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リハビリテーション科部長 斉藤裕 また、風邪なども卵酒でも飲んで静かにしているだけで、2〜3日もすればこれも自然に治って行くことを経験致します。 これらの過程を考えてみると、血液が流れ出ることで傷を消毒し、外部からのばい菌の侵入を白血球と共に防ぎ、それらと戦いながらカサブタでカバーしながら傷を守ることで治癒に導いていっています。また風邪なども、体に中に入ったウイルスを異物と区別し、やっつけてしまうことで治って行きます。 この二つのことを見ても、まず体にとって不利になるもの(ばい菌や異物)は体内に侵入しづらい状態を素早く作り出し、また侵入したものに対しては、これを自分にとって有利なものか不利なものかを厳しく区別したうえで戦い、これを封じ込めてしまおうとする働き──体の内側と外側とを厳密に区別する働きと免疫作用──生き物の存在には恐ろしいほどの排他的環境が備わっていることにまず気づかされるわけです。 もう一つ体が備えている大切な特徴は、体の環境を一定に保とうとする働きです。それは呼吸、心臓、脈の数、血液の成分、電解質の割合、血糖の値など、生命を維持するうえで我々の意志とは無関係に働き続けている部分──神経やホルモン──などです。 この二つの大きな作用──『認識と排他的環境(免疫作用)』 『恒常的環境』──は、生き物に備わった“生命の保存” “自己の保存”のための大きな力と考えられます。 これらの関係に破綻を来したときに、病気という状態にはいってゆくことになります。しかしそれでも今まで話したような、自然治癒の力が働き続けることは確かで、病気の状態を出来る限り狭い範囲に閉じ込めて治そうとするようであり、体全体に広がろうとすることには大きく抵抗し続ける力が働いているように思われるのです。 このことこそが“すべての病気は、自然治癒の過程にある”という考え方なのです。そしてその生き物がもっている“自然治癒のための全てのエネルギー”を無駄なく、すべて自然治癒の力として発揮できる環境あるいは状態を提供することこそが、医療の大きな役割の一つであると考えています。薬を使うこと、手術を行うこと、リハビリを行うこと...。 私達は医療の現場にいて、自分たちの知識や技術で治している様に思いがちですが、実は生き物が持っている自然治癒の力が働いていることにもっと目を向けなければならないと思うのであります。そして我々の医療は此の点で大変に助けられていることを、謙虚に考える必要があるように思います。 私達にもしこの自然治癒の力が働いていなかったら、私達はこの年まで生きていられなかったかもしれないし、もっと大きな病気に度々見舞われていたかも知れません。従って、実際に病気として発症している数は発症を免れている数のごく一部であろうし、発症を免れている数の数万倍の人々が日常生活の中で“自然治癒力"の大きな力の“傘"の中に守られていることが頷けるような気が致します。 それらは次の事柄から想像されます。 ヘ我々は疲れが溜まったら体を休めようとします。 ヘ熱が高い時、おなかが痛いとき、気分が悪いとき等にも同様にじっと静かにしようとします。 ヘまた危険を感じたときには、その場から離れようとします。 ヘ心に辛いものを持ったときにも、他人に訴えたり、たくさん嘆き悲しむことで感情の平安可を図ろうとします。 ヘ眠くなれば眠り、おなかがへると物を口にします。 これらのことは本能的な行動の一部と云われていますが、このような生き物の行動を通してたゆみなく我々の体は守られていることを考えると、生き物の“生命の保存”を意図した大きな力を思わざるを得ない感慨に浸ります。 我々自身もよく体験することの中に、びっくりしたり恥ずかしい時に汗をかいたり、心臓が高鳴ったり、辛い思いを続けていると胃が痛んだりして、感情と体は強く結び付いていることを感じることがあります。 現在、此の領域の研究がアメリカで進められつつあるようで、すでにホルモンと神経の関係、感情と免疫との関係など幾つかの事実が見いだされつつある、との研究報告もあります。此の中で“喜・怒・哀・楽”の感情が明るい感情でも暗い感情でも、押さえる事なく十分に発露出来たときには凡て、この自然治癒力を高めるように作用するらしいことが云われ始めています。 精神と肉体が互いに影響しあって、生き物が持つ“自然治癒の力”によって我々の命が守られているらしい事を聞くと、なんとなくほっとし安心出来るような気持ちになりませんか。でわまた。 (ダウンロード用のファイルはありません。ご了承下さい) 釧路労災病院 リハビリテーション科 |