日本国憲法と絶対平和主義
 
  私は、余市九条の会の呼びかけ人にもなっており、憲法第9条を守る運動に参加しているが、この憲法第9条を守ろうという人もいる一方で、こんな憲法は変えてしまえという人もいる。そして、前者にはいわゆる左翼の人が多いのに対して、後者にはいわゆる右翼の人が多い。右翼の人は、これはアメリカが勝手におしつけた憲法だと言うが、この憲法を積極的に守ろうとしているのは、どちらかと言えば共産党や社民党などいわゆる左翼の方で、アメリカ嫌いの人たちが多い。これは、実に不思議な現象と言わざるを得ないが、この憲法が非常に理想主義的なものであることを否定する人はいないだろう。
 憲法第9条は、現実的でないと考える人も少なくはないが、それは解釈改憲を繰り返した結果であり、最初から現実離れしていたわけではない。その条文の根拠は、日本国憲法の前文を読めばはっきりと分かるし、それが戦前の大日本帝国憲法下で日本が犯した大きな過ちの反省に立っていることは、言うまでもない。そこにあるのは、他国を一方的に信頼するという姿勢であり、今なお絶えることなくなく紛争や戦争が起きている現実社会からみれば、非常識とも思えるかもしれないが、日本はこの憲法において、世界平和のために率先して非武装となることを、恐れずに誇りとして歩むと高らかに宣言しているのである。
 私は、この憲法を読むとき、新約聖書のイエスの生き方を思い出す。イエスは、当時の常識であった「目には目を」という報復主義を否定し、「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」という積極的な非暴力主義を説き、それを実践した。これは、暴力によって暴力をなくすのではなく、暴力をふるう相手の人間が変わることを信じて非暴力によって暴力をなくすという考え方だ。日本国憲法は、このスタンスを国レベルで実行しようという宣言に他ならないだろう。

 今、北朝鮮が、長距離ミサイルを打ち上げ、核実験を強行し、まさに我々の右の頬を打とうとしている。それに対抗して、日本も核兵器を持つべきだというような意見は、さすがに表に出てこないながら、経済制裁などの強硬な手段に出るべきだという意見は世の趨勢を占めている。しかし、それで本当に平和のためになるのだろうか?
 北朝鮮は、何のために孤立を深めてそのような強硬な軍拡路線に走っているのか? 北朝鮮は、どうすればそのような路線を改めるだろうか? 我々がミサイルへの備えを強化し、強行に出れば出るほど、北朝鮮はさらに軍拡路線を突っ走るしかないのである。今こそやるべきことは、左の頬を差し出すことではないのか?
 つまりそれは、具体的に言えば、日本が朝鮮に対して占領中に犯した罪を悔い、その賠償を自ら申し出、北朝鮮と平和的な国交を結ぶということである。そのような意見は、マスコミでも全く出てこないようだが、私はそうすべきと思っている。向こうが拉致(ラチ)被害者を全て解放するのが先だとか、そういうことを言っていたのでは、いつまでも埒(ラチ)が明かない。
 北朝鮮と韓国が平和的に統一されるためにも、日本は北朝鮮に対する敵視政策をやめるべきだろう。北朝鮮の軍事独裁体制を肯定するつもりはさらさらないし、北朝鮮がやった拉致問題をうやむやにするつもりもない。しかし、そのような体制を潰すためにこそ、敵視政策はやめるべきであり、全くメリットがないと言いたいのである。
 強行路線で知られていた北朝鮮による拉致被害者家族連絡会副代表の蓮池 透氏は、北朝鮮から解放され帰国された弟の薫氏から真実を聞かされたこと等で、最近では右翼的な傾向を強める家族連絡会とは一線を画し、以下のような発言をするようになっている。
 「日本政府は少なくとも4度、北朝鮮を騙している。国交がないことが拉致の背景にあり、過去の清算を怠ってきた日本政府の責任で弟らが拉致されたという論理も、成り立つかもしれない。過去の清算をきちんとして朝鮮が納得するようにやったらどうかと言いたい。国交正常化には拉致解決が先だとは思わない。それは一方的な主張。圧力だけでは拉致問題の解決は不可能であり、対話を併用すべき。日本は植民地時代のことなど、歴史教育がよくされていないし、拉致問題により狭いナショナリズムが醸成された・・・」

 日本国憲法に話を戻せば、制定当時は占領国アメリカが、敗戦国日本を非武装化して将来の脅威をなくそうとしたということは事実だろう。しかし、それはアメリカの利益のためだけを考えてやったのではなく、日本をモデル国家としてアメリカ本国でも実現していないような理想を実現させるべく民主化政策を断行したと私は考えている。日本国憲法制定に22歳の女性として参加したベアテ・シロタ・ゴードンさんの証言を聞いても、そのことは間違いないと思う。また、アメリカ人だけで、この憲法を勝手に作り上げたのではなく、在野の多くの日本人の思いと努力がこの憲法につながっていることも、確かな事実なのである。
 しかし、その理想を形にした日本国憲法の理念は、朝鮮戦争勃発によって、数年であえなく路線変更させられてしまったわけである。憲法をすぐに変えるわけにも行かないので、解釈を曲げて警察予備隊を作り自衛隊に変更し、どんどん防衛力を強化してきた。その朝鮮戦争がなければ、日本のあのような高度経済成長もなかったわけが、日本はこのようなガツガツした国ではなく、もっと違った穏やかで平和な自給的国家を実現していたに違いないと思う。
 過去の歴史を、もしなかったと仮定してみても始まらないが、今からでも過去の理想に戻って新たにやり直すことはできる。日本国憲法には、環境に関することや外国人の権利に関することなど、不備な点もいっぱいあるし、天皇の立場など曖昧で整合性のないところなどもあるが、基本的な理念は世界のどの憲法と比較しても恥ずかしくない立派なものと言えるだろう。特に戦争放棄のための軍備放棄の思想は、今なお世界の先端で輝いている。
 どんな正当な理由があろうとも、軍事行動によって被害者となるのは、結局は立場の弱い民衆であり、戦争によって目的を達することができたとしても、戦争そのものは弱い者が殺されるという悲惨以外の何物でもないのだ。人類は、どこまで悲惨を経験すれば、そのことを学習するのだろうか。原爆の悲惨さを知っている日本は、この憲法第9条を決して放棄してはいけないのである。
 戦争とは、絶対悪でしかない。そして、軍隊と軍備は、戦争をするためのものでしかなく、戦争をしないためにはこれを放棄するしかないのである。軍備によって戦争を防止するという考え方は、歴史上ずっと常識のようになっているが、それこそ現実的ではない虚構なのである。
 この憲法前文と憲法第9条は、世界中の国で採用してもらいたいと思うくらいのものだ。しかし、自民党など保守系の人たちには、独立国家としてこの憲法はふさわしくないという立場の人も少なくない。自民党の中には、軍隊は当然のこと、核兵器も持つべきだと考えている人もいる。
 色々な議論はあってしかるべきだろうが、私はこの憲法の絶対平和主義を、天からの贈り物のようにも感じていて、これは何としても固く護り通さなくてはならないと思っている。両院で3分の2以上の賛成があれば憲法改正の素案が出せるので、自主憲法制定を党の方針としている自民党と、その自民党と組もうという政党には、これ以上投票させないようにしたい。もっとも、憲法のどの部分も全く手を入れないということを、今後も永久に続けるわけには行かないだろうから、部分的な改正は必要となるだろう。
 民主党も憲法改正には賛成しているので、近いうちに、憲法改正に必要な国民投票法も国会で制定されることになるだろう。とにかく、憲法第9条の理念だけは護りたい。これが日本だけのものではなく世界の常識になるまで、この憲法を護っていかねばならない。

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