自立のための10作戦 その9・10


第9条 家庭でも社会でも、喜び見つけて
みんなで防ごう閉じこもり
第10条 進んで利用、機能訓練・デイサービス
寝たきりなくす人の輪・地域の輪


(厚生省指針より。一部改変)


リハビリテーション科部長 斉藤裕





はじめに

「自立のための10作戦」と書いてあります。以前にも皆さんにお配りしましたけれど、これは厚生省で発表している「寝たきり予防のための10カ条」というものなんです。その一部の「寝たきり」というところをできるだけ「自立」という言葉に代えていって、そしてここに1条から10条まで書いてありまして、それについてお話を申し上げたいと思っております。これは1年ぐらい前から第1条、第2条と順に説明をしてきたものですが、いよいよ今年の最後で第9条、第10条というその二つについてみんなで考えてみようかということなんです。

今日も、話の中ではどうしても「寝たきり」という言葉を使わざるを得ない場合も出てくるかと思いますが、そこのところは誠に申し訳ありませんが、その言葉を使わせていただくことにします。

「自立のための10カ条」の第9条・第10条を読んでみたいと思います。第9条が「家庭でも社会でも喜び見つけ、みんなで防ごう閉じこもり」というものです。第10条が「進んで利用しよう機能訓練、デイサービス。寝たきりなくす人の輪、地域の輪」というものになっていますが、これは二つとも大変似た種類のことを意味していると思いますので、この二つをひとつにまとめて一緒に説明していこうと考えています。今回、どう説明するかという中で、私が今でも一番頭を悩ませ続けているのが「喜びを見つけよう」ということなんです。どうやって喜びを見つけようかと。これは大変難しすぎるので、まず別のところから説明していこうと思います。僕自身もよく分からない面もありますので、色々経験されている皆さんのことですから、何か教えていただければという気持ちでもいます。


リハビリはベッドサイドから

私たちが行っているリハビリテーションとかリハビリ教室、そういうもので最終的な目標にしていることは何かと言いますと、「病気になったり、病気があるところまでいって障害を残してしまった人たちが、いかに元の生活の状態の中にそれなりの能力を持って戻っていけるか」ということを目指しているわけです。

病気になって、病院というところに入院してしまいます。そうすると、我々の仕事として何をやっているかというと、まずベッドサイドで運動をはじめます。脳卒中には、脳が詰まってしまったために脳卒中になった方と、血が出るために脳卒中になった方と、簡単に言えばその二つがありますけれど、血が詰まってしまった、すなわち血管が詰まったために起こった脳卒中の方は、だいたい、3〜4日後から病室で訓練を始めるということをひとつの目標にしています。そして、頭の中で出血した方はだいたい1週間〜10日目ぐらいを目安に運動を始めるということを、最初の段階のリハビリのやり方のひとつと考えています。

この時期にやろうとしていることは何かといいますと、手足の関節が固まってしまわないようにしようとか、色々な関節が変な格好に置かれて傷んでしまわないようにするために少しでも動かすとか、横になっている状態の段階で動かします。足や手が変によそ向きになってしまわないように当てものをします。あるいは肩ですね。寝ていると腕の重みで肩が悪くなってしまいます。そういうことを防ごうということで、ベッドサイドでまず運動を始めるわけです。こういうことをやりながら、少しずつ座ることも始めていきます。これがいちばん最初に行われているベッドサイドでのリハビリになるわけです。




ベッドサイドから訓練室へ

そういうことをやりながら、その後は訓練室の方に降りていくということになります。訓練室の方に降りていってやろうとしていることは何かというと、寝た状態から起きあがって、そして歩こうとか、動こうとか、車椅子に乗って移動しようとか、そういうことを理学療法の方ではやっていくし、作業療法の方では手をたくさん使ったり、輪投げをやったり、シャッフルボードというものをやったり、手の作業をやったりします。ああいうものは、手の作業そのものだけを目的にしているのではなくて、そういう状態を保ちながら体をうまくコントロールできるようにとか、すぐ倒れてしまわないようにとか、体力をつけていこうとか、そういうことをやっているわけです。


そして、退院へ

病気になって病院に入院して、そういった訓練をやっていって、そしていよいよ退院ということになってきます。自宅に退院できる方もいます。しかし色々な都合で、病気の重さゆえかもしれないし、あるいは家庭での色々な事情によるかもしれない、そういう事情がある人は自宅以外に戻っていくということになります。

自宅に戻った方が、自分の住んでいる場所でそれなりの能力をあらわしながら生活できる、色々なことをやっていける、それは必ずしも仕事をやることではなくて、退院して地域のクラブ活動に入ったり、あるいはみんなでレクレーションをしたりというようなこともありますし、家族と色々なところへ出て歩くとか、そういった色々な楽しみがあると思います。そういうときに、そのようなことができるためにはやっぱりある程度の体の動きというものと、そして色々な精神的な面での「何かをしたい」という欲求、そういうものが必要になってきます。必要にはなってきますが、実際に体の状態があまり思わしくなければ、外の社会生活になかなかつながっていきづらいわけですね。そういったような、自宅に帰って、なおかつ、ずっと自立するためにうまくいかないときには、「訪問リハビリ」ということを我々はやります。その人の家庭に行って色々な訓練をやります。そういうひとつの流れをもちながら、リハビリを実際にやっています。

ここまでは我々の仕事の範疇なので、病院というところでこういうものをやっています。しかし、家庭の方に帰ると色々なサービスを受けられなくて、がたっと落ち込んでしまうと、一般には、ここから先は福祉の方でやる種類のことだから、ということで、あまり我々の方では手を出さないようなシステムになっています。しかし、外に出たくない、体の状態も悪くて外に出られない、色々な意味から寝たきりになるという種類のことがあると、どうしてもうちのなかで閉じこもりという状態になってしまいます。




釧路市の機能訓練事業「ばんざい教室」

そのために我々は訪問リハということをやりますけれど、もう一つは、今、市のレベルでやっているんですが、市で行うリハ教室というものがありますね。実は私たちが月に一回行くんですが、「ばんざい教室」という名前で呼ばれているものがあります。市の機能訓練事業というものがあって、それに私たちのリハビリ部門というものが協力して、一緒に仕事をしているわけです。市の仕事の一部を我々は請け負ってやっているわけです。

実際に市では、ばんざい教室で能力がある程度アップした人は、そこを卒業してデイサービスという部門に行くというようになっています。だから、病気をした人が病院での治療あるいは訓練を通して、自宅に帰って、そして自宅に帰った人がうちの中で閉じこもらないようにできるだけこういう訓練事業のようなところへ出向いて、そして、さらにそこで色々なことができるようになったら、次にデイサービスセンターというようなところに行って、たくさんの人が集まって楽しんだり、友好を深めたり、ということで、最終的に少しでも地域の方に戻っていければいい。ということで、こういうような流れのことをリハビリテーションというのはやり続けているわけです。

そして、寝た状態から起きるようにするにはどうしたらいいだろうかとか、その起きた状態を保ち続けるにはどうしたらいいだろうかとか、起きた人が立ち上がれるようにするにはどうしたらいいだろう、立ち上がった人が歩けるようにするにはどうしたらいいだろう、あるいは歩けない人が車椅子を使うときにはどういう車椅子をどうやって使ったらいいだろう、というようなことをずっと今まで1年間にわたって説明をしてきたわけです。

「自立のための10作戦」1枚をやるために1年間も費やしているわけですから、色々なことが皆さんの頭の中から薄れてしまっていることも多かろうと思いますので、これが全部終わったら、また一に戻って、1年間かけて説明しようと思っています。同じようなことをまたお話ししていこうかなと思っています。

うちの中に閉じこもらないように少しでも外に出るために、この訓練事業というものを市が行っているんですけれども、その時に各家庭に来るまで迎えに行って、米町の老人ふれあいセンターへ行って、訓練が行われています。ふだんはボランティアの方と市の保健婦さんとで訓練をやっていますけれど、月に1回だけこの病院から訓練士の人と僕とが行って、そこで患者さんの診察をして訓練の内容を処方して、それを訓練士が行って、そして保健婦さんやボランティアさんにそれを伝えて、あとの3週間を保健婦さんボランティアさんにやってもらうということになっています。

そういうことを平成7年の7月から始めたものですから、1年以上にわたってやってみて何が変わってきたかということをちょっとお話ししたいと思います。




ばんざい教室の効果

我々がよく使う訓練という言葉の持っているイメージは、訓練をやったらかなり良くなるというようなものでいますけれど、実は訓練をやったからといって、そんなに物事が良くなるわけではないんですね。体の機能とか能力とういうものは、例えば今まで立ち上がりづらかった人が、足とお尻を近づけることや、頭をもっと下げることによって立ち上がりやすくなったとか、そういう種類のことは確かにあるんですけれど、そういう色々な訓練をやったから今まで歩けなかった人がどんどん歩けるようになるとか、そんなうまい話は全くありません。

では何が変わってきたかというと、色々な人がそこに集まって、仲間ができるということですね。仲間ができて、顔見知りができて、うちの中にいたらどうしてもひとつの世界にしか接することができなかったのが、そういうところに出ていくことによって、仲間が出来るとかいうことがあります。そしてそこで、人と会う喜びがあったり、コミュニケーションができるということになります。そうすると不思議なことに、それまで精神的にも閉じこもりがちだった人が、だんだん外の方に目が向き始めていく場合もありますし、仲間と会えるという楽しみができたりすることで精神的な活動が変わってくることがあるんです。そうすると、僕ら自身もそうですけれど、あれをやりたいとかこれをやりたいとか、この人に会いたいとか、そういう種類のことが頭の中に出来上がって、それにつれて体が動いていこうとする原動力になっているようなんです。そして、実際には体の機能がそんなにアップしているわけではないんだけれど、そういうことをやろうということが、体の色々な動作として出やすくなってくるという面があるようです。ああいう訓練のようなことをやる非常に大きな目的は、ここのところにあるのではないかなと思います。人間の精神的な活動がその人の体を動かそうという方向に持っていくと思っています。

その時に何か少しでも動作がしやすくなるようなことが、理学療法士の人たちがいくつかの方法を提示することによってうまくできていくようになる人もいるし、あるいは、何回やってもできないこともありますけれど、前述のような変化が実際には訓練事業の大きな意味することではないかなと思います。そして、うちに閉じこもっていた方が少しでもこういうところに出てこられて、そして何らかの喜びを見つけられることもあるかもしれません。そういうことで、少しでも自分の体を動かそうというような気持ちが出てくると、その人の活動性あるいは能力というのは、実際にはその機能は変わらなくても、顔つきが明るくなるとか色々なことからも分かるように、何か動きが変わってきてるように見えます。そして、訓練をやる前と訓練をやった後でどれだけ違うかという点数付けをしてみて差があるかどうかを調べたんですが、何人かの人は確かに数値の上で大きく変わっているんですね。6点までしかできなかった人が8点ぐらいのことができるようになるとか、そういう違いは確かに何人かには出てくるんですが、それは全体から見ればそんなに大きな変化ではないんです。

そして、こういったことで少しでも何らかの能力がアップしてきた人は、市のやり方としては、次にはデイサービスに移っていただいて、お風呂に入ったり歌を歌ったり、みんなで楽しむようなゲームをしたり、みんなで食事をしたり、それからごく簡単な立ち上がりの練習や簡単なリハビリもやったりというようになっています。少なくとも、病気になって入院した人が訓練を繰り返して、家庭に戻って、それから機能訓練を通してこういうところに到達できるということは、地域に戻って色々なことができるための重要な道筋だと思うわけです。市で行われていることなどの公的なものを利用して、色々なことをやっていくということが大事なんだろうと思います。

ちなみに、釧路市内でデイサービスを行われているところは4カ所ございます。鶴ケ岱啓生園のデイサービス。市で回っているものとしては望洋デイサービスセンター、柳町の鉄北デイサービスセンター、星が浦のデイサービスセンターですね。こういうところではいくらかお金がかかるんでしょうけれど、車が迎えに来てくれて、そこでしばらく何時間か過ごして楽しまれるということがあります。

それからもう一つ、私設の方では、北病院の方で老健釧路というのがありますね。そこでやっているようです。それから釧路町では老健コスモスというところでデイサービスセンターというのがあるようです。まだ、もっと他に私設のものがあるかもしれませんけれど、この6つがあるようです。

市の方は市役所の福祉課へ行って申し込むということのようですし、啓生園や北病院とか老健コスモスなどは、その施設・病院へ行って直接申し込むというような方法をとっているようです。実際に行かれている方がいらっしゃると思うんですけれど、そういうところでの訓練の内容とか、ちょっと教えていただけますか? せっかくですから、皆さんに説明していただければ有り難いです。市の訓練教室からデイサービスの方に行かれましたよね。どんな感じでしょうか?




実際にばんざい教室へ行っている人のお話
(Hさんのお話です)

『去年の7月に米町ふれあいセンターに、市で行っている障害者のためのばんざい教室というものができました。それで、私の近所では私Hとここに去年まで通っていたIさんと、取り敢えず二人で保健婦さんや地域のボランティアさんに助けられながら、歩いたり、椅子から立ち上がったり、そういうことをやっていました。そのうちに労災病院から斉藤部長先生と山田先生が見えられて、あんたはここの部分が悪いようだから、こういう運動をやったらいいんでないかとか、個人個人と保健婦さんに説明されて、そういった運動をやりました。後で仲間に聞いてみますと、病院から退院してうちでどんなリハビリをやっていいか分からないという仲間が大勢おりましたが、そういう説明・指導を受けまして、家庭でもそれを中心にやるようになったという話が多く出ました。

そして、今年の7月に保健婦さんがうちに来まして、色々お話しした中では、あの人は椅子から立ち上がるのがだいぶ良くなったよとか、そういう良くなった方向の話が多くありました。去年の10月ですか、保健婦さんから、春採ふれあいセンターができてそこでデイサービスがあるのでHさんも行かないかと言われて、行ったわけです。その際にIさんの奥さんも申し込んだのですが、あの人は60歳になったそこそこで、年が若いということで、もう少し待ってくれということでした。

そして市の車に自宅に9時半に来てもらって、私はA班ですから、A班の12名を乗せてもらってふれあいセンターに行きます。みんな集まると血圧を測り、体温を測り、そのうちボランティアさんの点呼が始まります。それが終わると、市の計画を我々に知らせてくれて、そして入浴をします。入浴が済んだら11時頃ですから、12時の昼飯まで時間が1時間あります。

私は碁も将棋も五目並べもできたので、ちょうど五目並べができる人、将棋ができる人はそれぞれやりましたけれど、他の人はボサーッと見ていたんです。それで、ボランティアの人に、Hさん、何か指導してもらいたいんだと言われて、早速私はここに通っているFさんという男の人とOさんという女の方、それから、市立病院に通っているYさんという3人の脳卒中にあたった方がおりますので、その3人と一緒に他の人に号令をかけて、50回、椅子から立ち上がり、それから座る。これは、米町のばんざい教室で習ったものですから、それをやりました。それから皆さんには、できれば付添の人がいるときにやって下さい、自分からやって椅子から転げ落ちたら大変だから、という念を押しまして、家庭でもやるように話しました。それから、ちょうど広いもんですから、会館の事務所、それから玄関、廊下で歩行の訓練とかして1時間を過ごします。

それから、12時から昼飯を食べて、12時半頃食事が終わります。食事代は1回350円。その他に150円取られるので、1回出れば500円かかります。それで、1時頃から2時まではまた自主的な機能訓練の時間となっておりますので、私はカラオケが好きなのでカラオケを歌って、今のところ、3名の人が自主的にカラオケをやれるようになりました。12月14日でしたか、クリスマス兼忘年会というものがありまして、デュエットで私と女の方が歌うことになってます。

年齢は70、80、90歳の人が多いですね。僕は68歳ですけれども若い方なんです。それで、話が合わないことがありまして、これをどうやって解決すればいいのかなというふうに考えていましたけれど、このあいだからトランプのばば抜きを、これならみんな出来るだろうということでやりましたら、これがまた大好評でした。

この前、リハビリに来て帰りに望洋センターの前を通りましたら、「Hさん、今日、どうして休んだの?」と言われました。ちょうどリハビリとデイサービスと一緒だったので、ついデイサービスを忘れてこちらに来たというような状態です。

この前の入浴の関係の資料、そしてその前の骨折の関係資料はセンターで焼き増ししてもらって全員に配って、こういうものを勉強しているんだよということで話してあります。この次は29日ですが、29日は足がちょっとないものですから、リハビリの方は休みたいと思っています。それで、現在、玄関に我々の作品、爪楊枝入れとか、書道とか、そういうものを飾っているので、なかなか遠くて来れないと思いますけれど、もし来れたら見学して下さい』




どうも、説明していただきまして、有り難うございました。突然の指名だったもので、済みません。今、お話をお聞きしまして、朝から色々なことを楽しまれながら、カラオケを歌われたり、将棋をやられたりとか、大変楽しそうな雰囲気がよく分かりました。で、これはだいたい1回に500円かかるんですね。そのようにデイサービスというのは楽しいところのようですから、どうぞ皆さんもそういうものをたくさん利用されるとよろしいかと思います。今、僕の外来に通っている男の患者さんの中で一人、デイサービスに通われるようになったら大変元気になった方がいまして、色々聞いてみましたら、とても若い女の方がたくさんボランティアで来てくれて、もう、嬉しくて嬉しくてしょうがないということで、大変元気になられました。驚くほどの喜びを見つけられたという方も一人いらっしゃいます。だから、こういうようなところで色々な喜びを見つけられるようになるといいなあと思います。




「喜びを見つける」ということ

それでは、最初にお話ししました「家庭でも社会でも喜び見つけ」という、いちばん分からないところの話をしてみたいと思います。

私たちが喜びとか嬉しさや楽しさを見つけるうえで、いちばんの基本になっていることはなんなんだろう。それは僕自身の体験とか感情から考えていることなんですけれど、やっぱり、自分というものが受け入れられているかどうかということではないかなという気はするんですね。自分自身が周りから受け入れられているんだ、拒否されているんではないんだ、ということが一番の基本にあるんではないかという気がするんですね。例えば、こうやったら面白いことがあるかもしれないよとか、ああやったら面白いことがあるかもしれないよ、こういう連続ドラマを見ると面白いよとか、さらにどこかに遊びに行ってみないかとか、そういった色々なことがその人の喜びとか楽しさとかいうものに結びついていくのは、まず自分が受け入れられているという種類の上にそういう情報が与えられたときに、何かの喜びのものとしてそこに根付いていくのではないのかなあという気がするんです。自分自身が今まで生きてきたものから考えても、こういうことがありそうな気がするんですね。

それで、私の母親も一昨年亡くなりましたけれど、だんだん年をとっていって、外へ出たがらなくなる、落ち込むというような雰囲気が出てきたときに、どこか外へ連れていって楽しませてやろうとか、デパートへ連れていって楽しませようとか、いい景色を見せて喜ばせようと思ってやるんですけれど、そういう種類のことがどうも本人にとって苦痛なようで、そして、どうしてなのかなあと色々考えた時期があります。その時に、私自身も年齢的に若かったものですから、母親の気持ちを了解しきれないものがあって、だから、母親の方にこういう気持ちを作ってしまったのではないかという気持ちがするんです。それは今となっては自分としては大変悔やまれる元なんです。

人間というのは周りから受け入れられているという安心感があり、そういう土壌が出来上がった上に何か与えられたら、それを喜びとして見つけだすというところがあるんじゃないかなという気がしています。こういうことがあって、はじめて自分は色々な人に必要とされているとか、人の役に立っているとかという自覚がはじめて自分にできてきて、そして、それが何らかの楽しみや喜びにつながっていくんだろうという気がします。これがひとつですね。

それから、もう一つは、これは完全に精神面の病的な状態です。うつ傾向というのがあります。気持ちが落ち込む。励ますというのがその人にとっては最も苦痛を与える面のある病的な状態があります。初老期のうつ病とか冬季うつ病とかという表現があります。ある年齢になって相棒を失ったとか肉親を失ったとかということを契機にして起こってくるとか、1年間の間では冬季の寒い時期に多いというような気持ちの落ち込みですね。それから枯れ葉時ですね、枯れ葉が落ちていくような秋の時期ですね。それから五月病といわれる、ああいう時期です。要するに、気候が大きく変わっていこうとする時期ですね。うつ病とまでは言わないですよ、うつ傾向という表現を使いますけれど、こういう時には何か閉じこもってしまいますから、人と話をするのも嫌になってくるし、何を楽しみをするためにああしたらいいんでないか、こうしたらいいんでないかと言っても、励ましどころか本人を追い込んで苦しめるという状況になりますので、これに関しては薬を使わないといけません。薬を使うと大変良くなります。これはもっとひどくなっていくとうつ病になって自殺してしまうということにまで結びつきます。

うつ傾向の一番最初に起こってくるものはなにかというと、眠れないということですね。寝付けないという形の人もいれば、寝るんだけれど夜中におしっこか何かで目が覚めたら次に寝付けないという場合もあります。また、非常に細かいことが気になったり、気をやんだりということがあります。それから、何か物を食べようとしてもスッキリしない。そんなようなことが続いてくると、だいたい人とあまり接したがらなくなりますし、話が弾まなくなってきますし、従って笑顔もなくなってきます。これについては治療をしないとなかなか大変です。そして、早い時期にやるとそれは大変良く抑えられていきます。

お年寄りの方とか、必ずしもお年寄りでなくても多いんですが、こういう、内にこもってしまって楽しめないというとき、大きい原因はこの二つのような気がします。



で、こういう時は家族が心配して色々な病院に連れていきますけれど、どこもなんともないと言われることが多いです。実際に痛みとして出てきたり吐き気として出てきたりと変わりますから、内科へ行っても整形にいっても婦人科に行っても、なんともないよと言われます。逆に、なんともないよと言われるとストレスになることがあります。だから、そういうときは、その辺の様子をよく主治医の先生に説明された方がいいと思います。

閉じこもりを大きなものとするものは、一つ目の「受け入れられていない」ということが多いんだろうなと僕は思います。これは人間としてはとっても寂しいことなんですね。その喜びを見つけていく、そして何がその人にとって喜びかというのは他の人からは全く分からない、推し量れないことだと思います。僕たちがこれが面白いとかあれが面白いとか言うのは、こういう健康な状態、こういう年齢、こういう視力、こういう聴力、体力、知力、そういうものをもってして判断しているわけですから、僕が面白いものがこの方が面白いかというとそういうことはないわけですね。だから、突き放すような言い方なんですが、結局はその人が自分自身で見つける以外には、自分の喜びというものは見つけがたいものなんだろうと思います。しかし、その根底にあるものは、自分が受け入れられているという安心感なんだろうなと思います。

家庭でも社会でも喜びを見つけようということを説明したんですが、経験の多い皆さんの方から、いや、こういうこともあるよ、ああいうこともあるよということがあったら教えて下さい。何か喜びを与えてあげたいとか、こうしてあげたいとかいう気持ちは非常にありがたいものなんですけれど。自分がその人に喜びを与えてあげたいというのは大変な愛情を持って、というふうに思うんですが、実際には与えたいという人の自己満足というか、与えたいと思う人自身の欲求である場合が多いのではないかなという気もします。何となく湿っぽいような暗っぽういような話になってしまいました。

では、今日はこれで終わりたいと思います。




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