日本の農業をどうするか?
 
      FTA(自由貿易協定)だとか最近はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という単語が新聞紙面やTVニュースで踊っていて、日本もこれに乗り遅れないようにしないと、ただでさえ停滞している日本の経済がますますダメになると経済界は主張し、マスコミもほとんどその主張に同調した論調ばかりである。民主党政権も、リベラルとは言いながら、経済政策としては、自民党の小泉首相と同じような新自由主義の立場の人が少なくはなく、この流れを推し進めようとしているようである。日本の産業構造が、原材料を輸入して製品を海外に売る工業を主体にしてきたからであり、労働組合もその立場に基本的には反対しないということだろう。
 このような流れに対し、真正面から反対しているのは、今のところ(北海道を除いては)農業団体だけのようである。でも、これは農業団体だけの問題ではない。農業が潰れて困るのは、生産者だけではないからだ。
  日本の食糧自給率は、先進国中で最低の40%弱で、農業従事者も年々減り続けて300万人を切り、人口の3%に満たない。しかも、そのうちの半数が70歳以上と超高齢化しており、貿易自由化なんかしなくたって、あと10年日本の農業がもつかどうかも怪しいような状況だ。そんな現状で日本がTPPに参加すれば、日本の農業は壊滅的になるのは目に見えていて、自給率は10%台になるだろうと試算する人もいる。そうなった時に本当に困るのは、農家ではなくて消費者である国民すべてだ。現在のように、金さえ出せば食糧が買えるという時代が、いつまでも続くということはあり得ない。このまま日本の農業を潰してしまえば、今のアフリカのように飢餓で苦しむ時代が日本にも来るかもしれない。
  FTAやTPPのような貿易自由化は、国内産業を守るために関税をかけるというやり方を撤廃することを原則としている。日本は今まで、国内農業を守るために、輸入農産物には高い関税をかけて、国内の生産を守るようにして来た。しかし、GATTウルグアイ・ラウンド以来すでにそれは許されなくなってきていて、国内農産物も海外農産物の価格に引きずられてどんどん価格が下がっている状況だ。だから、農家は労働に見合った対価を得ることができず、どんどん辞めて行き、新しい成り手がいない。
 一方、農産物の輸出国であるアメリカやフランスは、一体どうして価格を安くできるのか。それは、一つには大規模に機械化してコストを下げていること、それから人手が必要な作業は外国人や移民の安い労働者にたよっていること、そして日本でも今年から稲作に限って所得保障の制度が始まったが、彼の国では、日本のように間接的ではない直接的な農家に対する補助金が日本とは比べ物にならないくらい大きな金額という理由による。フランスでは、農家の所得のうちの8割が補助金だという話もある。
  これが一体なぜ自由競争などと言えるのか! 不当な価格ダンピングではないのかと、どうして誰も言わないのだろう。日本の農家が、努力もせずに価格的に競争力のない農産物を生産しているのではない。中国の農村のように人件費が日本の未だに十分の一以下しかないところで生産した農産物と、どうやって価格で勝負しろと言うのだ。
 スーパーに行けば、10個200円の中国産のニンニクと、1個200円の青森県産のニンニクが並べて売られている。懐に余裕のある人は、安全で品質のよい青森県産を買うけれども、そうでない人は、妥協して中国産を買う。日本ではいくら頑張ったって、そんな値段では作れない。しかし1個200円は高すぎる。北海道で作れば1個50円でも十分に採算は合うだろう。
  100円ショップの製品だって、アジアの人件費の安いところで作らないと、とてもその価格ではできない。人件費が安いところで製品も安いのは、その国の中では当然のことで、それは経済の理屈に合っている。安くなければ、誰も買えないからだ。しかし、日本のように人件費が高いところであれば、そんなに製品が安くなくたっていいはずだ。安物を選ぶのは、十分な給料をもらっていない貧乏人だけ。お金に余裕があれば、多少高くても良いものの方を選ぶだろう。
  つまり私の言いたいことは、物価を安くしよう、農産物を安くしようということは、人件費を抑えたいという、経済界=資本家の発想に過ぎないということだ。安ければよいのだと信じ込まされている労働者は、はっきり言って騙されている。物には正当な価格というものがあるはずで、環境に対する配慮をし、社会的にも公正である場合に、不当に安いということはあり得ないだろう。いずれにしても、資本主義というものは、決して正義でも何でもないし、自由に任せておくのが一番よいなどということは決してない。環境に対する配慮をしたり、社会的に公正であるためには、それなりのコストがかかるのであり、コストがかかることは資本主義にとって負の意味しかないからだ。
  資本主義を克服しようとしたソ連型の社会主義国家は、言論の自由を奪い、人権を抑圧する体制によって自滅したが、資本主義が勝利したということでは決してないだろう。資本主義を乗り越える新たな理念というものがなければ、社会正義というものは実現しない。
  話が農業を大きく超えて政治的になってしまったが、要するにどういう国造りをするのかという理念がなければならない。私は国家主義には反対するけれども、農業は、国の礎として最も大事にしなければならないと主張したい。工業は、そこに立脚するものであって、貿易立国という宙ぶらりんのものに寄りすがるのは危険だろう。

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