アイヌに農業を学ぶ

    このタイトルを見て、「あれっ?」と思われるかもしれない。アイヌは狩猟採取民族であって、農業などやっていなかったのではなかったかと。確かに、産業として農業を発達させることはなかったが、自給的農耕の歴史は決して新しいものではない。もちろん、農耕よりも狩猟採取が主体だったことは確かであるが、和人が住み着く以前より、本州で作られていたものと大差ないほどの様々な雑穀や野菜の栽培が行なわれていたのである。本州から伝わったものだけでなく、東日本に分布するカブなど、大陸から北海道を通り本州に伝わって行った作物もある。縄文時代に遡れば南北海道・北東北は日本列島の先進地であって、余市の遺跡でも大陸から直接渡ってきたものが数多く発掘されている。
 最近の考古学的研究では、縄文人も稲作をしていたことが明らかになり、米が弥生人によって初めてもたらされたのではないことが分かっている。アイヌの農耕には弥生文化の影響もみられるが(林 善茂「アイヌの農耕文化」慶友社1969)、弥生文化という時代が存在しなかった北海道では、最近までアイヌは縄文文化を継承していたと言えるだろう。東北の北上山地でも、ごく最近までマタギや焼畑農耕民が、この縄文文化を受け継いでいた。縄文文化とは、世界中のいわゆる先住民族と共通する自然観に基づく文化であると言ってよいだろう。つまり、弥生文化によって行なわれたように、組織的に自然を改変し、労働を搾取することにより富を集中させるということをしない。ただ、あるがままの自然の中から生存に必要な糧だけを感謝していただくのが、先住民族に共通する文化である。もちろん、縄文文化こそが理想だとは思わない。生産性の劣る農耕に多くの労働を費やすことが、豊かな人間生活につながるなどと言うつもりもない。そんなことは、実際に農作業のつらさを味わったことのない人間の言うたわごとである。しかしながら、合理化といい機械化を推し進め大量生産したところで、農家の生活は決して豊かになったわけではないし、より多く生産することで、農家がますます搾取され、地球環境が危機に陥っているのも事実である。このような時代に、縄文や先住民の文化に学ぶべき点は少なくないだろう。 最近、人間の遺伝子の解読が進み、今まで考古学に頼っていた人類の歴史や進化の過程が遺伝子解析により次々と明らかになり、従来の常識の多くが覆されてもいる。例えば、現在地球上に生きている人類はすべて、約20万年前のアフリカの一女性の子孫であるらしいことが分かってきた。ヨーロッパで発掘されたネアンダルタール人や、アジアで発見された北京原人やジャワ原人と、現代のヨーロッパ人やアジア人の間には、何のつながりもない。彼らの子孫は滅んでしまったのである。現代のヨーロッパ、アジア人は約9万年前にアフリカから渡って移動した。創世記の物語は、単なる作り話とは違うのである。
 そして、アイヌの遺伝子は、縄文人の遺伝子を、ほぼそっくり受け継いでいることが明らかになってきた。さらに、地球の裏側ペルーのアンデス山脈に住んでいるアステカ文明の末裔であるインディオの遺伝子とアイヌの遺伝子は、世界中で最も似通っているのである。一方、現在の日本人の遺伝子は、世界でも類を見ないほど複雑である。日本が単一民族国家であるなどという常識ほど、誤った常識はない。同じアジアでは、中国人や韓国人の方が、はるかに純潔度が高い。日本人の遺伝子には、中国系、朝鮮系、アイヌ系、沖縄系、その他の血が様々な割合で入っており、西日本では朝鮮系の血の濃い人が多い。私も典型的な混血日本人であろう。多少はアイヌの血も流れているかもしれない。そう考えると、少し面白くなってくる。アイヌ文化の復権を唱える権利が、少しはあるかもしれない。


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