山奥の小さな村、陸の孤島ともいわれた旧穂別村で、宮沢賢治が描いた理想郷・イーハトーヴの実現に力を尽した男がいた。初代民選村長・横山正明その人である。戦後の貧しい中、電源開発から、村立高校、村立病院の開設、スクールバスの運行など、北海道の一寒村とは思えないほど、積極的な施策で村民の生活向上を図った。
横山の理想郷への想いは、住民の地域づくりに引き継がれ、「ほべつ銀河鉄道の里づくり委員会」などが中心となって、宮沢賢治の世界をモチーフにした活動が行われた。廃線によって使われなくなった富内駅は、富内銀河ステーションと名前を変え、近隣には賢治設計による花壇「涙ぐむ眼」が造成された。さらに高齢者生きがいセンター、イーハトーブ文庫などができて、地域住民の憩いの場や、ほべつ銀河鉄道の夕べなどのイベント会場として使われた。
平成の大合併によって、町は鵡川町と合併し、むかわ町穂別へと変貌した。町が変わり、世代が交代していくにつれ、理想郷づくりへの熱は薄らいでいった。横山を直接知る人間も減り、記憶は絶たれつつある。横山と宮沢賢治について研究し、いくつもの著作がある田んぼdeミュージカル委員会は、「過疎化したまちを無理に残すのではなく、そのまちを育んだ先代たちの意志や想いを胸に、それぞれが別のまちで活躍していくことで、まちの記憶を残していくことも大切だ」と話す。横山と彼の描いた理想郷の記憶を後世に伝えていくこと、それが今後の課題という。
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