戦後で物資が乏しい時代だった昭和22年、パン工場を営んでいた鈴木栄治氏(後に和伸と改名)は、満足な遊び道具がなくて、大人の遊びをまねして遊んでいる子どもの姿を数多く目にしていた。こうした姿をみて、手軽にできる健全な遊び道具はないだろうかと憲兵隊で見たクロッケーを思い出し、ゲートボールを閃いたという。
ゲートボールファンが増えていくなか、同59年に鈴木和伸氏の妻である寿美さんの手紙から、発祥の地が芽室町であることが判明する。その芽室町では、同年に第1回全町ゲートボール大会が開催され、芽室町ゲートボール協会が設立。さらに道内初めての屋内ゲートボール場「老人健康増進センター」が完成し、季節や天候に左右されずに多くの人が気軽にゲートボールを楽しんでいる。
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