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はんおかるとぶんしつ

オカルトと反オカルトの呉越同舟板

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  投稿より
No.5618   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 03:39
また新たな展開があるかも
わたしは四半世紀前に思いついてから少しずつ進化はしていますが基本は変わりません

いやいろいろな問題に触れて自分なりに納得出来る結論を出すのは一つの喜びです
あくまでも一つの試論です
あなた方もいろいろ考えてみることを提案します

  Re[5612]: 投稿より
No.5617   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 03:29
> 静止を運動でというのは微分積分の定義、不確定性原理を導く
> 二律背反、不思議な運動定義、クレタ人の逆説、不完全性定理も規定は否定から理解出来る

訂正
運藤を静止で

  投稿より
No.5616   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 03:25
半世紀ほど前から現代科学は健康ではないという武谷三男氏、ハイゼンベルクの指摘から現在に至るまで様々な形で新たな視点の必要性を指摘する科学者たちがいます

わたしは現在の学を絶対の基準と考えるのは危ういと思います
それは森鴎外を典型にした死屍累々の結末しか導かないのではと危惧します

  投稿より
No.5615   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 03:19
それはともかく
わたしは自然は無矛盾で理解可能なのだと考えています
対象は矛盾しない、有と無という否定関係は存在しないのだと
ならば此処から此処までも存在しないのではないかと
規定が否定なら、有は無で規定されるのだと
大きさの無い数はその存在を光速度一定の原理は否定します
それで理解するがそれは存在しないのです
球体で理解しますが自然には存在しないのだという理解です

  投稿より
No.5614   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 03:13
三浦氏は真理はとても単純なのだと語ります
わたしは自然は一であり、規定は否定という観点から一元的にわたしが煩悶したこれらの諸問題が理解可能であることに吃驚呆然としています
個人的には満足はしていますが同時に不安を感じています

ふと若き日に新約聖書学の結論に触れてしばし動けなかったことを思い出します

タイムマシンの最後の章に漠然とした不安を感じました
人間はおそらく太陽系を脱することはできない、ここで終わるのだと
自然はただただ運動変化しているだけではないのか

滝村氏は死から逃れならない限り宗教は不滅であり地域利害があり制度が必要な限り共産主義は成立しないと結論します
進化は万能であるの著者は新たな問題を人間はボトムアップで解決していくしかないと語ります

  投稿より
No.5613   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 03:01
わたしは次元で理解するが次元は存在しないと考えている
球体として認識器官に像を結ぶし、それで理解規定することは否定しないしその限りでは正しいのだと
科学はみたものそのままが自然ではないと示す
科学はその相対化の歴史であり、光速度一定の原理は次元は存在しない、此処から此処までは存在しないのだと
認識そのものを相対化しているのだと
自然は無矛盾、つまり運動するエネルギーの濃淡であり親和反発の過程で新たな濃淡を産み出すだけだと

自然科学はその本質として自己言及、つまり自己を他、つま規定は否定であり、決定不能なのだということを示す
それは対象は無矛盾だから決定不能と決定するわけです

  投稿より
No.5612   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 02:50
これらの問題の解決理解の視点は自然とは、論理、規定とはの観点から一元的に解決できるのではと思えるようになった
板倉氏の論理は静的だという指摘を掘り下げると規定は否定というスピノザの理解が理解できた
山川氏の「ゼノン4つの逆理」からは自然は一であるというパルメニデスの主張の正当性が導かれる
これはまた一を多、つまり規定は否定ということを裏付け、また光速度一定の原理は科学からの裏づけなのだと
静止を運動でというのは微分積分の定義、不確定性原理を導く
二律背反、不思議な運動定義、クレタ人の逆説、不完全性定理も規定は否定から理解出来る

  投稿より
No.5611   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/25(Tue) 02:38
個人的には自然とは、論理とは、学問とは、人間とはを理解したい
いろいろ読んでいるうちに解決出来ていない問題がぞろぞろ出てきた
ゼノン、クレタ人、カント、ヘーゲル、スピノザ
微分積分の理解し難い0に鍵なく近いが0ではないという定義、不確定性原理、不完全性定理、観測問題等
そして新約聖書学、共産主義の結論の衝撃
最近では「進化は万能である」の新たな視点の提供は面白く、また納得できた
共産主義に関して滝村隆一氏の共産主義は成立しないというのは社会科学としての観点から導いた結論だが、これは進化という観点からの理解からであり、なるほどと思った

関係ないが、これらは全て目的を実現しようとして逆の結論になったということには歴史の皮肉を感じた
数学もその一つでしょう

わたしは何処からきて何処に行くのかというのは根本的に違う気がしてきている
ゴーギャン、日本の物理学者の問題意識は根源から否定されそうだと

  投稿より
No.5610   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/23(Sun) 09:00
生死は峻別できない
物理として生死は無いから
地球非地球と線引きは可能か
それは無いのではとわたしなどには思える
此処からが無いのだから此処までも無いのではと

それで認識規定するがそれは存在しない
静止、生死で規定するがそれらは物理としては存在しないのだから


  投稿より
No.5609   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/23(Sun) 08:59
ある物理状態がある物理条件、つまり物理状態に親和反発して新たな物理状態に成る
感覚器官もまた物理状態だから外界の物理状態、視覚の場合は光を媒介に像を結ぶ
感覚器官は諸生物、諸個体により差異が在る
ソムリエ、絶対音感の有無、触覚も職業によりある物理状態には敏感になることは想像に難くない
これは感覚器官の差異であり、その物理状態に対応して像が結ぶのであり、どれが正しいというわけではない
視覚の場合には静止、生死は自然には存在しないのに像としては存在する
このことを理系はどう理解するのだろうか
光速度一定の原理が何を語るのかは未だ考察されていない
地球非地球という線引きは厳密に確定するのだろうか
出来なかったら球、いや形は存在するのだろうかということになる
わたしはそれは視覚の在り方に結んだ像であり、観たものがそのままの自然では無い、地球が静止して観えるが地動説が否定したことの意味を徹底的に考えるべきではと理解している

  コーヒー
No.5608   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/22(Sat) 18:12

久しぶりに豆から挽いて飲みました
うーん、不味いです
豆がいけないのかな
以前はもっと美味しかったんですが
母の晩年の仲秋の午後十時頃にコーヒー飲むと聞くと可愛らしく、うんと頷きました
美味しそうに飲んでいたのが忘れられません
大正年代のひとたちはコーヒーが本当に好きみたいです
銀ブラとかの世代で闊歩していたと聞きました
父も大好きだったみたいで飲んでもらいたかったです

不味いのはこちらの味覚の変化かなとも
あと二十年は無い命だと思っています
いや五年かなとも

万物は流転するというヘラクレイトス
自然は一というパルメニデスとその弟子ゼノン
クレタ人の逆説
いや古代ギリシャ文明は偉大です

ヘラクレイトスについてはつい最近その重要性に気が付きました
上記のことが繋がるなんて思いもしませんでした

さてと纏めなきゃな
わたしの生もあと僅かのような予感がありますので
そういや母は84歳の時にあと二、三年だと思うと言いましたが、それから18年以上生きました

虹自身時間はありと思いけり

  投稿より
No.5607   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/22(Sat) 07:03
自然科学は自然の一部である人間が認識する学問です
自然科学は自己言及ということです
自己言及は自己を他として認識するということです
つまり否定で規定するということです
運動は静止で、一を多で、有を無で、ということではないかと
それで認識しますがそれは存在しません
形で認識しますが形は存在しないのだという理解です

  投稿より
No.5606   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/22(Sat) 06:56

地動説は観たものそのままが自然では無いことを示す
進化論もまた
科学革命は認識する側の自己言及で、ということだと
地球もまた諸天体の一部、人間もまた諸生物の一部という自己言及です
光速度一定の原理は座標原点で認識するが座標原点は存在しないと示す
ここでも認識する側の自己言及ということになる
自然科学は自然の一部である人間の自己言及だと
静止が存在しないのならば自然の存在は運動形態であり、運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程で新たな濃淡を生成していく過程として在るということになる
素粒子に、紐に、生物に、地球に、大構造に生成する
万物は流転する、〜に成るのだということに
認識器官に結ぶ像は認識器官の在り方により生成される像です
静止、生死、無は自然には存在しません
平面も球体も認識器官に結ぶ像ではないでしょうか
平面は大地から認識すればある範囲で真理です
球体は地球外から認識すれば真理です
しかしそれは認識器官に結ぶ像です
ある範囲で真理なのですが、それは観たものがそのままの自然であるという理解を脱してはいないのではないでしょうか
〈ここ〉からが存在しないのなら〈ここ〉までも存在しないのではないでしょうか
光速度一定の原理から導かれる自然は自然は一であり多ではないということなのですから
地球と地球外との境目があるという主張は此処までがあるという理解です
それは光速度一定の原理の否定ではないでしょうか
静止が運動の一形態であるように粒子は波の一形態ではないかと
それは認識器官の在り方に結ぶ波の像だという理解です
自然は無矛盾です

  ヘラクレイトス
No.5605   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/22(Sat) 06:25
万物は流転するということですね。
ああ・・・素粒子に、紐に、生物に、銀河系に、大構造に・・・。
運動するエネルギーの濃淡の親和反撥が新たな濃淡を生成していく過程として自然は在る。
認識器官という濃淡に自然の濃淡が親和反発して像を生成する。
それを手掛かりに自然を理解していくのが科学ということですか。
観たものそのままが自然では無いことを示す端緒が地動説です。
粒子は果たして存在するのでしょうか。
静止が運動の一形態であるように粒子は波の一形態ではないかと。

  投稿より
No.5604   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/21(Fri) 05:26
1=0.999・・・
これに触れると0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義を思い出す
この場合は0.999・・・は1に限りなく近いが1では無い、のではなく=であるのだと

0に限りなく近いが、という説明を読むとクレタ人の逆説を思い出す
何故なら無であるが無ではないと言っているとも理解出来る

なぜこのような定義に成るのか

例えば天体観測は地球が静止していると仮定す

これは仮定、仮構を媒介にして認識しているということ
運動は静止で、ということです
数には大きさが無いから無限に集めても無と言うことです
0は無限に集めても0です
運動は静止で規定されます
有を無でということです
クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言う
これは否定、つまり嘘つきのクレタ人が真を述べるわけです
この逆説は否定で規定しているからです

もうお解かりでしょうが0に限りなくというのは、有を無で規定するからです
運動という有を静止という無で規定するのですから
これはクレタ人の逆説と軌を一にしています

実は規定とは否定です
対象を理解するとはそういうことです
自然を理解するということは自然の一部である人間が、つまり自己言及なのです
自己言及とは自己を他者で認識、規定するということです
座標原点は存在しません
対象である運動という有は無で規定されます
これも否定で規定するわけです

学問である数学も科学も基本はいまだ確立していません
森鴎外はその時代の学問から脚気を理解して結果惨状を招きました
数学は実害はあまりないでしょうが

この問題は視点を変えないと解決はつかないと横目で観る立場からはそう思えます

  投稿より
No.5603   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/15(Sat) 09:22
ハイゼンベルク、武谷三男両氏は現代科学の傾向に疑問を呈している
ライプニッツは重力方程式に敬意を表したがその概念は魔術的と受け容れなかった
ホーキングは最終方程式まであと僅かで手に届くと語ったが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語った
九十年代初頭に科学革命が必要な段階だと主張する科学者が出てくる
日本でも「と学会」のように現在の科学からすべてを裁断する在り方に、新たな見方が必要とされるのにと批判する科学者たちが出現する
今世紀に入り量子力学は新たな理論が俟たれると立花隆氏が語り研究者らしき方が最前線は一条の光も射さないという投稿をしている
同年代に時間は存在しないと主張する科学者たちが出現する
これは前世紀末にドイツの科学者がその可能性に触れていた
重力も違うのではとする科学者が出現してる

現代科学を概観するとやはり革命前夜に映るのだが

いずれにしても答えは自然が出すし、それ以外ではない
理数系学徒の皆さん、思わぬ背負い投げを喰らわないようにと老婆心ながら

  投稿より
No.5602   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/15(Sat) 08:50
自然は運動するエネルギーの濃淡でありその親和反撥で新たな濃淡が生成していく過程として在るとわたしは理解する
認識器官もまたそのようなものとして在るのではないか
つまり認識器官という物理もまた差異である濃淡に大して親和反発して像を結ぶ
諸生物、そしてその個は差異として在る

認識器官に結ぶ像がそのままの自然では無いことを地動説を端緒に科学は示してきた
光速度一定の原理で自然は濃淡という差異として在り否定関係は存在しない、つまり無矛盾であると明かしたのでは?
球体で理解するのだが、それは座標原点で理解するが実在しないのと同じことではないのだろうか
静止は認識器官には像として存在するが自然には存在しない
球体で理解するがはたして球体は自然に存在するのだろうか

  投稿より
No.5601   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/15(Sat) 08:28
諸生物の視覚という物理条件の在り方の差異で自然の像はそれぞれ違うし、そのままの像は結ばない
それは触覚、味覚なども同様
それは自然をその自然が生成した物理状態という物理条件に拠る像ということになる
微生物を裸眼で観ることができる人間はいるのだろうか
それは顕微鏡という物理媒体で視ることが可能になる
それも顕微鏡という物理条件がもたらす像でしかない
静止は運動の一形態だが認識器官には否定関係として像を結ぶ
生死も無も実は差異であり否定関係ではない
光速度一定の原理は座標原点の実在を否定する
これが何を語るのか
形は認識器官に結ぶ像であり自然そのままではないのではという疑問がある
此処からが無いということは此処までが無いということではないのだろうか

果たして自然に形一般が存在するのだろうかという疑問がわきあがることをわたしは抑えられない

  投稿より
No.5600   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 19:44
・・・まあ、あまり芳しいとは思えない結論が待っているという予感はしています
数学はもちろん新約聖書学、マルクス主義の結論以上なのではないかと
最終戦争が起きて天から手が伸びてきてキリスト教徒だけ助かるという宗派がアメリカに在りキューバ危機では軍部幹部にいたと側聞しました
いやはやですが、全幅の信頼みたいのがあります
宗教を好まない母は魂だけは信じると手紙で書いていました
羨ましい限りです
わたしにこういう事を受け入れる余地がありません

  投稿より
No.5599   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 19:35
基本人間の生とはが解りたいだけかなと思います
客観な理解で恣意性を排除した確かな認識を得たい
自然理解も学問もその手段ですが要です
正直きちんとした基礎から理解構築した人は皆無ではないかと
その端緒を拓く認識の基礎前提を提供出来ればこのうえない僥倖です
そのうえで日本の学徒たちに科学革命を成し遂げてほしいのです
かなりのところに行っていると思える西洋の学徒たちは未だに認識の問題に気が付いているとは思えないから十分チャンスはあるのではと

  投稿より
No.5598   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 08:44
フラットアース説批判のスレはブレークスルーとなる認識が得られました
96年に「ゼノン4つの逆理」で無矛盾な自然観を獲得しいろいろ解決できたと喜びました
四半世紀以上前ですが、それがまだまだだということには気が付きませんでした
ここでも一を多で規定するということが四次元理解に繋がりましたことに吃驚します
考えてみれば当たり前なんですが、なかなか気が付かない
睫は目の前にあるんですがなかなか気が付きません

  投稿より
No.5597   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 08:37
まだまだ解らないことだらけです
ある研究者は量子力学の最前線は一条の光も射さないと語ります

自然は差異として在るが無矛盾なのだということがアリアドネの糸だと
差異を否定で規定する、規定は否定なのだと
それを念頭に理解していくと理数系、哲学の解けていない基本が理解できるのだと

  投稿より
No.5596   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 08:30
認識器官は自然の一部です
自然をその物理状態により像を結びます
認識器官には諸生物、個体の差異により像は違います
また静止、生死、無は認識器官には存在しますが自然には存在しないのです

認識とは、ということは検討に値するのでは

  投稿より
No.5595   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 08:16
自然理解は自然の一部である人間の自己言及です
自己を他者として、つまり否定で規定します
不確定性原理は運動という有を静止という無で規定するからです
0に限りなく近いが0ではないのです
無で有を規定するからです
つまり近似値は必至で=ということはあり得ないのです
不完全性定理もまた否定で規定するから決定不能になります

光速度一定の原理は静止で規定するが静止は存在しないことを示します
自然の存在形態は運動であり無矛盾であることは規定は自然には存在しないことで示されます
ウイルスが分類困難なのは差異を否定で規定するからです
対象は無矛盾ですが差異として在りそれを否定で規定するから不確定性原理、不完全性定理、観測問題などなどが出来します
クレタ人、ゼノン、カント、ヘーゲルもまた否定で規定するからです
否定ですから対象には存在しませんし、光速度一定の原理はその存在を否定して自然が無矛盾であることを示します

  投稿より
No.5594   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 08:02
理数系の問題意識がある方々
どうか認識論に少しでも耳を傾けてください
観たものがそのままの自然では無いことを科学は示してきました
自然認識ですから認識の在り方は検討に値するのではないでしょうか
静止は運動の一形態、生死は物理としては無いというのは決して屁理屈ではなく、科学の理解に基づきます
科学は否定関係だと規定してきた対象が物理として差異であることを示してきました

  投稿より
No.5593   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/14(Fri) 07:55
カズレーザーの番組で、まだまだ表現についての理解は混乱しているんだなと思った
けっきょく、この時点ではこう理解されているということを前提にしなきゃいけない、絶対とか固定して捉えるのは過つということです
ただ、それは天動説がある範囲で有効な理解であるのと同じで、だからこそ説得力はあるわけです
・・・もしかすると間違いかもと思っていたら全力傾けられませんから
板倉氏は固定して理解することの有効性を説いていました

ふと出自がいかがわしいマタイ福音書が思想として高く評価され、またバッハのマタイ受難曲を産んだりしたことを想起させます
人は偽物ほど熱狂するとゲーテは言ったそうです
北杜夫だったかな、たぶんエッカーマンとの対話からの引用でしょう
そういやゲーテは友人に君はスピノザしか読まないのかと言われたとか

学問の基礎は未だしではないかと
ある意味完成しなきゃいけませんが、ある意味完成することはないのだと
自然は無限ですし、物理条件の生成はこの意味で無限ではないかと

数年ぶりにバッハが苦手な母が感動したマタイ受難曲聴きたくなりました
三時間ですし映像版でしか完走したことありませんが

  投稿より
No.5592   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/13(Thu) 12:31
科学は観たものがそのままの自然では無いということを証てきた歴史ということでしょうか

粒子も静止も生死も無も認識には存在しますが・・・
そして認識そのものが相対化される
規定は否定で対象には存在しないのだと

もちろん対象の否定ですから対象に在るわけではありません

  投稿より
No.5591   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 22:02
いずれにしても学問は新たな視点が必要な段階でしょう
それだけは言えるのだと

現在を固定して変わらないと考えていたら衝撃は大きいでしょう

第二のクロネッカーとかガリレオ否定派に成るかも知れません

お気をつけてください

  宣言します
No.5590   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 20:52
哲学板で哲学にこだわり廃人になった人を何人か知っているという投稿をした人がいました

わかりますが、やはりゼノン、カント、ヘーゲルは解りたいのです

自分なりに納得できる理解に到達しました
とても満足しています
三浦さん、板倉さん、山口さんの学問からヒントを得ました
彼らの業績が無ければ納得できずに生を終えたでしょう
吉本さん、滝村さん、南郷さんらの業績もまた三浦氏の学問に多大な影響を受けています

わたしの理解が後世の学徒に役立ったらこれ以上のことはありません

文化もまた進化していきます
それに少しでもなんらかを足せれば出来過ぎでしょう
そうなることを願います

さてと明日から全力を傾けます
一段落ついたらアップします

ひとまずは会議室とここを残してくれているけんけんさんに厚く御礼申し上げます

  さてと纏めますか
No.5589   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 20:41
虹自身時間はありと思いけり

そろそろ幕引きかなあなんて思ったりします

  投稿より
No.5588   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 20:38
四次元は難関でした
対象は一ですが運動します
運動という有を無で規定しますから多、つまり運動量で理解します
此処、今と指示すると此処、今は飛び去る
このヘーゲルの指摘を読んでから約半世紀
やっと合点がいく理解に到達しました

一を多で規定しますが、これは認識の在り方故です

  投稿より
No.5587   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 18:51
観たものがそのままの自然ならば科学は要らない
ある学者の言葉です

これを深化して徹底するのに何年掛かったやら
これからもまた

  Re[5584]: 投稿より
No.5586   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 18:42
> 以前四次元が実在したら静止した自然、そして自然の一部であるわたしもまた無限に実在しなければならないと主張しました
>
> いや、認識するということはそういうことです
> 一である自然は多で認識するのですから

これは個人的にはブレークスルーです

  さてさてと
No.5585   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 18:29
徹底して適用し展開するのは困難です

凡才なんで牛歩というか蝸牛の歩みです
いやはや、楽しいけど苦しい
苦しいけど楽しい

  投稿より
No.5584   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 18:22
以前四次元が実在したら静止した自然、そして自然の一部であるわたしもまた無限に実在しなければならないと主張しました

いや、認識するということはそういうことです
一である自然は多で認識するのですから

規定は否定です

  投稿より
No.5583   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/12(Wed) 07:39
ここで考えてきたことを取り入れて書き直します
ありがとうございます
いろいろ触発されました
違う考え方に接することは大事ですね
自分の理解を深める参考になりました

構成考え直します
少しかかりそうですが

もう少しでこのスレ終わりますね
完走したい 

  投稿より
No.5582   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/11(Tue) 22:32
認識の在り方の認識がこれからの課題でしょう
認識器官という物理条件もあります
素朴に観たものがそのままの自然だということから脱する必要があるということです
始まりはたしかに認識には必要ですが存在しないのです
これが自然認識を語るうえで必須だということです
次元も数も認識には必要ですが実在しません
大科学者でさえ天動説から免れていないのではと

  投稿より
No.5581   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/11(Tue) 08:57
わたしという自己言及の認識構造を解き明かした三浦つとむ氏の言語過程説を基に「言語にとって美とはなにか」を著したのが吉本隆明氏
当時隆盛だったマルクス主義芸術運動に真っ向対峙した芸術論で序論の表現論は出色だった
これは音楽、美術、というか芸術一般の基礎の指摘でもあった
彼は自著を手にして、勝利だよ勝利だよと呟いたとか
三浦つとむ氏は共産主義者だったが自身の論文でこの思想が成立しないことを示す端緒を開いた

わたし自身はやはり唯物論は正しいと信じている
三浦さんは思想としてはともかく学問としては勝利だよと言えるのだと

三浦氏の認識論は学ぶに値すると思っています
また板倉聖宣氏の概論的性格の書物もまた
山川氏の古代ギリシャ研究の書物、とりわけ「ゼノン4つの逆理」はお勧めします

勝利ですよ、三浦さん、板倉さんと言えるのはわたしが生きている間には無理そうです

理数系の学徒のみなさん、認識論では日本は世界に先んじていて学問の革命には有利であり、学ぶに値するとわたしは主張します
コペルニクスの衣鉢を継ぐのが日本の学徒であることを希望しています

  投稿より
No.5580   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/11(Tue) 05:41
学問は結局自己言及が本質ではないかと

自己言及は自己を他として、ということです
自然認識は自然の一部である人間が、ということです

認識の在り方の認識、つまり自己言及すべきかと

光速度一定の原理は座標原点、静止で運動を規定するが静止は存在しないことを指摘します
この原理は自然と認識の在り方の言及なのです

つまりαでありωだと
この原理が語ることは実に豊穣です
基本はこの原理が確定可能なのだとわたしは理解しま

  無題
No.5579   [返信]
Name偽パルメニデス
Date: 2023/04/11(Tue) 05:32
ワインバークは宇宙の始まりまであと僅かにまで迫っていると前世紀末に語りました

さて始まりはあるのでしょうか

科学者は死の分岐点が解らないと語りました

さて死は物理として存在するのでしょうか

さてさてさてとわたしなどには現代科学の未解決事象の多くが認識の在り方に無頓着だから解決できないのではと映ります

実数は存在するが虚数は存在しない?
これも認識の在り方を無視するから議論百出としかわたしには映りません

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