横浜、長崎と共に日本最初の貿易港として世界に向けて開かれた函館だったが、水の便が悪く、日常生活でも飲料水に事欠くことがあり、街の発展とともに水道建設の要望を高まっていった。そこで、明治20年(1887年)、道庁が横浜の上水道敷設を担当したイギリス人土木技師パーマに調査を委託。調査後、亀田川を水源に、沈殿池と元町配水池をつくり、市街地各署へ給水する大事業が、翌年から開始された。待望の近代水道は、同22年(1889年)に完成。函館公園では盛大な疎水式が挙行されたほか、家々の軒先には灯ろうが灯され、海岸に近い船からは花火が打ち上げられるなど、函館中がお祝いムード一色となった。
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