農本主義とユートピア社会主義・・・そして新農本主義
 
   農本主義は、戦時中の日本においては天皇制と共に農民(戦前は国民の大半が農民だった)統合のイデオロギーとして機能し、反民主的な国家主義を支えた側面から、戦後日本においては前近代的な過去の呪われた思想として切り捨てられ、忘却のかなたに追いやられている。そして、ユートピア社会主義(=空想的社会主義)も、かつてマルクス・レーニン主義からは科学的・現実的でないと一笑に付され、また一方では反ユートピア(ディサトピアまたはアンチ・ユートピア)に陥る疑念(事実、ユートピアを目指したコミューンがカルト化し崩壊した例は珍しくはないし、国家レベルでは毛沢東の文化大革命やカンボジアのポルポト政権の大虐殺という悲劇も生んだ)からか、現代において、それを新しい社会の理念として主張する声はほとんど聞こえては来ない。ユートピア社会主義と兄弟のようなものであるアナルコ・サンジカリズムも、純正アナキズムがテロリズムに走ったので、暴力革命を肯定する革命的マルクス主義と同様に危険視されてしまったが、かつては日本でも労農党などそれなりの勢力をもって活動していたことがある。
  しかし私は、これらの思想は、過去の消え去るべき思想であったというよりも、資本主義もマルクス社会主義も行き詰まってしまった現代において、今こそ必要とされるべき内容を持っているのではないかと思うのである。もちろん、それが過去において犯した過ちを、看過するわけではない。そのような危険を避けながら、新しい思想として蘇らせる必要があるのではないかと強く思うのである。
  わが国における農本主義というものは、それが天皇制を支える村落共同体を基礎にしたところに大きな欠陥があったと言えるのだが、農村共同体主義である点では、 ユートピア社会主義と共通する思想であるし、協同組合主義である点でアナルコ・サンジカリズムと共通する。これらすべての思想に共通するのは、小規模独立自営農民や、家内制手工業というものを尊重する点で、反資本主義であると同時に、反マルクス主義でもある。資本や権力の集中を嫌うという点で、反文明であると言ってもよいかもしれない。右肩上がりの文明発達が、環境問題や社会問題など、様々な歪みを起している時に、再びこのような思想が注目を浴びないことの方が不思議でならない。

  農本主義(日本的重農主義)の思想家として代表的なのは、権藤成卿、橘孝三郎、加藤完治などである。一方、ユートピア社会主義の思想家と言えば、ルソーに始まり、フーリエ、オーエン、ラスキン、モリス、チャヤーノフらがいる。そこから派生した農的アナキズムと言えるところでは、カーペンター、リード、クロポトキン、トルストイ、石川三四郎、加藤一夫、江渡狄嶺らがいる。ガンジーなども、その流れにある。彼らとつながりがなく独自なところでは、時代は遡るが安藤昌益もそのような思想家の一人と捉えることができるだろう。
  ウィリアム・モリスは、日本ではデザイナーや詩人、ガーデナーとしての人気が高いわけであるが、マルクスの「資本論」を英訳される前から何度も読み、イギリスにおいて社会主義者として民主連盟、社会主義者連盟、ハマースミス社会主義者協会の会長として活動していた。エンゲルスからは、「空想から科学へ」で否定されてしまうが、「ユートピア便り」を著したユートピア社会主義者の代表的人物である。そのモリスに大きな影響を受けた宮澤賢治は、「農民芸術概論綱要」を残しているが、社会主義者と見なされることは極度に恐れていた節がある。しかし、その思想にシンパシーを持っていたことは確かだろう。当時の日本で「主義者」(社会主義者や共産主義者、無政府主義者というのはあっても資本主義者というものはない、あるのは資本家だけ)とみなされることは国家に対する反逆者であることを意味し、弾圧も厳しくなっていた時代であったから、いたし方ない面はあるだろう。

  農本主義とユートピア社会主義の具体的な中身については、これから少しずつ書いて行きたいが、とりあえず農本主義者の代表と言える橘孝三郎の思想について、簡単に記してみたい。


 橘孝三郎は、学生時代にトルストイやクロポトキンなどの影響を強く受け、それらのキリスト教的ユートピア主義やアナキズムの思想に共鳴し、一高を中退して故郷の水戸に兄弟村農場を設立し(1916年)、家族的小農複合経営を実践していた。また大地主義・兄弟主義・勤労主義をモットーに掲げ、愛卿会を組織した(1919年)。その後、昭和初期の資本主義の矛盾がピークに達した大恐慌(1929年)などの混乱期に、日蓮宗僧侶で右翼大物の井上日召と近づき、5・15クーデター事件(1932年)では、愛卿会は発電所襲撃の別働部隊に係わっている。これは彼の、反資本主義・反文明主義的な思想から出た行動と思われるが、彼は次第に反西欧思想を深め、自給的農業ユートピアを目指したトルストイの「神の国」は、彼にとっては聖書に示された唯一神の支配する世界ではなくなり、万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇の赤子としての日本臣民のあるべき姿というものに止揚されて行く。この点で、同じく農本主義者で熱心なキリスト教徒から古神道に変わった加藤完治と、よく似た経緯をたどっている。
 そうして彼の思想は、理想とする東洋的原始共産体の農本社会と近世資本主義の西洋物質文明とを対峙させるものとなって行き、1935年には「皇道国家農本建国論」を著して、ユートピア思想やアナキズムから出発したものが、超国家主義=ファシズムと言えるようなものに傾いて行く。それは、天皇制と資本主義・地主制が結びついた大日本帝国憲法下の日本において、彼の目指したものとは関係なく、体制を支えるのに極めて都合のよい思想とも言えるものになって行くのである。つまり、満蒙開拓や大東亜共栄圏という形で、実際には資本主義の矛盾を外国に領土を拡張することで解決しようとするものに過ぎない侵略戦争を、鬼畜米英・欧米列強からアジア民衆を解放するものと美化し、日本国最大の地主であり資本家であるところの天皇へ権力を集中してその恩恵に預かろうとするごろつき連中の思惑にまんまと利用され、小作農民を地主や資本家にとっての道具に留めておく思想として機能するのである。
  彼は敗戦後も、その思想を皇道民本主義と名前を変え、天皇のための民ではなく、国民のための天皇という読み替えによって、しぶとく生き残るのである。しかし、私から言わせれば、これは全くのご都合主義である。彼の理想は美しかったかもしれないが、それは所詮絵に描いた餅にすぎなくて、全く現実的な思想ではなかったのだ。万世一系の天皇という虚構と決別せずに、民主主義もユートピアもあり得ない話である。
 いずれにせよ、戦後はもう農本主義が国民に影響を与えることは全くなくなった。敗戦によって絶対的天皇制が崩壊したのと同時に、アメリカの占領政策により地主制も潰され、日本は工業による貿易立国の道を歩むことになり、農業による自給も放棄されて、全く農民主体の国家ではなくなったからである。
  しかし、農本主義を生んだ昭和初期と同様に、再び資本主義の矛盾が世界を覆い始めている。20世紀末にソ連型の社会主義国家がなだれをうって崩壊した今、必要とされる新たな社会システムの目標が見えてこない。しかし、それがどのようなものであるべきかは、はっきりしている。今さらプロレタリアート独裁の国家社会主義であるはずもない。資本主義国家というよりソヴィエト同様に官僚国家と言った方が適切であった日本も、国家経営が行き詰っている。新たな民主党政権の目指す方向も、国民にとって全くはっきりしないものである。
  これからの社会システムにとって、地方分権や、エコロジー重視、地産地消ということは絶対に必要だろう。経済活動的には、少なくとも50年くらい前の姿に戻らなくては、日本にも世界にも将来はない。情報はグローバルになるべきだが、経済活動はローカルに戻って行かざるを得ないだろう。もちろん日本は食糧自給率を上げるべきだが、アメリカやオーストラリアのような大規模農法ではなく、自給的複合経営主体にしなければならない。そのためには、農民の比率を現在の5%ではなく50%近くまで戻す必要があるだろう。すぐに50%は無理としても、せめて30%までは戻すべきと私は思っている。それが、私の提唱する新農本主義ともいうべきものである。

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