2011年 謹賀新年! 今こそ農業を守ろう!!
 
 あわただしく過ぎた昨年を振り返ってみれば、農作物の出来も、天候の影響で余り芳しくはなく、サクランボは病気で全滅、リンゴも虫害でほぼ壊滅的、主力のブドウもかなり収量減でした。夏は北海道でも猛暑となり、2度も集中豪雨に見舞われて畑のわきの水路が決壊したり、小麦が倒伏したりしました。それから、入植以来使っていた中古のトラクターがついに壊れて修理不能になり、自家用車までもが故障し、どちらもローンで新車に買い換えることになりました。暮れにはブラウン管のテレビともついに別れを告げることとなりました。どちらも、エコカー減税やら、エコポイント制度やら、エコとは名ばかりの政府の景気対策にまんまと乗せられてしまった格好です。予想外の出費でしたが、いずれ近いうちには更新しなければならなかったのですから、仕方がないのでしょう。
 農産物の収穫は、天候に左右されることを免れませんし、異常気象が当たり前みたいなっている最近では、毎年安定して収穫するということなど、ほとんど不可能と言えます。それでも、うちではあらゆる種類のものを作っているので、リスクは分散されていますし、価格の安定しない市場出荷ではなく、個人や消費者グループとの直接取引きや契約なので、決して儲かることもありませんが、何とか危機的な状況には陥らずに、かろうじて食べて行けています。
 まあ正直に言えば、妻が薬剤師としてパートで働き、私も冬のアルバイトをやっているので、農産物の売り上げだけで、今の生活水準を維持できているのではありません。子どもの教育費(授業料は免除制度もありますが下宿代やら交通費やらが馬鹿になりません)、年金や健康保険税など、様々な出費があるからです。何とかもう少し農産物の売り上げを伸ばしたいのですが、何をやるにも経費がかかるので、なかなか思い切ったことができません。
  農家の仕事は大変ですが、この不況下ではサラリーマンをやっていても厳しいでしょうし、リストラや倒産などで職を失う人も少なくありません。私は、まだまだ農地の借金を返しているとはいえ、自分の自由になる土地があり、自分の食べる分は買わなくても自給できるのですから、これほど恵まれたことはないでしょう。
 土地というものは、根本的には誰のものでもなく、神様のものであると思います。農家は、農地を預かっているだけなのであり、感謝してその恵みをいただくようにするべきなのです。そして消費者は、農産物を安く買えればよいと考えるのではなく、農家の労苦に感謝して、その生産物を分けていただくという関係を築くことが出来れば、きっと世の中から飢えや飽食という問題など、なくなるのでしょう。しかし、現実の世界では、農産物は単なる商品として扱われ、あるいは国家間の貿易の取引材料とされ、そこには生命の源に対する畏敬の念のかけらもなくなっているのです。生命としての食物に対する不当な扱いは、きっと大きなつけとなって帰ってくることでしょう。農業を軽んじる国は、必ず滅びることになります。
 さて、今年はついに念願がかない、農民オーケストラでデンマークに行くことになりました。デンマークは、農民の民衆運動による国造りによって19世紀半ばには民主国家になり、厳しい自然環境でありながら豊かな農業を実現し、小国でありながら福祉と環境で現在も世界をリードする国となっています。そのデンマークが民主国家となった原点に、グルントヴィという思想家がいます。その思想の根幹は、神を愛し、人を愛し、国土を愛するという、三愛思想です。土地は神から民衆に与えられたものであるという宗教観が、根本にあります。だからこそ、与えられた土地の恵みを最大に生かし、それによって豊かな社会を築こうという考え方が当然のことになっているのです。
 日本でも、大地や自然に感謝するという宗教観は、伝統的にあったはずです。食前の挨拶での「いただきます」という言葉には、生命である食べ物を有難くいただくという意味が込められています。ところが現代の日本では、段々とそのような宗教的な意識が失せて、人間が好き勝手に振舞って構わないという考え方が大手を振り、儲からない農業などは、無くなっても仕方がないのだというように、ないがしろにされています。これは、大きな間違いであると思います。神から託されたものは、守り通さなくてはならないのです。それが、人間としての務めなのです。聖書に示された神と人間との関係も、そのようなものです。
 私自身も、そのように考えて、農業をやっています。儲かるから農業をやっているのではないし、ただ好きだからやっているのでもありません。経済効率だとか、好き嫌いだとかの問題ではないのです。呼吸をしたり、排泄をしたりするのと同様に、人間が生きていくために、どうしても必要なことだと考えるからです。自分にとって農業をやることは、神から与えられた使命のようなものです。自分がやらなくても、誰かがやってくれるというかもしれませんが、誰もやろうとしないから自給率がこんなに下がり、農業人口もどんどん減っているのです。
 北海道の農家は、開拓からの歴史も浅いので、先祖代々の土地を守るという意識は余りありません。しかし、先人の苦労は、並々ならぬものであったに違いないのです。世襲であるなしに関わらず、この農地を守って行くということも、責務の一つであると思います。周囲に荒れた農地が増えていくのは、見ていて心が痛むものです。どうか、新たに農業をやろうという仲間が、もっともっと増えることを祈ってやみません。

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