1974年8月17日

 高校の夏休み、道東方面を回った後列車の待ち合わせの合間に追分機関区を訪問しました。ほんの短い時間何枚かの撮影をしました。



機関区の南側に大きな建物がありました。そこの横で撮影したD5170と565号機です。70号機は追分機関区久々のナメクジとなったカマで、565は鷲別機関区所属だったと記憶しています。ただこの写真で565号機の煙突にはフタが被せられているようです。ナンバープレートが付いているので休車がかけられていたのでしょうか。

上の写真の後ろ側からの写真です。細長い上屋は一度に何台にも給水可能な給水設備で、給炭設備が建物のの中にあります。追分機関区が沢山の機関車を擁した大きな車両基地であったのを物語る設備ですが、今はそれを偲ぶ事も出来ません。D5170と手前の193が止まっている線路はアッシュピットにもなっているようです。


上の給炭給水設備を真横から見ています。正面に停まっているのはD51842だと思います。

この時にはすでに79602は追分に来ていました。ころころメンバーの変わった末期の96ですが、このカマは比較的長く所属した事になります。

 追分の庫で休むD51361です。夏なのでスノープローが外されています。私はこのカマの印象がほとんどありません。追分での活躍も短かったのではないでしょうか。