三菱大夕張鉄道

 明治44年に清水沢一二股(後の南大夕張)半に開通した大夕張炭坑(株)専用鉄道が三菱南大夕張鉄道の前身です。昭和4年に大夕張まで開通、昭和22年に国鉄清水沢駅に乗り入れました。
 一時は9200型が活躍して有名になりましたが、私が写真を撮り始めた時には7台の9600型が活躍していました。ここの9600は番号が変わっていて、NO.2〜NO.8と言うように付けられていました。なぜ「1」が無いのか本当の所は解らないのですが、一説では1両だけ在籍していたC11(私が気が付いた時にはもう廃車になっていましたが)がC1101番で、それを1号機としたためと言われています。 ここの9600型は特徴的な形態のカマが多くて、写真のNO.3とNO.4は昭和生まれの自社発注機でC56と同型でリベットがばりばりのテンダーを持っていましたし、9600型初期のSカーブのキャブを持ったNO.7(9606だったと思います)NO.8(9603だったと思う)等がいて、ファン好みのラインナップでした。 これらの9600が明治生まれの客車を連結した混合列車が魅力的な鉄道でした。

 昭和48年の大夕張炭鉱の閉山に伴い路線が清水沢-南大夕張間に短縮され、その年にDLが導入されSLも全廃されましたが、混合列車は変わらず運転されましたが、昭和62年南大夕張鉱の石炭輸送がトラックに移管され7月21日に廃線となりました。

 南大夕張駅構内には未だにラッセル車と客車など車両が6両残されて、三菱大夕張鉄道保存会の手によって保存活動が行われています。


 1978年に公開された映画「皇帝のいない8月」と言うのをご存知でしょうか。正直言ってストーリーは忘れてしまいましたが、何か自衛隊の一部がクーデターを起こすといったような話だったと思います。そのロケの一部が大夕張鉄道の南大夕張駅構内で行われました。寝台特急「さくら」の車輌を爆破するのですが、どうも実物を使ったロケに許可が出なかったようで、大夕張鉄道の明治生まれの客車に14系寝台に見立てた張りぼてを付けて撮影したのでした。これがそのときの写真です。クーラーの部分等に目をつぶればなかなかの出来ですが、よくよく見ると床下に木造車の面影があったり、3軸台車だったり、1両1両の長さが違ったりするのは愛嬌と言う物でしょうか?ちなみにきちんと作られているのは見えている側だけで、この向きから見えない方は種車のままです。その間旅客列車が運行されていたのかどうか記憶がありません。なお、本当の爆破は模型で行われたので、我々は今これらの客車(もちろん14系の張りぼては付いていない)を見る事ができるわけです。

 三菱大夕張鉄道は炭鉱の鉄道なのでSLは晩くまで残っていると思っていたのですが、意外と早く昭和48年の大夕張炭鉱の閉山に伴い路線が短縮されその数日後にDL化されてしまいました。写真はその路線短縮最終日のさよなら列車で、同年12月15日に運転されました。これをを最後に大夕張―南大夕張間が廃止されたのです。その時私はSLも同時に廃止になると思っていました。飾りつけもそんな雰囲気を醸し出していますがその後もSLは運転されたのでした。

 上の写真の次の日、昭和48年12月16日のNO.3の写真です。一般には路線短縮と同時に大夕張鉄道のSLは廃止されたことになっていますが、この後数日動いていたようです。ただ、12月16日以後に動いていたSLは、このNo.3しか目撃していませんので、すでに他のカマは運行を終了していたのだと思います。(ちなみにSL運行終了後、南大夕張の車庫で鉄道職員の方に「200万円で買わないか」と言われました。)

 右下に写っている黒い箱状のものは8ミリカメラです。いえ、8ミリビデオではありません。8ミリフィルムのカメラです。私の親がそう言った映像系の物が好きだったので、少ない小遣いをはたいて、たまにフィルムを買って動画を撮影していました。ただし、音は入っていません。この映像は大夕張鉄道保存会の手によりビデオに落とされて何十年かぶりに日の目を見ましたが、同会のDVDには収められませんでした。


 大夕張鉄道の蒸機廃止後自社発注でC56タイプのテンダーを付けた昭和生まれのNo.4は夕張市に寄贈され石炭の歴史村SL館に保存されましたが、オープンまで間があったため一時的に北炭化成工業所敷地内に保管されていました。基本的にシートが掛けられその姿を見ることは出来なかったのですが、シートがかけられる前の数日だけその姿を見ることが出来ました。モノクロの写真ですが、その色合いがおかしい事に気付かれると思います。これは錆止めが塗られていたためで、この時No.4は錆止めのオレンジ色をしていました。
 さて、このNo.4が保存されている石炭の歴史村のSL館ですが歴史村破綻のために指定管理者になっていた会社が管理者を返上してしまい存続の危機に直面しています(2009年2月現在)。何とか残そうと頑張っている団体もありますが、予断を許さない状況です。夕張の石炭輸送の資料と夕張の誇りが詰まったSL館自体が車両を含む収蔵資料と共にどんな形でも良いので残ってくれることを願っています。

 上の写真のNo.4の現役時代の写真です。清水沢駅を出発するところを道々の踏み切りで撮影しました。C56と同タイプのテンダーが良く分かると思います。No.3とNo.4は同型で大夕張オリジナルと思われがちですが、このNo.4は昭和16年の新製後一旦美唄鉄道に入って後昭和22年になって大夕張に移ってきました。

 大夕張から清水沢に降りてきたNo.5牽引の列車です。場所はNo.の写真と同じ場所です。とにかく露出がダメダメで見難い写真なのをお許し下さい。

清水沢駅で発車を待つNo.4牽引の列車です。写真に写っている一番左の線路は大夕張線の混合列車が止まる1番ホームのある線路で、隣2本が大夕張線の線路。D51牽引の列車が停まっている所からが国鉄の線路で、右のホームは2番、3番ホームになっていました。
 今は一番左側の線路のみが残り、あとは線路が全部剥がされて空き地となってしまいました。

続く・・・。