ローマ

ジャニコロの丘(Gainicolo)


 ローマでは1、2といわれる美しい眺望のジャニコロの丘。伝説では古代ローマ時代に双面神ヤヌスに捧げられた丘と言われています。標高は88メートルでテヴェレ川に平行するように南北に細長く広がった丘ですが、フィレンツェのミケランジェロ広場に比べてしまうと景観的にも物足りないかもしれません(比較の対象が間違っているのでしょうが)。丘の頂上にはイタリア統一で活躍したガビバルディの騎馬像があります。まあ美しいといえば美しい眺めではありますが、あえて見に行くまでのものではないかもしれません(ローマ市民には失礼かな・・・)


コロッセオ(Colosseo)


 「ほんとうにでっかい!」、たぶんコロッセオを観たすべての人の第一印象じゃないでしょうか。古代ローマ時代にヴェスパシアヌス皇帝の命により建てられた格闘技兼円形劇場がコロッセオ。ドーリス式、イオニア式、コリントス式という3つの古典的建築方式が使われ、緻密な計算のもとに出来ている古代建築の傑作といえます。周囲527m、高さ57m、4階建てで5万人を収容可能な観客席はとにかく壮大です。最近は巨大なコロッセオ自体の重さで地盤沈下しており、周囲の道路も交通規制がされています。それが当然だと思える大きさであることは間違いありません。
 客席は大理石の男性用、木造の女性用、下層の人々用の立ち席に分けられていたそうです。見学は1階は無料ですが2階は有料となります。中央にはかつては床下だった部分(猛獣の檻や道具置き場だったとのこと)が残っています


コンスタンティーノ凱旋門(Arco di Costantino)


 コロッセオの隣にあるのがコンスタンティヌスの凱旋門。コンスタンティヌスがマクセンティウス帝との戦いに勝った記念に造られ、幅25.7m、高さ21m、奥行き7.4mという堂々たる構えです。工事を急ぐため、装飾は古い凱旋門のパネルや像をリサイクルしたそうです。主な部分は、フォロ・ロマーノにあるセウェルス帝凱旋門をモデルに、上部にある4つの像と中央のアーチの内側やサイドにある4角形のパネルはトライアン帝の凱旋門のもの。小さなアーチの上部にある2枚のパネルは、マルコス・アウレリウス帝の凱旋門のもの。そして4つの円形メダリオンは、ハドリアヌス帝の凱旋門から持ち合わせたということです。
 ちなみに日本ではフランスのパリにある凱旋門のほうが有名ですが、実はフランスの凱旋門のモデルになったのが,ローマの「コンスタンティーノ凱旋門」なのだそうです。


トレヴィの泉(Fontana di Trevi)


 パンフレットや写真でみるトレヴィの泉はとても大きく見えますが、訪ねてみると意外に小さく観光客で混雑するのも仕方ありません。泉の後方にあるポーリ家宮殿の外観を噴水のデザインに取り入れたことで、狭い場所に最大限の広がりをもたせるようにデザインされているそうです。貝殻の馬車に立つネプチューンの像と、海馬を操る2体のトリトーネの像は、できれば双眼鏡か望遠レンズでみてください。その技巧のすばらしさに惚れ惚れします。
  言い伝え通り、背中越しにコインを投げる人が多いのですが、そのコインは地元の子供達が泉に入って集めて持っていってしまうとのことです。ちなみにボクは1枚、妻は2枚のコインを投げました。後で聞くと、「3枚投げると別れることができる」そうです。夫婦で3枚ということは・・・?


浜清


 トレビの泉のそばにある日本料理店。味はごく普通の日本料理で可も不可もなし。ただ器へのこだわり?には感心しました。ちょうどこの時は世界水泳選手権が開催されていて、お守りのように、頚から身分証明書をぶら下げた日本水泳選手の一行と一緒になりました。スポーツ選手もやはり和食が恋しくなるのでしょうねぇ。


サンタマリア・イン・コスメディン教会(Basilica di Santa Maria in Cosmedin)


 罪を犯した者が嘘をつくと、手が食われてしまうといわれる伝説を持つ「真実の口(Bocca della Verrita)」はサンタマリア・イン・コスメディン教会にあります。行ってみると教会内部ではなく礼拝堂の外側(写真ではアーチの側壁の内側)に鉄格子に囲まれて壁に掛けられています。ローマ時代に無名の彫刻家が円状の大理石に彫った浅浮き彫りで、もともと大下水溝クロアーカ・マクシマの蓋か、ヘラクレス神殿またはある噴水の装飾の一部だったということです。
 この教会の建物自体、特にロマネスク様式の鐘楼が有名だそうです。内部の礼拝堂はとても狭く薄暗いものでしたが、ロウソクの明かりに浮かぶ「聖母子像」が、思わず祈りを捧げたくなるような雰囲気をかもし出していました。
 真実の口の前にはちょうど座れるくらいの台座?があります。そこに座ってこのポーズをとってみましたが、これはちょっとやばいかも・・・。それに加えへそ曲がりのボクは、人が行うように口に手をいれてみても面白くないので、目?に手を入れて「はい、チーズ!」しました。後でバチが当たらなければいいですが。


サンタンジェロ城((Castel Sant' Angelo)


 もともとはハドリアヌス帝の墓所として建てられ、ペストの流行の終わりを告げる天使が現れたことを記念して、グレゴリオ1世が墓の上に礼拝堂を建てたことから聖天使城といわれているサンタンジェロ城。1527年ローマ帝国軍がローマを略奪した際に、法王クレメンテ7世がこの城に避難したことは有名ですね。現在内部には武器や美術品が展示されています。


サンタンジェロ橋


 サンタンジェロ城からテヴェレ川にかかる橋。テヴェレ川にはレンガの橋や彫刻の橋が多く架かっていますが、その中にあってこの橋はかのベルニーニの彫刻で飾られている、いわばそのまま美術館と言ってもいいような橋なのです。この時は工事のため通行止めとなっていましたが、手前の欄干に置かれている天使像を見るだけでも感激ものです。後で知ったのですが本物はスペイン広場近くの教会にあるとのこと・・・ちょっと残念ですが、騙されたとしても見学は無料なのだから許してあげよう。


カンピドリオ広場(Piazza del Compidoglio)


 カンピドリオの丘は、ローマの丘の中でもっとも神聖な場所だったそうです。教皇パウロ3世がこの丘にふさわしいモニュメントの設計をミケランジェロに依頼して100年以上を費やし1654年ようやく完成したそうです。特徴は市庁舎のある奥に向かうに従い広がり開放感を演出していることで、さすが天才の設計は違うと感心させられます。ところでこの広場をもう少し進んで市庁舎の裏へ回り込むとそこにはフォロ・ロマーノの世界が広がります。是非行って見てください。


フォロ・ロマーノ(Foro Romanao)


 ローマの集会場を意味する「フォロ・ロマーノ」は古代ローマ時代の遺跡群です(フォーラムの語源はこの公共広場からきています・・・知ってました?)。ここは政治、司法、宗教、商業の中心地でしたが、ローマ帝国滅亡後は荒廃し、柱石や礎石が残るのみとなっています。そばで見るには入場料がかかりますので、遺跡にあまり興味がない人は外からの観賞で十分でしょう。
 全体を見渡せる絶好のポイントはカンピドリオ広場にある市庁舎の横で、中心部のいいところを見ることができます。遺跡内では大理石で造られた3本の柱が特徴の「カストルとポルックスの神殿」や3つのアーチを持つ「セヴェルスの凱旋門」が有名だそうです。


トリニタ・ディ・モンティ教会(Trinita dei Monti)


 スペイン階段のオマケみたいになっていますが、ここはトリニタ・ディ・モンティ(Trinita dei Monti「丘の三位一体教会」)と言う意味の名を持ち、1502年にフランス王ルイ12世が着工させ1585年に完成したフランス人のための聖堂です。2本の塔を持つのはフランスゴシック様式で、フランス人がこの教会を見るととても懐かしさを感じるのだそうです。イタリア人から見るとエキゾチックな外観でパリのノートルダムに似ていると言う人もいますが、みなさんはどう思われますか? ところで左の塔の時計はいつもずれていることにお気づきでしょうか(ちまたでは動いていないと言う説もあるそうですが)。
  内部は聖堂内陣と翼廊内に後期ゴシック様式の建築跡が保存され、礼拝堂のいくつかには、16世紀の画家のフレスコ画が描かれているそうです。教会前の広場は18世紀末に設置されたサッルスティアーノ・オベリスク(オベリスクの象形文字は古代エジプトの文字をローマ時代に模造したもの)で飾られているようです


スペイン広場(Piazza di Spagna)


 いつも観光客でにぎわうスペイン広場は、137段の階段と2つの鐘楼が印象的なトリニタ・ディ・モンティ教会が目印です。映画「ローマの休日」で有名となったこの階段ですが、教会の名前そのままにトリニタ・モンティ階段というのが正式名称で、建築当時はこの近くにスペイン大使館があったことから「スペイン階段」との俗称が付いたそうです。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンがジェラードを片手に歩いていましたが、今ではここでの飲食は禁止されているので彼女の真似はできません。階段下には舟の噴水がありますが、こちらは思ったよりも小さくスペイン広場の脇役程度のものでした。


コンドッティ通り(Via Condotti)


 スペイン広場の階段から真っ正面にまっすぐにのびる通りの両側にはイタリアン・ブランドのショップが並び、周囲にはローマ最大のショッピングゾーンが広がっています。特に夕方のショッピング・タイムになるとまるでお祭り広場のような賑わいになります。


ナヴォーナ広場(Piazza Navona)


 スペイン広場とともにローマを代表する広場がナヴォーナ広場。古代ローマ時代の競技場跡で南北に細長い形をしています。教会や宮殿に囲まれたこの広場は、夜にはライトアップされ一般市民や大道芸人、そして観光客など多くの人々が集まり深夜まで賑わっています。
 この広場には大きな噴水が3つあります。その中でも中央にあるオベリスクを背にした巨大な噴水は、ベルニーニの代表作「四大河の噴水」です。4つのバロック彫像があり、それぞれナイル、ガンジス、ドナウ、ラ・プラタを擬人化したもので、4つの彫像の姿には後に色々なうわさ話が付けられています。が、そんな意味はどうあれ、噴水の脇まで行ってこれらの彫像を見上げると、そのすばらしさにしばらくは開いた口が塞がらないでしょう(少しオーバーだね)。


レストラン 「Tosca」


 ナヴォーナ広場近くにあるピッツェリアでは、ナポリピザ(一番安かったから)を賞味。実はピザは地元では夕食の食べ物だそうで、昼間に食べるのは観光客ぐらいだそうです。
 さてこのレストラン、オープンテラスなので誰でも出入り自由。食事中に篭をもったおばあさんが杖をついてさい銭目的に回ってきたのですが、あまりにもかわいそうにみえたので、騙されたつもりで小銭をプレゼント。思いの外美味しいピザだったのでボクの気分も良好だったようです。妻のカルボナーラもなかなかの味でした。店構えからしてそれほどの期待はなかっただけに、とても得した気分でした


バルベニーニ広場(Piazza Barberini)


 ヴェネト、システィーナ、バルベリーニ、トリトーネの4本の主要な通りが交差する交通の要所となっているバルベリーニ広場。広場の中心には海神トリトーネがホラ貝から水を噴き上げている、ベルニーニの名作「トリトーネの噴水」があるのですが、その周囲は一日中車が行き交っています。なかなか側に寄れないのが残念です。
 広場の北側にはこれもベルニーニ作の「蜂の噴水」があります。法王ウルバヌス8世の在位記念のために制作し、蜂はウルバヌス8世の出身であるバルベリーニ家の象徴だったそうです。ここからわき出る水はとっても冷たく、飲用もできるそうで実際に飲んでいる人もいました。ホラーに興味のある人は、この噴水のすぐ側に「骸骨寺」があります。骸骨の壁画?が見られるそうです・・・


ヴェネツィア広場(Piazza Venezia)


 ローマのほぼ中心にある広場で市内の交通の要所でもあります。正面には大きなウェディングケーキのニックネームがある「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」。イタリア統一を記念して1910年に完成したこの建物の中心には彼の騎馬像がでーんと構えています。向かって左は「思索」、右は「行動」と名付けられ静と動を意味しているとのこと。広場の中心には丸い花壇がありそれなりに美しいのですが、それにしても交通量が多い広場でゆっくりと鑑賞する余裕も記念写真をとる余裕もないのが残念といえば残念。


ポポロ広場(Piazza del Popolo)


 ジェゼッペ・ヴェラディエ設計の広場。中央にはエジプトから運ばれたと言われるオベリスクがあり、その高さはローマで一番だそうです。広場の北は古代ローマの玄関であるポポロ門、そして広場の南にはヴェネチィア広場に向かうコルソ通りの入り口に見た目にはほとんど同じの教会が建っています。左はサンタマリア・ディ・モンテサント教会、右はサンタマリア・ディ・ミラコーリ教会というそうです。どういう意味があったのでしょうね、この双子教会。


ホテル 「Visconti Palace」


 テレベ川沿いに位置し、バチカン市国、スペイン広場のまで500m程の観光には好立地に位置するホテル。外観も内装も一般的なビジネスホテルですが、このロケーションにあれば文句は出ないでしょう。ただホテル近くにレストランやバールが少ないのが欠点と言えば欠点でしょうか。


レストラン 「La Francescana」


 サンタンジェロ城に近いトラットリアでローマ最後の夕食。入ってみて驚き、こんな繁華街にあるレストランなのに英語は全く通じず、メニューもイタリア語のみでした。身振り手振りでメニューの説明をしても全く通じず痺れを切らしたウェーターさんは、ついに妻の手を引いてキッチンへ直行。妻に指さししながら蝦とか魚とかのグリルがお勧めだとか言っていたそうですが、妻は素材をみて全く違うものを注文したらしい。
 で、出てきたものは、モッツァレラチーズと茄子とトマト等々、ごちゃごちゃ入った味気ない前菜。あまりにもさっぱりしたカルボナーラ、そしてしっかりと火の通ったミディアムステーキ(注文では焼き方をきかれたと思い、英語でミディアムといったがたぶん通じていなかったと思う)。最後に清算したら、チップが足りない?と「英語で」催促される始末。あれっ、英語がわかるんじゃないの? それにしても料理くらいは現地語を勉強しないとだめだという教えでしょう。





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