私は非日常という甘美な夢の中にいた
不意にカタンという音が鳴る。新聞受けに月曜の朝刊が届いた音だ。まだ部屋は薄暗い。
その音に私は酷く不機嫌な気持ちになり軽く舌打ちをした。
するとそんな私の気持ちが伝わったかの様に、規則正しい寝息を立てていた彼女が咳き込んだ。
私は思わず彼女の背中を優しくさする。
軽い後悔の気持ちになりながら、何故これほどまでに不機嫌になったのかを考えていた。
私も彼女も社会人となり責任ある態度を義務付けられるようになって幾らかの時が流れた。
必要に迫られて表の顔、裏の顔を使い分ける術を身につけている。
しかし私と彼女の間にはそんな使い分けは必要無い。
平気で相手を罵倒し、そして相手から傷つけられてきた。しかし七年の年月は二人を不思議な仲間意識に結んだだけでなく、
他の誰も知らないお互いの姿をさらけ出す事で、知らず知らず世間によって侵蝕された脆い心を治癒しあってきた。
言ってみれば互いを補完しあう関係にまで発展させてきたのだ。
他人とのつきあいが私の日常であれば、彼女とのつきあいは私にとってかけがえの無い非日常なのである。
そしてお互いが身体を重ね合い、涌き出た汗さえも愛しく啜り合った後、彼女の規則正しい鼓動を枕に
甘美なる非日常を楽しんでいた所を、あの新聞受けに小さく鳴った無粋な音が私を日常へと導いてしまったのだ。
確かに人は日常を生きなければならない。非日常に取りこまれ現実を見失ってもまだ人生をまっとうする術を得るのは稀な事であり。
少なくとも私には永遠に縁の無い事だろう。それはわかっている。わかっているからこそ非日常を愛するのだ。
そして私と彼女の関係があまりに日常とかけ離れた事は、極めて幸福な事であり、ある意味では不幸な事なのかもしれない。

 

 


エヴァンゲリオンという作品は、愛すべき各キャラに自分を重ねる事で、素晴らしき作品世界とシンクロした人々に熱狂的に支持された。
もちろん謎めいた宗教的な調味料。日本人の殆どが他国と比べて極めて無宗派だったことが、
いいかげんなその調味料を様々に味わう余裕を持たせ。一部のマイノリティに活躍の場を提供した。
かっこいいロボットや使途と呼ばれた敵の造形もまた極めてマニアの嗜好をくすぐった。
そしてこの作品の人気を決定的にしたのは、20世紀中盤に儚く太平洋に沈められた戦艦の名を苗字に持つ、
美しくも可愛らしい女性達の存在だったろう。アスカはアッパー系の美少女として華麗に登場し、男の子達のハートを捕らえた。
アスカは現代の男の子達と鮮やかにシンクロしたシンジを誘惑し、そして後に徹底的に拒絶した。
それゆえにアスカは物語の後半、そして劇場版で、振られたシンジ=男の子達の憎悪を一身に背負い、残酷なまでに壊されていく。
ミサトは、もう一人の主人公として第一話よりシンジとのコンビとして登場した。
ミサトは男の子達にとってのお姉さん的存在だ。そして母親ではなく、他人である女性の理想的キャラとして登場した。
しかし彼女もまた女性のリアリティを出せば出すほど、主役から外れ作品の語り部かつ汚れ役を演じることになる。
それは男の子とお姉さんとの間にある越えがたい壁、そして女性の持つ業の深さを男の子達にわかりやすく教えてくれた。
リツコはゲンドウと常にセットで登場する。彼等は男の子達を抑圧する存在だ。後に二人が関係を持っていたことが付足しの様に
開かされるが、ゲンドウがシンジ=男の子を、リツコがミサト=女の子を抑圧する役目だったのだから、極めて自然な事だろう。
リツコとゲンドウの痴話喧嘩は、シンジとミサトにとってどうでもいい事であり、物語としても蛇足な感じを与えた。
それでもこの三人の女性(アスカ、ミサト、リツコ)+二人の男性(シンジ、ゲンドウ)はとても丁寧に作られたキャラクターであり、
物語に軽やかなリアリティを持たせる事に成功した。まわりを固める脇役陣もまたそれなりの完成度だった。

 

 


しかしながら、それらのリアリティのある身近なキャラクター達と異質な存在の女の子が、エヴァに登場していた。
これほどのリアリティを、アニメながらも持ったエヴァには相応しくない存在。
綾波レイ・・・・・・ただただ主人公を惑わす存在として用意されたと思われたのが綾波レイであった。
彼女の役割は、エヴァの前にアニメ界の傑作であったガンダムでいえばララァのような存在であったか。
ガンダムもまた、丁寧に計算されつくし作られたリアリティ溢れた作品だった。そんな中、物語の後半にララァは登場する。
ララァの不自然な存在感は均整の取れたガンダム世界のおさまりの良さを破壊する。
そしてアムロとシャアの二人のヒーローの、物語りの中での成長をガタガタにした。二人は結局、ガンダムの続編以降でも
ララァの亡霊に振りまわされ、それは二人のヒーローに自分達の憧れを重ねた男の子達を困惑させてしまった。
綾波レイもまた、狭いジオフロント内でおさまりよく生活しようとする各キャラ達を困惑させる存在だったと思う。
それはエヴァの世界の中の各キャラ達の日常に現われた非日常の存在として彼女が登場したからだった。
元々は亡き妻の亡霊に操られたゲンドウと、彼に依存することでしか生きられないリツコの哀れな足掻きが生み出したマリオネットだ。
青い髪と赤い目、透き通るような白い肌。儚げな存在でありながら確実に各キャラを惑わして行く。
しかも性質が悪い事に、彼女は無垢だ。自分の言動がまわりにどんな影響を与えているのかを知らない。
最後は製作者が作品世界を一度バラバラにしようとした時、まったく都合のよいキャラとして大暴れをする。
地球よりも大きく拡大したり、シンジを異次元の世界に連れ去り、彼と文字通り同化しようとするに及んで、
リアリティに溢れたエヴァの世界をガタガタにしてしまった。シンジは劇場版のラストを見るまでも無く、
レイの亡霊に一生縛られるキャラとして、続編があったなら生きていくしかないのであろう。

 

 


ところが、そんな綾波レイが最初は驚くべき人気を得た。アスカやミサト、そして主人公のシンジを差し置いてである。
当初は相手に依存しているだけの人形的なキャラクターが、現代の病めるオタク達のマドンナになったのだろうと言われた。
それも一つの正解だったのかもしれない。しかし私にはどうしてもそうは思えない。
彼女は、弱々しく男に守ってあげられないと生きていけない女の子には、とても思えないのだ。
むしろそういう男性優位思想に都合のいいキャラは、結局最後には、脆く男の助けなくば生きていけない状態だったアスカ。
シンジという罵倒する相手がいなければ、アスカはなんにもない存在でしかない事が劇場版では描かれていた。
ミサトもリツコもまた生きる意味を男に依存しきっている。最後は男に拒絶されながら死んでいった。
それにくらべてレイは何者にも縛られてない。依存していない。ゲンドウすらも最後は躊躇無く見捨てた。
シンジに対しても、母親が子供を育てるかのような接し方をしただけであった。そして現実に帰るなどと見栄を切った息子を、
それじゃぁやってごらん・・・・・・という感じで人気の無い海岸にアスカと二人っきりで残した。
私は恥ずかしながらSSのデビュー作でリツコの台詞を通してこんなことを語っている。

「・・・・・・だけど本当の強さを持っているのはレイだと思うの。
今は安定してきて、ほとんどEVAは暴走なんかしなくなったけど、かつては本当に危険な・・・
それこそ、一歩間違えれば、パイロットの命にかかわるような危険な実験を・・・
何度も何度も繰りかえすしかなかった時があったのよ。
いくら全人類の未来の為だといっても、あんな小さな女の子一人に危険なことを背負わせて・・・
それでもあの子は、一度だって不満を顔に出す事すらなかった・・・
ただただ、ひたすら命の・・・精神汚染の危険にさらされながらも黙って私達の期待に精一杯答えてくれていたのよ。
間違えなく言い切れるわ、あんな事シンジ君やアスカには耐えられない。いや・・・それが普通なのよ。」

無口な女の子にしか父親の悪口を言えないシンジの頬を叩いたり、勝手にふてくされて自己崩壊にむかうアスカを叱咤したり、
彼女は常にまわりよりは一段高い所にいて、毅然とした態度を貫き通していた。
そんな彼女の持つ潜在的な強さに多くのファンが、そして私は憧れたのではないのか。
それは普通の人間の持つ弱さを超越した彼女の非日常故の存在感を。
何も失う物のない、いやそもそも何も持っていない彼女の持つ自由さに憧れたのではないか。そう思えたのである。
人は生きていく限りなんらかのしがらみを捨て去ることは出来ない。普段鬱陶しく思っていても自分を囲むまわりとの縁無しには
生きていけない。退屈な酷く窮屈な日常に接して生きていくしかないのだ。
だからこそ人々は自分にとってのなんらかの非日常な瞬間を求める。それはアニメキャラに萌えるのも一つの形だろう。
野球観戦に一喜一憂したり、博打で儲けたり散財することも、通俗な言い方だが異性との愛欲に溺れるのも一つだろう。
そういった各自それぞれの非日常を謳歌した後、不機嫌な気持ちになりながら、また日常に帰っていくのである。
アニメというのは本来、ニ次元に作られた絵空事だ。ガンダムもエヴァも出来が良いとはいえ所詮作り話だ。
だから作品にどんなにリアリティがあっても、そればっかりだと、アスカやミサトの様な現実のドロドロした物に行き付くだけで、
なんのカタルシスも得られない。そこにリアリティ溢れるアニメ世界の日常を脅かす存在、彼ら各キャラに非日常を体験させる、
綾波レイの存在に、私達もまた、シンジやミサトにシンクロした分だけ惹かれたのだと思う。
少なくとも私はそうだったなと気づかされたのだった。退屈な日常を一時でも忘れさせてくれる非日常な存在としての彼女。
綾波レイに出会えたことの幸運を、エヴァの熱が大分冷めて冷静に見れるようになった今、心からの喜びとして感じるようになった。

 

 


私の拙作に思い出した様に茶々を入れる彼女は、恐らく未だにたかがアニメキャラに萌える私の幼児性を苦々しく思っているのだろう。
この前、私のPCに勝手にあるテキストを入力していた。そこにはシンジやアスカに長年の年月が流れ、彼らは孫を持つ世代になっていた。
にもかかわらず、レイだけは永遠の美少女のままだ。そして初老のシンジに女々しいラブレターを送る。そんな文章だった。
いい加減に卒業したら・・・それともあなたは初老になってもレイちゃんにPC上でラブレターを書くつもりなの?・・・・・・という意味だろう。
しかしそんな彼女の挑発に対して、私はそのレイのラブレターを彼女のWeb上の創作だったという私らしい嫌みで応えた。
そんな私の姿勢に飽きれたのか、彼女はそれについては何も言わずに、昨晩は仕事の愚痴をするために私を居酒屋に呼びつけた。


まだまだ綾波レイに萌える日々は続きそうだ。

 

 

 

 


非日常の少女に捧ぐ


written by 柴レイ

 

 

 

 

 


******後書き******

要はレイちゃんがやっぱり大好きだよ。という事を小難しく言いたかっただけですぅ。
尚、これはエッセイもどきであり、フィクションでもあります。新聞受けの音に機嫌悪くなったことはありません(笑)
ちょっと気取った事を書いてみたかっただけなんですよ。
こんなんでも感想もらえるかなぁ・・・・・・思いっきりバカにされそう(爆)

それではレイちゃん。お誕生日おめでとう。いつまでも僕の天使でいてください。


柴レイさん、本当にありがとうございました!!

柴レイさんへの感想メールを!
fwje9785@mb.infoweb.ne.jp
までお願いします。


「投稿作品展」へ戻ります。

綾波祭「2回目だから・・・」へ戻る。