2005年を振り返る

    昨春は、農民芸術学校への第1歩として、1haの隣接地を手に入れ、学校建設へ協力したいという若き研修生も受け入れました。しかし、彼は2ヶ月ほどで研修をやめてしまったので、私は日々の作業に追われてしまい、学校実現に向けて大きく踏み出すことはできませんでした。彼は、その後余市を去りましたが、道内の他の場所で研修を続けるようです。残念ではありますが、彼が私のところに来なければ、私はこの土地を手に入れる決断をしなかったかもしれませんし、彼にはそれだけでも感謝しているのです。
 この土地が、どのように生かされることになるのか、まだ私にも明確には見えていません。すでにあった3haの土地だけでも、私一人の手には負えず持て余している状況ですから、一日も早く農民芸術学校を実現したいと願っているのですが、今のところ増えたのは土地だけで、人材も資金も全く目処は立っていません。

↓ 新しく購入した土地から我が家を眺める


 夏には、ホームページの掲示板に書き込まれた提案から急遽、初めて農民芸術学校の一日セミナーなるものを開講し、収穫から料理して食べるまでを凝縮して行い、農民芸術についてのディスカッションもしました。これが、継続した学校に発展するきっかけの一つになることを、期待しています。
 また秋には、13年続いたワインブドウ収穫祭がついに中止のやむなきに至りましたが、14年目は新しい農地でのジュース用ブドウの収穫祭に変わりました。今まで同様に、音楽仲間を中心に、多くの人が手伝いに来て下さり、改めて多くの人に支えられていることを感謝しています。
 冬には、相変わらず除雪のアルバイトで現金を稼がなくてはならない状況ですが、気心知れた農家同志でやっていますし、人員に余裕があり用事のある日は休みを取ることができるので、農閑期のありがたい仕事です。妻も、週に2回だけ、薬剤師の資格を生かして調剤薬局でのアルバイトを続けており、何とか子どもたちにヴァイオリンを習わせたりすることができています。
 それにしても、農業だけで現金を稼ぐのは、本当に大変です。規模を拡大し、効率よく経営している一握りの農家以外はみな四苦八苦で、後継者がなく離農するという流れに歯止めがかかりません。そんな中で、経済的な安定よりも、生命や生活の質を求めて農家になる、私のような新規就農者が、少しずつ増えているのが微かな希望です。
 農民芸術学校は、農を中心とした自給的な暮らしを基本にしながら、社会に向けてメッセージを発信することのできる人間を育てることが目的です。今後数十年が、人類史上かつてない文明の転換点になることは確実で、各自が生き方、ことにその基本である食を問い直すことが求められます。直面する人類の危機を乗り越え、未来を切り拓いて行くためには、このような学校がどうしても必要なのだという思いを、ますます強くしています。
↓ 昨年は天候に恵まれ、夏野菜は入植以来最高の出来栄


↓ 毎週土曜日は、小樽のアーケードで直売


 昨年は、音楽活動も、例年以上に忙しい一年でした。数えてみたら、年間で出演したステージは27にもなりました。多くは、自ら会場手配からメンバー決めまで行い、プログラムを考え楽譜を準備し、中には編成に合わせてアレンジをしたものも10曲近くに上り、同時進行で複数のコンサートの練習を進めるという状態でしたから、次々迎える本番は、もう綱渡りのような感じでした。我ながら、よくやったと思います。しかし、どのコンサートでも、聴衆からは感謝の声をいただき、それが励みとなって苦労もいとわず頑張ることができます。ただ、いつも個人練習の時間が最も後回しになってしまうのが、悩みです。
↓ 1月9日 農民オケ&ホクレン・グリーンコール    2000席のKitaraが満席


↓ 3月9日、東京「深川愛の園」にて、デザイン関係 の仕事をしている妹と、ボランティア・コンサート


↓ 7月30日、余市室内楽協会サマーコンサート    家族4人参加、11歳から92歳まで仲良く。


 今年も、農民オケの富良野公演を皮切りに、平和と自然の大切さを訴えるような音楽を奏でて行きたいと思います。


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