「有機自給」と「農民芸術」

  戦争を防ぐ最後の砦としての憲法第9条が、かつてない危機にさらされ、北朝鮮や中国の脅威を騒ぎ立て、ますます軍備を強化しようという策略も巡らされている。また、食料基本法以来、国の政策によって食糧自給率は4割を切り、農薬や食品添加物、さらにO−157からBSEまで、食の安全性を脅かす様々な問題によっても、我々の生命が脅かされている。 一度きりの人生、思い切り自由に生きたいし、子どもたちのため、またすべての生きとし生ける者のために、この世界が少しでもよくなるための働きをして、一生を終えたいものだと思う。自由に生きるためには、何よりも、平和と健康が、必要だ。そのために必要なことは、他人の自由を侵さないことと、すべての生命を尊重することである。つまり、価値観としては、権威(=自由を奪うもの)を否定するアナキズムであり、生命の循環を尊重するエコロジーである。そこから生まれた結論が、有機農業による自給である。
  搾取(依存)せず、搾取されもしない生き方、すべての生命を尊重し、自らも健康に生きる道を追求すれば、解答はそこにしかない。だからこそ、自給的な有機農業を始めたのだし、まだまだ不十分な自給率(食だけでなく、衣・住・エネルギー・教育・医療 etc.)を高めるべく努力し、また運動として広めて行こうと、日々もがいている。
  また人間は、単に生態系の歯車なのではなく、人格という侵さざるべきものを持っている。だから、自然環境を守るためには過激な行動もいとわないディープ・エコロジストの主張に、組みするつもりはない。それは全体主義であり、自由とは相容れない。どんな自由でも許されるということはないが、人間を含めて動物は、他の生命を戴いてしか生きることができないことは、正しく理解する必要がある。
 自然の一部である人間は、自然を守り、その自然を創造し支配している原理(=神)に従うことが必要なことを、あくまでも忘れてはならない。そのことを、論理でなく、五感によって伝達する手段が、芸術である。そのような真の芸術というものを、農民の立場で生み出すことに、一生をかけたい。北海道農民管弦楽団も12年目に入り、今年こそ農民芸術学校開校に向け、具体的に動き出すつもりである。 (人民新聞 2005. 2. 15.号に掲載)


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