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言語療法士 菅野栄子 これまで13回、言葉の話に限らなかったんですがリハビリ教室を担当させていただいたので、今回までの話の内容を最初にまとめていきたいと思います。総復習という感じでやっていきたいと思います。 言葉の障害のことについて何回かに分けてお話をしてきたんですけれど、実際に言葉の障害を持っておられる方とかその家族のかたとか、リハビリを受けられる方の中でも限られた方なので、それ以外の方にはあまり耳になじまない話だったりとか、聞いてもちょっとイメージが湧かないというようなことがあったかと思いますが、それを広めていくのが私の仕事のひとつでもありますので、何回も話させていただきます。 言葉の障害の中にはいくつか種類があるんですが、大きなものの一つ目として「失語症」という病気があります。失語症に関しては、最近色々なテレビで報道されたり、患者さんの闘病記みたいな本が出ていたりして、前よりは目にするようになったんじゃないかなと思います。読んで字の如く、言葉を失ってしまう病気のことです。この失語症の中にも種類がありまして、「自分が言いたいことがうまく言えないタイプ」と、「人が言っている言葉を理解しづらいタイプ」と、「それが混じったタイプ」と、そういうふうに大きく分けると3つの種類があります。これからお話しする言葉の病気のことに関しては、先程斉藤部長がおっしゃっていたんですが、以前に何回かお話ししてありますので、もし詳しくお知りになりたい方は、あちらの方に置いてある小冊子で言葉の病気についてのことや訓練についてのことについてご覧下さい。以前に話した分がありますし、ビデオもあるかと思いますので、ちょっとでも興味を持たれた方はそちらの方をご覧下さい。 私がここの病院でリハビリを担当させていただいている患者さんのほぼ半数以上はこの失語症という病気を持っておられる方で、うまく話せないとか、書けなかったり、読めなかったり、色々な障害をあわせて持っている方がいらっしゃいます。おひとりおひとり重症度が違ってくるんですけれど、脳卒中という大きな元々の病気をされた方の中では一番多い障害のひとつです。 個人個人、障害のタイプや重さについて変わってきたり、その方を取り巻く環境によって変わってきたりするので、一概に「この訓練をするといいですよ」というようなものは言えないんですが、しゃべるのが難しいからしゃべらないとか、そこでやめてしまうというのは一番良くないので避けて欲しいと思います。もしご家族などにうまく話せないで困っている方がいる場合は、時間をかけて何を言いたいのかを聞き取っていく。せかされると誰でもそうだと思うんですが、うまく伝えることができなかったりするので、まず時間をかけてゆっくり、「どうしたいんだろう、何を言いたいんだろう」ということを、周りの人が考えていくことが一番大事なことではないかと思います。 言葉の障害のもうひとつ大きなものに「構音障害」というのがあります。これは、失語症のようにうまく言葉を思い出して言えないということではなくて、発音が主に悪かったり、声がうまく出なかったりという病気です。脳卒中のような病気を持って構音障害が出てくるという方ももちろんいますが、生まれつきの、例えば唇とか顎とかがうまくくっつかないで産まれてきた赤ちゃんとか、そういう子供にも当てはまる障害です。そういう障害の場合には、口腔外科や形成外科で手術を受けた後に、言葉の訓練をしていくという段階を踏んでいったりします。脳卒中などで構音障害になられた方は、たいてい手足の麻痺と同じように顔にも麻痺が出て、舌も麻痺して、それでうまく発音できないという方が多いんです。 それに必ずしも付随しているわけではないんですが、言葉の障害と同じ場所を使うという関係で「嚥下障害」というのがあります。嚥下障害ってあまり耳にしたことがない言葉だと思いますが、これは飲み込むことがうまくできないという障害です。ご飯や水分をうまく飲み込めないと生きていく上で困ってしまうので、そういう障害を持っている方の訓練もやっていきます。嚥下障害というのも喉の麻痺や舌の麻痺が原因で起こってきたり、麻痺ばかりじゃなくて、例えば喉に腫瘍ができて、つっかえて、道が狭くなってしまって通っていかない、そういう場合にも起こってきます。もし喉に何かができているとか喉頭癌とかそういうものであると、これはリハビリで治していくというわけにはいかないので、やっぱり耳鼻科などで手術を受けて、その後で可能な限りのリハビリをしていくということになっていきます。 大きく分けると、今のところ、私がこの病院で担当しているリハビリに関してはこの3つになっております。 こういうことについて今までの私が担当したリハビリ教室でもっと細かく詳しく、どんな訓練をしているかとか、例えば嚥下障害であればどういうものが食べやすいかとか、そういうお話もしていますので、もし興味なり、ちょっと見てみようかなという感じがあれば、ビデオなり冊子なりになっていますので、そちらの方で見て下さい。 障害を持たれた方がご家族の中にいて、その方と接するときにどういった工夫をしたらいいか、そういうことも以前お話ししたことがあります。必ずしも言葉を話して伝えることだけがコミュニケーションじゃないということを何回か言ったかと思うんですが、例えば身振りを使うとか、絵で描いてみるとか、指さしをしてみるとか、そういう方法をうまく使っていくといいと思います。私も口では簡単に言っているんですが、なかなかそれを取り入れていく、実際にやっていくというのは難しいかもしれません。失語症のところで言いましたが、お互いに焦らない方がいいんじゃないかなと思います。私は家族の中にはそういう障害を持った家族はいないもんですから、実際に家に帰ったときにどういう状態なんだろうというのはわからないんですけれど、お互いに焦らないで、何とか話そうと思う気持ちと何とか聞こうという気持ちがあれば、一回目ですぐ通じるとは限らないかもしれないんですが、何回もそういうことを繰り返していく中で、こういう質問の仕方をしたら分かりやすいのかなあとか、例えばこちらから字を書いて「これのことかい?」と聞いたらわかりやすいのかなあとか、色々なヒントがその中で出てくるのではないかなと思っています。 入院されている患者さんの場合には、週5回で1日30分ずつぐらいという時間がとれるんですけれど、外来で訓練される方というのはたいてい週1回か2回、30分ずつというような時間の制限が付いてくるので、長い時間、ゆっくりお話を聞くということはできないんですが、何回か同じような場面でお会いしていると、お互いに「こうすればいいかな?」とかその方法が何となく見えてきたりすることがあるので、1回で伝わらなかったからそこで諦めるということではなくて、何回かやってみて、それでもうまくいかなかったら違う方法を工夫して考えて考えていってみるというようなことで、100%通じますよとは言えないんですけれど、いくらか手がかりになっていくんじゃないかなと思います。 今日私が言いたかったことはこれから言う二つのことなんです。趣味のことについてちょっとお話ししようと思います。皆さんも何か好きなことをそれぞれお持ちだと思います。散歩するのが好きだったり、テレビを見るのが好きだったり、お花を育てるのが好きだったり、色々な趣味があるかと思います。私もいくつかある趣味のひとつに、本を読むことがあるので、1週間に1回は必ず本屋さんに行って、色々な本を見たりするんですが、たいていは小さなサイズの文庫本を買います。ハードカバーの本というのは目に付かないというか、なにせ値段が高いものですから、あまり買うことはしなかったんですが、最近ちょっと目にとまって1冊買って読んだ本があるので、それをご紹介しようと思います。 「五体不満足」という本なんです。今から回しますけれど、表紙の写真を見て「ん!」と思ったんですね。どんな本かなあと思ってみて、あっ、こりゃ買って読んでみよう、と思ってすぐ買ってしまったんですが、私は読み終えてある種のショックと、すごいなという爽快感というか、すごい、こういう人もいるんだ、という感想を持ちました。では回しますので、ちょっと見て下さい。 この本については私には全然前知識がなくて、本屋さんでぱっと見てびっくりして買ったという感じなんですけれど、先月の30日の道新なんですが、本の紹介が載っていました。この本がこういうふうに紹介されて良かったなというのがあったんですけれど、中身を読んでみると子供でも分かりやすいように、漢字にふりがなをふってあったり、すごく読みやすい文体で書いてありました。見ていただけると分かると思いますが、作者は乙武さんという方なんですが、生まれたときから両手足がなくて、写真にはそのま載っていないんですけれど、10pぐらいしか腕がないような感じなんですね。それでも電動車椅子に乗って、中学校・高校を卒業されて、今は大学大学に通っているそうなんです。私もすごい偏見を持っていたのかもしれないんですけれど、そういう障害者の方の本というのは、どちらかというと読んで可愛そうかなという感想が前面に出るのが多いかなと思っていて、今まで私はそういう闘病記だとか、そういう子供が病気でとか、お母さんの手記みたいなものとか、そういうのって読んだことがなかったんですよ。そして、読みづらい本なのかなと思ったんですけれど、全然そんなことはなくて、すごく前向きな人という印象を受けました。環境やこの作者の性格ももちろんあるかと思うんですけれど、すごいなあという感じしか出てこなくて、取り敢えず読んでくれる人が一人でもいたらいいなあと思ったんです。私は講談社さんを応援するわけではないんですけれど、すごく勇気が湧くんじゃないかなと思ったので、もし本屋さんで見かけたらちょっとお手にとって、時間をかけて読んでみてもらえると、「頑張ろう!」という気になるような本じゃないかなと思うので、もし興味を持たれた方がいらっしゃったら、どこかの本屋さんで見ていただきたいと思います。環境的に良いところに浸っているというか、すごく恵まれた環境の中で−それが本来あるべき環境なのかもしれないんですけれど−すごく周りの人たちとうまくやっているというか、すごい本です。 私が以前に担当した教室で、車椅子で行ける温泉の新聞のコピーを配ったことがあったんですが、温泉に行きたいのはやまやまだけど、トイレの心配だとかがあるんじゃないかなということで、車椅子の方でも使えるトイレがある場所が地図で手に入れることが出来ないかなと思って色々探して見たんです。普通のこういう道路地図にも載ってはいるんですが、大変小さな印がついていたりとか、地図自体が大きく刷られているので、北海道全部が入って、なおかつ大きな道がわかって、それでそのトイレの位置が分かる地図ってなかなか難しかったんです。で、こういう道路地図なんですが、こういうのにももちろん載ってはいるんですが、大きく捉えてだいたい、例えば釧路から札幌へ行く途中にどことどこにあるかというのがわかりにくいんです。実際に車椅子のトイレを完備しつつある「道の駅」というのがあるんですが、そこへ行って、この辺だと阿寒町と恋問のところと厚岸のところにあるんです。そこへ「何かいいものはないかなあ」と探りに行って見つけたのが、こういう「道の駅」で出している新聞みたいなものなんですね。裏に地図が載っていまして、北海道全部が載っていて、国道が載っていて、なおかつ道の駅の場所が載っているのはいいんですが、すごく小さいんです。もっと1枚ものでもいいから大きいものはないかなと思って探していたんですが、今回は間に合いませんでしたので、小さいもので申し訳ないんですが、拡大コピーしましたので、出口の方に置いておきますので、お持ち下さい。何かの役に立つのではないかと思います。これから冬なので車で走らない時期になるかもしれないんですが、また雪が溶けて春になってちょっとどこかへ行ってみようという気になったら、お供に連れて行っていただけるといいかなと思います。 12月9日の道新に車椅子の入浴OKのホテルの記事が載っていました。私はどうも温泉に弱いものですから、こういうのを見つけるとちょっと待って、になるんですが、これも一緒にコピーしてくっつけてありますので、ちょっと目を通してみて下さい。ちょっと遠いんですが、雄武町という、だいぶ上の方になります。トイレの地図と合わせて、ここにもここにもトイレがあるという安心感があれば、ちょっと遠出に行こうかなあと思ってくれる方もいるかなと思ってコピーしておきましたので、どなたかチャレンジして行ってみて欲しいなと思います。 この温泉はリフトがついているそうなんですね、車椅子の方が入れるように。この新聞記事だけではどんな感じなのか、お風呂の中の様子とかは分からないんですけれど、どなたか行かれたらレポートとして教えていただきたいと思います。もしどなたかが行かれたとして使いにくい所があったら、それをこのホテルに伝えていってもらえると、もしかしたら改善されて、もっと使いやすいものができたりとか、検討していくということになるかもしれないので、不便とか使いづらいとかあったら、このホテルに限らないんですけれど、色々なところで言って欲しいなと思います。前回も言ったんですけれど、不便だと思わないであろうという人が作ったものが殆どだと思うんですね。今、街にある建物とかトイレは、これぐらいの段差なら何でもないだろうと思う方が作っているものが多いかと思うんです。実際に車椅子の方が使ったときに、どうして不便なのかとかどういうところが不便なのかが分からないと思うので、実際にそういう困ったことや使いづらいこととかあったら、それは伝えていく方が後々使っていく人にも親切だと思うし、これから新たに何か作ろうと思っているところに教えて上げれば、それはクレームが減っていくということですから、すごく親切になるのではないかなと思います。どこでもいいと思うんです。JRの駅だっていいし、空港だっていいし、ふだん買い物をするスーパーでもどこでもいいと思うんですけれど、もしそういうのがあればしかるべき手段をとるというか、そういうことで伝えていくということも大事かなと思います。 今日のお話はこれで終わりなんですが、何かご質問やご意見があれば、私も病気のことを全部知っているかというと、知識としては知っていても実際のところは違うかもしれないので、そういうことは教えていただきたいし、また教えていただいたことに関してまた、こうしたらいいんじゃないかということを、私だけじゃなくて同じ仕事をしている仲間とも連携をとっていったりとかできるので、何でもいいんです。全般的なことについてご意見などあればお願いします。 何かご質問とかございませんか? 今、菅野先生がお話しした中で、実は第1回目からのものを綴じたものがありますけれど、この中で第3回目ですね、「失語症とは」ということで菅野先生が話しています。第7回目では構音障害のことについてしゃべっています。それから第10回目ですね。平成7年の3月何ですが、「失語症の検査と訓練」という小冊子が出来上がっています。第14回、これは平成7年4月なんですが、「言語の訓練」という失語症について講演したものが小冊子になっています。第22回もありますね。「構音障害の訓練の仕方」。そういう記録はここにありますので、たぶん2〜3冊ずつしかないと思いますが、どうぞ皆さんそれをお持ちになって回し読みされたり、色々利用していただければありがたいと思います。なくなったらまた印刷してここに置いておくことにしますので。そういうような、今まで菅野先生が黒板に書いてあるような「失語症」「構音障害」「嚥下障害」の記録はビデオであると思いますが、そういうのはすでに話がなされてこちらに記録されていますから、そういうのも利用して下さい。 僕がいつもここでビデオを撮ったり色々なことをしながら、実は色々な講演を聴けるといういい立場にあるんです。失語症の話の時に思うのは、言葉が通じないということがどんなにその人を辛い思いにさせて、そしてその人を孤立させてしまっているかということをいつも感じます。そして、結局、相手に話をしても伝わらなければ、だんだんしゃべらないようになってしまいますし、相手に何回も聞き返されたりするようになればしゃべりたくなくなってきてしまう。そして、結果的に自分の世界に入り込まざるを得ないというような非常に苦しい立場にご本人が追い込まれていくのと同時に、その方との関係が深ければ深い立場にいらっしゃる方が、また同じような状態に追い込まれてしまうわけですね。なんとか理解して、言っていることを了解しようと周りの方が思うんだけれど、それが了解できないときは本当にその人自身も辛い思いをする。だから、意志の疎通がうまくいきづらい時は、本当に人間を苦しい思いに押し込んでしまうんだなあと、いつも感じます。 そして、私たちがここで話をしたり色々なことをしていて、ある範囲内での、お互いに了解できるかどうかという範囲内でのリハビリというものは確かに有効な面を持っていると思うんですが、それを超えたときにはとても僕らには力がないんですね。いつも思います。本当にコミュニケーションができなくなってしまった人たちがいて、そこに僕たちが何らかの力をお貸しできるかというと、本当にないんですね。色々な相談を受けても「困りましたね」と言う以上のことって僕らには何もないんですね。そういう中で、言葉の問題について思うのは、その人がその相手を好きであれば、その相手を愛している人間であれば、僕らはなんとかその人の言うことを聞きたい、知りたいという具合に思いますよね。自分の女房がそういうふうであれば、何を訴えたいか聞いてやろうと思うだろうと思います。その時に我々ができることは、待つことしかないんだろうなあと、そして待っている間に、言葉でなく何らかのもので伝わりあうことができれば良いのになあとは思うんですけれど、本当に、言葉や意志が通じないときには皆さんそういう面で辛い思いをされているんだなあというのを、いつも僕はここで聞きながら感じています。そういうのをちょっと付け加えて発言しました。菅野先生も治療する立場としてもそれなりに辛い思いをされているだろうと思います。 皆さん、他に何かございますか。こんな体験をしている、こんな辛さを、あるいはこうやったらこういう面では良かったとか、そういうことがあったら教えていただければありがたいです。どうもこういう障害というものを対象にしたときというのは、あるいは人間の不幸のような面を対象にしたときというのは、一人称とか二人称とか三人称という立場で、ずいぶん感じ方が違ってきます。そういう面ってありますよね。そういう立場で見ていると、僕らの医療のいる立場というのはやっぱり三人称の立場から二人称には入りきれないような、そういうような立場でいてしまうんだろうな、外から見ればそうなんだろうなと感じざるを得ない面があります。ちょっとお話ししたかったのはそういうことなんです。 問:患者そのものは第三者的な立場から見ることはないと思うんです。やはり患者というものは回復していくという一番の希望が欲しいと思うんです。多くの患者さんを見てこられたプロの方の意見として、こういった言語障害の人たちというのはどの程度回復していけるのかということを、第三者から見た数字的なものでもいいし、患者の心を癒してやるためにでもいいです。その先生の真意をどの程度つかんでいいのか。私はこの病院にかかったわけではないんですが、診察の時間というのは短いんですね。こういうことも聞きたかった、ああいうことも聞きたかったということで、質問できることは少ないわけなんです。どういう過程で回復するのかということを、先生方の正直なところをお聞きしたいんです。 答(斉藤部長):患者さんの立場とされましては、どこまでも回復を願う、それから周りの方もどこまでも回復を願うというのは事実だと思うんです。しかし、リハビリテーションとかこういうことを学んできた範囲からお答えできることは、回復していくのにはある時間的な期限というものと、それから回復できるための条件というもの、そういうものがあるようなんです。だから、どこまでもどこまでも回復し続けるということは、希望としては我々の気持ちの中にあっても、それは実際にはかなわないということも事実のようです。 それで大きく分けて考えれば、例えば今日の失語症のような形の場合は、自分がしゃべっている言葉あるいは表現に間違いがあるということに気がつく、自分自身で気がつくという形を取る場合には、治っていくという可能性は非常に高いというふうに言われています。何か間違いがあればそこからそれを修正してやっていこうというきっかけになるからということです。それがない場合には、なかなか実は回復しづらい、変化しづらいということがあります。 それからもう一つは、末梢の神経に損傷があって、それで言葉が作れないあるいは動かないというようなときにどれだけ待てばいいのかというのは、基本的には、1年間は末梢神経の場合は回復してくる可能性がある。中枢神経、脳の方の神経ですね、脳の方の神経の場合にはもっともっと少ないんですね、それが。中枢の脳の方の神経というのは再生とかそういうことがされづらいんです。末梢の神経というのはレベルの低い神経だと言われていますので、もう少し再生してくる可能性があるんですね。 その違いがありまして、脳の中で脳卒中などで起こった場合には、その人が最終的に治るだろうという到達レベルの7〜8割は3〜4ヶ月の間に終わってしまうだろう。その人が最終的に治るところまでの残りの何割かは、だいたい7〜8ヶ月からせいぜい1年の間に終わってしまうだろうと言われています。たぶん、5〜6ヶ月で終わってしまうかもしれません。末梢神経の方は徐々に時間と共に変化していって、1年間ぐらいは回復が期待できますという、そういう時間的な違いがあります。質的な違いとしては、先程のように、自分で間違いに気がつくという、自分で自分をチェックできる働きがでてきたら、そこからかなり回復が望めるんではないかと思います。それは全く我々自身の行動と同じですね。子供を育てているときと全く似ていますね。いくら注意しても注意されても、自分が間違っていたと気が付かなければ直しませんもんね。直らないですもんね。全く病気というのは似ているな、我々自身の生き方と似ているなという感じがいたします。 問:私は失語症ではなくて構音障害で、声帯がよく動いていないんです。だから、「あいうえお」という簡単な発音なら出るんですが、「らりるれろ」という場合に発音ができないんです。子供の時に歌った童話でも昔ならぱっと出たんですが、今はなかなか出ません。まして、流行歌なんかでは裏声が全然出ません。友達に電話するときに、こちらはゆっくりと言っているけれど、向こうでは良く聞き取れません。それで妻に代わって言ってもらいます。だからなんでも自分で話すように努力しています。それしかないと思います。 答(斉藤部長):今お話しされた内容はよく聞き取ることができました。ずいぶんこういう言葉になるまで苦労されたんだろうなと思います。そしてずいぶん積極的にお話をなされるということで、それが色々なものを改善させてきているんだなあということがよく分かりました。有り難うございました。電話のお話というのはなかなか僕らも聞き取りづらいことがあります。それから、ひょっとしたらその電話をかけた相手の方も耳が少し遠くなられているかもしれませんね。そんなこともあって、相手の方が聞き取りづらいというのがあるのかもしれません。 だいたいそれでは2時になりましたので、今日の勉強は終わりにしたいと思います。どうもご苦労さまでした。今日が一番最後になりますけれど、今年1年間、本当に有り難うございました。来年もまたどうか宜しくお願いいたします。 本講演の印刷用ファイルのダウンロード(モノクロ)が可能ですが、 閲覧・印刷には「Adobe Acrobat Reader」(フリーソフト)が必要です。 配布は自由にされてけっこうです。必要なかたはどうぞご利用下さい。 印刷用ファイル ← ここからダウンロードしてください 釧路労災病院 リハビリテーション科 |