「純情きらり」と芸術
 
 今やっているNHK朝の連続テレビ小説が、面白い。いつも最初の2〜3回見て、つまらなければやめるのだけれど、ヒロインが音楽家を目指すという話につられて見だしたところ、主演女優(宮アあおい演ずる有森桜子)の魅力と、話の面白さ、そして命を大切にする反戦の主張に魅かれて、この4か月間、毎日欠かさず見ている。どんなに早起きして農作業を始めた日でも、放映時間5分前までには、きっちり茶の間に戻るのである。
 NHKの朝ドラとしては、「おしん」、「すずらん」と並ぶ名作と言って間違いない。やっぱり朝の連続ドラマは、時代物に限るなあ。(北海道の炭鉱町が舞台の「すずらん」は、時代が現代になってからは、全くつまらなかった。)「純情きらり」は、ヒロイン以外のキャスティングもとてもいいし、脚本もすばらしい。毎回、笑える場面と感動する場面がちゃんとあるので、飽きないのである。
 観ていない人のために、内容を簡単に説明すると、時は太平洋戦争の真っ只中、自由な言論や集会が出来なかった時代における芸術家の苦悩が痛々しいまでに描かれている。ジャズなどの敵勢音楽は固く禁じられ、勇ましい軍歌の作曲を強要されたり、前衛的な絵画が反体制的と見なされ、戦意を高揚する戦争画を強要されたりする。登場する芸術家たちは、生き延びるために意に反してそれらを受け入れたりもするが、抵抗して弾圧を受けながらも自由を求め続けている。ヒロインの桜子は、何にもまして音楽が大好きで、お固い音楽よりもジャズが好き。ピアノの才能がないと言われながらも涙ぐましい努力をして、東京音楽学校のピアノ科に入学する。しかし、決して芸術至上主義ではなく、何よりも人間を愛することを優先し、自分の心に忠実に生きている。だから、家族や恋人を愛するがゆえに、せっかく浪人までして入った学校もやめてしまう。しかし、決して音楽を捨てることはしない。彼女は、「芸術は何のためにあるか」ということを、正しく理解している。「聞く人がいない音楽になんて意味がない。金にならない絵も同じだ」と吐き捨てる失業ジャズメンに対して、「音楽や絵は、何かのためにやるんじゃない。それをやっている間は希望がみえるから、やるんだよ。」と語る。
 日本におけるクラシック音楽の作曲家として、世界に通用する最初の人物であった山田耕筰は、戦時下では軍歌などを数多く書いて国策に協力し、第2次大戦中も、したたかに音楽家として生き抜いた。しかし、初期のすばらしい歌曲などは今でも多くの人に愛されているが、戦時下に書かれた音楽はもはや演奏されることもなく、演奏される価値もない。山田耕筰は、戦争から音楽を守ったつもりでいたかもしれないが、実際には音楽を殺していたのである。
 かつてソヴィエトにおいては、スターリンの恐怖政治下において、社会主義リアリズムを強制されながらも、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフのようには亡命せず、ロシア人民と国土を愛しつつ、音楽の中で可能な限り自己を貫いたショスタコーヴィチがいた。彼の音楽には、そういう亡命音楽家にはない苦悩の表現がある。社会主義を称える音楽として認められた交響曲第5番「革命」や第7番「レニングラード」でさえ、個人の自由を希求して苦悩する姿が音楽の中に明らかに表現されている。だから、今でも多くの人の心を打つのであり、世界中で演奏され続けているのである。
 現在の日本は、明らかに危ない方向に向かっている。戦争のできる国にしようという政治家が大きな顔をし、平和を守ろうとする勢力が片隅に追いやられている。安部晋三みたいな人物が次期首相候補として抜群の人気があるというんだから、全くいやな時代になったもんだ。北朝鮮の脅威を騒ぎ立て、防衛力を強化しようという連中の企みに、決してはまってはならない。北朝鮮の防衛費は日本の30分の1、アメリカの300分の1であり、北朝鮮は決して戦争を望んではいない。アフガニスタンもイラクも戦争を望んではいなかった。望んだのはアメリカであり、それを支持した日本である。アメリカ経済は、軍需産業で成り立っている。戦争は、常に資本家の企みによって起こされるのだ。9・11は、まさしく彼らの企みによるもので、ビン・ラディンは利用されたに過ぎない。日本でも、戦争特需を狙う人物が、暗躍し始めたということなのだろう。マスコミは、もうすでに全く信用できない。こういう時代に、どういう音楽をすればよいのだろうか。
 騒がしいだけのロック・ミュージックや(ロックが悪いと言っているのではない、反体制として始まったロックが、大音響で聴く人の思考能力を停止させていることを批判しているのだ)、現実逃避の軟弱なヒーリング・ミュージックなんかは、もういらない。人々に現実を乗り越える希望を与え、勇気を与えるような音楽こそ作り出されなければならない。バッハやベートーヴェンが偉大なのは、その作曲法が、すばらしい天才的なものというからだけではない。何よりもその音楽が、聴く人に大きな勇気を与えてくれるからである

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