサいどころかボロボロと泣けるのです。それがオペラの魅力です。 音楽のすごさです。セリフにメロディがつくと悲しみが2倍、3倍に増幅して表現されるのです。そこでまずその 証拠に、お聴きになったら必ず泣けるオペラを3本ご紹介しましょう。 *ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)作曲:「ラ・ボエーム」「蝶々夫人」 泣けるオペラときたら、イタリアの作曲家・ プッチーニの作品でしょう。「ラ・ボエーム」(ボヘミアン=若い芸術家たち)では、若く貧しい詩人ロドルフォと 薄幸のお針子ミミの悲しい恋物語、それをとりまく若き芸術家たちの貧しいけれど希望に満ちた群像を生き生きと 描いています。 第3幕 お互いに未練を残しつつもいったんは別れたロドルフォのもとに結核に冒されている瀕死のミミが最期の 別れに訪れます。仲間たちがそれぞれにミミのために力を尽くすべく部屋を出て行くと、「これでふたりきりね」と ミミが語り始め、懐かしい出会いを二人で話し合う。眠りに入ったミミをベッドに残して離れた時、ミミは静かに 息たえるが、ロドルフォは気がつかない。ミミが絶命しているのを見つけた友人たちがそれをロドルフォに告げ 「ミミ、ミミ」というロドルフォの悲痛な叫びのうちに幕が下りる。この場面でのプッチーニの音楽はミミの死を、 そしてそれを見守る若者たちの心情を、そして静かな劇的情景を見事に描ききっています。このオペラは間違いなく、 100パーセント泣けることを保証します。いや、心から泣いて下さい。劇場を後にする時、ほとんどの観客が 目を真っ赤にはらしておりますから恥ずかしいことはありません。 蝶々夫人のストーリーはすでによくご存知でしょう。アメリカ人の夫・ピンカートンに裏切られて苦しむ 蝶々さんが、更に子供まで手放さなければならないと悟り、「恥辱の中に生きるよりは名誉ある死を選ぶ」と 自刃しようとする時、それを止めようと機転をきかした女中のスズキがそっと坊やを蝶々さんのもとに送り込む。 ここから歌われる全曲中もっともドラマティックな「さようなら坊や」のしぼり出す様な悲痛なアリア、そして坊や に日本とアメリカの国旗をもたせて部屋から出し、オーケストラが不気味なそして切迫した音楽を奏でるなか、 蝶々さんは短刀を胸に突き刺してこと切れる。このオペラは日本を舞台にしているだけに、「越後獅子」や 「宮さん宮さん」など懐かしい日本のメロディがひんぱんにあらわれて親しみやすく、また日本人の心情に 訴えるドラマでもあるが、やはり泣かせる最大の原因はプッチーニの音楽そのものであることは間違い ありません。これも間違いなく泣けます。 * ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)作曲:「椿姫」 次に同じくイタリアオペラから、ヴェルディの「椿姫」で泣いていただきましょう。 この「椿姫」という題は日本が勝手につけたタイトルで、正式には「ラ・トラヴィアータ」すなわち"道を踏み外した 女"という意味です。18世紀のパリの社交界に君臨した高級娼婦ヴィオッレタが、純粋なしかし世間知らずな 青年アルフレードと出会って初めて本当の恋を知り、田舎で一緒に生活をする。そこへアルフレードの父親が現れ、 "我が一門の家系に傷がつく"といって執拗に別れることを強要する。この場面の二人の長い長い二重唱は息詰まる 緊迫感に満ち、刻々と二人の感情が変化してゆくさまが音楽で十全にそして劇的に表現されている。 歌詞でなくヴェルディの音楽が、ヴィオッレタの哀しい決断に説得力を与えるのです。第3幕では結核に冒された ヴィオッレタが死を待つだけの身になっている。そこへアルフレードと父親がかけつけてヴィオッレタに許しを請うが、 時すでに遅くヴィオッレタは一瞬の喜びの声をあげながら、最期のわずかな命を燃やして息絶える。 ここで観客はオヨヨと泣くのです。ハンカチは絶対に手放せません。 オペラ、特にイタリアオペラには理屈は要りません。ただただ歌に酔い、そのメロディの流れに耳を傾け、 身をまかせればいいのです。まして世紀の名歌手といわれるような傑出した歌手のこの世のものとも思えない 声の魅力にどっぷりつかり、物語のヒロインやヒーローに感情移入して泣いたり、笑ったりすればよいのです。 指揮者、オーケストラ、歌手、合唱、演出、美術、照明、時にはバレー・・・・とそれぞれの要素が微妙に 絡み合い、バランスがとれた時に、すばらしい舞台が出現するのです。まさにこの上ない至福の時です。 正直に云うといつもこれらの要素が完璧に満たされる上演にはなかなか出会うことはありません。しかし、 ひとたびそのような上質の上演に遭遇した時、それは人生の夢が叶う瞬間でもあるのです。一生の財産を 手に入れたといっても過言でない位の感動を得ることになります。 ながながとオペラの楽しみを述べてきました。おそらく偏見と独断に満ちているかも知れません。 全てのオペラ作品が今まで述べてきたようなカテゴリーや分類に当てはまる訳ではありません。バロックから 現代作品まで、愛と喜び、嫉妬、報復、狂気、欲望、友情、裏切り、栄光・・・・・、オペラには、音楽のすばらしさは もちろん、ありとあらゆる人間ドラマが表現されているのです。異論、反論もおありでしょうが、好きなものは好き、 異論、反論があっても私しゃ、知らん。 |
