辻仁成「青春と文学を語る」
since 97/05/31(Sat.)
last update is 97/06/03(Tue.)
第116回芥川賞を受賞した辻仁成(つじ ひとなり)さんが、
5月30日、札幌パークホテルにて講演会を行いました。
ここでは、講演内容を紹介します。
辻仁成「青春と文学を語る」1997/05/30 18:30
札幌パークホテル3F・パークホール
来場者数 3000人(推定)
主催 北海道文学館 北海道新聞社 北海道テレビ
協賛 札幌パークホテル
後援 北海道教育委員会 札幌市教育委員会
撮影機、録音テープ禁止という主催の意向に添って、手書の記録で取材しました。できるだけ、講演内容を再現したかったのですが、編集・構成してあります。(話の趣旨は割愛していません)
私が、感じたまま構成しました。(細かいニュアンスの違いなどあるかもしれませんが)ご意見、ご指摘下されば幸いです。
※
−−18:30開演、(入場した辻さん、関係者の方々に暖かい拍手が送られる)まず、北海道文学館、小杉さんの挨拶。
天気予報というのは、時にはずれることもありまして、寒い日が続きましたが、今日の天気は予報に反して、20度をこす暖かい日となりました。暖かい「風」が吹いてきました。今日は、ご多忙の中、大勢の方々を迎えることが出来ました。厚く御礼申し上げます。
作家の辻仁成さんを迎えるに当たって、(スポンサーなど)関係者のご協力につきましては、我々も力不足でして、私たちの手足を使い、(文学を理解してもらうための)関係をつかむため、また、このような(文化)事業の意義を感じ、今日、このような企画となりました。辻さんの過密なスケジュールは、ご承知かと思いますが、この1週間もほとんどお休みになられていないような状態とのことで、今日は北海道に対するご厚意で、(今回の講演も)ギャラ無しでお願いする形となりましたが、辻さんにお礼申し上げますとともに、会場、またPRの媒体として、札幌パークホテルさん、北海道新聞社さん、HTB(=北海道テレビ)さんから、ご協力いただきました。
辻さんは、現在も幾つかの作品を手がけておりまして、(今回の芥川賞受賞作の)「海峡の光」をはじめ、持続的なテーマに、長い作家生活に力を入れられており、文学という深い杜(もり)の中で、これからの文学の歴史の中に(辻さんの名が)座(ざ)(をなしていることを)を感じております。辻さんの青春時代は、ここ北海道でして、皆さんの中にある北海道への想いと、響きを重ねながら、感じとってほしいと願っております。簡単ですが、辻さんのプロフィールを説明させていただきますと、辻さんは、(昭和34年=1959年に)東京都でお生まれになり、小学生から高校までの青春時代は、帯広市、函館市と、ここ北海道で過ごされました。その後、ロックグループ「エコーズ」を結成され、音楽家としての幅広い活動の中、平成元年(=1989年)、「ピアニシモ」で小説家として発表され、第13回すばる文学賞を受賞されました。…本年度の芥川賞では、「海峡の光」が選ばれました。私の話が長くなっても、仕方がありませんので、このへんで辻さんにお話をお願いいたしたいと思います。それでは、みなさん、辻さんを拍手でおむかえ下さい。(拍手)
※
(辻仁成さん、壇上へ。会場拍手)
はじめまして、辻です。(声がかれている)
今日は、「青春と文学を語る」という、たいそうなタイトルですが、リラックスして聞いて下さい。北海道に入って、マッサージを受けました。いまだ、不安で地に足がついていない感じですが、話している内に、舌も回ってくると思いますので。(笑)
現在、新しい作品の校了中でして、校了とは、自分の原稿を印刷する一歩手前の確認作業でして、これは、小説を作る上でとても大切な作業です。これは、数日で(校了を)終わらせなくてはならなくて、400ページを超える…(芥川賞)受賞後、「海峡の光」より芯圧(しんあつ)を使った作品で、アトピーになるは、眠れないは、声は枯れるは、最悪ですが、精神的には、楽な状態です。いまも、ホテルでもFAXや電話で再校(=印刷用語。確認した原稿をさらに確認すること)しています。
(芥川賞受賞後の)1月からは、1週間…10日かな?10日くらいの間に、7、80件の取材を受けました。奥さん(女優・南果歩さん)が、(自宅の)電話機の上に子供のおしめをおいて、「ウンがつくから」と。(笑)この話は、前の取材がおわったら、また次の別の取材で、同じ事を話すのです。(笑)ですから、(芥川賞受賞の身辺の)こういう話は、また同じ事を話すことになりますから(笑)、今日はやめようと思います。(笑)
今回の作品は、「海峡の光」の倍のスピードで書きました。文学(の世界)を守りたいし、中途半端な作品は書けませんので、5月中旬くらいから、編集の方と打ち合わせたりしていまして、この作品は、「文学界」から6月に出ます。6月からは、(ニューヨークに滞在のため)日本を離れますので、それまでに1つの結果を出したいと思います。
5月20日に、ゲラ(=確認用のためし刷り)が出まして、ワープロを見ると、なおしが50回、「海峡の光」が100回くらいなので、どちらが、力が入ったか、分かりませんが、自分では(この2つは)違う筋肉で書けたのではないかなと感じています。
(手に持った原稿をみんなにみせて)これがその新作の原稿なのですが、(前の客席の女性ファンに向かって)よみたい?(笑)僕は、作品を書くとき、奥さんとよく、作品の内容について、話し合い、こうしたほうがいいとか、形を作っていますが、今回の作品は(奥さんは)読んでません。(笑)ですから、今回のは出来が悪いかもしれません。(笑)
「海峡の光」は、北海道の函館を舞台に書かせてもらったのですが、今回の「白仏(はくぶつ)」…白い、仏と書きます。「白仏」は、九州の大川というところが舞台です。大川は、実は僕の両親の故郷でして、小さい頃は、遊びに行くとよく祖父にかわいがられていました。祖父は、発明家で、海苔を摘む機械、海苔を乾燥する機械を発明しました。
戦前は、「刀鍛冶」、戦中は、「鉄砲修理」、戦後は、海苔の加工機を発明し、坊主になり、政治をやり、なんでもやっていました。戦争を経験し、祖父は、筑後湾の下流にある大野島で生まれ、死にました。
人間は、なんだろうか…。 人間は、平等であるべきではないのか。
墓を掘り返し、骨を集めて、粉にして、白い仏像を作りました。…これが「白仏」です。
昨年12月、(芥川賞受賞前に)この作品を書かなければならない。そう思いました。
(手持ちの書きかけの原稿を見て)トル(=校正用語で、文字・文章を消すこと)−削スル(=同・特に段落などで消すこと)−校正の線を追い、朗読できるかどうか、ゆっくりと読みますが、お仕事帰りの方もお疲れでしょうから、寝てしまうかもしれませんが(笑)
(辻さん、新作・「白仏」の原稿から1片を朗読=内容は、ミノルとキヨミがヒキガエルに火薬をつめて爆発させる、物語の冒頭部分)
今のは、1の1章の一部です。本当は、4章の所も朗読したかったのですが、内容が、ちょっと(こういう場にあうかどうか)難しいものでして、文学館さんにも「うーん」と苦笑されてしまいました。(笑)ですから、やめておきます。
今も、読みながらも「うーん、ここは直した方がいいかな」(笑)とか、思ってしまうのですが、この作業は、まるで、油絵の書き足しのようです。
同様に、ロックとしても、使う筋肉が違うのですが、僕にとっては2年ぶり(のライブコンサート)になります、6月10日、渋谷公会堂のリハーサルも平行していますが、ワープロを使った後に、(音楽から離れて)使っていない(筋肉を使う)ギャップが出てしまいます。マイナス30度から、プラス20度に急変した様な。人間にとって、音楽は切っても切れない関係、ロックジェネレーションですから、うけたエネルギー、思想は計りしれません。どうしても、小説にロックがにじみでてしまいます。書いている内に、こうした方がいい、ああした方がいいという外の色に対するためには、大きな力が必要です。片やロック、片や純文学。2つの存在が、自分の中にあります。音楽と文学は僕にとって両方とも必要な物で、肉体的にも、精神的にも、共通するエネルギーの発信地となっています。
黒いバンダナをまいて、スピーカーの上に足を載せて(笑)、「エコーズ」をやっていた時は、…年輩の方はご存じないかと思いますが、(笑)そういう時期もありまして、「エコーズ」時代のロックCDで「EGGS」(=SONYレコード)というのが、ありまして、小説に煮詰まって、ふと聴いてみると、これが(自分で言うのも何ですが)「うまい」と思うんですよ。(笑)本当にうまいんです。「こんな」音楽をかいた男が、「こんな」小説を書いている…。「今のロック」が、イニチアシブをとっている時代ではなくて、これからが、と先ぼうとなるだろうという時代に、一生懸命やっていたわけです。「エコーズ」解散後は、実は(「エコーズ」時代の)CDは、過去にすがるような気がするので、聴いてませんでした。…まだ廃盤になっていませんので(笑)。あのころの自分は、そのような力を持っていたと考えました。今日は文学館に呼ばれましたので、音楽の話はこのへんにしまして…(笑)。
「青春と文学を語る」ですが。こんなへんちくりんな男が、なぜ、生きていられたのか…。自分では、「会社員」の経験がなく、音楽と文学しかない、社会の中にとけこめないで、どこか欠けたところがあると思っています。
北海道の持っている、人を育てる、不思議なエネルギーを感じています。先日、帯広でも講演したのですが、みなさんの顔を見てますと、「ねてるかなー」、とか思うんですよ。こちらは、コンサートなどで、なれてますから、みなさん一人一人の顔がよく分かります。「今日は、笑顔が多いなー」、「昔の美人が多いなー」(笑)…今日は、父の会社に勤めていた方の娘さんがいらっしゃいますね。(笑)
中2の時ですが、中2はいくつ…? (客席、14)14? 今はにじゅう…(笑)、37ですから、20年ちょっとぶりですね、帯広へ行きました。当時の帯広小学校…あっこの学校は、(同じく北海道のご出身で、歌手の)中島みゆきさんもご出身でして、中島さんから「辻君、私はあなたの『先輩』なんだからね(笑)」とおっしゃられまして、(笑)、帯広小の当時の先生、クラスの仲間にお会いしました。最初は分からなかったのですが、そのうち面影を思い出して、(辻さんの作品の中で採用された)教科書の中に、「キャサリンの横顔」というエッセイがあるのですが、その頃の仲間の中にキャサリン、Wさんという子がいまして、きれいな子で。子供の頃はみなさんそうかと思いますが、ロバート、Sくんという人なんですが、みんなの前で、「ぼくはキャサリンが好きだ」という。…こういうのは、言ったもの勝ちなんですよね。(笑)キャサリンはロバートのものになるのですが、20年たってそれは…(笑)。大人の世界も言ったもの勝ちだといいのですが。(笑)
Aくんは、全然かわっていない。小学6年の頃で止まっていた、僕の中にあったみんなの面影の中で、Aさんがそのまま大人になったようで(笑)、僕が「おまえはかわらないなあ」というと、「おれは、ロバートなんていわれてないよ」という。「じゃあ、ロバートって誰」と(ロバートの)Sくんが聞く。(笑)
みんなが、結局キャサリンが好きだった…。Sくん(=ロバートとは別のSさん)が、「辻君は、Kさんが好きだったんだろう」と言われる。6年3組のアルバムを、…持って来るんですよね(笑)、見せられて、「ああ、彼女か」Kさんは、キャサリンと双璧をなすかわいい子だったんですが(笑)、クラス会に来てなくて、「今どうしているのだろう」と僕が聞くと、「亡くなったよ…」とSくん。
これを聞いて、Kさんとの思い出が、走馬燈のように蘇りました。当時のKさんは、僕のことを思ってくれていて、中2のころに母が「Kさんきたよ」僕「ああ、いいよ、逢わないよ」といいました。スキーが上手だったのに、立ち木にぶつかって亡くなったと知りました。一部の写真週刊誌にものった「事故」となりました。
Kさんの他にも、2、3人の仲間がすでに亡くなっていました。あの頃の、思い出の中のみんなは元気なのに…。なぜ、亡くなってしまったのか。「生と死」は、僕の中での大きなテーマで、「海峡の光」のテーマを「善と悪」とするならば、次の「白仏」に書きたいのは、「生と死」。(どんなに長生きしたとしても、)わずか100年の中で、人間が、亡くなるのはなぜか?その(生きている)存在(の証)は、自分が小説を書くことによって、確認しています。
編集の人にも聞かれます。「なぜ、おじいさんは白仏を作るのか」と。その心をどのように流れるか、戦争を経験していない人間が、戦争について書く…作家としての壁かもしれません。想像だけでは、書けず、(戦争経験者の方から)お話を聞くとか、しています。事件がおこる、犯人はおまえだ、チャンチャン。ではない。なぜ「白仏」を作るのかが伝わらなくてはならないと思います。恐れずに書くのは、みなさんの、読んで感じたことで答えたいと思います。
帯広の時代に(=注・函館のいい間違い)、「極道無宿」というバンドを始めました。そのときのメンバーは、今は道新(=北海道新聞)の記者ですよ。(笑)「極道」が記者。不思議な気がします。函館西高校は僕に大きな力を与えてくれた学校です。最後は自死を遂げた、佐藤やすしさんの小説に感銘しました。後に函館西の先輩、お会いしたことがないのですが、先輩と知って感動しました。自分が自分の手で、つかまないと、宝を見失ってしまうのが小説で、影響を受けていると思います。佐藤さんの小説との出会いは、ローリング・ストーンズに出会ったのと同じくらいの感動だったのです。
僕が、この場でこう伝えることで、(この中の)誰かが、読んでくれたら…、「メガヒット」と呼ばれる曲が、ごみのように、いいすぎ?…粗製濫造されるように、次から次へと現れる小説によって、佐藤さんの魂が削られるような、気がします。次から次と流れる小説の中から、何かが生まれてくるのは、大切だと思うし…。
先日は、函館栄誉市民賞もいただきまして感謝しております(=今年3月末)。益田喜屯さん、お名前をちょっと忘れました、すみません、ボクサーの方に続いて、3人目ということで(この場をかりて、お礼申し上げます)。…お金はもらっていませんが(笑)。講演料は、少ないギャラで(笑)文学館の小杉さんが先ほどご挨拶で「ギャラ」といいましたが、「音楽(の世界)」では、「ギャラ」(笑)ですけれど、(辻さん、文学館、小杉さんの方に目を向けながら)普通、「講演料」なのですけれど。(笑)どうも、「てにをは」を間違えてしまいます。(笑)。
音楽は、(だまっていても志望者が多いので)いいのですが、小説について、「草の根(運動)」ではありませんが、みなさん、(小説を)やってみませんか?(笑)万一、賞をとったらすごいですよ(笑)。妄想、空想、想像、でもない、活字にしたいことを書く、これを出来れば、三島(由起夫)を超えられるのは僕だけですよ。(笑)書いたのは、誰かに読んでもらって、…(「エコーズ」の)メンバーは、漫画ばかりよむから(笑)、僕の場合、たまたまそばにあったのが「すばる」(=集英社)だった(笑)。今は、「ピアニシモ」(=辻さんのデビュー作・すばる文学賞受賞作)は、はずかしくて読めませんが(笑)、最初に書いた作品が、今、若い人に読まれているのが、嬉しいです。
嬉しいといえば、今日はホテルで受けたマッサージの方に、マッサージしていただいたのですが、「なんでこんなに肩凝るの」という、多分、僕の(音楽家で、小説家の「辻仁成」である)ことを承知だと、思いますが、「ミュージシャンかい?」と聞かれまして、僕はこう、こたえました。「地道に、生きてます」。
僕は、彼女のマッサージを受けながら、「ねてるかもしれないけど、しゃべってていいよ」といいました。彼女は、(思い出話など)ずっと喋っているから、眠れなくて(笑)。マッサージが終わって彼女に、「首が動くようになった、ありがとう」というと、「誉められることが、一番嬉しい」といいました。その時に、僕は、(盲目の彼女を)高みから見ていたのかもしれない、人間として向かえなかったかもしれない、と思いました。自分はまだ未熟なんだと。
こういう心境は、小説を書く上でいい「ネタ」に、…「ネタ」といったら、先ほどの「ギャラ」の話をいえませんね(笑)「題材」になります。
きらびやかに、輝いてはいないかもしれない、かもしれませんが、「白仏」を彼女が読んだとき、…僕の作品は全部点字本になりました。「白仏」を読んでくれたときに、どう感じてくれるだろうか。
光が一番好きだ。光は誰にでも平等に降り注ぐから…。生きれば、生きるほど、人生は広がって行くのですが、彼女にも、光が降り注いでいると思いました。
6月中旬より、ニューヨークへ約1年間、家族を捨てて(笑)(=南果歩さんと子供さんは日本に残る)行くことになりました。子供はまだ小さいのですが、何かを感じるのでしょうね。よく膝(ひざ)の上にのるようになりました。
紆余(うよ)曲折あるかと思いますが、新たな人生の始まりとなると思います。末永く、お願いいたします。(拍手)
※
−−司会の方。「辻さんは、小説家として現在7本を執筆中、音楽でもライブ活動と多忙な中、来ていただきました。そんな貴重な時間の中、本日は、お話下さいました。ありがとうございました。みなさま、辻さんに拍手をお願いいたします」(拍手)
−−19:45終了
(構成・金澤芳宏・一部敬称略)
(公演中の辻さんの友人名につきましては、仮名にしました)
私自身は、辻仁成(じんせい)から、「入った」ので、今回のファン層の幅広さには、正直驚きでした。
都合で、前売り券が手に入らなかったので、(電話で文学館に問い合わせたところ、「万一券が手に入らなくなっても、当日おっしゃっていただければ入場できるようにいたします」とおっしゃっていただきました。感謝いたします)当日券を購入するために、自分の両親と同じくらいの年齢の方々とならんでいる自分がちょっと照れくさい感じでした。
逆に言えば、年輩のベテランのかたこそ、むしろ文学に末永く接し、愛し、理解している、そう思いました。やはり、辻仁成(ひとなり)は、本物だったのです。
もちろん、学生服を着た高校生とか、若い人、おそらく私と同じように「エコーズ」から入り、きっとオールナイトを聞いていただろうな、と思われる同輩も大勢いました。ロックと違うのは、年齢に依存せず入れる世界が文学なんだと、改めて思いました。
今日は、NHKトップランナーなど、全国区のメディアでは聞けない、北海道ならではの貴重なお話を聞けたと感激しております。
今日の辻さんの声は、ひどく、がらがらで、「言葉はキュークツ」等シングルのあの声より、すごい枯れ声で(笑)、かなりの体調不良がうかがえました。しかし、おくびにも出さずに冗句もまじえながら、文学について、熱く語りました。
辻仁成に出会えてよかった。心からそう、思っています。
この記事は、1997年5月31日に公開したものです。読み返して、おかしな部分など多々、ありますが当日の私の感動などをそのまま残したく、表示上の不具合、入力ミスの誤字などの修正にとどめています。ご了承下さい。
とっぷにもどります
Phoenix Clubにもどります
Copyright by Y.Kana. : Sapporo/Otaru,Japan.(Since 1997/05/31)