2008年 3月のテーマ 「 米 」
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今回の旬は番外編でテーマは「 米 」。
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日本では縄文時代から栽培が行われていたようだが、その伝播は大陸からか、朝鮮半島から、もしくは琉球列島からと推測されている。我々の北海道ではどうだったのだろう。最初の挑戦は1692年亀田村の作左エ門氏。道南の函館方面は北海道内でも比較的温暖で今考えてもその可能性を感じる。ところがその後、開拓は北海道の冷涼な気候からアメリカ型の畑作農業を柱に進められ、主食である米作りは柱にならなかったのである。そんな開拓の歴史の中、1873年に島松村(現北広島市)の中山久蔵氏が道南の大野町より「赤毛種」を取り寄せ、米作りを試みた。春の雪融け水は冷たくイネの成長は難しく、風呂の湯を田に入れたり、暖水路を造って水を温めて田に引き入れる工夫などをして米作りに成功。火山灰土や泥炭地などの悪条件、厳寒の気候条件を克服して、多くの人にイネを分けて成功を一人のものとしなかったという。現在の栽培種「きらら397」もこの時の「赤毛種」の耐冷性遺伝子を受け継いでいると言われるので、中山氏の努力や成功が無かったら北海道での米作りは実現していなかったかもしれない。我々が先祖の恩恵を受け皆がお米を食べられるようになったのは、戦時中の米不足が深刻になり配給制度が開始されてからで、たかだか67年前の事。先人の苦役を忘れるにはあまりに最近の事なのである。また「木を植える文化の伝統がどれほど開発を助け、土地の豊かさを養い、海の魚まで養って私たちに恩恵を与えてきたか計り知れない」と向さんは語ってくれた。厚岸でも木を植えて森を育み、海で牡蛎を育てると聞く。海と陸は隣り合い、自然の循環を織りなす、その中で我々は生きている。ゴミ一つの行方、開発の影響、様々な問題を考えなくてはならない。また、稲作と日本人の民族性、私達のくらしの根底にある稲作文化まで講義の世界は広がった。畑作りは個人でも可能かもしれないが、米作りのための「田」の形成には水の循環を考え土木工事が必要とされ、個人では出来ない共同作業が必要とされる。水を通して人と人が結ばれ、人と大地が結ばれる社会が形成されたのだ。日本人の没個性、何事も集団で行動する性格はこの時から始まっているという。 さらに話は過去に登り、イネをもってやってきた人の文化にまで及ぶ。長江流域の非漢民族の道教の文化圏の流入、稲作・漁労・船、あぐらで左上位、奇数文化、太陽は女性で色は赤、対極的な黄河流域で騎馬民族の儒教の文化、麦作・馬で椅子、パン、麺、右上位、偶数文化、太陽は男性で色は赤。
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