それいゆが誕生するまで
2004年07月07日
代表 大嶋栄子


 人が新しいことを始めようとするきっかけは様々だと思いますが、私の場合はいつも「そんなの変だ」、「許せない!」という単純な怒りのような気がします。言い変えれば周りの状況とか、先の見通しとか、周到な計画とかいうものとは無縁の、自分のなかからむくむくと沸き起こる直観や主観に背中を押される感じです。怒りと、もうひとつあるとすれば「おもしろそう」というワクワク感。実現したらあんなこと、こんなこともやってみたいという妄想を膨らませていく瞬間の妙な充実感にアディクト(嗜癖)してしまうのです。まるで打ち上げ花火のように、次々と浮かぶアイデアを形にしていこうとする時に、「自分のどこにこんなエネルギーがあったんだろう」と思う程の力が湧いてきます。そんな私の直観や主観、妄想めいたアイデアを「おもしろいね」と言ってくれる大勢の仲間に支えられ、それいゆは生まれました。

top-pic  精神医療の現場でソーシャルワーカーという仕事(患者さんや家族が安心して医療を受けられるような手助けをしたり、地域に戻ってからの生活について細々とした相談に応じるといったいわば「よろず相談」のお仕事)を12年ほどするなかで、私はいろいろな疑問を感じました。

 <疑問その1> 患者さんが男性か女性かで療養する時の困難が違うこと。性役割(女だから、男だからということで周りから期待される役割のこと。例えば家の事は女の仕事、稼ぐのは男の仕事というような)による縛りがあって、病気が快方に向かうためにも、残った障害とうまくつきあうためにも、そうした縛りが本人や家族を苦しめているように見えるのに、なかなかその縛りから自由になれないこと。そして周りの援助者もそういう縛りに気づこうとしなかったり、意識的、無意識的にその縛りを患者さんや家族に押し付けてしまうことがあるんじゃないか。

 <疑問その2> 「病院は病気を治すところ」というけど、病気かどうかは別として「困っている人がクライエント(援助を求めている人、依頼人という意味)」じゃないのかな。今から10年前、殴る夫をどうしたらいいかという相談に、医療はほとんど応えてはいませんでした。殴るのが明らかに精神的な病状のなかで起こっている場合を除いて、それは病院で対応するような事ではなく、別の機関を紹介するのがふつう。もちろん今でも殴る夫を変えることは難しいけれど、相談にこられたその人をクライエントとして、何かしらの援助を始めるところは増えたように思います。でも、そういうところがまだまだ足りない。精神的な病気であろうがなかろうが、「どうもメンタルな課題を抱えて困っている人」につきあってくれる場所がもっと必要なんじゃないか。

 <疑問その3> 医療は生活の場じゃない。「街で暮らす」時にさまざまな困りごとにぶつかるけど、街で実際に暮らしている人たちからのサポートが大事なんじゃないのかな。専門職が街で一緒に暮らしながら、サポート出来ること、クライエントにつきあうことって出来ないのかな。専門職ではない街の人も一緒にサポートに加わってもらうことが出来ないのかな。「暮らす」ためのさまざまな智慧を、クライエントも私達専門職ももっといろんな人に学ぶことが大切なはずじゃないのかな。

 こうした疑問で頭が一杯になった時、私は病院を辞めることにしました。間もなくして、自分に何ができるのか?ゆっくり考えようかと思っていた時に、地域の精神障害者の社会復帰施設を手伝ってほしいと頼まれ、その体験がそれいゆの下地になっています。またその4年程前から札幌市内に女性を対象としたカウンセリングルームを仲間と一緒に開きました。先の女性であることから派生する様々な役割による不利益や差別に苦しむ人たちのお話を聴いて、カウンセリングだけではどうにもならない、住む場所、生活を支える人の必要性を再確認しました。また、性被害を含むさまざまな暴力によって女性が長い時間苦しめられ、しかも苦しみや困難が個人的な問題として周りからも理解されずに、そのことで本人がさらに深く傷ついていくことがあることなどを教えられました。
 前に勤めた施設は長く男性のみを援助の対象としていましたが、私が入職してから女性を受け入れるようになりました。しかし性役割による縛りや不利益といったことにはむしろ否定的で、「男も女もない」といった考え方や、そういう一方で女は男に従うべきといったあからさまな差別がスタッフ間にあり、冒頭の「そんなの変だ」という私のなかの怒りは日増しに大きくなりました。また、いろいろな人や機関と繋がって利用者をサポートしていこうというより、自分達の狭い世界観のなかでのみ通用する理屈をふりかざす会議にもうんざりでした。2002年の春、口コミで利用者の数も増えて運営が軌道に乗ったころ、私は当時の利用者に思いきって自分の疑問をぶつけてみました。すると彼女達は「そんなの変だよ。新しい施設を始めよう」と言ったのです。「新しい施設?お金はどうする?場所は?」私は一瞬迷いましたが、そのすぐ後に「そうだよ。新しく自分達で始めよう!」と決めてしまいました。という訳で、あの時の彼女達の言葉がなかったら今のそれいゆは生まれていなかったことになります。

 それからの半年は、資金集めのビラを配ったり、生活の場としてのグループホームとなる1件家を捜したりであっという間に過ぎました。支援の対象は「いろいろな被害のなかを生き延びてきた女性」とし、そのために精神的にも肉体的にもきめ細かいサポートを必要とする人たちとしました。これまでどちらかというと、医療や福祉の対象でありながらうまく支援の手が届いてこなかった人たち、私が多くつきあってきた依存症の方達だけでなく、抑うつや引きこもりといった生き難さを抱える方も一緒に「再び自分の望む形で暮らす」ことが出来るような、そんなそれいゆの支援のコンセプトが出来上がりました。
 最初は任意団体としての「それいゆ運営委員会」を立ち上げました。一緒にカウンセリングルームを運営してきた仲間や、これまで仕事を通じてかかわりを持った友人や知人たちに声をかけ運営委員に加わってもらいました。何より彼女達のいろいろな智慧やネットワークの力に支えてもらい、私と前の施設から一緒に働いてきた酒井さん、事務ボランティアをしてくれた末神さんがスタッフとして働いてくれることになったのです。初年度は公的な補助金が受けられず、賛助会員の会費と寄付だけという恐ろしく貧乏なスタートとなりました。あるのは困難な状況にありながら、一生懸命生きようとする女性達を何とか支えていきたいという思いと、これまで培った運営のノウハウでした。

 それでも2003年からグループホームに、2004年からは作業所に補助金がつくようになりました。そして、かねてからの懸案であった“より開かれた、公共性を意識した団体”としての「NPO法人リカバリー」が2004年1月、認証されたのです。
 リカバリーは生活の場としてのグループホーム『リカバリーハウスそれいゆ』と、日中の活動拠点としての『それいゆ共同作業所』(現 地域活動支援センターそれいゆ)の2施設を運営しています。どちらもジェンダー(社会的性役割)・フリーな視点で、個人が尊重され、しかしながら自分の現実を見据えていくしんどいプロセスにひとりひとりが取り組めるような支援を行っていきます。

 この社会で「そんなの変だ」、「許せない!」と感じることがたくさんあるなかで、その怒りの源をしっかりと見つめながら、特に女性の生き難さに共感し、その怒りをバネにこれからも粘り強く活動していきたいなと考えているところです。