謹賀新年&祝200号! えこふぁーむ17年目の近況と抱負
 
      1992年6月に、手書きの「えこふぁーむ・にゅーす」第1号を発行して、その後すぐにワープロ(カシオ)書きになった。そのワープロが壊れて、2台目(東芝)になったが、それも調子が悪くなり、パソコン(富士通 windows-98)で作るようになったのが、2001年3月の第106号。そのパソコンも段々おかしくなって、2005年の12月に2台目(デル windows-XP)になって今に至る。何とか1月も欠かさずに発行を続けて、この新年号で第200号という大きな節目を迎えた。「えこふぁーむ」はもうすぐ丸17年ということになるわけだ。もうそんなになるのかと改めて思うが、この歳になると年月の過ぎるのはあっという間である。この17年、色々なことがあったけれども、一番大きく変わったのは家族のことだろう。
 ワイン会社を辞めて余市に来た時に、3歳になる少し前だった息子の大志は、昨年の4月に大学生になり、東京で寮生活をしている。何でも最近、東大教養部の自治会長とやらになったそうで、忙しくしているようだ。ヴァイオリンは持って行ったのだが、オケ(東大には4つくらいあるらしい)には入らず、楽器の要らないア・カペラのサークルで楽しんでいるとのこと。
 余市に来てから生まれた娘の愛花は、この春に高校受験で、小樽潮陵へ行った大志と違って札幌の高校への進学を目指し、小樽の学習塾にも通っている。中学では吹奏楽でフルートを吹いていたが秋の定演が最後で、その後も暮れのヴァイオリン発表会には出たが、札幌の高校に通うようになると、往復で4時間くらいも時間をとられるので、音楽を続けられるものかどうか・・・
 妻の智香は、調剤薬局での薬剤師のパートが、昨年の9月から町内と隣の古平町の2箇所掛け持ちになり週2日から4日(昼過ぎまで)勤務に増えた。4月からは娘の弁当を作るために相当な早起きを強いられそうだし、あと3年は忙しい日々が続きそうだ。私も、今まで妻にやってもらっていた発送作業や伝票書きなどを自分でやらなくてはならないかもしれないので、今以上に忙しくなることを覚悟しなくてはならない。
 私自身は、冬の間は相変わらずJRの除雪アルバイトをしながら、農民オケの準備や、税務申告の準備などに追われ、夏の間にできない色々なことをやろうと思うのだが、ほとんどできず仕舞いである。畑の方も相変わらずで、ぼちぼちと多種多様なものを少しずつ作っていて、4年ほど前に、手がかかるばかりで実入りの少ないワインブドウはやめてしまい、入れ替わりにキャンベル種のブドウがメインの隣接地を手に入れジュースの加工を増やした。ワインブドウを栽培していた土地は、8反くらいも空いたまま。手に入れた隣接地の半分にも、全く成らない大木のサクランボが50本くらいあるので、これらの利用していない土地を何とか有効に使いたいのだが、何しろ労力がない。
 そこで、色々な人にここの土地を使ってもらえればということで、一昨年の春には、札幌の友人がワインブドウを倒した後地に、30本ばかりのワインブドウを植え、昨年は初収穫があった。
 また昨年春には、定年まで勤めていて年金暮らしになった女性が田舎暮らしを目指し、札幌から単身余市に移住して、ブルーベリー100本とハスカップ10本を、うちの土地に植えた。
 そして、秋には隣の西さんのところから、農業共同体を目指す木村さんがうちにプレハブ小屋を移し、5年ぶりに戻ってきた。木村さんは中学卒業以来、色々な職業(両手では数え切れない)を転々としていたが、今年からわずかながら年金をもらえるようになり、少々アルバイトもやっているが、それだけではとても生活して行けないので、今年は何か収入を上げられることに取り組もうということで、養鶏に挑戦しようかと考えている。
 さて私は、いよいよ農民芸術学校を具体化するために、手に入れた土地(実はまだ公社の持ち物)の買取り期限が迫っている今年こそ、何かやりたいとは考えているのだが、なかなか大きく踏み出せないままだ。究極の目標は、学校を作ることではなく、その学校を核にして、自給のための緩やかな共同体、エコヴィレッジのようなものを作ることにある。色々な動物を飼い、衣食住だけでなく、エネルギーの自給もしたい。生活そのものも芸術的であることを目指したいものである。

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