さくらと素敵なお兄さん






「いらっしゃいませぇ〜。御注文は何ですかぁ?」

葛飾区の柴又は帝釈天門前の商店街に、明るい少女の声が響く。

和菓子屋「とらや」に諸般の事情でアルバイトとして雇われたメイドロボット

のマルチは、今日も元気に売り子の仕事に励んでいた。

近所の馴染みに加え、マルチ目当てに来る客も入り、店はかなり混んでいた。

その店の片隅の席に、先ほどからむっとした顔で座っている少女がいる。

私立の小学校のものだろうか、かわいらしい制服を着ているが、むくれた顔のせいで全てが台無しだ。

少女に抱きかかえられた動物のぬいぐるみも、どこか悲し気な表情だ。

「あの〜お客さま・・・」

何も注文せずに座り続ける少女に、マルチが声をかける。

「まだ決まってません!」

少女はかなり御機嫌ななめのようだ。

「はわ・・・」

マルチはしばらく考えてから、少女を無視することにした。そのうち少女の機嫌が直れば向こうから

何か注文してくるだろう、と考えてのことである。

再び明るい声で接客をはじめたマルチを、少女はぶ然とした顔で見つめていた。






「さくらぁ、マルチはんに怒ってもしかたがないやろ」

「でも・・・」

「マルチはんだって、さくらと同じで看板娘になれんかったんやからさあ」

「だってマルチはこのお店で人気者になってるのに、私には全然出番がないんだもん・・・」

先ほどの少女は、どうやらぬいぐるみと話をしているようだった。

このぬいぐるみ、少女に返事をするあたり、どうやらただの人形ではなさそうだ。

店内が混んでいるためか、少女の妙な行動に気づく者はいなかった。

なおも人形相手に少女が愚痴をこぼそうとした、その時である。

「あら、木之本さん家のお嬢さんじゃない!」

いきなり声をかけられた少女が後ろを向くと、優しそうな中年の女性が少女のすぐ後ろに立っていた。

「さくらおばさま・・・」

むくれていた少女、木之本さくらは、とらやの元看板娘を見てあわてて姿勢を正した。

「そんなにかたくならなくていいのよ。ここは、あなたの家みたいなものでしょ? ところで何か

甘いものでも食べる? おばさんがおごるから」

甘いものと聞いて、さくらの表情が明るくなったが、すぐ厳しい表情に戻った。

「それよりおばさま・・・どうしてマルチがここにいるの?」

元看板娘はさくらに、前回のいきさつを手短かに話した。兄の結婚相手を見つけるためにどうしても

人気HPを拝借せねばならなかったこと、マルチにそのHPの看板娘になることをあきらめて

もらうため、知人の手を借りて少々手の込んだ策を実行したこと・・・。

「そこまではこの間聞きました。だから私は看板娘になるのをあきらめたんです。でも、どうしてマルチ

がここに・・・」

「ちょっとマルチちゃんにひどいことしちゃったからね、せめてここの看板娘にしてあげよう

と思ったの。本当はさくらちゃんにもやってほしかったんだけど、さくらちゃんはまだ小学生でしょ?

アルバイトは出来ないから・・・ごめんなさい、うめあわせは必ずするから」

さすがに松竹さくら党の盟主にここまで言われては、さくらもおとなしく引き下がるしかなかった。

「おばさま、ごめんなさい」

さくらはそう言い残すと、駆け足で店を後にした。彼女の目には、うっすら涙が浮かんでいた。






さくらは自分でも気がつかないうちに、江戸川のあたりまで来ていた。

彼女は土手に腰掛けると、じっと川面を見つめた。

考えてみれば、自分が新たな世界に踏み出す第一歩だったかも知れない機会であった。

それを、大先輩の頼みだったとはいえ、あっさり諦めてよかったのだろうか。

「ねえケロちゃん、私・・・」

「なあさくら・・・」

さくらが抱えているぬいぐるみ・・・ケロちゃんが同情するような調子で話し出した。

「いつまでもうじうじいわんと、この次頑張ったらええやんかぁ。さくらはまだ若いし、こないな

チャンスはいくらでもあるやろ?」

「でも・・・」

うまくは言えないが、どうにもやりきれない何かが、さくらの胸の中にわだかまっていた。



「どうした、お嬢ちゃん? 浮かない顔して」

物思いにふけっていたさくらは、その威勢のいい声で我にかえった。

大きなカバンを持った中年の男が、さくらを心配そうに見つめていた。

安物のスーツに腹巻き、雪駄というその男の格好は、お世辞にも上品とは言えないが、妙に似合っている。

「どうしたい、迷子にでもなったのか?」

歯切れのいい江戸訛りだ。さくらは男の問いに黙って首を振った。

「ははぁ・・・さては腹減ったな? よし、おじちゃんがいいものやる」

「知らない人から物はもらえません」

そっけない返事をするさくら。まあ普通に考えたら、さくらの対応は当たり前のものだろう。

あれ? おじちゃんのこと覚えてないの、木之本さん家のお嬢ちゃん。ほら、俺だよ、

団子屋のお兄ちゃんだよ、とらやの。ここんとこ留守にしてたから、忘れちゃったか」

そう言われて男の顔をじっと見つめるさくら。

「ああ、寅さんだぁ! いつ帰って来たの?」

そこにいたのは、和菓子屋のさくらの兄、寅次郎であった。

その一度見たら忘れない、味のある顔がなぜ思い出せなかったのか、

さくらは分らなかった。

「おう、ついさっきよ。ところで浮かねえ顔してたけど、何かあったのかい? よかったら

話してみな」

さくらは言葉につまってしまった。そもそも今さくらが悩んでいる原因が、

この気のいいおじさんだったりするのである。おじさんの妹が兄に気を利かせた

ばっかりに、さくらは落ち込んでいるのだ。

黙り込んでしまったさくらを見た寅次郎は、努めて明るい口調で話しはじめた。

まあ、人生山あり谷ありだ。人に言いたくないこともあらあな。だけどよ、いつまでも一つのことに

こだわって落ち込んでちゃいけねぇよ。お嬢ちゃんみたいな女の子がそんな顔してちゃ、せっかくの

器量が台無しだぜ」

寅次郎の言葉に黙ってうなずくさくら。しかし、その表情は固い。

「そうだ、ちょっくらおじさんに付き合ってくれるかい? 世の中そうそう悪いことばかりじゃないって

ところを見せてやるよ」

さくらは迷った。明らかに自分とはすむ世界のちがう人間の誘いである。だが、

何があるのか見てみたい、という気持ちもないわけではなかった。

「さくらぁ、どや? 行ってみたら。きっと面白いでぇ」

ケロちゃんの悪魔の囁きが、さくらをさらに悩ませる。

さくらは、結局寅次郎についていくことに決めた。






その日、葛飾柴又の商店街では、久しぶりに実家に帰った寅次郎と、彼が連れていた女の子のことが

大きな話題になっていた。

寅次郎の商売を手伝い「けっこう毛だらけ」から「粋なねえちゃん」

にいたる香具師の口上を、かわいらしい声でこなすその子が一体誰なのか、商店街中の人間があれこれ

推理を楽しんでいた。

実は隠し子、亡くなった先輩香具師の娘を引き取った、家出娘が強引に

寅次郎についてきた、などなど。

その噂は当然寅次郎の妹の耳にも入り・・・。

「お兄ちゃん、木之本さん家のお嬢さんになんてことさせたの!」

「落ち込んでるのを励ましてやったんだ。社会勉強にもなったしいいじゃねえか!」

おなじみの兄妹ゲンカがとらやで勃発した。今回は事情が事情だけに、妹の方が旗色が悪かった。

「はわわ〜! ケンカはよくないですぅ〜!」

言い争う二人の間でマルチは、安全装置が作動寸前になりながらも二人を必死になだめていた。

一方さくらは・・・。



自宅にて・・・

「な、なんだよさくら・・・急に言葉遣いが変わって、頭がどうかしたのか?」

「桃矢兄ちゃん、それをいっちゃあおしまいよぉ

学校で・・・

「さくらさん」

「おう、知世。今日もいい天気だねぇ。けっこう毛だらけ猫灰だらけってね」

「・・・・・・」

カード封印現場にて・・・。

「ほら、闇の力持った鍵の兄さん、あたしの前で本気を見せとくれ! あたしとの約束だ、『封印

解除』してくんな!

さくらは、すっかり寅次郎のノリに染まっていた。どんなにつらくても前向きに生きていく寅次郎に

憧れての結果である。しかし・・・。

「あちゃ〜、さくらはん、すっかり東のノリに染まってしもうた。こらもうあきまへんな」

その傍らでは、ケロちゃんことケルベロスが、さくらをクロウカードの所持者に選んだことを真剣に

後悔しはじめていた。

クロウカードの生みの親としてさくらを見守ってきた大魔術師、クロウ・リードは、この状況を見て頭を

抱えてしまった。

このような事態は、自分の予知の中にはなかったのである。

ここに至ってクロウ・リードがなすべきことは、全てを一からやり直すあの呪文を唱えることであった。

そして今、彼の口からその呪文が放たれた。

「だめだこりゃ」







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