創造と終末
   科学は宗教に替わるものではない


宇宙の始まりから現在までの歴史
 宇宙の歴史は、約150億年前に始まったとされている。時間も空間も物質もない世界から、ビッグ・バンと呼ばれる宇宙の大爆発が起こり、100秒後にはすべての元素の合成が終了した。その後も宇宙は光の速度で膨張を続け、50億年前に太陽系ができ、45億年前に地球が誕生した。地球が誕生してから7〜8億年で原始的な生命が生まれたが、アメーバのような単細胞生物が誕生するまでに、さらに20億年以上かかった。高等な脊椎動物の祖先である魚類が誕生したのは、今から約4億年前、哺乳類が生まれたのが6千万年前で、約300万年前に猿人が生まれた。最も進化した動物である現代人(ホモ・サピエンス)は、20万年前にアフリカの一人の女性を起源に世界に広まったと推定されているが、その遺伝子DNAには4種の塩基配列で30億対の膨大な情報があり、そこには38億年分の生命の歴史が刻み込まれている。人間が、卵子と精子の受精から胎児を経て、3兆個の細胞を持った未熟な状態で生まれ、60兆個の細胞を備えた成人となるまでに約20年かかるが、このような成長過程は、単細胞生物から魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、類人猿の姿を経て人間へと至る15億年の進化の過程を早回しで忠実に再現しているのである。
 宇宙の歴史を、ビッグバンを元旦として1年に縮めてみると、太陽系は8月末に混沌とした状況で現われ、天地が分かれ地球ができたのが9月上旬、アメーバの誕生は10月中旬、魚類は12月20日頃に誕生し、クリスマスにようやく恐竜が現われる。哺乳類が生まれたのは12月30日、猿人が誕生したのは大晦日の午後10時20分頃で、現代人の祖先である女性が誕生したのは午後11時59分、キリストの誕生は最後の4秒くらいということになる。創世記では天地創造が1週間に縮められているが、現代科学の非可逆的世界観は、時間の尺度を変えれば聖書の世界観に驚くほど酷似している。
 人類は紀元前5千年前、地球上にたった500万人しかいなかった。しかし、メソポタミアで組織的農業が始まり都市文明が出現してから、人口は指数関数的に増え始める。紀元前1千年には、地球人口は約10倍の5千万人になる。そして、キリスト誕生の紀元0年頃には1億人を超えた。産業革命後の1850年には12億人、それから1950年までの100年で、約2倍の25億人、さらに2000年までの50年で、2倍以上の60億人になってしまった。今後、地球上で農地を最大限に開発したとしても、生産できる食糧で養える人口の限界は120億人である。今までのような人口成長を続ければ、限界に達するのに20年とかからない。
 しかし、地球環境を永続的に維持するためには、地球人口は80億人くらいで安定させなければならない。人口の抑制は、戦争や飢餓、エイズのような伝染病、産児制限などの非人間的な状況によってもたらされるべきものではなく、子ども=労働力となるような貧困をなくすことが、唯一の解決法である。しかし、世界では自由経済に基づく資本主義により貧富の格差がますます広がるばかりで、人口爆発にブレーキがかかる気配はない。世界で特に爆発的に人口増加が進んだのは産業革命後であるが、この人口増加は元を正せば、7千年前の農業革命に発している。この7千年来の人類の歴史を、今後20年間に大転換しない限り、人類は生き延びることができないのである。
 ことは、人類だけの問題ではない。人類の活動によって、現在この地上から、実に多くの生物が絶滅させられている。恐竜時代には、絶滅する生物種は1千年に1種くらいしかなかった。それが、1700年頃には3年に1種が絶滅し、1900年頃には1年に1種が絶滅するようになった。ところが、1975年頃には、毎年約1千種もの生物が絶滅し、現在では1年に5万種以上の生物が絶滅しているのだ。多様性によって維持されているこのエコロジカルな惑星から、現代の人類は、2度と取り返しのつかない貴重な遺伝子を次々に葬り去っている。

生命の惑星の末期的状況をどう乗り切るか
 今こそ人類は、農業革命に端を発した7千年の文明を築き上げてきた価値観と、決別しなければならない最終局面に直面しているのである。今後20年、長く見積もっても50年が、この文明の終末期である。このような終末が訪れることの警告は、何千年も前から預言者たちによってなされてきたのであるが、その警告を人類は正しく受け止めて来なかった。
 人類が破滅から救われるためには、宇宙と生命の神秘に従う、永続的でエコロジカルな倫理に基づく人類本来の価値観に立ち返らなければならない。この価値観を最初に失ったのが農業革命であり、先住民のエコロジカルな生き方と決別し、自然と人間を搾取して剰余生産により文明を築く生き方が始まった。そして、これに拍車をかけたのが、デカルト−ニュートンの自然哲学−物理学により打ち立てられた近代科学である。近代科学は、西欧のプロテスタンティズムと共に、資本主義経済を伴って発展し、それまでは曲がりなりにもスプリチャルなものとして畏敬する対象であった自然観から人類を解放し、自然を人間によって支配・搾取する対象にしてしまった。近代科学は、神の創造した自然を解き明かす道具としてではなく、自然を自由に改造し、エリート以外の人間をも支配するための道具として働いており、何よりもイデオロギーとして機能しているのである。
 産業革命後の文明は、何億年のもの歳月をかけて大地自然が作り出した化石である石炭・石油をエネルギー源とし、またそれを様々な薬品やプラスチックスなどの物質資源としても用いることによって成り立っているが、資源の搾取、労働の搾取なしに、このような文明の発展はなかった。しかし、この文明の基礎となっている化石燃料はあと数十年で使い果されてしまうわけで、我々は1千万年分の資源を1年で浪費するという、はかない文明の上に生きている。
 そして、この文明の最終段階において、人類は天地創造の神の領域にまで踏み込もうとまでしている。その領域とは、2つの核技術であって、これは人類はおろか全ての生命をも破滅の危機にさらす技術でもある。2つのうちの一つは言うまでもなく原子力であり、もう一つは、この10年余りで急速に進んだ細胞核の遺伝子操作である。これら2つの技術は、生命にとって何のメリットもない。人類は、この技術により、先のない化石燃料に依存する現代文明の危機を乗り越えようとしているのだが、それは全く間違った解決方法であることに気付かなければいけない。宇宙と生命を創造した神の力に背くことは、およそ不可能なのである。宇宙の創造は原子核によってなされ、生命の創造は遺伝子核によってなされた。これを人類が操作できると考えるのは、不遜なことでしかない。これは神=自然に対する倫理、価値観の問題であって、科学を絶対的に信奉する人たちと、技術の安全性についてどんなに議論しても、話がかみ合うことはない。

科学を乗り越える正しい宗教の確立を!
   現在の文明世界を牽引して来た宗教は、近代科学と同時期にルター・カルヴィンらにより誕生したプロテスタントである。もちろん、それ以前より、植民地支配による搾取の地ならしとして、カトリックも大きな意味を持っていた。では、キリスト教の思想そのものが、天地創造の神から人間を引き離してきたのか? それは、おかしな話ではないか。キリスト教は、天地創造の神に立ち返ることを説く宗教のはずである。しかし、キリスト教を自然から引き離し観念化させてしまった元凶は、ローマ帝国で権力との妥協により生まれたカトリックと、そして新たな植民地支配と工業化社会を目指した北ヨーロッパで生まれたプロテスタントであることは間違いない。これらキリスト教主流派は、決して聖書に記されたユダヤ・キリスト教の本質ではない。聖書の中には、カトリックが否定し切り捨てた神秘主義が少なからず残っているし、また正当的プロテスタントが弾圧対象とした農民運動の主体となったアナバプティスト(再洗礼派)こそ、聖書を最もラディカルに解釈したのであった。ルター・カルヴィンらの宗教改革は、封建制からの解放を進めた一方で、資本主義的ナショナリズムを推進し、金銭に最高の価値をおく社会に拍車をかけたことを認識すべきである。キリスト教の原点に帰れば、現在の主流派キリスト教は、大きな方向転換を強いられるであろう。イエスが「日ごとの糧を与えたまえ」と祈ったことを、食糧ではなく精神の糧だなどと曲げて解釈することは、もはや許されない。「パンこそ神」、「飯こそ天」と素直に理解する必要があるのだ。自然の中にこそ神は宿り、我々の生命を育んでいる。
 また、世界3大宗教の残る仏教、イスラム教は、この現代文明に対して一体何ができるのであろうか。生きとし生けるものを尊び輪廻を説く仏教、そして自然や土地を神のものと認め、労働の対価以外は金銭で支払うことを禁じ、利子を認めないイスラム教には、自然と労働を搾取することによって成り立つ現代科学・資本主義文明を築き上げたキリスト教主流派に対し、その過ちを指摘することができるのではないだろうか。そして何よりも、文明を拒否してきた先住民の宗教であるアニミズムにこそ、自然と共に生きるための倫理が最も強く示されていることは確かだ。また、日本古来の神道にも、アニミズム的な自然観があるが、国家神道=天皇制は、稲作という農業革命により封建制を支える道具であったので、これにはまた、別の理解を必要とする。また、日本で発展した仏教諸派にも、ナショナリズムと結び付いた側面など、検証しなければならない面が多々ある。
 ユダヤ教−キリスト教−イスラム教の基礎となっている旧約聖書は、アダムという人間の創造物語から始まる。アダムが神の国パラダイスから追放され大地を耕す罪を背負ったということは、神と共にあった先住民の行き方を捨て、農業革命により神から離れた文明を歩み始めた人類の歴史を示している。今こそ我々は、自然を搾取せず、人間を搾取しない、神の摂理にかなった正しい宗教を回復しなければならない。それだけが、この惑星を破滅から救う唯一の方法である。そうすれば、この世に神の国を復活させることができるだろう。

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